EP#2:スカイ
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「これが……アレース…?」
「そうよ。これが、私達人間に残された、最後の牙…」
律はただ呆然とすることしかできなかった。
アレースとは、てっきり戦車や戦闘機の類かと思っていた。
まさか、こんな———
「ヒト型だなんて、驚いたでしょ?」
シェナリーが言った。やっぱりね、と続けると部屋の突き当たりを睨みながら、
「それにしてもあの子、おっそいわねー!」
と叫んだ。一方律には今、自分の置かれている状況を理解する事以外で脳を動かす余裕が無い。
律は、超難関と称されるアレースパイロット採用試験をパスした。
どうしてもヒーローになりたかったからだ。
そのために自分のできる事は全てやった。色々な分野の学問の知識も一通り勉強したし、体力だって付けた。
アレースパイロットには健康な肉体が必要不可欠だと聞いて、食生活や睡眠時間、適度な運動…
全てにおいて徹底的な生活を送った。そこまでした。そこまで。
それでも、あれを操縦できる気がしない。
あんなに万全を期した、つもりだったのに。
それはまあ、もしそれでダメだった時に、試験に受からなかった時に、自分自身に区切りを付けるためでもあった。
いわば保険だ。そういう意味では、自分は本当に全力を出し切れていなかったのかもしれない、と律は思った。
しかしあれをどうやって操縦するのか、皆目検討もつかない。
「シェナリーさん……俺…あれに、あれに乗るんですか…?」
恐る恐る尋ねる声は震え、シェナリーも彼の不安を感じ取ったようで、
「大丈夫よ。ここのパイロットはね、皆貴方と同じくらいの年齢の子たちだから。」
と宥めるように言った。
律は自分の最高の力を引き出すために、思いつく限りの事を片っ端からやってきたつもりだった。
それでも所詮自分は、秀才止まりなんだろうと思う。恐らくこれに何の迷いもなく乗れる連中は只者じゃない。
こんな得体のしれない巨大な金属の塊に自らの命を預ける覚悟なんて、彼のどこにも無いのだ。
「…無理です。乗れません。こんなの聞いてない…!」
「ええ、最高機密だもの。まだIRSに正式所属が決まってない人には、いかなる理由があっても教えられないの。
私がそんな秘密を貴方に教えた意味、分かるでしょ?」
さっきとは打って変わって、シェナリーは脅すような声を出した。
お前は知ってしまったのだから、もうここからは逃げられないと。
「乗れる乗れないじゃないの。乗るのよ、赤旗くん。
私達には…もう後が無いの。
これば選ばれた人間、あなたにしか出来ない事よ。あなたの力が必要なの」
何が怖いの?ヒト型なんだから、自分の体を動かすように、簡単に動くわ。他の機械を動かす事なんかよりずっと簡単よ。動かし方は、体が教えてくれるわ。
シェナリーは吐き出すようにそう続けた。律にはそれが全て枷のように感じられて、どんどん重くなっていくばかりだ。
責任、とでもいうのだろうか。
あるいは、自らに課せられたあまりに大き過ぎる使命か。
もう逃げられない。
その重みをひたすら再認識する。律が自分で選んだ道である事は確かだ。しかし、彼の思い描いた未来予想図とははるかにかけ離れた自らの運命。
違う。
耳を塞ぎかけたその時、反対側のシャッターが上がり、向こう側から光が差し込む。
「…!?」
逆光の中、律の目は確かに、小さく華奢な人影を捉えた。
その人影にシェナリーが声をかけた。
「…スカイ。遅かったわね。」
“スカイ”と呼ばれた人影が、カツカツと硬質な足音を響かせながらこの空間に入る。律とシェナリーから少し離れた所で足を止め、美しい空色の瞳でシェナリーを睨んだ。
「遅い?僕は時間通りに来た。シェナリーがバカみたいに早かっただけだよ。」
“スカイ”は色素の薄い綺麗な髪を、前髪はばっさりと切り揃え、向かって右側の額を出すように目立たないヘアピンで留めている。
癖っ毛なのか、肩の少し上くらいまで切られた髪を無造作に遊ばせていた。
逆光で律から顔はよく見えないが、それが小柄な少女である事はその姿形や高い声で分かった。
身長は…150㎝そこそこだろうか。
「確かにそうね、でも赤旗くんが予定より早く来てくれたから。
赤旗くん、会わせたい人がいるって言ったわよね。それがこの子よ。」
シェナリーが少し微笑みながら少女を手で示す。
少女は両手を腰に当て、まるで醜い獣を見るような目で律を睨みつけていた。
「何、これが新しいパイロット?
弱そうだし、“バカ丸出し”って顔だね。」
“スカイ”が悪態をつく。それを窘めながらシェナリーが、
「こら、スカイ。赤旗くんとも仲良くしなきゃダメでしょ。
ごめんね赤旗くん。この子、いつもこうなの。
紹介するわ。彼女はスカイレーシャ・ローゼン。ロシア国籍で、“スカイ”は愛称ね。貴方の先輩、第二期パイロットよ。
それとスカイ、彼が第三期パイロットの赤旗 律くん。日本国籍で…」
シェナリーの紹介が終わるのを待たず、スカイが口を挟んだ。
「別に、こんな奴に興味無いから。用はこれだけ?僕、忙しいんだけど。」
スカイは振り返って、入ってきた方のシャッターに向かって歩く。
正直、律にとっての彼女の印象は、最悪だ。
「あと」
スカイが歩みを止めて言う。
「シェナリー、僕を紹介するとき、“彼女”なんて言うなって何度も言ってるよね?いい加減にしてくれる?」
「あ、そうだったわね。ごめんごめん」
シェナリーは笑って誤魔化しながら適当に流す。
律には、スカイの言葉の意味がよく理解できなかった。
スカイはどう見ても律より少し年下の同世代の少女であるし、スカイが女性である事は確からしい。
でも、“彼女”と呼ぶな、とは一体————?
それを尋ねる気にはなれなかった律は、ただ歩き去っていくスカイの背中をぼんやりと眺めていた。
先輩パイロット…という事は、スカイはあれに乗るんだろうか。