渦巻き横丁―擬物化連続殺人事件―
【登場人物】
一木 ……探偵
湊 ……語り部、一木の補助
鈴森 ……渦巻き横丁の町内会長
渡瀬 ……精肉店の主人
クリストファ・ローレン
……イギリス資本のローレングループのオーナー
リドリー・スナガワ
……言語学者、鈴森の親族
【姉妹作「神殺しの『擬人』」より抜粋】
文献によると【擬人化】を擬人化して生まれたという《擬神》は、『御使い』と俗に呼ばれている使者を道具として、世に八百万の存在と流布する『擬人』を現在もなお生み続けているという。『御使い』が森羅万象を『擬人』化する方法は『御使い』それぞれに依存していてとことん種々雑多であるが、対する《擬神》の『御使い』になすメソッドは唯一らしい。
中略
《擬神》は寝食を超越的に忘却して昼夜を問わず『御使い』のもとへと地上を渡り歩くのであった。
中略
『御使い』は皆人間であった。しかし《神ゴロー》のもっともよく知る『御使い』は人間ではなかった、例外もあるのだ。
中略
《擬神》が森羅万象を『擬人』化するため『御使い』に施すメソッドは至極単純である。《擬神》が目当ての人間の耳もとに忍び寄り『汝我ガ霊ノ甕トナレ、濯ガレタ命ハ新ナル命ヲ生シ、意ノ血トテ大地ヘト流レタリ。汝生住異滅ノ風ト侍レ!』という長たらしい呪いにて神託を下し『御使い』に『擬人』化のための異能を与えるのだった。
中略
《神ゴロー》は混乱した。短い……《擬神》の袴はたくしあげられあたかもミニスカートであった、否、赤いチェックのその衣装は、ミニスカートそのものではないのか! そして……横笛ではなく……バグパイプっ!
「い、イギリス人だったの!」
想像とまるで違ったその男こそ《擬神》に違いない、唯一、紅い顔面と二つの飛び出した透明な筒だけが一致していた。大勢に取り囲まれた彼は次々に人間たちを『御使い』に変えていく……
中略
『べレ!』
《擬神》は《神ゴロー》に『御使い』としての信託を下した。
喜悦だった……《神ゴロー》にもたらされたものは得も云われぬ情動。
《神ゴロー》の細長い眼孔から止めどなく涙が溢れていた、涙は体躯を濡らし地面を伝い世界の裏側へ届くほどどこまでも深く広がるようだった。
「父なる神」
理由はわからない、しかしその言葉だけ放たれて。涙は自身を『擬人』化する道具、《神ゴロー》はすでに【神殺し】の『擬人』ではなくなっていた。彼はもはや《神吾郎》であり、その精神は目の前の、イギリス人のいでたちをした『権現』へと帰依しているのであった。
「如何にも。絶景です」
弾ませる背中は一度その場に立ち止まり道中の険しさより悠然と渾渾と湧く未知なる情景の萌しを物語っていた。……なるほど。漆黒のフロックコートは妖しげにも理知的な説得力を映す絶妙な案配だ、追いつくとやはり想像を軽く凌駕した景観がまざまざと迫り『商売繁盛』の文字の目立つ法被の初老男性がにこやかに出迎えた、依頼主だろう。探偵の言葉、丁寧語は誰とて声の届く距離にはなくただ空中に投げられ、無論こちらは眼中になどなく、それをとうに気に病むことはない、そんな関係だった。
「探偵さん、お待ちしておりました。渦巻き横丁へようこそ」
還暦を過ぎたあたりであるが肌艶が良く若い感じだ、自慢げに見下ろされる絶景を腕をぐるりと回し仰いでみせた。
だが、横丁というよりそれは渓。中央の底へと螺旋に並んだ大小様々な商業施設は、漆喰のように白い岩肌を覗かせて人々に賑わう歩道を美しい模様に渦巻かせ、緩やかな傾斜で、百以上の建造物が集合していると判る。
「素晴らしい景観ですね、コロッセウムでもこれには敵わないでしょう」
探偵は軽く一礼し、
「探偵の一木です、こちらは……」
「湊です、一木の補助をやっています」
無難な言葉を繋ぐ。身元引受人、などという仰々しい正式な名称を伝えたところでそれは伝えたことにはならぬし全ての経緯を話そうものなら半日では済まぬだろう、だがそれとは無関係に一木の先を越したのだ、この前のように「下僕です」と吹聴されては堪らない。
「お世話になります、私は町内会長の鈴森です、会長になって30年を越しました」
と得意げな表情。
「見たまえ、まるで絵画のようじゃないか」
一木は自身の蒐集品を自慢するような口ぶりだ。
「先ほど立て看板で見かけたのですが『擬神』が辿った道筋に渦巻いているそうですね?」
私が云うと、
「君はそんな馬鹿なことを鵜呑みにしているのかね」
一木は大声で嘲笑する。
「会長さんの前で失礼じゃないか」
しかし一木は無言になり冷笑の無表情を浮かべるばかりだ。
「いえいえ、その通りなんですよ、流石は探偵さんです」
鈴森は逆に一木を庇った。
「ここは石切り場だったはずだよ、君は道中何を見てきたんだ」
「中々どうして。凄い観察力です」
鈴森には構わず、
「かつて崖だった道さ、グルグルと歩けるわけがない」
「しかし……それが擬神というものじゃないのかね」
奴に釣られて声を荒げた。
「湊さん、慧眼です。確かに一木さんの仰るようにここは作業員の手に人工的に切り立った崖でした。擬神は作業場を巡り作業員の各々に呪文を囁きかけたと伝わります、御使いとなった作業員たちは岩山を擬人化させてまるで波浪のように一群れに連なりながら岩なる地面はグルグルと渦を巻いて現在の渓へと化したそうです。それは人知を超えた驚異なのです」
「よかったじゃないか湊君、君が褒められるなんて滅多なことじゃない」
一木が機械じみた声を上げる、腹も立たない、要は慣れだ。
私は神話の情景を思い浮かべ感嘆していた。硬く巨大な崖の岩肌が御心によってトロトロに蕩けていき、美しく緩やかに流れ降りていく光景を。
「実はその御使いたちが我々の祖先です、これもご利益という縁の力ですねぇ。しかし立て看板は山道にしか立っていませんからわざわざ歩いてこられたと見えます、大変だったでしょう?」
「いえ、大した道のりじゃなかったのですが……」
一木は振り返り私を一瞥して
「しかし彼が難儀だったはずですね、すっかり汗だくだ」
あんたが特別なんだよ、と心で毒づく。
「中々どうして、険しい道のりです、ほとんどが目下の駐車場まで車でお越しいただいてますから」
「いや、汗をかくほどでもない」
ようやく引いてきた汗が再び噴き出しそうだ。忌々しい男だ、私だって本当はこの男に連れ添うなど御免こうむりたい。
「最高の見晴らしですが、お呼び立ての本題もありますからそろそろ。無論、見所はその都度」
◆
ガコン! 鈍く硬質な軋み、キュウキュウと不快な摩擦音が放たれていくと冷気が火照った身体へと染み込んだ。
「こちらへ」
鈴森と並ぶのはこの巨大な冷蔵室の所有者渡瀬である。齢の頃は鈴森よりやや年少か、でっぷりと突き出た腹や逞しい体躯は如何にも肉屋の主人に相応しい。横丁のちょうど中腹、鷹揚な店構えのミートレストランと精肉店が融合する大型店舗だ。
肉と骨だけになった巨大な塊がいくつもぶら下がる中を掻い潜り奥へ……それらは立っていた。まるでマネキン。生気を失ったかつての人間どもが憐れに、一様に腕をだらりと前方に投げ出して弛緩した無表情、脚だけがっしりと床を踏み佇立していた。
「死んでいるのです? 呼吸は止っているようですが」
「ええ……」
一木の問いに渡瀬は少しく言葉を詰まらせた。
「死に切っているわけではないのです……」
「死に切る?」
「……はい。彼らは誰かに殺されていった、これは連続殺人でしょう……」
「なるほど、殺人事件。だから捜査を……しかし死に切っていないとは中途半端な?」
「『擬物化』を使った連続殺人だと心得ます、物と化した彼らを腐敗させぬようにここへ」
「擬物化、ですか。しかしどうやって?」
「それが大きな問題でして」
渡瀬に代わり鈴森が合いの手を入れた。
「横丁には代々伝わる魔導書がありまして……しかし単に奉納されているだけでした、それが……」
◆
横丁の中心、渓底には完全なる石造りによる神社があった。
「素晴らしい。継ぎ目が一切見当たらない流麗な造りですね、これも擬神が?」
「その通りです、探偵さんには隠し立てができませんな」
鈴森は笑うが直後神妙な面持ちへと還った。
「正面の扉は後に我々の祖先が施工したものです、木材や金属を使い。元は本殿は開かれていました。ただ、奉納せられた例の魔導書封印のため遮蔽したのです、我々の幼少期にはすでに」
「しかし、開いています」
「……ええ……しかし誰が、どうやって?」
一木は入口を細かく観察している。私は奥を覗き見た、祭壇があり大きな棺、装飾の奥には魔導書があったらしく、ゴテゴテした金細工へ不自然な何もない場所が目に付いた。
「魔導書は祭壇の中央にあったのですね」
私は少しく得意げに一木の先手をわざとらしく打ってみた。
「君、無闇に近づかないほうがいいぞ、祟られてしまうぜ」
「何を! 魔導書はもうないだろ」
「否、棺さ。そこにはミイラが眠っているのだ」
「何だって!」
驚いたがハッタリに惑わされまいと抵抗する余裕もなくはなかった。
「探偵さん、どうしてそれを」
「えっ?」
私は二重に狼狽してしまった。
「しかも半分生き埋めのように」
「ご明察、言葉もありません」
鈴森は一木に深々と一礼した。
「鍵は外鍵、更に内鍵まで施工されてかなり厳重に封印されていたのですね。そのことを会長さんは最初に問いかけた、まるで宙にでも訊くように」
「……すいません、未だに謎だったもので」
「恐らく鍵は誰も取ることができぬ場所、棺の中ではないですか」
「何だと! それじゃ密室じゃないか」
「勿論。だから謎なんだ、外鍵はとても緻密に作られているからね。合鍵がなければこれはオリジナルキー以外通用する代物ではない」
「祖先は合鍵を作らなかったそうです」
「でしょうね、合鍵があれば開かれても驚きはしない」
「待ってくれ、そもそもどうやって密室を!」
「それは……」
云いよどむ鈴森には構わず一木は止まる気配もなかった。
「簡単だよ、そこに格子があるだろ?」
石造りの格子、恐らく擬神の御心のままに形成されたものだ。
「これは完全な推理とは云えないが恐らくこの神社に仕え魔導書を守り続けた神官でもいたのでしょう」
「仰る通りです」
「なら完全だね。神官はずっと封印を解かなかった、年を経て彼も老衰が近づいた。今際の頃合に外鍵を掛け密室にしたのさ、鍵は格子から手渡され神官は残された命の灯を自ら棺へと収まり全うしたというわけだよ」
「見事な推理です一木さん……あなたなら解決してくれるかも知れません」
◆
渦巻き横丁の最外壁には石切り場時代の名残りがあり横丁の住人たちの巨大な居住地がその裏手にあるという、捜査の最大の焦点となる魔導書は現在、鈴森の邸宅にて厳重に保管されているということだった。鈴森の案内で横丁と居住地を繋ぐトンネルを潜る流れとなった。
「探偵さんではないですか」
金髪、白い肌の壮年男性が声を掛けた。
「どうして知っているんだ」
鈴森は明らかな敵意を彼へと向けていた。
「そりゃあ噂で持ちきりですよ。それはそうと我々もとても困っていまして、よければ協力していただきたいものですが」
「あんたらに貸す暇なんてないんだ、私は正式に依頼したんだぞ、少しは一木さんに敬意を払ったらどうなんだ!」
「おお、驚きました、こちらがかの有名な一木探偵とは……。実は我々のグループを狙った食い逃げ事件が連続していまして、解決の糸口を推理してほしいと思っているのですよ、正式に依頼したいのです」
「連続食い逃げ事件、興味深いですね……おお、失礼」
「いえ。捜査を頂けるのなら例え興味本位の取っ掛かりでも構いませんよ」
「そうですね、しかし申し訳ないがしばらくは協力できかねます」
「そうですか……それもそうですね。いいお返事を待ちわびています」
彼はクリストファ・ローレンというイギリス資本の飲食グループのオーナーであるがこの国の言葉はとても流暢だった。彼の祖先は横丁の商売人であったらしく、しかし鈴森からすると本国へ一度離れ、近年商売目的で横丁へ侵入しているやり口が気に食わないのだと思う。
「探偵さん、実を云うと私の見立てでは奴らが怪しいと踏んでいるのです」
鈴森は意外な言葉を放った。
「ほほぅ……訳ありでしたか」
「ええ……、イギリスとこの横丁は実は所縁があるのです。彼の祖先のみならずイギリスからの移民は多かった、実を云うと私の親戚もイギリス人のクォーターでして、彼にも会ってほしいのです、何せ隣人です」
「なるほど、つまりそれが魔導書と関係すると」
「その通りです。それに……横丁の建設者たる擬神もイギリス出身です」
◆
ローレンのレストランを横切る際鈴森の悪意は剥き出しだった。反面食い逃げ事件が彼の胸をすくらしく饒舌にもなっていた。
「奴にとってはいい様、などと云っては酷いかもしれないが……しかし横丁にとって奴の参入は邪としか思えない部分があって」
「いえいえ、人間得手不得手がありますよ、それに会長さんは正しい部分がありますので」
「いやあ、しかし彼らのお蔭で観光客が増加しているのも事実です、私は会長として恥ずべきですね。奴は最大のレストランを持っています。だが食い逃げ事件は決まって小規模店を狙っているのです。カウンタ席のみの一流職人の切り盛りする高級店です。不思議なことに食い逃げ客は決まって招かれた形跡があるのです、ばかりか必ずその客以外は締めきってしまい貸切状態にされているのです、飲食を済ます、無銭飲食ですが……そこで、とても不可解だが職人は恍惚とした感じになって……擬物化、とは少し違うのですが、でも大まかには同様の状態で言葉も発さなくなるのです、まるで薬物でも打たれたように」
「それは不思議ですね」
「ええ、とても。奴が困っているのは何も無銭飲食のほうではありませんよ、職人がそれなら営業自体が不可能になってしまいます、何せ一流ですからね、それが立て続けに」
「ほう」
一木はふいに立ち止まった。
「これは?」
一木が指差したのは墓標だった。
「ええ。これは私どもの祖先を記念してのものでして。そうそう、実を云うと奴の狙われた店はことごとくこの墓標の側にあるのです。犯人はそれを狙い撃ちしたのではと噂になってます、愉快犯が好むようなルールですね」
「なるほど」
「それで、次の墓標が奴の最大のレストランです」
「小規模店ではなく?」
「ええ……。だから探偵さんの手を借りたいと云うには云うのですが、奴はもう捕まえる気でいるはずです、罠を仕掛けるように」
「ほう。ただ、これも気になりますね?」
「ああ、これ」
「ええ、これは横丁にとって重要なものでしょう?」
「流石は探偵さん」
「ちょっと、どういうことだ、ただのマンホールじゃないか」
「君は本当に推理が下手だね、通常のものより断然大きいのは分からないのか?」
「そりゃあ見れば分かるけども」
「この中も調査したいくらいだが」
「一木さん、それは難儀です、何故ってこの大きなマンホールは専用の機械を使用せねばとても開きません、定期的に訪れる業者の」
「人力じゃ無理なんだ」
「ええ」
「しかし何故調査したいんだよ」
「湊君、いい加減にしたまえ。この横丁には電柱が一つもないだろ」
「だからどうしたんだ」
「あ~、ほとほと呆れるよ。漏斗状の巨大な要塞のようなものだよここは。そして電気は地下から供給されている、この地下はとても複雑だが、効率良く造られているに違いないじゃないか」
「それが事件と関係あるのか、逆に教えてほしいくらいだ!」
◆
鈴森の祖父の妹がイギリス人の居住者と結婚し、その孫が彼リドリー・スナガワだった。リドリーの祖父も横丁を造った御使いのひとりで墓標にもなっている。彼は一木や私を歓迎しているようだった。書斎の本棚はぎっしりと壁面の三方を埋めている、彼は横丁の商売には一切介入せずに言語学者として生計を立てている。今回の事件の鍵である魔導書の写しをいくつか見せられた、英字のようだが読むことはできない、それは一木も同じだった。
「これはゲルマン祖語ですね」
「ほう、探偵さん、流石は博識ですね」
「スナガワさんは言語学者ですね、読めますか?」
「否……恥ずかしながら、正確には発音できません。恐らく本国の住人でも難しいはずです、何せ滅びた言葉ですからね。私はずっとここを離れたことがないですし、発音に関してはあなた方と余り大差はないですよ。しかし意味はかなり解明しています。冒頭には、『この魔導書により、人は物に成り下がる』と書かれています。つまり擬物化の呪文です」
「ええ、つまり擬神とは真逆」
「その通りです」
「神と悪魔……どちらもイギリス伝来か。凄い偶然だな」
「この地はイギリスとは縁があるのです、石切り場時代から」
「運命が何かを導いたような感覚ですね」
「ええ……神も……悪魔も……」
「魔導書を使い連続殺人を。犯人はゲルマン祖語を読み上げる者……か、本国の人間ならば可能かも知れない……ですね?」
◆
「これです」
鈴森の屋敷は豪邸である。長い封印を解かれ現世へと戻された魔導書は屋敷のいちばん奥の物置へと厳重に保管されていた。鈴森家に入るだけでも三重のセキュリティを潜らねばならぬうえ召使や執事の目の行き届く邸内を最奥部まで掻い潜るのは至難の業だ。更に警備員を交代で配備し、博物館にそのまま展示できるようなショーケースに入れられていた。これを盗むことなど誰にもできないだろう。
「神社の本殿が開かれた時魔導書はあの祭壇へとしっかりと収まっていました、情けないことにあの密室を破られたこと魔導書自体への恐れに役員皆が囚われて、ずっとそのまま放置してしまったのです。連続擬物化事件……それは我々の失態でしょう。今厳重に保管しておりますが、擬物化事件は以来起こらなくなりました。動くのが遅かったと後悔しています」
「しかしこうして事件は収まっている、それは鈴森さんの勇気のお蔭でしょう」
「いえ……私なんて……」
鈴森はうなだれている、人を殺めるに等しい効果をもたらす悪魔の書を前に、普段は薄まっている恐怖や苦悩を思い出すのだろう。
「しかし不思議とは思いませんか?」
一木の言葉に沈黙を続けた鈴森が我に返った様子。
「物を人たらしめる擬人化、人を物に帰してしまう擬物化、それは出産と、殺人に相当する人知を超えた所業です、それがいずれも『言葉』ひとつで為されるのですからね」
一木の言葉に鈴森は何も返す言葉がないようである。
「ところで湊君。君は擬人化や擬物化とは一体どういった現象だと考えるのだい?」
「どうって……どうもこうもないじゃないか。どうにせよ人間業ではないよ、君はそう云ったばかりだ」
「まあ、それが言葉に為される場合に限ればね」
「どういう意味だ、言葉以外に何があると云うんだ」
「そうだな……例えば、人工知能」
すると鈴森が一木へと凄まじい勢いで振り向いた、実際私自身も驚き一木を凝視したほどである、この男は何を云い出すのだろう、と。
「魔導書を誰が持ち出したのか、についてはまだ材料不足だよ。しかし連続擬物化が魔導書によりもたらされたのが事実として、彼らは生物学的にまだ半分しか死んではいない。だからあの冷蔵室へと活かされているのだよ、それは分かるね?」
「勿論、つまり意識を剥奪されたんだ」
「そうだ、君にしてはいい線じゃないか。例えば擬神がここにいるとして……そうだな、このショーケースを擬人化したとしよう、すると何が生まれるのか」
「そりゃあ……論旨からすると、意識だろう」
「ほう……それは、ショーケースとしての意識かい?」
「それくらい私にだって分かるさ、勿論人間としての自覚、みたいなことだろう、だって擬人化だからね」
「そうだな。じゃあさっきの話に戻るが人工知能というのは人が作ったものだろう?」
「そりゃあ、機械だからね」
「機械……その通りだ、そして機械とは原初において単なる計算機に過ぎないんだ。だから人工知能も初歩においては例え先進的であっても擬人化、とは云えないだろう。だが、その、元の機械が、もし、人間としての意識を持ちえた瞬間があったとしたら……それは人間が、まるで擬神のように擬人化を果たした、ということになるじゃないか、そうだろう? では擬物化は? 実を云うとそれはもっと太古から行われていたよ。殺人という意味ではなく、ね。事故にせよ実験にせよ、人間としての尊厳……意識を奪うような不幸は、起こりえただろうし実際今でも起こっているはずだ、神でも悪魔でもなく人間が起こすのさ、神性ではなく」
「君の長話を聞きすぎると眠くなるね、少し休憩しないか?」
「そうですね、それは名案です、晩餐を振る舞いますので是非」
◆
翌朝、血相を変えた鈴森に促され魔導書の保管部屋へと連れられていった。鈴森邸に移されて以来第一の犠牲者たる警備員がマネキンの佇まいに。驚いて自然、ショーケースへと視線を移す、何者かがガラスを破砕し、魔導書はすでに盗まれた後だった。狼狽する鈴森をよそに、一木はむしろ余裕の笑みを浮かべていた、探偵が何かを掴んだ、ということだろうか……。
「そう云えば連続食い逃げ事件の捜査があったね、君は次の現場と予想されているあの店へと向かってくれ、私は別件があるから二手に分かれるとしよう」
「馬鹿な、何を云っている!」
「そうです、一木さん、緊急事態ですよ、食い逃げ事件などと……」
「否、私はちゃんとこの事件を捜査します、君はそのあとこの場所へ」
と、一木が私にメモを走らせ紙を渡す。
「それに、君のほうも関連しているから」
「何だって!」
「どういうことですか、一木さん!」
◆
一木に一杯食わされたような気分だった。横丁最大のレストランには大勢の覆面捜査官が配備されているようで恐らく同業者をあちこちから呼び寄せたものだろう、と理解された。云わば私の駆けつけなど微力に過ぎず徒労でしかない、という空虚さ。のみならず、昼時のピークタイムを過ぎても何一つ異変はなかったのだ。私は腹立ちまぎれにメモを思い出し読んでみた。時間が指定してあった。始めは緊張感で、後半からは腹立たしさでメモを読まなかった、危いところだった。
運よく場所はすぐ側、こちらもローレングループの小規模店だった。
◆
駆けつけた瞬間余りの異変に度肝を抜かれた。冴えるような紅い顔面、天狗の鼻のような長い筒のような両眼のレンズ、バグパイプを携えたイギリス人の……食事をせっせと口に運ぶは、擬神だった!
「ど、どういう……」
それ以上言葉の出ない私をよそに立ちつくす法被……鈴森の姿、そして勝ち誇ったような一木が集結していた。
「どうだい? 私の推理は?」
「何がだ、さっぱり分からん」
初めて目の当たりにする擬神を傍に一木が得意げに推理を披露する、という訳の分からない図、これをシュールと呼ばずして何を……。
「君をあの店に追いやったのは演出さ、ただに見せてあげるなんてもったいないったらない」
「はっ?」
「ショーケースが破られたことで全てが解けたのだよ。そして食い逃げ事件とのリンク……つまりその犯人、擬神とのね!」
「擬神が食い逃げ事件の犯人だと」
「ああ。じゃあそちらから整理をしよう。食い逃げのあと職人は皆恍惚としていたね、ほら、あの職人だって」
水道の蛇口を捻ったままシンクに勢いよく水が落下し続けている、あたかも呆けてしまったような感じ。
「世界には擬人化させてはいけないものがある、ということだろう。それは誰あろう人間だ。擬人化とは人工知能への推論からも分かる通り意識を高める魔法だね、だがすでに人間としての意識を持つ存在を更に高度な領域へ押しやろうとしても難しい、神になることはなく、しかし元の正常な意識ではいられなくなる。まるで麻薬に酔ったような、自分は神だ、と錯覚する憐れな全能感」
「人間を擬人化させたら腑抜けになったと?」
「そうだ、それが擬神の手口だった、つまり、食い逃げのための手口さ。擬神を招かぬ人間などいないだろう、それを逆手に擬神は無銭飲食にありついた、そして……地下へと潜伏した、その往復だった」
「地下だと!」
「そう……あの重いマンホールは擬人化でもさせて勝手に動いて貰うのだろうよ。よって通行人がこの場合の御使いだ。擬神は、つまり犯人は、墓標、などではなくマンホールを基準に移動していただけだ。墓標は横丁を等間隔に刻んでいるね。だがマンホールはそうとはいかない、何故ってちょうど大型レストランだったから。ズレた先がこの店だった」
「しかし……食い逃げ事件はそうだとして……」
「湊君、ここまで分かっていながら……まあいい。つまり連続擬物化事件の犯人は、他でもなく擬人化された魔導書自身さ」
「何だと!」
「そう、この紅い面の神によってね。あれほど厳重なガードを破るということが余りに不自然すぎて、逆に簡単な推理になってしまったよ。つまり魔導書が凄まじいエネルギーでぶつかったのだろう、あのケースは内側からひび割れていたじゃないか、それも気づかなかったのか」
「くそっ」
「始まりも同じだね、擬人化だけなら距離を苦としないはずだ。密室とは云え魔導書からすれば格子は簡単な抜け道だよ。そして外鍵を開け、元に戻った、そして連続殺人事件が始まったのさ。ゲルマン祖語は、魔導書自身であれば話せるに違いない」
悦に入る探偵、そして不意打ち!
物陰から現れたのは魔導書だった、ムカデのような足をページの隙からウザウザ伸ばし、狂犬のような牙を剥き、ドロドロと……黄緑色の涎を垂らし……そのたった一瞬、一木に向かって叫喚の如き不快な音響が(恐らくゲルマン祖語の呪文だったのだろう)浴びせられた……一木は擬物化されていた……が、一木は意識を失わなかった。滔々と……推理の披露を続けるばかりで……。
そうだ、奴は……探偵一木という男は……人工知能を搭載したロボット……。彼を開発した研究所、私はその研究員だった。一木ロボットはある日、独立を要請したのだ、研究所からの解放……、私は彼の身元引受人という名目で、彼を逐一監視するスパイ業務を続ける日々だった。
一木は、数ある業種の中から奇特にも探偵という職業を選んだ。擬物化の呪文に物化の意識へ退行しなかった一木は……つまり、独立を決意したちょうどその頃合に、擬神からの擬人化を受けたのだろう、誰も知らなかった事実……。擬神は、それほどに神出鬼没の存在である。
「べレ!」
擬神は自らが擬人化したはずの魔導書に更なる擬人化を施した。魔導書自身を御使いと据えて……。
悪魔であった魔導書の擬人は、意識のレベルを上昇させて、あろうことか『物』としての意識へ固着されていた、巡り巡って元の状態へと還ったのだ。
「擬神様! 渦巻き横丁の住人が擬物化されてしまいました、お願いです、擬神様の御心によって、彼らを元の姿に……元の姿に……」
町内会長の悲痛な叫びが谺していた。
◆
冷蔵室のマネキンたち。世にも気まぐれな擬神は奇跡的にも彼らの元へと足を運んだのである。それは、鈴森の強い思いが神通力となった瞬間ではなかったか!
「べレ!」「べレ!」「べレ!」……
擬神の呪文によりマネキンに生気が戻った……そして最後に擬物化されたはずの一木の眼の前へと向き合った。
擬神は、擬人化意識の匣体へ、擬人化の呪文をかけることなく、誰も気づかぬままに消えてしまっていた。