EP#1:最後の希望
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世界が終わってしまうなら、それもまた享受すべき運命なのだと、青年は思っていた。
自分というたった一つのちっぽけな存在が、この世界に与え得る影響など無いに等しいと思っていたし、実際のところ、そうだろう。
何か一つ挙げるとすれば、今この瞬間、“ナーヴ・コネクター・スーツ”に袖を通すかどうか、その選択が挙げられるだろうか。
◆◆◆◆◆◆
きっかけは本当に些細な事だった。
少年なら誰もが一度は夢見た事のある未来。
地球を守る正義のヒーロー。
そんな昔の、小さくて大きな夢。そんな夢をその青年、赤旗 律は17歳になった今も抱き続けていた。
この世界はもう長くない。
幼い頃から、律は何となくそう感じていた。
昔から本ばかり読んでいた律は、本の中の世界の人間と現実の世界の人間との間に、大きな違いがある事を知っていた。
それは“明日”という概念についての捉え方である。
物語の中の人物達は、旅の夜に星空を見上げ、焚き火を囲んで未来の夢を語る。
しかしこの世界の人々は、夜を恐れる。それはこの世界にとって、“明日”の存在が限りなく不安定で、曖昧なものであるからだ。
夜の闇が全ての幸福を消し去ってしまうような、もう二度と、朝がやってこないような、そんな恐怖に怯えながら床に就く。
故に、現実の世界では誰もが疲れきった表情をしている。辛うじて今日も生きている、そんな顔だ。
現実の世界でも物語の世界でも、今日という日が一日一日何事もなく平穏に過ぎていく事が沢山の奇跡の積み重ねであると、そういう考えは同じだ。
しかし、明らかにその重みが違うのである。
律は、幼い頃からそれに気付いていた。
この世界は今、いつ終焉を迎えてもおかしくない状況にあるのだろうな、と。
そう思える確かな根拠が、この世界にはあった。
それは、“エンシェント”と呼ばれる謎の地球外生命体の存在である。エンシェントの地球侵略が本格的に始まったのがいつの事なのかは分からないが、律が物心付いた頃にはもう人々は疲れきった顔で恨めしそうに地面を睨みながら歩いていた。
エンシェントの侵略によって廃墟のようになってしまったこの街でもそうだろう。
かつては“宇宙の街”と呼ばれ栄えたこの街、アメリカ合衆国テキサス州、ヒューストン。
今はその名残だけをとどめて、処分される事なく放置された瓦礫や舗装が剥がれて日に照らされたアスファルトの下の砂利が目立つゴーストタウンと化していた。
ただ一つ、白く巨大な建物が異様な存在感を放ちながらそこにそびえ立っている以外は、もう何か特徴があるとも言い難い寂しい街である。
律が日本からはるばるここに引っ越してきた理由は他でもない。
用事は、例の白い巨大建築物にある。
律は空港で受け取ったスーツケースを押しながら建物のゲート前の通りまで歩みを進めた。ひっそりしているというのに、ずいぶん広い通りだ。装甲車両でも通るのだろうか、普通の車ものとは明らかに異なる轍が幾重にも連なっている。
「ここ…だよな」
疑う余地もない。看板こそ無いが、律の目的がこの建物である事は間違いなかった。
なぜならここにはこの建物以外何も無いからだ。
異様に広いゲートの通りを抜け、建物の入り口付近まで近付いた時、律に細長い金属の筒が向けられた。
日本ではなかなかお目にかかる事の無い、ライフル銃だ。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。早急に立ち去れ。」
二人いた警備員のうち一人が言った。手に持ったライフルの銃口はしっかりと律の姿を捉えている。
「…俺は“アレース計画”の存在を知っている。部外者じゃない。それに今日だって、ここの人間に呼ばれて来たんだ。嘘だと思うなら確認を取ればいい。」
臆する色も無く淡々と返す律に戸惑う二人の警備員は、この青年の処分について目でもってお互いに相談する他無かった。
そんな話聞いたか、いや、嘘をついているんじゃないか、という風に。
しばらくしてその空気を裂いたのは、警備員の背後の高い壁に設置されたインターホンから響く高い女性の声だった。
「あれ?もしかして赤旗くんもう来てる?まだ予定の30分前よ。
日本人は予定時間より随分早く来るって本当なのねぇ!
まぁ中へ入れてあげて。私もすぐ向かうわ。」
それを聞いた律がどうだと得意気に鼻を鳴らしてみせると、二人の警備員はゲートを押し開け、律を建物の昇降口まで誘導し、言った。
「ルージュ一佐がおいでになるまでそこで大人しくしていろ。」
「ルージュ?…ああ、さっきの」
「お前は何者だ?“アレース計画”を知っている人間…」
「赤旗くんお待たせ!」
会話を遮るように現れたのは綺麗な黒髪を背中まで伸ばし、そんな髪の一部を三つ編みにして耳にかけ、口元の黒子が魅力的な美しい女性だった。随分若く見えるが、20代だろうか。
「よく来てくれたわ、赤旗くん。この建物は秘密結社、“International Robot Security”…略してIRS、通称“イリス”の本部よ。
私はシェナリー・ルージュ。シェナリーでいいわよ。皆そう呼んでるしね。階級は一佐。ここの人事と戦略指揮官を担当してるわ。よろしくね。」
そう言って優しく微笑む彼女は
来て、会わせたい人がいるの、と律の手を引いた。
まるで嵐のように忙しい女性だ。
彼女に従って薄暗い建物内をひたすら歩く。
もう何度もエレベーターに乗ったし、指紋認証や金属探知機もくぐった。恐らくもう律一人では外には出られないだろう。
「ここよ。」
シェナリーは律を手招きし、大きなシャッターを開けた。
「………?」
シャッターの中の空間も今までと変わらず薄暗く、ここが目的地といっても何もない。
「見せてあげるわ。」
壁際に居たシェナリーが壁のタッチパネルを何度か叩く。
すると突然 大きくカシャンと音がしたと思うと、目の前の大きな壁が透けてその奥の光景が目に飛び込んできた。
「これって…!」
思わず息をのむ。高さ約30mはあろう巨大な———
「ロボット…?」
「そう。我らが人類最後の希望、秘密兵器“アレース”よ。
そして赤旗くん、貴方がこれを操縦するの。」
シェナリーは少し背伸びをして言った。