第四十二話 拝謁。ヴァンパイア・プリンセス
約一ヶ月の潜伏期間を経て、ワタクシ復活。
……はい、いつもの事ですねスミマセン。
マリオカート楽しいですよねー
夜を統べる者――吸血鬼。
彼らが幻想郷に姿を現し、そして問答無用に侵攻を開始したのは、紫が屍浪を助け出すために過去に旅立った直後の事だった。
伝説の残骸として外の世界を追われた吸血鬼にとって、あらゆるものを受け入れる幻想郷はさぞかし魅力的な理想郷――文字通りの楽園に見えたに違いない。
支配を目論む理由など、それだけで十分だったのだろう。
当然、幻想郷に住まう古参の妖怪達はそんな身勝手を良しとせず、普段ならばありえない徒党まで組んで新参者の迎撃を試みた。しかしその奮闘を嘲笑うように、吸血鬼の支配は拡大の一途を辿っていくばかりだった。そもそも地力と頭数からして圧倒的なまでの差があった上、既に博麗霊夢が巫女の座に就いて辣腕を振るっていた当時、大結界騒動の弊害によって気力の弱体化を余儀なくされ、人食いすらも制限されていたのだから無理もない。
時期が悪かった。
相手が悪かった。
何より、管理者たる紫と藍が不在だった。
数々の不運と悪運が重なった末の暴挙。必然とも思える支配欲の発露。
もっとも例によって例の如く、出る杭は打たれるとばかりに、野望成就を目前にして吸血鬼の一団は敗北の憂き目に遭う訳だが――留守を任された邪魅やとある事情から気が立っていた幽香、さらには天魔や鬼子母神など、残り少ない実力者達を軽視した結果招いた自業自得と言える。
もはや語り継がれるだけ。
紙面上の物語と化した吸血鬼異変。
その首謀者と目されるのが――
「レミリア・スカーレット。紅魔館の現当主にして今回の異変の犯人、ねぇ……」
眼前に泰然と佇む真紅の館。近くで見ると邪悪さというか痛々しさというか、いかにも吸血鬼が住んでいそうな雰囲気がより一層増して異質な存在感が漂っている。まあ、たかだか五百年ぽっち生きているだけの少女のお家なのだが。
スペルカードルールが制定されてから初めての大規模な異変――そんな重要な局面に、かつて幻想郷に牙を剥いた相手を主役の一人として選んだ紫。屍浪とて愛娘の思惑を全て見抜ける訳ではないので断言こそしないが、おそらくこれは見せしめも兼ねての人選だ。
吸血鬼鎮圧に直接出向けなかったがゆえの、遠まわしな示威行為。
「弱っていたとはいえ、妖怪共が束になっても敵わなかった吸血鬼族。その親玉を霊夢が打ち負かしたとなりゃあ、少なくとも『並大抵の妖怪よりも力は上だ』と改めて印象付けられるって算段か」
紫煙を吐き出し、屍浪は言葉を紡ぐ。
本人達は知る由もないが――知らされもしないだろうが――里の人間は、あくまで妖怪の存在意義のために生かされている。しかし歯止めの役割を担う博麗の巫女だけは別格の例外だ。
人間側に赦された唯一の戦力。
存在意義というのなら、この異変こそ霊夢の実力を証明する絶好の晴れ舞台に他ならない。
「……親馬鹿と言っちまえばその通りだけどな」
紫からの『仕事』の内容がそれを如実に表している。そうでもなれば、異変を解決するまで霊夢を陰から見守ってほしい――などと神妙な顔で頼んで来たりするものか。身内の事となると形振り構わず手段を選ばない性格は、どうやら駄目な父親譲りであるらしい。
「ま、俺だって勝手ながらお祖父ちゃんやってますし? 念には念を入れて用心するに越した事はねーんだろうけどさぁ……こいつはどうにも一筋縄じゃあいかないみてーだぜ、紫」
「………………(すぴー)」
だって、門番からして居眠りしちゃってるんだもの。
「どうしろってのよこの娘」
「………………(すかー)」
緑を基調とした中華風の衣装を纏う、長身で髪の赤い少女。何かしらの武術の嗜みでもあるのか――椅子に腰掛けるでも門扉に背を預けるでもなく、直立不動の腕組み体勢でふらつきもせずに爆睡を続ける。よほど体幹が鍛えられていなければ出来ない芸当である。
ともあれ、レミリア・スカーレットに取り次いでもらわなければ埒が開かない。単なる殴り込みならばこのまま無視して侵入するのだけれど、今の屍浪は仕事を受けた異変の監視員。勝負を見守るせよ館の中を嗅ぎ回るせよ、まずは正式な手順を踏んで当主にお伺いを立てるべきだろう。人外の世界の常識では、縄張りに不法侵入した者は背後から首を斬り落とされても文句は言えないのだから。
「おーい、もしもーし? ちょいと起きてほしいんですけどねぇチャイナのお嬢ちゃん?」
「……ぅえへへぇ、もう食べられないですよぅ」
わあなんてベタな寝言なんでしょう――じゃなくて。
「起きろってのー。起きやがれー。ぜひ起きてくださーい? もう夕方近いけど朝ですよー? いい加減しないと目の回り黒く塗り潰しておデコに『パンダ』って書いちゃうぞー?」
「ああもぅ、そんなに抱きついちゃダメですよお嬢様ぁ。それはおっぱいの大きくなった咲夜さんじゃなくてモケーレムベンベですってばー……」
「……やれやれ」
まったく、一体どんな夢を見ているのやら。
あまりこの方法は使いたくなかったが致し方ない――屍浪は愛刀に手を伸ばす。軽く息を吐きながら意識を切り替え、柄をなぞるようにゆっくりと親指を滑らせて鯉口を――
「…………」
――切った。
「ひっ!?」
短い悲鳴。
風が生まれ、少女の姿が消え失せた。
正に『消失』と言い表す以外にない刹那の一瞬ではあったが、けれど、屍浪は特に慌てふためく様子もなく首を左に――鉄門から十歩以上も離れた位置に立つ少女を視界に収める。
左手を突き出し、右拳を腰溜めに構えた迎撃姿勢。
青ざめた顔に浮かぶ感情は、敵意よりも怯えの色が濃い。
カチ……とわずかに覗いた刃を納めて屍浪は言う。
「良かった。これで起きてくれなきゃ正直どうしようかと思ったぜ」
「……何者ですか?」
「今回の……異変の監視役を仰せつかった者さね。ビックリさせちまった事は謝るから――このまま立ち話ってのもなんだし、とにかくまずは中に入れてくれないか? お前さんのご主人様には話が通ってるはずなんだが……」
互いに一息で相手の懐に飛び込める距離。
本来ならば微塵の油断も許されない状況――その只中で面倒臭そうに頭を掻く白髪の中年を見て、毒気を抜かれたらしい少女は構えを解いた。起こし方が起こし方だっただけに針のような視線で警戒されたままだが、これは屍浪に責任があるので甘んじて受け入れる事にする。
「貴方が、あのスキマ妖怪の? 俄かには信じられませんねぇ」
「はっはっは。よく言われっけど確かに俺は八雲紫の身内だよ。信用出来ないってんなら身分証でも見せようかい?」
勿論そんな物は最初から存在しないが。
「いえ……大変失礼致しました」
それを承知しているのか、赤髪の少女――紅美鈴はやんわりと謝罪の言葉を述べる。襟を正して頭を下げる所作には一切の無駄がなく、その流れるような立ち居振る舞いだけで、彼女が如何に精練された武術家であり門番であるかが窺い知れた。
「お嬢様よりお話は伺ってます。お待ちしてました――ようこそ紅魔館へ」
重苦しい音を立てて門が開いていく。
美鈴の背を追って敷地に足を踏み入れると、手入れの行き届いた見事な庭園が屍浪を出迎えた。西洋の館と聞いて真っ先に思い浮かべそうな大理石製の噴水とライオンの彫像。薔薇の生垣に混じって見た事もない奇怪な植物が育っているのが吸血鬼の住まいならではの特徴か。
「……ところで門番のお嬢ちゃん」
「はい?」
「女の子なんだからヨダレは拭いた方がいいと思うぞ?」
「ふあっ!?」
◆ ◆ ◆
十六夜咲夜は柄にもなく緊張していた。
何時以来だろうか、と彼女は己自身に問う。
幼くも気高く美しい主の目に留まり、この館にメイドとして仕えて――先任のメイド長に従者の何たるかを叩き込まれた今となっては、適度に気を引き締める事はあっても緊張する事などまずないと自負に近い矜持を抱いていた。
しかし、どれだけ場数を踏もうと結局はこの様だ。
レミリアが異変を隠れ蓑にこれから始めようとしている計画、その一端を担うのだから無理もない。大図書館の魔女や門番の中国などは時が来るのを平気な顔で待っているようだが、自分は紅魔館で唯一の人間なのだ――如何に気持ちを切り替えようと、意に反して身体が強張ってしまう。
(お嬢様なら、これも運命だと達観するんだろうけど……)
当初の予定通りに、博麗の巫女だけが館にやって来るのなら何も問題はなかった。仮にそれ以外の誰かが徒党を組んで来たとしても、紅魔館の総力をもってすれば殲滅は容易い。
そう――相手があの男でさえなければ。
赤い霧の中、朧の如く揺れる黒衣と白髪――玄関の前で待つ咲夜の目には、美鈴に先導されて庭園を歩く彼の方がよほどおどろおどろしい吸血鬼に見えた。
「こんにちはメイドのお嬢ちゃん。――いい天気だな」
辿り着くと同時に男は言った。
若者とも老人ともつかない空っぽな声で、皮肉でも述べるように。
「……いらっしゃいませ」
咲夜も努めて冷静に来客用の挨拶を返す。
「本日はこのような天気にもかかわらず御足労頂いた事、大変恐縮に存じます。私はこの紅魔館でメイド長を務める十六夜咲夜と申します。どうぞお見知りおきを」
警戒心を抱かせない無難な常套句。
なるべく表情に出ないよう細心の注意を払ったつもりだが、果たして上手く誤魔化せただろうか。もしかしたら目をわずかに細めてしまったかもしれない。
「咲夜? ……ああ、モケーレムベンベのお嬢ちゃんか」
「は?」
「ぶっ!?」
モケーレムベンベ?
何だそれは。
言っている意味はちっとも分からないけれど、男の背後でわたわたと盛大に焦り始めた美鈴の様子から察するに、どうやら寝言でも聞かれてしまったらしい。いつもの事でもう半分諦めているとはいえ、その居眠り癖はいい加減に直してもらいたいものだ。
まあ、彼女の言い訳は後でたっぷり聞くとして――
「応接間で主人が待っておりますので、ひとまずは中へどうぞ」
「のんびり茶ぁしばく暇があればいいんだけどねぇ……」
「美鈴、貴女は引き続き館の周囲を警戒して。そろそろ博麗の巫女も異変と勘付く頃でしょうから、くれぐれも気を抜かないように」
「了解です」
美鈴を外に残して扉を閉める。
退路を断たれたというのに、男から動揺の色は見受けられない。
「では、ご案内いたします」
「よろしく。……ちなみに館内禁煙?」
「当然です」
エントランスホールを抜けて、真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を進む二人。会話はおろか衣擦れの音すら聞こえない光景は、さながらサイレント映画の一場面のようだ。キン――と耳が痛くなるほどの無音だけがひたすらに続く。
今のところ、男の興味は壁の絵画や調度品などに向けられているが――彼の数歩前を歩きながらその一挙手一投足を注視する咲夜は、内心でダラダラと冷や汗をかいていた。
(まるで隙だらけ。でも……)
メイド服のあちこちに忍ばせたナイフの柄を握る。
途端に男は視線を彷徨わせるのを止め、咲夜の背中をじっと見つめてきた。反応が良いとか敵意に敏感だとか、そんなありきたりな言葉はまるで役不足。勘の鋭さが尋常ではない。
咲夜とて吸血鬼の姫に忠誠を誓うメイド長。殺傷能力――特に暗殺技術の高さの一点で述べるなら、時間を止められる強みもあって幻想郷でも十指に入るレベルだとレミリアからお墨付きをもらっている。
だが、禁煙と言われて少ししょんぼりしているこの男だけは。
計画始動を目前にいきなり現れた、自らを屍浪と名乗るこの男だけは。
ありとあらゆる可能性と事態を想定して、たとえ時間を止めてナイフを喉笛に突き立てたとしても、どういう訳か返り討ちに遭うビジョンしか浮かんでこないのだ。
(……弱気に、なってるのかしら)
らしくない。我ながら本当にらしくない。
年がら年中グースカ眠りこけてる美鈴じゃあるまいし、これではメイド失格だ。
ハァ――と屍浪に聞こえないよう嘆息して、主の待つ応接間の前で足を止める。
数回のノックの後に返ってくる誰何の声。
「レミリアお嬢様。屍浪様をお連れしました」
『お通ししなさい』
扉を開けると、レミリアが紅茶のカップを傾けていた。
部屋のほぼ中央――紅魔館の完成当時から使い続けているというゴシック調のテーブルを挟んで、一目で上質と分かる革張りのソファが一対。入口の咲夜から見て右のソファに、幼い矮躯の主人は足を組んで優雅に腰掛けているのだった。
「ようこそ、招かれざる亡霊さん」
余裕綽々の態度を崩さない、場の主導権を掌握するための堂々たる口調で。
「私がこの館の当主……レミリア・しゅかーれっとよ」
…………。
………………。
色々と台無しになっちゃった。
流石は私のご主人様。
◆ ◆ ◆
少々お待ちください――と咲夜は一礼して扉を閉めた。
廊下に取り残されて手持ち無沙汰な屍浪の耳に、主人と従者の微笑ましい会話が届く。よほど取り乱しているのかドタバタと騒がしく、厚い扉越しでもはっきり聞こえてしまう。
『噛んじゃった、練習したのに噛んじゃった!』
『大丈夫ですお嬢様、まだ挽回出来ます。むしろグッジョブです』
『すんごい勢いで鼻血出てるけど咲夜こそ大丈夫なの!?』
いやはや何とも……紫と藍のコンビを彷彿とさせるうっかり具合と掛け合いだ。
吸血鬼で館の当主で異変の犯人という黒い先入観が明後日の彼方に吹き飛ぶほどの、ちゃぶ台返しの如く盛大にぶち壊されたイメージ。もっとも――あれがこちらを油断させるための芝居だとするならばそれはそれで中々に面白く、同時に紫以上の末恐ろしいものを感じるが。
ぼんやりと思考を巡らせる屍浪の前で扉が開き、
「屍浪様。申し訳ありませんがテイク2、よろしいでしょうか?」
「ああ、うん……お好きにどうぞ」
何処から取り出したのか、カチンコ――映画撮影などで使うアレ――を手に現れる咲夜。鼻に詰めた血止めのティッシュのせいで残念な美少女と化している。しかし、それには触れないで見て見ぬ振りをしてあげるのが大人の礼儀なのだろう、やっぱり。
「ありがとうございます。では――」
カチンッ、と咲夜は一度だけ鳴らし、
「レミリアお嬢様。屍浪様をお連れしました」
『んんっ……お通ししなさい』
かくして、本日二度目のご対面。
最初と違う点を敢えて挙げるとするならば、レミリア・しゅかーれっとが先ほどとは別人のように礼儀正しく背筋を伸ばし、紅茶のカップにも手をつけずじっとしている事くらいか。正直ありがたい。偉そうに足を組んだまま続行されたら生温かい目で見ていたかもしれない。
「よ、ようこそ招かれざる亡霊さん」
余裕綽々の態度を崩さない、場の主導権を掌握するための堂々たる口調――とはお世辞にも言い難い挙動不審で上ずった声。誰がどう見ても明らかに緊張してらっしゃる。
さあ頑張れ頑張れと心中でエールを送ったのも空しく、
「私がこの館の当主……れみりゃ・すきゃ――」
また噛んだ。
再び廊下に閉め出される屍浪。
『さくやあああっ!!』
『はいはい泣かないでくださいー。まだ大丈夫ですよー』
いい加減、そろそろ本題に入りたいのですが。
結局、屍浪が応接間に通されたのはそれから三回ほどやり直しを重ねた後の事だった。部屋から出て来る度に咲夜が洒落にならない量の鼻血を流していたのだけれど、本人が平気だと頑なに言い張っているのだから記憶の片隅にでも捨て置くとしよう。決して血塗れの笑顔に気圧された訳ではない、うん。
とにもかくにも、屍浪は咲夜に促されるまま空いているソファに腰を下ろし、落ち着きを取り戻した小さな館主にようやく謁見出来たのだった。
「…………恥ずかしいところを見せてしまったわね」
レミリアの頬は部屋の真紅にも負けないくらいに赤い。目尻には涙の跡があり、あれだけ濃密に纏っていた魔力も血の匂いも綺麗さっぱり消え去って残滓すらない。腹の探り合いどころか、これでは橙の時のように落ち込む子どもを宥めすかすのと変わりないではないか。
「……少しばかり混乱していたのは認めるわ。監視役を送ると八雲紫から聞いてはいたけど、博麗の巫女よりも先に乗り込んで来るだなんて予想外だったもの」
「俺としちゃあ霊夢と一緒に来ても良かったんだが、どんな場所で遊ぶのか下見しておくのも悪くないだろう?」
「もてなすにも相応の準備と時間が必要だと言ってるのよ」
「準備、ねぇ。それで慌てて俺の様子を窺ってたって訳か?」
覗き見なんてあんまり褒められる趣味じゃねぇよな――と言うのと同時、レミリアと、彼女の背後に控える咲夜にわずかばかりの動揺の色が走るのを屍浪は見逃さなかった。
この程度で心境を悟らせるとは、彼女達もまだまだ詰めが甘い。
「気付いて、いたの?」
「陰陽術にしても西洋の魔術にしても、遠見の術なんて実は結構な数があるもんさ。裏を返せば、見破る方法だっていくらでもある。俺も伊達に年食っちゃいないんだよ、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃん……。私の正体を知りながらそう呼んだのは貴方が初めてよ」
吸血鬼の少女は小さく微笑んだ。
相手によっては不快に思われても仕方のない屍浪の態度だが、予想とは裏腹にレミリアから怒りや嫌悪は感じられない。どころか、子ども扱いされたのを懐かしんでいるかのような穏やかさで紅茶を口に含む様子からは、まるでこれが日常の最期だと言わんばかりの哀愁――未練さえ見て取れる。
先ほどまで恥ずかしさに縮こまっていたとは思えないほどの笑み。
やはり、この異変には何かがある。
この幼くてわがままなはずの少女が覚悟を決めるほどの、何かが。
「それで、博麗の巫女が来るまで貴方は何をしたいのかしら?」
「さて? 偉そうに下見っつっても、若い女の子達が暮らしてる館を隅々まで無遠慮に嗅ぎ回るつもりはないさ。そうだな、書庫みたいな部屋があるなら案内してくれると嬉しい」
「地下に友人が管理してる図書館があるけど、本でも読んで時間を潰す気?」
「これでも本好きなもんでね」
嘘ではない。レミリアに言った事は紛れもない屍浪の本音であり、その図書館とやらに目的の物が死蔵されている可能性も高いのだから。盗み見る事も可能だろうが、現当主の許可を得て閲覧出来るならそれこそ願ったり叶ったりだ。
「……まあいいわ。他の者に案内させるから紅茶でも飲んで待ってなさい」
レミリアは席を立ち、咲夜を従えて退室しようとする。
話はこれで終了――という事らしい。
黒色一対の羽が生えたその背中に、屍浪は言葉を投げ掛けた。
「一体何を企んでいる?」
「あら、企んでいるだなんて人聞きの悪い」
肩越しに、深紅の双眸を細めてレミリアは言う。
「私はただ、大事な家族とまた一緒に暮らしたいだけよ」
「…………」
大事な家族。
なるほど――それが動機か。
主の去った応接間で、屍浪は紅茶を一息に飲み干す。
すっかり冷めてしまった液体は微かに血の味がした。
◆ ◆ ◆
『ねえ、お姉様。何時になったら外に出られるの?』
異彩を放つ館の地下――陽の光が一切届かない暗闇に、声が生まれた。
ころころと鳴る鈴のような可憐さとは裏腹に、純粋なまでの狂気を孕んだ禍々しい響き。湿った石壁に染み入るそれは呪詛さながらに空間を蝕んでいく。
亡者の血の如く、屍人の熱の如く――姉の心すらも、いとも容易く呑み込んで。
「もう少し……お願いだからもう少しだけ待ってて。必ず出してあげるから」
白磁のような指が傷付く事も厭わず、姉は重厚な扉にガリガリと爪を立てて歪な赤い線を描く。冷たい鉄塊の向こう側――自らの手で四百九十五年もの間封じ込めていた妹に対して。イソップ、アンデルセン、グリム兄弟――童話の本が無数に積み上げられた廊下の最奥で、何度も何度も声を投げ掛けた。
それから、どれだけ時間が経っただろうか。
やがて姉は立ち上がると、振り返りもせずに声を放つ。
「……準備は?」
「滞りなく」
背後に並び立つ四つの人影の内、銀色の髪を持つ影が恭しく一礼と共に答えた。静観を保っていた他の影達もそれを皮切りに――ある者は諦観を含んだ表情で、ある者は小さく苦笑を浮かべて、ある者は不安を押し殺したまま、しかしはっきりと頷く。
その頼もしさが姉は何よりも嬉しかった。
始めてしまえばこの世界の全てを敵に回す事になる。
だが、もう後には引けない。
これは四百九十五年越しの――家族への贖罪なのだから。
「…………行ってくるわね――フラン」
『頑張ってレミリアお姉様……私のために、ね?』
レミリア・スカーレットはもう止まらない。
悪魔の如き羽を翻し、友と部下を引き連れて、妖精メイド達が両脇に控えた通路を闊歩する。スカーレット家の当主たるその歩みは淀みなく、躊躇いや迷いは最早消え失せた。
あるのは、満願成就のための覚悟のみ。
「悪いけど、使い捨てるわよ」
乱れのない動きで一斉に跪き、頭を垂れるメイド達。遠回しに『私のために死ね』と命令されたにも拘らず、数百人からなる少女の軍勢は揃って忠誠の意を示したのだ。
「「「「御存分に――お嬢様」」」」
この場において、レミリア・スカーレットは確かに誰もが認める支配者なのであった。