EP#3:理由
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日差しの差し込まない閉鎖的な応接室。まるで取調室のようだ。
窓が無い事を除けば、
天板がガラス張りになっている低いテーブルや、テーブルを挟むように向かい合って配置されているテーブルに合わせた高さのソファ、本物なのか作り物なのかよく分からない観葉植物の鉢が部屋の隅に置かれている、よくあるごく普通の会社や学校の応接室と何ら変わらない空間である。
しかし、窓が無いというだけで非常に無機質で攻撃的な空間に見える。
時計も動いてはいるが先ほどからほとんど進んでいないような気がする。
律は手前のソファに腰掛け、ソファの真横に並べたスーツケースに項垂れるようにもたれかかった。
アメリカに到着した時からずっと手押しして運んできたスーツケースだ。よくみると、キャスターの部分が酷く擦り減っている。
このまま日本に帰る事ができないとしたら、もうこのスーツケースも必要無いのだろうか。
律は、少しだけ胸のどこかに穴が開く音を聞いたような気がした。
スーツケースの赤が、光を反射して鏡のようにその身体に律の表情を映す。こちらも、酷く疲れた顔をしている。
ちょうど、未来に絶望するこの世界の人間達のように。
もしここから出られたとしても、自分もこんな暗い顔で地面を睨む大勢のうちの一人になってしまうのだろうか。
昔は、自分だけはあんな風につまらなさそうに生きたりはしないと心に誓ったものだが、今となってはその誓いが揺るぎないものであるかどうかさえ、甚だ怪しいものである。
この世に生きている以上、時間は進み、地球は回る。
時と共に全てが移ろい、変わってゆくこの世界で、何事にも染まらず、靡かず、ただ一心に自らを信じ自らを貫き通すということは、どうやら律が思っていたよりも遥かに難しいようだ。
世界も、人の心も、無常なものである。
さて、それが世界の真理の一つならば、律はいよいよ自分がどう行動すればいいのかが分からなくなってしまった。
もっとも、逃げ場など無いのだから律に残された選択肢など、有って無いようなものである。
しかし、律も人間だ。
自分が気乗りしない事や、リスクを伴う行動を起こすには、それなりの“モチベーション”が必要なのだ。
何か、あるだろうか。
自分がアレースに乗る理由………
律が頭を抱えながら悩んでいると、そこへコーヒーカップを二つ持ったシェナリーが現れた。
律からは向かいのソファに座り、二つあるうちの一つのコーヒーカップを律の目の前まで滑らせた。
「お待たせ、赤旗くん。ごめんなさい。ここ…コーヒーしかないの。ミルクは要る?お砂糖は?カロリーオフのダイエット・シュガーならここよ。あと、こっちが普通のお砂糖。」
そう言って彼女は、テーブルの隅に備え付けられたシュガーホルダーから薄い青色をした細身の袋を一包抜き取り、袋の端を切ってコーヒーへ少しずつ溶かし入れる。
袋には白い文字で小さく、“Diet sugar”と記されていた。
律はそれを横目で見ながら、ダイエット・シュガーが入ったホルダーの隣の、可愛らしいデザインのシュガーポットから角砂糖をひとつ取り出し、コーヒーに落とした。
「で…」
コーヒーを一口飲んでから、改まった様子でシェナリーが口を開いた。
律の身体が強張る。
「スカイの事なんだけどね」
「えっ?は、はい」
まさかここでさっきの毒舌な少女、スカイレーシャ・ローゼンの事が話題にのぼるとは思いもしなかった。
「現在稼働中のアレースは、スカイの機体を含めて5体あるの。つまり、パイロットも5人いるってわけね。」
シェナリーは小さなティースプーンでカップの中を軽くかき回した。ダイエット・シュガーが溶けきっていなかったのだろうか。
そんな事を気にしながら何度か相槌打ったあと、律はひどく驚愕した。
「スカイはね、あなたの“バディ”よ。他にもパイロットはいるけど、とりあえずスカイに会わせておきたかったのは 人の少ないところでなら、スカイも素直になって、あなたと仲良く出来るかもしれないと思ったからなんだけど…ダメだったわね…」
シェナリーが溜息を漏らす。
律自身もその言葉から、スカイの性格やその扱いの難しさを垣間見た気がした。
「スカイは、その…自分の身体が“女の子”である事に嫌悪感を抱いているの。
昔、色々あったみたいで…。あの子の心は、誰よりも繊細で難しいの。私もあの子とは付き合いも長いけど、未だに怒らせちゃう」
まるで人見知りの子の母親のようだ。律は思った。
昔、誰かの母親にもこんな風に言われた気がする。「この子をよろしくね」と。
しかしスカイが自らの身体が女性である事に嫌悪感を抱いているとはどういう事だろうか。
やはり、アレースパイロットは体力の要る、過酷な仕事なのだろうか。
律の脳裏には様々な憶測が飛び交ったが、あくまでそれは憶測に過ぎない。先ほどの接触でも痛感した通り、スカイはかなり気難しい性格をしている。
下手に刺激すると取り返しのつかないレベルで嫌われそうだ。
それだけ嫌われたら、“バディ”として成立する気がしない。
「…他のパイロットの人達は…うまくやってるんですか?…その、スカイと。」
律はぽつんと訊いてみた。
するとシェナリーは、少しだけ顔色を明るくして、
「そうね。一部を除いてはうまくやってると思うわ。
その“一部”っていうのが、なかなか問題児なんだけど…」
と少し笑いながら答えた。
そうか。と律は自らの心になぜか少しだけ安寧が生まれたのを感じた。
「今、他のパイロットの人達には会えないんですか?むしろ、皆いる方がスカイと仲良く出来る気がするんです」
律の言葉に、シェナリーは目をきらきらさせて優しく微笑んだ。
かと思えば、眉を下げて言った。
「今は会えないわ。彼らは今、宇宙にいるからね。」
「えっ…?」