其の始『夜の住人』
拙い作品ではありますが、読んでいただければ幸いです。
「ハァ………ハァ………っ!」
「先輩っ! 大丈夫っすか?」
「大丈夫だから……大人しく掴まってろ」
俺は夜の森を駆け抜けていた。
生まれたての小鹿のように震え怯える後輩を背中に乗せながら、当てもなくただ直進していた。
『キィアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
後ろからは、聞いたことのない言語ともとれない甲高い声を発しながら俺たちを殺さんとばかりに「何か」が猛スピードで追って来ていた。
このままじゃ追いつかれる。
せめて、せめて背中のこいつだけでも……。
「お前ら! こっちだ!!」
すると友人が道を示した。そこは木々が他よりも生い茂っていて自分たちですら上手く通れるか分からなかったが、そこさえ抜ければ公道に出られる。
「飛ばすぞ! しっかり掴まってろよ!」
「はいっす!」
俺は木々の隙間を蛇のようにするすると一心不乱に走り抜けた。後ろを振り返ると、俺たちを追っていた「何か」は俺たちを見送るようにじっと見つめるだけで動いてはいなかった。
恐らくうまく木の間を潜り抜けることが出来ないと踏んだのだろう。
そして俺たちはついに土と枯れ木だらけの森の中から、ごつごつとしたアスファルトの道へと抜け出した。俺たちはタイミングよく来たタクシーを止め、家に帰るため運転手さんに早く出してくれと催促した。後ろを振り返るが、やはりあの「何か」はもう完全に追ってきてはいなかった。
「くっそ……何なんだよ………あれ……」
「分からない。僕もあんなのは見たことも聞いたこともない」
「ははっ。秀才のお前が知らないとなると……本当みたいだな」
「茶化してる場合か。それより、一之瀬さんは大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫っす。まだちょっとヒリヒリしますけどこれくらいなら」
足には転んだ時に出来た擦り傷が出来ていたがもうすでにかさぶたになっていた。俺は制服の下で体を伝う汗に不快感を感じながら呼吸を落ち着かせていた。
やがてタクシーは後輩の家の前で止まり、後輩はタクシーから降りた。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
俺はそう言い残して家路に着こうとしたが後輩は「あの……」と何か言いたそうだった。
「どうした? 足が痛むのか?」
「いえ、その……出来れば、あの……一緒にいてくれないかなと、思いまして……」
「香月、居てやったらどうだ?」
「俺が?」
友人は俺に後輩の家に泊まるように言った。
「僕の家はここから遠いし、お前の家なら近いはずだろ」
「でもお前……こんな夜に女子の家泊まるってのは流石に色々と……」
その時後輩が俺の制服の袖を弱く掴んだ。後輩の表情は今にも泣き崩れそうなほどだった。
「………分かったよ」
俺の言葉を聞いた瞬間、後輩の表情がパァっと明るくなった。
友人は「間違いは犯すなよ」と言い残してタクシーを出して行ってしまった。俺と後輩はタクシーの赤いテールランプの残像を見送り、家の中へと二人で入っていった。
俺たちはこの出来事をきっかけに、この後、さらなる出来事に巻き込まれることになるとは思ってもいなかった。
いや、少しだけ思っていたのかもしれない。
ただその考えを信じたくなかっただけだったのだろうと、後になって実感する。
気が付いたら終わっているものだと思っていた。
気が付いたら昔話になっているものだと思っていた。
非現実的なイベントなんて、アニメやゲームや小説の中の世界のことだけだと思っていた。
高校三年生の夏休み初日の出来事だった。
事の発端は、その前日に遡る。
更新ペースは二~三日くらいを考えています。
次回もよろしくお願いします。