第3話 消えてしまった世界
「イバラキってどういう事だよぉぉー!」
辺りに響き渡るほどに、力一杯叫んでしまった。
膝を着いたまま、抱えきれなくなった精神の負荷を撒き散らすようにして。
人気の無い森で2人きりだ。
慰めの言葉には期待はできない。
むしろ追い討ちのような台詞がぶつけられる。
「もう一度言うわ。ここは忘れ去られた大地、イバラキよ。外界から拒絶され、繋がりの断たれた世界」
「繋がりが、断たれた……? 一体何を言ってんだよ!」
「2度とこの地から出ることは叶わないわ。今ここに居る時点で、イバラキに骨を埋めることが決定しているの」
「い、嫌だぁぁー! そんな話があってたまるかよぉーッ!」
あのクソ女神、よりによってこんな場所に産み落としやがって!
なにが『生きてりゃ良いことある』だ、ふざけんな!
「なぁ、さっきから『繋がりが断たれた』だの『ここから出られない』だの言ってるけどよ。ここは本州なんだろ? 電車に乗れば帰れんじゃねぇか!」
「やっぱり……外の人は今もそんな認識なのね。『あなたたちの世界』からイバラキが消えた事にすら気づいていない」
少女は諦めたように呟きながら、地面に地図を描き始めた。
それは簡略化された日本地図だった。
「イバラキ、どこにあると思う? 指してみて」
「えっと、この辺……?」
「そこは福島ね。間違いよ」
「じゃあ、ここか?」
「そこは栃木。次回からそこだけは指さないように気を付けて」
あれ……、おかしいな。
なんだかポッカリとイバラキの情報だけ抜け落ちているような?
知っているはずなのに、思い出そうとするとモヤがかかってしまう。
今まで経験したことの無い、不思議な感覚だった。
「イバラキの概形は描ける?」
木の枝を差し出しつつ少女は言った。
こう見えても社会は得意科目なんだ。
それくらい描けないハズはない。
「バカにすんなって。ちょっと下が尖ってて……」
「それだと山梨になっちゃうかな」
「あれだ、鳥が飛んでるような形の……」
「鶴の形とでも言いたいの? それは群馬だから。余所じゃ絶対に言わないでね」
んんん?
何故かイバラキだけ出てこないぞ?
学校でちゃんと習って覚えたのに。
「これで少しは理解できた? この地にかけられた『結界』の力の一端を」
「何言ってんだよ。ちょっと忘れてるだけじゃん」
東京で暮らしてた時にも、ニュースでイバラキの出来事は見ていたと思う。
天気予報でも、鉄道網でも、問題なく日常的に繋がってたハズだ。
改めてちゃんと思い出そうとすると、からっきしだけれど。
一帯が丸ごと『消えている』なんて、信じられる訳がない。
「あなた、イバラキに足を運んだことはあるの?」
「一度もないよ。用事なんか無かったし」
「例えばキャンプとか、初日の出とか、サッカー観戦でもいい。何かで行ってみようと思ったことは?」
「いやぁ……周りとプランを考えてる時も、イバラキはリストに出てこないし」
「そうでしょうね。あなたたちは無意識にこの地を避けているから」
「え……?」
「だから、確かめたこともないんでしょう? 実際にイバラキへ行けるのか、そうでないのかを」
「そりゃあ、無いけどさ」
ゆっくりと全身に悪寒が走った。
少女の荒唐無稽な話に、徐々にリアリティが生まれていたからだ。
今まで信じていた世界が崩壊していく。
身寄りを無くしてしまった自分にとって、それは名状しがたい恐怖だった。
「人々が無意識にイバラキを避けようとするのも、覚えているようで忘れてしまうのも、出入りができなくなったのも、全部『とある魔術師』のかけた魔法が原因らしいわ」
「魔術師……?」
「他の県民から事あるごとに見下され、嘲られ、否定される。彼はそんな日々に嫌気が差したそうよ。そして高次元の術式が施され、イバラキは世界から消えた」
「そんな話、馬鹿げてる」
「その日以来、この地は異世界化したらしいわ。通常の手段では入る事も出る事も叶わない、閉ざされた世界に」
「いやいや、おかしいだろ。だってニュースでも『イバラキの◯◯市よりお届けします』って報道してたぞ!」
「どうしてそれが事実を映していると言えるの? 実際の場所を見た事すらないのに、何を根拠に真実だと信じられるの?」
「それは……それは」
二の句がうまく継げない。
確かに彼女の言う通りだからだ。
見知らぬ土地の映像なんて、どうとでもなるだろう。
ナレーターが東京と言えば疑問を持たずに受け入れるし、神奈川だと言えばそのまま信じてしまう。
彼女は木の枝を放って、両手をパンパンと叩いた。
まるで『この話はおしまい』とでも言うかのように。
「偉そうに語っちゃったけど、私も転生した当初は取り乱したよ。お家に帰りたいーって、よく泣いてたわ」
「なんだ、アンタも転生者なのか。オレだけじゃないんだな」
「たまーに現れるみたい。私も全てを把握してる訳じゃないけどね」
同じ境遇の人物だと知って、親近感が湧いてくる。
そもそも標準語で会話できる貴重な相手だ。
極力仲良くする必要がありそうだ。
「ちょっとウチに来てみない? ゆっくり落ち着いて考えれば、また道も見えてくるでしょ」
「確かに……そうかもな。お邪魔していいのか?」
「もちろん! 歓迎するよー」
彼女の申し出に有りがたく応じた。
ここで暮らすにしても、脱出するにしても取っ掛かりは必要だからだ。
ちなみに彼女の地元は東京の北区らしい。
それがまた親近感を上乗せしたのだった。