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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
序章 古代編
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第七話 決別。裏=砕けぬ覚悟

 東西南北の四方に伸びる、国を丁度四分割する道がある。

 太くて、広い道だ。片側四車線――計八車線の大動脈。さらに、そこからまるで葉脈のように何本も細道が分岐して、国の隅々にまで溢れんばかりの活気を送り届ける。日中は通行人や車が絶え間なく行き交い、夜ともなれば両脇に並び立つビルや家屋が明かりを煌々と輝かせて、地上にもう一つ、さながら鏡写しの如く小さな星の海を作り出す。

 最初に道が生まれ、沿うように家々が建ち、やがて国となる。

 道とは、人類の英知と繁栄の象徴と呼べる国の根幹を成す存在なのだ。

 だが今、平穏だった風景は一変して、見る者の心に恐怖を刻み込む地獄と化していた。

 都市を照らすのは電灯ではなく、至る所で盛大に燃え盛っている業火だ。

 摩天楼群は瓦礫の山へと姿を変えて、軒を連ねる家屋は破壊の限りを尽くされ見る影もない。刻み付けられたその爪痕からは恨みや憎しみ、怒りといった負の感情がありありと読み取る事が出来た。

 夜空を染めるのが紅蓮ならば、大地を染めるのは深紅であった。

 道を埋め尽くすように放置されているのは無数の屍だ。

 腕を斬られて、脚を裂かれて、胸を突かれて、首を断たれて。

 ある者は苦悶の表情を、またある者は憤怒に顔を歪めたまま絶命している。

 噴き出た血液がドロドロとした流れを生み、道路端の側溝へと消えていく。髪が焼けて肉が焦げる濃密な死臭が、赤黒い熱風によって国中に撒き散らされていた。

 そんな屍山血河の真っ只中に、抜き身の太刀を携えて立つ影がある。



 シロだ。



 乱れた白髪と破れた黒衣。

 普段ならば黒白であるはずの彼の姿と愛刀には、べっとりと付着した返り血によって朱色の斑模様が描かれていた。

 しかし彼は気にした風もなく、左手に嵌めた腕輪に向かって言う。


「……俺は妖怪だ。同胞と手を組むのは当然だろうが」


 紡ぐのは、裏切りを示す言葉。

 未知の技術で作り出されたこの腕輪、訳も分からず持たされていた物だが、どうやら無線機であったらしい。先ほどまで永琳と月夜見の声が聞こえていた。か細く小さな、裏切りが嘘である事を切実に願っているような声だった。

 代わりに聞こえてくるのは、腕輪がカラカラと床を転がる音。脳裏に永琳の顔が鮮明に映る。彼女が今どんな表情をしているのか察しながらも、シロは努めて淡々と、


「恨むのはお門違いってなもんだぜ永琳サンよ。あの雨の日、丘の上で俺は確かに言ったはずだ。妖怪の俺はアンタの味方にはなれないが、敵になる事は出来ると。アンタが馬鹿共から庇ってくれた時は笑いを堪えるのに苦労したよ。もしあそこで判断を間違えていなければ――」


 あるいは永琳を助けた後、すぐに彼女の前から姿を消していたなら。


「……アンタにとって、人間にとって、もう少しマシな結果になってたかもな」


 しばしの沈黙の後、永琳は言った。


『私は……最後まで貴方を信じていたのよ』


 ……ああ、分かっている。

 十分過ぎるほどに理解している。

 しかし、もう遅い。

 もう、自分は彼女の隣に戻る事は出来ない。

 戻ってしまえば――護れなくなってしまうから。


「……ハッ! 妖怪を信じる方がどうかしてるんだよ、このお人好しが」


 だから、突き放した。

 彼女の心を敢えて傷つけて。

 恨まれる事を、憎まれる事を覚悟して。

 これ以上連絡が取れないように腕輪を外して踏み砕いてから、シロは赤光と黒煙に染め上げられた夜空を見上げた。

 天上で輝くのは、冷たい光を放つ満月。

 ……そもそも、人間が月に移住するなんて馬鹿げた計画を実行しなければ、少しだけ、ほんのもう少しだけ、永琳や月夜見と面白おかしく暮らす事が出来たのかもしれない。


「さぁてそれじゃあ、準備はよろしいでしょうかぁ皆様方?」


 未練を断ち切るように言って、シロは己の背後を見遣った。

 周りの建物から掻き集めた家財道具や乗り捨てられた車、大きめの瓦礫などで障壁が作られていた。

 二メートルくらいの高さがある、道幅いっぱいに広がるバリケード。

 道は脇道がない一本道だ。

 その先にあるのは――月に向かうための船が停まる発射基地。


「一応、何とかそれっぽく形にはしてみたが」


 作業していた無数の人影の内、他の隊員に指示していた若い男――防衛部隊副長だと名乗った男が口に咥えた煙草から紫煙をくゆらせながら、


「正直言って、これでどれほど踏ん張れるかはやってみねーと分からん。敵さんの規模や武装の情報を共有する前に他の部隊は綺麗さっぱり壊滅しちまったし、向こうが何してくるか見当もつかねー」

「なるようになるしかねぇってワケか」


 そんな会話を交わして、二人は辺りに散らばっている妖怪の死体を踏まないようにしながらバリケードに歩み寄る。

 銃器を用いて戦う副長や隊員達。返り血や重度の負傷こそないものの、皆一様に疲労困憊の表情を浮かべている。けれどその動きに油断や慢心は微塵も感じられず、彼らが生粋の軍人である事を如実に表していた。


「しっかし、本当にあんな風に伝えちまって良かったのか? アンタらにゃあ俺の悪ふざけに付き合う義理なんざ毛ほどもねぇはずだ」

「バァカ、誰がお前なんかのために残ったりするか。妖怪に救われたとあっちゃ俺達の立つ瀬がねーから此処に残ってるに決まってんだろうが」


 副長の言葉に、隊員達は一斉に頷く。


「国を守る精鋭なんて言われちゃいるが、俺を含めて此処に残ってる奴らはみーんな揃いも揃って武器振り回す事しか能がないただのゴロツキなんだよ。訓練も上手にサボってたし、国を抜け出して近くの蛮族共相手に喧嘩吹っ掛けて粋がったりもしてた」


 ……けどな、と副長は言葉を一度区切り、


「それでもな、俺らにだって曲げたくねー信念ってモンや、命懸けてでも絶対に守り抜きてーモンがあんだ」


 矜持と誇り。

 この人間達を突き動かしているのは、肉体ではなく強靭な意志だ。それこそが、非力とすら言える人間の妖怪・神族に唯一勝る驚異的な力であった。

 だが不幸にも、部隊を束ねる男にはその力がなかった。

 彼らは見捨てられた人間達だった。

 シロが駆け付けた時には既に壊滅寸前で、怪我人に肩を貸した副長が檄を飛ばす事でかろうじて持ち堪えている状況だったのだ。

 戦線に飛び込んで、妖怪共を粗方斬って片付けた後で話を聞けば、呆れた事に総隊長が敵前逃亡してくれやがったらしい。指示を出すはずだった長が逃げ出した事で命令系統は崩壊、伝播した恐怖心に駆られて逃げ出す隊員が何人もいた。

 それでもどうにかこうにか部隊として成り立っていたのは、副長が有能で人望があったからに他ならない。もし副長まで無能な人間であったなら、シロが加勢するまでもなく全滅していただろう。

 上が大馬鹿だと下が苦労する、典型的な例であった。


「……まだ来ると思うか?」

「来るだろうなぁ。攻め込んで来るにしちゃあ数が少なすぎる。おそらく、寝っ転がってるこいつらは様子見の斥候隊だ。連絡が途絶えりゃ本隊がこっちにわんさか押し寄せて来るだろうさ」


 こちらの残存戦力は、シロを含めて百七十九人。

 対して、地面に転がる妖怪の死体はざっと見積もって三百強。この数で斥候隊と言うのなら、これから姿を現すであろう本隊の戦力は――


「五~六倍と考えた方がいいかもしれねーな」

「二千弱、か」

「見た限りじゃあ脱出船はまだ全機発射してねーみてーだし、唯一残っている俺達が負けりゃ素通りされて逃げ遅れた奴らが皆殺しにされるだろーな」


 状況はあまりに不利だった。

 真っ先に逃げ出した総隊長によって裏切り者と認識されてしまっている自分達には、増援など絶対にやって来ないのだから。


「敵本隊を視認、規模不明! 距離二五〇〇!!」


 見張りに立っていた隊員の一人が声を上げた。

 急いでバリケードをよじ登り、副長は軍用スコープを装着して、シロは視覚を限界まで強化して隊員が指し示す方を見る。

 前方から、こちらに押し寄せて来る群影がはっきりと視認出来た。


「おーおー、こりゃまた随分と殺気立ってらっしゃる。仇を討つ気満々」

「まあ、平穏無事だった生活をブッ壊して先に襲い掛かったのは俺らの方だしなぁ。にしても連中のツラぁおっかな過ぎんだろ。白旗上げて謝っても許してくれそうにねーぞアレ」

「仮に許されても、ケジメに俺達全員の首を刈り取られそうな雰囲気だけどな」

「ケッ、どちらにしても死ぬしかねーってか。――総員戦闘準備! 急げ急げ、数分もしねー内にお客さんが大勢やってくんぞ!」


 副長が号令と共に飛び降り、シロもその後に続く。

 向かうのは、着々と整いつつある戦列の先頭。


「ハイハイハイハイ、さっさと銃構えて死ぬ気で気張れよ野郎共。どうせ死ぬなら兵隊さんらしくカッチョ良く戦って死にてーだろ?」

「副長、“口上”はどうします?」


 あまりにあまりな掛け声に、隊員の一人が苦笑を浮かべて返す。


「口上?」

「ああ、あのクソオヤジが決めやがったメンドクセー規則の一つでよ、こういうでっかい戦いの時は士気を上げるために頭が何か言わなきゃならねーんだ。いつもならあのオヤジが長ったらしくて回りくどい文句を垂れ流すんだが……」

「いねぇよな、士気だだ下がりにしてくれやがったその総隊長殿が。だとすると、序列的に副長のアンタが言うべきなんじゃねぇのか?」

「俺そういうの苦手なんだよ。――あ」


 副長が何事か閃いたようにシロを見て、


「お前言えよ」

「ハァッ!?」

「いやだって、お前こういうの得意そうな顔してるし」

「してねぇっての! つか骨だっての! 顔なんて元からねぇわ!」

「だいじょーぶだって、自信持てって。その歯並びなら絶対上手くいくからさ!」

「理由が全くもって意味不明で根拠無し!」


 突如始まった副長と骨の漫才に、隊員達から笑いが起きる。

 周囲に漂っていた重苦しい空気が、ほんの少しだけ霧散した。

 笑い者にされている二人はあーだこーだと言い合って、結局、


「……ったく、わーったよ。言えばいいんだろ言えば」


 シロが折れた。

 振り返り、軽く息を吸って、これから死へと向かう英傑達の顔を順繰りに見やって、


「……どうしても聞いておきたい事がある。アンタ達は本当にこの国を守りたいのか? この空っぽになりつつある国を、本当に死んでも守りたいのか?」


 返答はない。

 しかし、否、と誰かが小さく言って、やがて、


「否! 我らが残るのは国を守るために非ず!!」


 一斉に吠えた彼らに、シロは満足げに頷き返して、


「ならば問おう! お前達は何を守るために此処にいる!!」

「駆け寄り抱きしめてくれた我が子を!!」

「優しく迎えてくれた我が妻を!!」

「愛を以て慈しんでくれた我が母を!!」


 彼らは口々に言う。

 国を守るためではない。それぞれが大切に思う者達を守るために戦い――死ぬのだと。


「ならば今一度問おう! 子を守り、妻を守り、母を守り抜いた果てにお前達が得る物とは一体何だ!!」

「裏切り者の謗りと反逆者の汚名を!!」

「己の屍と愛する者達の未来を!!」

「無限に広がる可能性とその道標を!!」


 故に、彼らは自らを裏切り者と呼ぶ。

 国も、名誉も、自分達の命すらも。

 民達が――家族達が望む物を、何一つ守ってなどいないのだから。

 ただ自分勝手に、己の願いを叶えようとしているだけなのだから。


「ならば最後に問おう! ……後悔はあるか? 未練はあるか?」


 再び誰かが小さく、否、と発して、


「…………否! 望んで死地へと向かう愚かな我らに後悔など不要!!」


 全員が口を揃えて、宣言した。

 そうか、とシロは正面に――迫る妖怪共の軍勢に向き直り、


「ならば、ならばもう言わぬ、もう聞かぬ! さあ武器を構えろ、決して語られる事のない誇り高き裏切り者共! 弾が切れたなら礫を放て! 槍が折れたなら短刀を振るえ! 刀が砕けたなら拳を打て! 爪で掻き抉り、牙で噛み千切れ! 守り抜くために殺して殺して殺し尽くし、誇りと悪名を胸に抱いて黄泉の旅路を駆け抜けろ!!」


 右手に白刃を握り、左手に槍を携えて。

 彼女を護る――それだけのために同胞殺しの修羅と化し、死に臨む。


「――征くぞぉぁ!!」


 オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォッ――――!!


 地を鳴らす妖怪共の足音に張り合うように、人間達の叫びが熱した大気を震わせて。

 両の陣営が激突し、火焔よりもさらに紅い飛沫が舞い上がった。



 ◆ ◆ ◆



 私は罪を償わなければならない。


 過酷な訓練を共に乗り越えてきた仲間達を。

 生命を懸けて絶対に守り抜くと誓った祖国を。

 護国兵である私を誇りだと言ってくれた家族を。


 私は裏切った。


 私は死ぬ事が怖くなった。

 いくら訓練を積み重ねようと、いくら虚勢を張ろうと、私が臆病者であるという事実は変わらなかった。あの迫り来る妖怪の大軍勢を前にして、私の誇りと虚栄心はいとも簡単に砕け散ったのだ。

 愛する娘と妻に二度と会えなくなるのだと、そう考えると足が竦み、武器を構える事すらままならなくなってしまった。身体の震えが止まらず、その場に崩れ落ちないようにするのが精一杯だった。


 だから裏切った。

 裏切り、無様に生き残ってしまった。


 戦友達の中には、子供が生まれたばかりの新兵がいた。月に行ったらのんびり親孝行をするのだと笑う二つ下の後輩がいた。一人娘が結婚するのだと嬉し泣きする御世話になった先輩がいた。


 そんな彼らを、己が命を懸けて国を守ろうとした彼らを、私は見捨てて逃げた。


 何度悪夢にうなされただろうか。

 何度良心の呵責に苛まれただろうか。


 もう限界だ。

 身の内から溢れ出る罪悪感が、私を内から蝕んでいく。

 このまま生き永らえたところで何になるというのか。


 だから私は。


 死した彼らの誇りを守るために。

 せめてもの贖罪と懺悔のために。

 偽りのない真実を伝えるために。


 この手紙を書き残す。

あけましておめでとうございます。


今年も拙作を御愛顧お願い申し上げます。

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