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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
序章 古代編
8/51

第八話 終幕。そして時は流れ移ろい……

 妖怪側の総大将――身の丈十尺を超える双角の鬼は、自分の軍勢が前線から徐々に切り崩されていく光景を目の当たりにしていた。

 前傾姿勢で深く速く疾駆する影が、白刃を煌めかせて同志達を次々に斬り裂いて行く。

 影の動きは直線ではなく縦横に跳ね回る曲線で、自分の身を中心軸とした独楽の如き旋回運動を繰り返している。

 四方八方から幾重にも層を成して襲いかかる刃の猛襲を、影は頭上に掲げた刀身に滑らせる事で軌道を逸らし、逃した斧槍刀剣の圧力を自らの回転運動に相乗させてさらに加速、そのまま力任せに左の裏拳と後ろ蹴りを叩き込んだ。

 打撃とは思えないほど大きく鈍い音が響く。

 殴られ、蹴り飛ばされた同志達は血反吐を撒き散らしながら砲弾と化し、味方を巻き込んで被害を拡大させた。

 一方で、血煙に紛れて影は跳躍――水平方向から上下の振り下ろしへと変化する剣戟を纏いながら殺戮と前進を続ける。

 炎に照らされたその影は、妖怪よりも何よりも醜い人間の白骨の形を取っていた。右手に太刀を、左手には奪った槍を握り、元々は黒だったであろう深紅の着流しを熱風にはためかせて宙を舞う様は、鬼の目から見ても異形の一言に尽きる凄惨な姿であった。


「くっ……! 何をしている、敵は上だ! 突き殺せ!!」

「応っ!」


 総大将の号令の下、跳ね上げられた何本もの槍が白骨を刺し貫かんとする。

 空中では逃げ場はない。躱せる訳もなく、無様な屍人形となる。

 総大将が確信した、その時だ。

 白骨は携えた槍に回転の勢いを乗せて投擲した。

 それは何故か味方を避けて地面に突き立ち、白骨は夜空を向いた石突に足指を掛けて、


「…………っ!」


 跳んだ。


「――槍を持っていたのはこのためか!」


 強引に刃の海を飛び越えて、しかし誰もが――敵味方問わず全員が、苦肉の策による一度きりの悪足掻きだと考えていた。

 跳躍の間際に穂先を掴んで奪った新たな槍を携えて、白骨が再び投擲の姿勢を取るのを確認するまでは。

 二の槍が放たれる。


「ぎゃあ!?」


 今度は躱し切れなかった不運な同胞を大地に縫い付けて、一の槍と同様に天を向いた石突を足場に――跳ぶ。

 その後何度も、何度も、何度も、何度も。

 投擲と武器の強奪、そして跳躍と回転を続けて。

 七本目の槍を踏み台にした先、太刀を大上段に構えた白骨が狙っているのは。

 雲霞のようにひしめく同胞達を飛び越えて、敢えて無視してまで狙うのは――


「俺の首か!!」

「ああ、そうだとも!!」


 甲高い金属音を奏でて、鈍く光る二つの刃が交錯した。



 ◆ ◆ ◆



 共通の目的と敵がいるとはいえ所詮は烏合の衆。

 他ならぬ防衛部隊がそうであったように、頭さえ潰せば容易に瓦解する。

 そう考えた上での大跳躍だった。

 有象無象の妖怪共は捨て置き、狙うのは敵軍勢最奥に陣取る双角の鬼。

 銃を持つ隊員にはバリケードの陰からの援護射撃に徹するように、そして、剣や槍を構えた人員にも無闇に突っ込まず、あくまで防御に徹するように努めろと副長を通して指示を出していた。

 理由としては単純に、戦力的に天と地ほどの差があるからだ。

 殺し尽くせと檄を飛ばしはしたものの、やはり人間と妖怪では根本的に地力が違い過ぎる。ならばいっその事、自分以外は全員防衛に回した方が、ほんの僅かにではあるが長く持ち堪えられると判断した。

 だから今、押し寄せる波濤のような軍勢を切り開き突き進んでいるのは自分ただ一人。

 その方が、後方に控える妖怪達が自分に攻撃を集中させて、別の道から回り込んで基地を襲おうなどと考えたりしなくなるから。

 永琳に真実を伝えなかったのも、


(俺なんかを庇ってくれたお人好しだからなぁ、教えたら間違いなく弓矢持って御本人登場とかしそうだし)


 たとえ本人が来なくても、増援くらいは寄越してきそうだ。そうなれば余計な死人が出てしまう。

 だったら、この場に残っている最低限の戦力で戦い抜いた方が気分的に楽だ。

 九割九分を防衛に回し、残りの一分、自分だけが突っ込めば、今の人数でも永琳達が脱出出来る時間ぐらいは稼げるはず。

 だから、指揮系統を潰して戦況を少しでも有利にしようと、奪い取った槍で跳躍の道を作って敵総大将を一直線に狙ったのだが――

 受け止められ、弾かれた。

 強い。

 そう理解して、シロは僅かに舌打ちをする。

 鬼の武器は身の丈ほどもある大剣だ。研ぎ澄まされた刃で斬るのではなく、重量で敵を圧砕・切断する名刀以上に凶悪な鈍。

 並大抵の使い手ならば、その重量ゆえに攻撃速度や範囲は制限されるが、


「んん――ぬぅあぁ!」


 烈風を巻き上げて、鬼の大剣が右から襲いかかる。

 その速度と範囲は――


(速くて……広いっ!!)


 足場となる槍がない状態では、跳ぶ事も出来ず避け切れない。


「ぎ、ぐっ!」


 咄嗟に右半身を庇うように刀身を添えて防ぐが、耐えきれず吹き飛ばされてしまう。

 背後に迫るのは、こちらに無数の鋭い爪牙を向けている瓦礫の山。あんなものに激突したら無事では済まない。引き裂かれる肉などないが、それでも痛いものは痛いのだ。

 やむを得ず、木材の一部に太刀を投げて突き刺し、刀身の峰を緊急の足場とする。

 大剣を振り抜いてぶっ飛ばしてくれた鬼は、峰に立つこちらをじっと凝視して、


「……こいつは俺がやる! 手出しは許さん! お前達はあの目障りな壁を破れ!!」


 有無を言わさぬ号令と共に、周囲を取り巻いていた妖怪達が前へ前へと移動し始める。

 その動きは仁王立ちする鬼を避けるものであり、大剣を中心点として半径十メートルほどの円形の空間を作り上げた。


「さあ、『場』は出来上がったぞ? 来るがいい、同胞殺しが!」

「…………上――等ぉ!!」


 挑発にも聞こえる呼び声に対し、吠えたシロは太刀を引き抜いて跳ねた。

 鬼に向かって、ではない。その足元、距離にして二メートルほど手前の位置だ。身体を限界まで折り曲げるようにして着地し、反動を使い上へ――鬼目掛けてもう一度跳ぶ。

 太刀は右手一本で握り、斬撃ではなく刺突の構えを取る。

 狙うのは首だ。

 鬼という種族の長所の一つに、その肉体の比類なき頑健さが挙げられる。

 今の自分の実力では、鍛え抜かれた分厚い筋肉を斬り破れるかどうか怪しいところだ。浅い傷くらいは付けられるかも知れないが、致命傷と呼ぶには程遠い。

 ならばどうする?

 結論。

 線ではなく、点で攻める。

 すなわち、


(斬るんじゃなく、刃先の一点で喉笛を抉り貫く!!)


 肉体こそ強固ではあるが、構造的には人間にとても近い種族。それが鬼だ。

 頭部は胴体に比べて筋肉が薄く、視覚聴覚などの感覚器が集中している。そのため眼球や口腔内、こめかみに頸椎といった急所も多い。

 ただでさえ頭数で負けていて、おまけに相手は二千以上の魑魅魍魎を束ねて指揮する、自分の何倍もの死地を潜り抜けているであろう古強者。

 弱点を重点的に狙わなければ、この鬼に――この戦に勝つ事は出来ない。

 だから狙う。執拗に、卑怯に、姑息に、遠慮なく。

 当然、鬼も自身の弱点を熟知していた。

 刺突の刃は盾の如く掲げられた大剣によって弾かれてしまう。

 だがそれでも構わない。

 刺突は鬼の視界を潰すための囮だ。

 横幅と長さがある大剣。顔の前に掲げれば視界は隠されてしまう。

 加えて言うなら、大剣の威力は速度に比例する。武器としては極力相手にしたくない部類に入るが、ただ盾として構えただけの鉄の塊であるならば、自分にとっては――


「足場にしかならねぇんだよ!!」


 大剣の腹を駆け登り、陰に隠れて見えない鬼の頭上へ。

 逆手に握り直し、真上から鬼の頭蓋を貫く体勢を取る。

 だが、


「……それを俺が分かっていないとでも?」


 真っ直ぐにこちらを見据える鬼と目が合った。

 大剣を握り構えているのは左手。

 では右手は?


「ごっ――!?」


 下から上へ、地を削り掬い上げる右の剛拳が、シロの身体に深々と突き刺さった。

 ベキベキと肋骨が折れる音が響く。肉が存在しない分衝撃を吸収出来ず、骨を直接殴られ破壊されてしまったのだ。逆に考えれば、折れた肋骨が内臓に突き刺さる心配もないため、背骨や足の骨を折られて動けなくなるよりはマシだと思うべきなのだろうが。

 空中高く打ち上げられたシロは、やがて重力に捕まって落下を始める。

 待ち受けるのは、風の唸りを纏う大剣の横殴りの一撃だ。

 耳障りな金属の悲鳴を上げて、自分の打撃とは比べ物にならない速度で地面と水平に弾き飛ばされた。

 勢いを殺す事も出来ず、バリケードに突撃を掛けていた妖怪共の背中に直撃する。数百人を巻き添えにしてもなお、圧倒的な膂力で生み出された速度が消え去る事はなく、ついにはバリケードの前まで叩き戻されてしまった。


「――ンのヤロォ……」


 読まれていた。

 目論見が甘かったのだ。

 あの鬼は、こちらの策を見越した上で敢えて乗り、真正面から打ち崩したのだ。

 彼我の力量の差を、思い知らせるために。


「ナメんなあああぁぁぁっ!!」


 即座に起き上がり、左右に分かれた敵群の狭間を駆け抜ける。

 深く腰を落とし、顎が地面に着くほどの、這うような前傾姿勢で。

 とにかく速度だ。

 威力も間合いも、敵の方が圧倒的に上。

 ならば自分が勝っている要素を組み合わせて勝機を見出すしかない。

 右腕から嫌な音が聞こえて来る。

 骨全体に縦に裂けるようなヒビが入る音だ。

 最初の打撃を、迂闊にも右腕一本で防いでしまった結果だった。さらに二度目の打撃で肋骨を砕かれ、三度目の打撃で全身が軋み始めている。

 元より時間稼ぎの戦闘行為ではあるが、


(守り抜いて勝つのが先か、俺が砕け散るのが先か……)


 寸前で踏み出した右足首を捻り、急激な方向転換を行う。

 進路を九十度変えた事で、振り下ろされた大剣は空を切る。そして、かろうじて無事だった左足で地面にめり込んだ大剣の――今度は刃の上を強引に駆け登る。

 これで両足は使い物にならなくなった。

 後は、真っ直ぐに狙うのみ。


「――勝負!!」


 太刀を突き出した刹那、シロの全身が――並外れた感覚器官が『何か』を感じ取った。

 思わず天を仰ぎ、妖力を変質させて視力を限界まで強化する。

 見えるのは。

 崩れつつある摩天楼。

 炎に照らされた夜空。

 その上、さらにさらに上空。

 天上に浮かぶ白銀の満月。



 そこに――あった。



 シロの目でも見えるかどうかの、小さな小さな芥子粒のような黒い点。

 あれは船影だ。あの船に、間違いなく“彼女”が乗っている。

 怒りと憎しみと悲しみを自分に向ける、聡明でか弱い彼女が。


(脱出……出来たのか)


 その安堵が、普段では考えられないほどの油断を生んでしまった。


「取った!!」

「しまっ……!」


 振り返った時には既に遅く。

 大剣が、シロの骨格を頭から圧断した。



 ◆ ◆ ◆



 総大将は自分の足元に散らばる骨の残骸を見下ろし、拍子抜けした風に息を吐いた。

 この白骨は一体何者だったのだろうか。

 大いなる母――邪魅がケラケラと、今まで見た事がない笑顔で楽しそうに語っていたのを覚えている。

 人間に味方する、骸の姿の剣士。

 たった一人の女を守るために、森の主を敵に回した愉快な酔狂人だ、と。

 確かに邪魅が語るだけの力はあった。

 二千の軍勢を前にして戦意を保ち続けた豪胆な精神。さらに自分と同等の剣技。無傷に近い状態で勝てたのは、白骨が実戦経験に乏しい若造だった事と、


(何故あの時、奴は俺に背を向けてまで空を見上げる事を優先した?)


 結果的に隙を突く形となり、何とも後味の悪い勝利だけが残ってしまった。

 それが無性に腹立たしい。そして、口惜しい。

 あれほど類稀な才能を、自らの手で断殺しなければならないとは。


「総大将、ご無事でしたか!」


 壮年の鬼が、数名の部下を引き連れて駆け寄って来る。

 白骨との対決に集中するために、侵攻の指揮代理を任せていたのだ。


「無論だ。……目障りな壁と人間共は片付いたのか?」

「はい。ですが、不思議な事に……」


 守っていた人間達は、突かれても斬られても決して倒れる事はなかったのだと言う。

 しかし、


「何かに呼ばれたように一斉に空を見上げた後、それまでの気迫が嘘であったかように全員が笑みを浮かべて死んでしまったのです。総大将があの骸を両断したのと同時だったと思います」

「空を見上げた後……か」


 人間共だけならばともかく、妖怪である白骨も空を仰ぎ見ていたのだから、空に何かあるのなら鬼の自分にも分かるはずだ。しかし天上には満月が輝いているだけで、特に変わった様子はない。


「……まあいい。生き残った人間はいたのか?」

「家々をくまなく探したのですが、人っ子一人見つかりませんでした。これほどの国です、全員が逃げ切るには時間がまるで足りなかったはずですが……」

「壁の外で見張っている者達からの連絡は?」

「確認を取りましたが、外に逃げ出した人間はいないとの事です」


 ……もしかすると、本当の意味で負けたのは、


「俺達の方だったのかもしれんな」

「は?」


 いや、と怪訝な顔を浮かべた部下に返す。

 総大将はもう一度空を見上げて、そして――気付いた。


「何だ……アレは……」

「つ、月が!」


 連られて視線を移した鬼が目を見開いて言うように、月がその姿を大きく変えようとしていた。

 ほんの数秒前に見上げた時は、間違いなく美しい満月だった。それが今はゆっくりと、しかし目に見えるほどの異常な速さで欠けていく。

 言いようのない不安と恐怖が襲う。

 月とは夜を照らすもの。

 闇夜に跋扈する妖怪達にとっては、唯一絶対とも言える象徴的な存在なのだ。

 その満月が、影の中に隠されようとしている。

 考えられる原因はただ一つ。


「何処まで……」


 ギリ、と総大将は歯を噛み鳴らし、


「何処まで俺達を冒涜すれば気が済むのだ、人間共め!!」


 その怒号に答えた訳ではないのだろうが。

 天上――闇に消えつつある細い月から光線が放たれて。

 人類の英知と傲慢に満ちた大都市を一直線に射ち貫いた。



 ◆ ◆ ◆



 妖怪達は知る由もないだろう。

 都市に突き刺さった光線が人間の兵器である事など。

 月に反射した太陽光を一点に集束して撃ち出し、対象を容易く溶解する超科学兵器。

 照射の際に光を削られた月が、月相の晦――矢を番えた弓のように見える事から。



 開発者はその兵器を『天羽々矢』と名付けた。



 ◆ ◆ ◆



 一瞬にして、軍勢の半分以上が都市と共に弾け飛んだ。

 その事実に驚愕する暇もなく、


「…………!」


 一拍遅れたやって来た灼熱の波が残りの半数に襲い掛かった。

 中心部の温度が急激に上昇した事で気流が生まれて、瓦礫と死体と同胞達を、まるで綿埃のように易々と上空へ打ち上げる。

 そこから先は、妖怪達にとっての地獄だった。

 空高くから叩き付けられた同胞達は血と内臓を撒き散らして絶命し、荒れ狂う火焔と溶岩の奔流によって瞬く間に焼き尽くされていく。


「くっ、皆、早くこの国から出ろ! 一度だけではないはずだ!」


 全身に火傷を負った総大将は、それでも生き残った同胞達を逃すべく指示を出す。

 その声は轟々と唸る暴風によって掻き消されてしまうが、どうにか聞き取った者達が怪我人に手を貸しながら外へ――大妖の森の方へと退却を始めた。


「総大将! 貴方も早く!」


 背後から掛かる叫び声。

 爆風の煽りを食らってはるか後方に吹き飛ばされた部下のものだ。


「分かっている! だからお前達も――」


 さっさと逃げろ、と最後まで続ける事は出来なかった。


「おおおおおおおおおおああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 紅蓮の炎影の中から、間違いなく屠ったはずの白骨が飛び出して来たからだ。

 虚を突かれた総大将は、防御を、と考える暇すら与えられずに。

 突き出された太刀によって右目を刺し貫かれ、頭骨に収まっていた脳を破壊されて。


「――――!」


 崩れ落ちる最中、逃げる部下達がドロドロに溶けた瓦礫に頭から飲み込まれるのを見届けながら。

 断末魔の声を上げる事なく、その命を断ち切られた。


「………………」


 物言わぬ屍の群れの中。

 ただ一人、太刀を握る骸だけが立ち尽くしていた。



 ◆ ◆ ◆



 月夜の下を、独り黙々と歩く影がある。

 ゆらりゆらりと幽鬼の如く、けれど淀みなく真っ直ぐに歩み続ける。

 向かう先にあるのは大妖の森。

 数多の妖怪が住み着く深き森林が存在していた場所だ。


「………………」


 焼け野原と化した跡地に墓標のように転がっているのは、かつては雄々しく生い茂り、人間達に恐怖を与えていた妖樹のなれの果て。

 さらに炭化した木屑の山に紛れて、黒焦げの死体がいくつもいくつも見受けられた。

 口を大きく開けて喉を抑えているモノ、木に押し潰されて上半身だけとなったモノ。

 いずれも小さく、体型が細いモノばかりであった。



 おそらくは、女と子供。



 影の足元には母親らしき死体があり、子供の死体の上に覆い被さっていた。

 母親は黒焦げだったが子供は守られていたために比較的綺麗で、濁り切った瞳が、声なき恨み言を影に吐いているようにも見えた。


「………………」


 影はそれらをちらりと一瞥しただけで、歩みを止めようとはしなかった。

 やがて目的地へ辿り着き、シロは、


「……なんじゃ、誰かと思えばお主であったか」


 井戸に背を預けて座り込んでいる、満身創痍の森の主と相対した。


「久しいのぅ骸よ。今日はあの愉快な娘は一緒じゃないのか?」


 上体を起こそうともせずに邪魅は言う。もう身体を動かす力も残ってないのだろう。

 萌葱色の長襦袢を着崩した若い女の姿は相変わらずだったが、肌はカサカサに乾き、四肢はだらりと大地に投げ出されている。

 大妖の森は邪魅そのものだった。それが根こそぎ破壊され焼き尽くされたのだから、彼女が受けた衝撃は筆舌に尽くし難い。


「永琳サンはうんと遠くに行っちまってね。それに、今は俺だけの方がいいだろ?」


 対するシロも、無傷とは言い難い姿であった。

 破れ裂かれた着流しも腰に差した太刀も返り血と煤にまみれ、左の袖が不自然に風に棚引いている。

 目敏く気付いた邪魅が問うた。


「その腕はどうした? 儂の子の誰かに叩っ斬られたか?」

「当たらずとも遠からずってとこか。文字通り、一本取られちまったよ」


 袖を捲って見せた着流しの中には、左腕が存在しなかった。

 肩甲骨から先がごっそりと消失していて、最初から無かったのでは、とすら思える。


「強かったか? 儂の息子達は」

「ああ、強かった。俺がこうして立っていられるのが不思議なくらいにな」


 そうかそうか、と邪魅は笑い、両手で顔を覆った。

 掻き消えそうだった笑い声は、やがて小さな小さな嗚咽へと変わり始めて、


「まったく……馬鹿者共め。子が親より先に死んでしまうなど、親不孝以外の何物でもなかろうに」


 シロは、指の隙間から零れる樹精の涙と己の右手を順に見やった。

 邪魅が我が子と呼ぶ妖怪達を斬り殺した感触が、その手に今もはっきり残っている。


「……恨んでいるか、息子達を殺したこの俺を。アンタの森を蹂躙した人間達を」

「恨んでいないとでも、思っているのか?」


 足元の地面を破って、根が何本も飛び出してくる。

 シロの両足に絡み付いてそのまま縊り殺そうとするが、以前戦った時の力強さは全く感じられず、


「じゃが、今の儂には仇を討つ力など残っておらん。悔しいのぅ、口惜しいのぅ。子らの仇が目の前にいるというのに何も出来んとは……!」


 軽く足を動かしただけで引き千切れてしまう。それほどまでに彼女は弱っていた。

 邪魅は泣き腫らした顔を、表情を持たない白骨に向けて、


「恨むぞ骸。森を荒らした人間よりも何よりも、こうして儂に殺されに来たお主を」

「………………」

「この戯けが、大空けが。誰が好き好んで親切に殺してやるものかよ。そんなに独りに戻るのが怖いというなら、それこそが、それこそが――」


 儂の、仇討ちじゃ。


「………………」


 シロは答えない。

 答えても意味がないと、分かり切っているから。


「正真の肉体を持たぬお主は、その気になれば朽ちる事もなく永遠に生き続けてしまうのじゃろう? ならば生き続けるが良い。愛される事も慕われる事もなく、憎まれ、恨まれ、疎まれ、蔑まれながら――」


 無限永久に近い孤独を味わうが良い……。

 そう言い放って、邪魅は目を閉じた。

 彼女の身体がゆっくりと朽ち始める。指先から徐々に土気色に変わり、微細な木粉となって風に流れて散っていく。

 サラサラと、着ていた長襦袢も全て木粉に変わって風に流されて、後には井戸の石壁にへばりつくようにひっそりと生えた若木だけが残った。


「……まあ、しょうがねぇか」


 嘆息一つ。

 シロは井戸の縁に腰掛けて、空を見る。

 煌々と輝く満月。それが今、灼熱の矢を放つ弓へ変貌しようとしていた。

 あの大都市とこの森を焦土に変貌させた人間の科学。

 狙っているのは間違いなく、最初に出会ったこの場所。全てが狂い始めたこの井戸だ。

 彼女の狙いを確信出来るように、彼女もまた、自分が此処にいると確信している。


「……ああ、まだ怒っているのか」


 無理もない。自分は彼女に嘘を吐き、裏切ったのだから。

 さあ射て。

 思う存分滅ぼすがいいさ。

 死んだら死んだで、それでも構わないから。


「約束通り、アンタの怒りも憎しみも悲しみも、俺が全部受け止めてやる」


 光の矢が、地表に煉獄の帯を作り出し。

 シロの意識は、そこでぷっつりと途切れた。



 ◆ ◆ ◆



 それから、一体どれほどの月日が経っただろうか。

 百年か、千年か、万か、億か。

 とにかく気の遠くなるような、想像も出来ないほど永い年月が経った。

 焼き尽くされた地表は再生を完了し、流れる四つの大河に沿って文明が生まれて繁栄を続けていた。

 その中の一つ、東の大陸にある大国では、人間に隠れて妖怪達が市場が開いていて、


「屍浪! 早く、早くするのじゃ!」

「んなに急がなくても、店は逃げたりしねぇっての……」

「売り切れてしまうじゃろが!」


 ヒトならざる者達でごった返す鬼市の道を、ギャアギャアと周りの賑わいに負けないほどの声量で言い合いながら進む二人組がいた。

 小柄な影と、長身の影。

 小柄な影は萌葱色の着物を着た髪の長い少女で。

 長身の影は目深に被った笠と手拭いで顔を隠した着流し姿で。

 そして。



 太刀を腰に帯びた長身の影には、左腕がなかった。



ようやく序章の終わりです。


東方キャラがまだ永琳しか出てませんでした。

今のところ、自分で読み返しても何だコリャな作品と化しています。


と、いう訳で。


次章からは原作キャラ達と絡みまくります(性的な意味ではなく)。


お楽しみに…………しててくれると有難いです。

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