第九話 受難。竹林迷宮の悪戯兎
てゐの口調がこれで良いのか不安です。
たけ。タケ。竹。
イネ目イネ科タケ亜科の多年生常緑草本植物、その中でも樹木のように成長する種の総称を指す。
比較的温暖湿潤な地域に分布して、地下茎を広げる事で生息域を拡大させていく。
木質化した茎は円柱形で節くれ立っていて、内部は筒のように空洞になっている。
稀に花をつける種類もあるが、その開花周期は最短でも六十年以上と考えられており、稲穂にも似た白色の花の姿を目にする事なく寿命を全うする人間も多い。
そして、地下茎から分岐して地表に顔を出した若い芽――すなわちタケノコは大変美味である。
切断直後から内部でえぐみが急増するため、なるべく早いうちに下拵えを済ませておきたい。収穫してすぐに食べるのならば、刺身や焼き物がお勧めだ。
何故唐突にこんな説明を始めたのかと言うと、
「他にする事がないからなのじゃああああっ!!」
「誰に向かって叫んでんだよ……」
明後日の方向に吠えた邪魅に、地面に腰を下ろして休憩していた屍浪が突っ込んだ。
胡坐を掻いて頬杖を突いた彼の前には小さな焚き火があり、一口大に切られたタケノコが十数個、手製の竹串に刺さって炙られている。
「叫びたくもなるわ! よく悠長にタケノコなんぞ焼いてられるなぁお主は! このままこの竹林から出られなかったらどうなると思うとるんじゃ!?」
「一生焼きタケノコだけ食べ続ける羽目になる。……流石に飽きそうだな」
「違うわああああっ!!」
スコーン! と。
堅くて内部が空洞な何かを叩いたような、小気味の良い音が竹林に木霊する。
タケノコの焼け具合に意識を集中していた屍浪が顔を上げると、萌葱色の着物に身を包んだ少女が右の手刀を押さえて蹲っていた。プルプルと小柄な身体が痛みに震えている。
屍浪は叩かれた白髪の頭骨をカリカリ掻いて、
「愉快な人だね、お前さんは」
「うっさいこの石頭!!」
涙目赤ら顔の少女に罵倒されて喜ぶ趣味は屍浪にはない。けれど、だからと言って罪悪感に苛まれる事もない。
眼前で喚く十歳前後のこの少女、厳密には子供どころか人間ですらないのだから。
「そもそも邪魅よぉ、『もう海なんか見るのもイヤじゃ!』っつって駄々こねたのはお前だろうが。だからわざわざこんな場所にまで足を延ばしたってのに……」
「言うたわ、ああ確かに言うたとも! あれは地獄じゃった! 右を向いても左を向いても前を向いても後ろも向いても見えるのは海海海海海海海ばかり!」
「船旅なんてそんなもんだろ」
「どーこーが船旅じゃ! 小舟でただぼーっと海原を漂うだけなのを船旅と言ったりせんわい! あれはれっきとした漂流じゃ漂流! 行きはイカダで帰りはそれに毛が生えたようなオンボロ舟! こうして陸地に立ってられるのが奇跡とすら思えるわ!」
海を渡って大陸に行ってみたいと最初に言ったのもお前だよな、と内心で突っ込む。
「ならいいじゃねぇか。ほら見ろー、何処にも海なんてないから漂流の心配なんか全然ないですよー?」
「ああそうじゃな、海どころか今度は竹以外何も見えんわ! 右を向いても左を向いても前を向いても後ろも向いても竹竹竹竹竹竹竹竹! 何じゃコレ!? 新手のイジメか!? ああ気が狂う!!」
アンギャア!! とかそんな感じの雄叫び――もとい、雌叫びを上げ始めそうな邪魅。
もう半分狂ってるよと思いつつ、屍浪は程よく焼けたタケノコを食んだ。
屍浪と邪魅。
白鞘の太刀を腰に帯びた着流し隻腕の白骨と、賑やかで見目麗しい妖樹の邪精は。
その存在を知る者からは取り敢えず『迷いの竹林』と呼ばれる魔境で大絶賛――「誰が絶賛しとるんじゃ!」――遭難中だった。
◆ ◆ ◆
この竹藪に迷い込んでから既に十日が経過していた。
数ある植物の中でも群を抜く異常な成長速度も竹の特徴の一つに挙げられる。
たかが植物と侮るなかれ。
時期によっては一日で小柄な子供の背丈ほども伸びて、瞬く間に竹林を形成する。群生地の近くに何も知らずに民家を建てようものなら、数週間後には床と屋根を貫かれて台無しになってしまうだろう。
一度迷い込んでしまうと容易に脱出出来ない点も厄介だ。
言ってしまえば、自己成長・急速拡大する自然の迷宮なのだから。
目印となるような物もなく、視界に入るのはとうに見飽きた竹、竹、竹。
加えて、
「冗談抜きで鬱陶しくなってきたな。あ――其処、縄あるぞ」
「へ? ――にょわあ!?」
屍浪の忠告を理解する暇もなく、数歩後ろを歩いていた邪魅の身体が勢いよく空中へと飛び上がった。
理屈としては単純――地面に埋まっていた輪状の縄に踏み出した足を取られたのだ。
地を這うように延びた縄のもう一方の先端は、限界まで思い切りしならせて隠された竹に結び付けられていて、元に戻ろうとするバネ仕掛けじみた動きに合わせて必然的に――
「ぐぬぬぬぬ……」
見事な一本釣り。
ブランブランと揺れる邪魅は縄を外そうと躍起になっているが、片手ではどうにも上手くいかない。
何故片手しか使わない――否、使えないのかというと、
「屍浪見るな! あっち向け、あっち!」
「んな格好してっからだろうが」
「いいからこっち見るなあ!」
「へいへい……」
邪魅が着ているのは萌葱色の着物一枚きり。
その下には何も身に着けてはいないので、逆さに吊り下げられた状態では裾を押さえていないとめくれ返ってしまって、その……見えてしまうのだ。何処が、とか、何が、とは明言しないが。
恥をかなぐり捨てて両手を使い、どうにか縄を外したまでは良かったものの、吊るされた位置が長身の屍浪よりもさらに頭三つ分は高所であったため、
「ぎゃん!」
着地に失敗して強かに尻を打ってしまった。
鈍く響く痛みと、これまで味わった事のない羞恥で顔を赤く染める少女に、振り返った白骨が一言。
「散々だな」
「やかましわ!」
邪魅、追い打ちを掛けられて再び涙目。
二人は――というか邪魅が一方的に――何処の誰が仕掛けたのかも定かではない罠に翻弄されていた。
一本釣り仕様や泥団子発射仕様など、罠の種類自体は悪戯の域を出ない非殺傷の物ばかりだが、そんな稚拙な仕掛けに邪魅が面白いように引っ掛かり――傍から見てる分には愉快な見せ物なのだけれど――引っ掛かる回数に比例して彼女の機嫌は悪くなっていく。
そして、
「此処もか。ったく、これで何本目だぁ?」
屍浪自身もまた、姿の見えない何者かの所業に辟易していた。
目印代わりにしようと何本か切り倒してみたのだが、どういう訳か、切った覚えのない竹まで切り倒されてしまっているのだ。おかげでどれがどれやら判別がつかなくなる始末。おそらく無駄だろうと思いつつも自分が切ったものに細工を施したが、案の定というか何というか、それすらも巧妙に模倣されてしまって見分けがつかない。
「………………」
屍浪は肩越しに背後を見た。
クスクスクス、ケラケラケラ――と、こちらを馬鹿にする笑い声が聞こえて来たのだ。
若く小さな、子供のような声。
「……何処からか見てやがるな」
「ナメおってからに。見つけ出して骨と皮になるまで吸い尽くしてやろうか……」
「止めとけ。まぁた宙ぶらりんになるのがオチだぞ」
馬鹿にすんなっ! と喚き暴れる邪魅を小脇に抱えて、屍浪は徒労に終わりそうな出口の探索を再開しようとして――
「……んん?」
前に出しかけた足を、そっと自分の足跡の上に戻した。
踏み締めるはずだった地点を凝視する。
「屍浪? どうしたのじゃ?」
気付いていないらしい邪魅が、怪訝そうに見上げて問うてくる。
それに答えず、
「邪魅……投げるぞ」
「お? おお――」
言うが早いか、屍浪は上半身を大きく捻ると、邪魅を前方に軽く放り投げた。
いきなりの暴挙に邪魅は少し驚きつつも空中でクルリと体勢を整えて、屍浪から数歩離れた位置に、今度こそ綺麗に着地する。
投げて、投げられて、着地して、それを見て。
屍浪は普通に歩き出した。
投げる前に観察していた地面を、堂々と踏み締めて。
「――で、何だったのじゃ?」
「今に分かるさ」
歩を進める屍浪と、首を傾げながら続く邪魅の少し後方から。
『あっれー? おかしいな、少し丈夫に作りすぎちゃったかな?』
そんな声が聞こえたかと思うと、
『あ、ちょっと全員乗っちゃダメだってばうひゃあああああっ!?』
ズボッ、と何かを踏み抜く音と共に悲鳴が聞こえて、一拍遅れてから、ドポンドポンドポンッ! と粘り気のある液体に落ちたような音が数回。
「…………」
「…………」
二人が無言で顔を見合わせてから背後に視線を移すと、其処にはさっきまではなかった穴がぽっかりと。直径は屍浪が両手を横に広げて丁度といったところか。
近寄り、縁に並んで中を覗き込む。
さほど深くはない穴の底で数人――数匹?――の、とにかく複数の泥に塗れた『何か』がワアキャアと悲鳴を上げながら穴から出ようともがいていた。
どうして屍浪は落ちなかったのか。
骨だけだったので軽すぎて沈まなかった。
ただそれだけの事だった。
「此奴らが……?」
「ああ、お前さんを散々弄くった犯人達さ。ほっといても良かったんだが、出口を知ってそうだから引っ掛けてみた。つっても、このままじゃ話も聞けそうにねぇから――」
ひとまず助けるぞ。
言って、屍浪は太刀を白鞘に納めたまま腰から引き抜き、落とし穴に差し入れようとしたのだが、
「ちょっ、ちょっと待て屍浪。もしかしてソレで助けるつもりか?」
「……? 問題あるか?」
「大有りじゃ馬鹿者! 儂が泥だらけになってしまうじゃろが!」
「いいじゃねぇか、後で洗って拭いてやるからさ」
「嫌じゃ嫌じゃ! 絶対に、何があっても、そーれーだーけーは御免被る!!」
両手で大きく×印を作ってノーッ! と拒否の意を示す邪魅。
外見相応とも言えるその我侭な態度に呆れつつ、仕方なく屍浪は太刀を腰に戻し、切り倒した竹の一本を代わりに落とし穴に差し入れた。
もがく『何か』の中で一番大きな塊の襟に先端を引っ掛けて、力任せに吊り上げる。
竹竿の先で揺れるソレには頭があって胴体があって手足があった。しかし全身が泥塗れで汚れているため、人間の形をした――もっと言えば子供ほど背丈の『何者か』である事くらいしか分からない。
とりあえずソレを見て白骨と樹精の二人は、
「狸かの? 茶色いし」
「いや、どっちかっつーとムジナじゃねぇか?」
「ウサギだよ! 雪のような白兎!」
ほら見て耳、耳あるから! と。
あまりにあまりな酷評に我慢出来なかったのか、自称白兎であるらしい『何か』は、ぶら下がりながらも必死に頭らしき部位から伸びた二本の耳らしき部位を腕らしき部位で指し示した。
その甲斐あってか、抗議を受けた二人は納得したように揃って頷き、
「なるほど確かに兎っぽい。耳だけ見れば」
「そうじゃのぅ、兎にしか見えんな。耳だけ見れば」
「耳以外の私が全否定されてる気がするんだけど!?」
手足を振り回してジタバタ憤慨する白兎(未だに宙ぶらりん、しかも泥だらけ)。狸やムジナと間違われた事がよほど腹に据えかねたらしい。
――というか、
「「…………兎が喋ったあああああっ!?」」
「今更!? オカシイよね!? あんた達が言える台詞じゃないよねソレ!?」
◆ ◆ ◆
泥を洗い落とした兎耳の少女は『因幡てゐ』と名乗った。
この時代には似つかわしくない、桃色のワンピースを着用している。
詳しく話を聞けば、彼女はこの竹林を縄張りにする兎達のまとめ役で、迷い込んだ人間に悪戯を仕掛けては笑い転げる日々を送っているのだそうだ。
「いやー、それにしてもヒドい目に遭った。まさか自分で仕掛けた落とし穴に嵌っちゃうなんて思いもしなかったよ。正に策士策に溺れるってやつだね!」
「ほほぅそうかそうか、そりゃあ災難じゃったのぅ。奇遇な事にの、儂はその何倍も! 何十倍も! それはそれはヒドい目に遭うたのだ。何処かの性悪兎のせいでなぁ」
「あ……あは、あははは…………ゴメンナサイ」
ジト目の邪魅に睨みつけられたてゐは、大きな冷や汗を垂らしながら頭を下げた。
「いいや許さん。死ぬまで許さん、死んでも許さん」
「……アホな事言ってないで、そろそろ許してやれよ」
呆れた口調で屍浪が言うものの、
「戯け! 謝られたくらいじゃ恥辱を受けて傷ついた儂の心は癒されぬわ!」
「そーですか……」
じゃあもう勝手にしてくれ。
白い蓬髪頭の骨妖怪は、手拭いで兎達の頭や身体を丁寧に拭いている真っ最中だった。
どういう訳があるのか、拭き終わった兎達が自分に纏わりついてくる。おかげで今現在、屍浪の周りはモコモコモフモフと流動する純白の海と化していた。
ちなみに人化しているのはてゐだけで、他は普通の兎である。人化してたら『自分で拭け』と言う。頭はともかく身体を拭いたりはしない、絶対。念のため、注釈。
行儀よく一列に並んで拭かれる順番を待つ兎達。
その小さな身体からは微弱ながらも妖気が発せられていて、てゐや屍浪達の言葉を理解出来るくらいの知能を持っているようだった。このまま天敵がいないこの竹林でもう少し年月を経て、今以上の知識を会得する事が出来れば、てゐのように人間の姿に変わる事も可能だろう。
人語を理解出来るのだから、自分が世界や常識を教えてやっても良いと屍浪は思う。
まあそれで人化出来たとして、もし万が一、全員が全員ともてゐのように悪戯好きになってしまったら面倒な事になるので、心の中で思うだけに留めたが。
「そもそもなぁ因幡てゐ、儂はお主の言葉遣いが気に入らんのじゃ!」
「私の喋り方のどぉこが変だって!? 大体あんたのだって年寄りみたいじゃん!」
「「……やるかこのぉ!!」」
邪魅とてゐの謝罪劇は、目を離していた隙に子供の言い争いの様相を呈していた。
今にも取っ組み合いの喧嘩をおっ始めそうな少女と幼女。確かに、精神年齢は外見に引き摺られるものではあるが、これはあまりに――
(ガキ過ぎるだろうよ、お二人さん)
屍浪はそんな二人と兎達を交互に見て、
「苦労してるんだろうな、てゐが頭なんかやってると」
兎達が一斉に頷いたように見えたのは、多分屍浪の気のせいではないだろう。
「じゃぁかぁらぁ、語尾に『ウサ』を付けろと言うとるんじゃ!」
「どうしてそんなダッサイ口調にしなきゃならないのさ!」
「それが自明の理というものじゃ! 猫妖怪の語尾が『ニャ』であるように! 犬妖怪の語尾が『ワン』であるように! ウサギの妖怪ならば語尾が『ウサ』であって然るべきであろうが! さあ付けろすぐ付けろ! どうしても『ウサ』が嫌なら代わりに『ピョン』でも可!」
何なんですか、その変なこだわりは。
猫妖怪犬妖怪云々の前例二つを否定するつもりはないが、あの場合は鳴き声だから思わず口に出てしまうのであって、名詞の一部や擬音である『ウサ』や『ピョン』とはまた別問題のはずだ。
少なくとも屍浪はそう考える。
「屍浪! 屍浪もそう思うじゃろ!? 化け兎なら『~ウサ』であるべきじゃろ!?」
「あんたからもこの分からず屋に発想がアレだって言ってやってよ!」
矛先こっちに来たー。
兎達が同情の目で見てくるのが物悲しい。
「あー、……とりあえず俺は無関係って事にしといてくれ」
逃げた。
そりゃあ逃げるとも。
そんなくだらない議論に意見を述べる事自体が馬鹿馬鹿しい。はっきり言って、とてつもなくどうでもよかった。
「フッ……、因幡てゐ。どうやら儂らは根本的に分かり合えぬようじゃな」
「そうみたいだねぇ。じゃあ、どっちの考えが正しいか――」
白骨と兎達の冷めた視線など構わず、数歩の距離を挟んで対峙する二人。
何故いがみ合うのか。どうしてそこまでこだわるのか。
理由を聞いても全く理解出来ないと思う。だって(外見も中身も)子供の理屈だもの。
雰囲気を盛り上げるために吹いたとしか思えない一陣の風を合図に、両者は跳躍して、
「「正々堂々――勝負!!」」
掛け声だけは立派だった。
立派だったのだが…………。
「ふぎぎぎぎぎっ!」
「むにににににっ!」
やってる事は頬の引っ張り合いだ。
相手を地面に押し倒して馬乗りになり、何度も転がって彼我の位置を逆転させながら、互いにむーいむーいと引っ張り続ける。
緊張感の欠片もない。
「……こんだけ無邪気で脱力する決闘場面ってのも珍しいな」
何かもう、竹林を脱出しようとか悪戯者に報復しようとか、そんな感じの決意は何処かに吹っ飛んでしまった。
今の屍浪に出来るのは、二人のじゃれ合いを眺めながら、膝の上で微睡んでいる兎達の背中を撫でる事ぐらいだった。
◆ ◆ ◆
これは、喧嘩が一段落してから聞いた話なのだが、なんとてゐは、あの『因幡の素兎』本人であるらしかった。
神代から生きている妖獣とウン千歳の樹妖の決闘方法が頬の引っ張り合いかい、と屍浪が三度呆れたのは言うまでもない。
誤字・脱字などあったら報告してくださると有り難いです。