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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
四章 幻想郷放浪編
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第三十九話 奇縁。博麗霊夢との関係

 唐突ではあるが、屍浪はそんじょそこらの妖怪とは比べ物にならないほど長生きだ。

 純粋な身体能力こそ弱まってはいるものの、彼がこれまでの人生で得た膨大な経験は立派な武器として痩身長躯の身に宿り、積み重ねてきた年月と強さの“格”が比例する妖怪にとって――彼の年齢の三分の一も生きていない若造達にとって、十分に脅威となる恐ろしさが秘められているのだった。

 もっとも、その経験が活かされるのは戦闘ではなくもっぱら日常生活の中においてであり、炊事洗濯で役立つマメ知識だったり赤ん坊のおしめを手早く綺麗に交換する技術だったりと、発揮する方向性がかなり間違っているのだが。

 結局、何が言いたいのかというと、


『耳の裏とかもしっかり洗えよー』

『にょー』


 娘と入浴するお父さん的な姿がすっかり板についちゃっていると言いたい訳で。

 例の触手から受けた粘っこい分泌液を落とすために借りた八雲家の風呂。境界を弄って源泉を引いている浴場は一流の温泉宿と見紛うばかりの規模で、同じように汚れたチビイナバやネコミミ少女(橙と自己紹介された)と一緒に入っても余裕で足を伸ばせるほどに広い。

 年端もいかない獣耳少女二人との混浴。

 言葉にすると危険な香りが凄まじいものの、そこはそこ、不本意ながらも育児経験が並大抵の域を遥かに凌駕した屍浪なので平然と湯に浸かっている。絵面的には『トト○』における親子三人での入浴シーンが一番近いか。ちなみに八雲家はボロではないので潰れない。まっくろく○すけくらいは屋根裏にいるかもしれないが。

 ワッシャワッシャと綿毛のように泡立てて頭を洗うチビイナバ。

 ついいつもの癖で手伝おうとして、


『にょー!(訳:ひとりでできるもん!)』


 と拒否されてちょっと寂しい屍浪だったり。長年の習慣とは恐ろしい。


『にょっ(訳:見て見てー、ウニ!)』

『面白いけど風邪引くからさっさと洗いなさいってば』


 ツンツン頭に様変わりしたウニイナバ。

 何時の間にか意思疎通どころか会話がしっかりと成り立っているのは……まあ“この二人だから”の一言で片付けておくとして。

 ほのぼの系で身も心も洗われそうな入浴風景。しかしただ一人、橙だけはその幼い容姿に似つかわしくない憂いを帯びた表情で――はっきり言ってしまえば目に見えて落ち込みながら、さざ波が立つ湯面をじっと凝視していた。


『…………ハァ』


 先ほどから溜め息ばかりが聞こえてくる。

 髪と同じ毛色のネコミミも心なしかへんにゃりしているような。


『……そんなに気ぃ落とすなって。別にお前さんが悪いって訳じゃないんだから』

『でも藍しゃまのお手伝い、ちゃんと出来ませんでした……』


 今にも泣き出しそうな声でぽつりと零す。

 服をしまおうとしたらタンスの中にいきなり引きずり込まれた――なんて突拍子もない事態に遭遇すれば誰だって気が動転して当然だろうに、それよりも藍を手伝えなかった事に責任を感じているらしい。

 従者としても秘書としても家政婦としても無欠な金色九尾。

 その仕事振りをいつも間近で見ていたからなのか、どうやら橙は頼まれた『お手伝い』を失敗する事を極度に恐れているようだった。好奇心旺盛な子猫らしからぬ性格といえばその通りではあるけれど、常日頃から“これくらい出来て当たり前”な完璧主義を――藍に自覚があるかどうかは別として――発揮されたら確かに失敗に対して臆病になっても仕方がないだろう。


 ――藍は出来るのに自分は出来ない。


 軽いようで、意外に重く圧し掛かるコンプレックス。

 それを見抜いていたからこそ、屍浪は橙を風呂に誘ったのだ。

 もちろん、そのやり取りを聞いていた紫は可愛らしい嫉妬から難色を示し、藍に至っては呪い殺さんばかりの形相と勢いで猛反対されたが無視無視。

 屍浪とて普段なら風呂は一人でのんびり派――こんな面倒な状況でもなければ小脇に抱えて半ば強引に連行したりはしない。だがまあ、どちらにしても身体を洗わなければならないのは事実なのだし、ならばついでに橙の気を晴らしてやっても良いはずだ。永琳や邪魅にバレたらとんでもない事になりそうな気がしないでもないけれど……それについては後で遺書でも書いておこう。

 何にせよ、女の子がしょんぼりしている顔など見たくないのだ。


『……帰って来た時、九尾の――藍の奴はお前さんを叱ったか?』


 橙は静かに首を横に振る。


『「何処行ってたんだー!」って抱っこされました……』

『だろ? それは服の片付けよりもお前さんの方がずっとずっと大事で、いきなりいなくなってとても心配してたからだ』


 言うまでもない事。

 橙が無事に戻って来たと知った藍の喜びようは凄まじく、両腕どころか九本の尾を全部使って橙を抱き締めたらしい。実は駆け寄る際に黒焦げの屍浪と紫の頭を踏んづけたのだが、アフロな二人は仲良く気絶していたので記憶になく――まあ、これは知らぬが仏とでもいうべき蛇足なのだろう。


『別にさ、失敗するってのは悪い事ばかりじゃない』


 失敗した事がない者と、失敗の連続でも諦めない者。

 どちらがどう正しく有能なのか断言はしないけれど、少なくとも屍浪ならば後者を選び信用する。理屈云々よりも心意気の問題だ。

 折れない心は、それだけで価値がある。


『俺や紫や藍だってたくさん失敗してきたんだぞ?』

『そうなんですかっ!?』

『そうなんですよー』


 紫が創り上げた幻想郷も。

 藍がようやく手に入れた家族も。

 たった一つの“成功”は数え切れない失敗の上に成り立っている。

 本当に、ただの一度も失敗のない人生があるとしたら、それはとてもとても透明で味気なく、更地のように平淡で寂しいものに違いない。

 時には挫けそうになり、所詮は理想論に過ぎないと悲観し、その果てに絶望の底に落ちようとも――それでも諦めず我武者羅に進んできたからこそ勝ち得た日常。故に毎日が楽しく痛快で、一喜一憂に満ち満ちて幸せだと思えるのだ。


『失敗から学んで成長するのがお前さんのような子どもの仕事なら、それをしっかり支えて導いてやるのが大人の役目さね』


 橙の頭に手拭いを置いて、その上からグシグシと撫でる。

 乱雑に、しかし強張った心を解すように。

 心身共に幼く未熟だった紫を慰めた時のように。

 何時の日かそう遠くない未来に、立派に成長した橙が――同じような挫折を味わい悲嘆にくれるであろう“誰か”の支えとなる事を願いつつ、


『今くらいは甘えとけ。失敗しても俺らが何とかしてやっから』

『あ……ぅ……』


 先を生きる者として、不器用ながらも彼なりの愛情を示した。

 それが――やはり決定的だった。



 ◆ ◆ ◆



 と、ここまで説明すれば後の展開はおおよそ見当がつくはずだ。

 風呂場で珍しく年長者らしい事をしてみたのが昨日の夜。

 屍浪からすればちょっと慰めただけのつもりだったのだが、どうやらこの天然年下たらしは例によって例の如く、いつものパターンでつい“やってしまった”らしく。

 引き止めようとする紫に説き伏せられて八雲家に一晩泊まる事になり、さあ大人しく寝ちゃいましょうと早々に床に就いたまでは良かった。

 唯一にして最大の問題は――その直後に『一緒に寝てもいいれすか……?』とパジャマ姿の橙がマグロだかカツオだかの抱き枕持参で現れた事で、チビイナバも負けじとニンジン抱き枕を携えて参戦し、いよいよヤキモチ全開になった紫や血の涙を流す藍まで不気味な曲を背負って御登場。

 最終的には妥協案として川の字ならぬ『州』の字に並んで眠り、そして明け方には顔面にへばりついてヨダレを垂らすチビイナバで危うく窒息死寸前に。

 挙句、無事を知らせるために一旦戻った永遠亭では、般若も裸足で逃げ出す笑顔を浮かべる永琳に、朝帰りどころか新たな女の子同伴で昼帰りとなった理由を嘘偽りなく一から十まで事細かに説明しなければならず。

 置いてかないでと駄々をこねて首を締め上げるチビイナバにまた殺されかけて。

 極めつけ、と言わんばかりに。

 次の目的地へと向かう道中で愛娘に説教を受ける羽目になっているのだった。


「前々から思ってた事だけど! おじさんは誰にでも優しくし過ぎ!」

「……優しくして怒られるとか、初めての経験だよ」

「怒りたくもなります! どうして橙がおじさんにべったりなの!?」

「何ででしょうねェ……」


 そう言う紫こそ屍浪に密着しながら、肩車された橙に棘のある視線を注ぐ。

 藍の式神という事は、必然的に紫は橙の主人の主人となる。しかしそんな大ご主人様の恨みがましい眼差しも何処吹く風で、橙はネコミミと二又の尻尾をご機嫌に揺らしつつ、屍浪の頭を抱きかかえるようにして肩車を存分に満喫中なのであった。


「小さい頃は、お前さんや幽香や邪魅にだって、してやったろーって」

「それはそうだけど、でもそういう事じゃないのー!」


 相も変わらず、紫の言動は子どもっぽくて要領を得ない。

 巷では胡散臭くて怪し過ぎると有名らしいが、こっちはこっちで的を射てなくて意味が分からん。よくこれで幻想郷に否定的だった連中を説得出来たものだと、自分の非は棚上げして屍浪は明後日の方向に目を逸らす。

 紫がどうしてここまでご立腹なのか。

 生まれたばかりの妹に親を取られた子どもの気分なんだろうなぁ、と本当の理由を分かっていながら的外れな考えで現実逃避を決め込むあたりにこの男の罪深さが窺える。


 ――お風呂でおじさんと何してたのよこの泥棒猫!


 紫の心境を敢えて言葉にするとしたらこんな感じだろう。

 明らかにお昼なドラマの影響が色濃く出ているが、勉強のために視聴させているのだと平気な顔でほざくあの女狐の方こそ一体何を考えていやがるのやら。しかも屍浪の場合、出演する女優陣が何時でも実力行使に移行可能な方々ばかりなので想像しただけでも恐ろしい。以前にも似たような事があったのだ――そんな修羅場に再び陥るなどまっぴら御免被りたい。

 ちなみに。

 あの女狐こと八雲藍は八雲家で石化しているためこの場にはいない。

 細かい説明は省くが、苦笑する屍浪の膝の上に乗って朝食を食べさせてもらっている橙の姿は、親馬鹿の究極系にある藍にとってこの世の終わりに等しい衝撃的な画だったとだけ言っておこう。


「橙もいい加減に降りなさい!」

「やーですー!」

「やーじゃないの! おじさんが重くて迷惑してるでしょ!?」

「…………お、重いですか?」


 おずおずと、頭上から上下逆さまに覗き込んでくる橙。やはりこの辺は年頃の女の子らしく、紫の『重い』発言にショックを受けたような表情で涙腺が今にも崩壊寸前だ。

 息も絶え絶えながら、屍浪は緩やかに否定する。


「いや、どっちかってーと紫の方が、辛いね」

「酷い! おじさんそれは酷い!」


 因果応報――とでも言おうか。

 想い人の首根っこに腕を回してしがみついた体勢のまま、倍どころか十倍くらいになってはね返ってきた悲惨な事実に紫は愕然とし青褪める。

 小さな子どもを肩車するのと少女とはいえ右腕一本で抱っこするのとでは、後者の方が掛かる負担が大きくて当たり前。

 そういう意味合いのつもりで屍浪は述べたのだけれど、話の流れ的には体重が少しばかりアレですねと言われているようにしか聞こえず――というかそれ以外の何物でもなく、最近ちょっとふくよかになった脇腹をつまんで紫はより一層青白くなった。


「け、今朝はごはん四杯しかおかわりしなかったのよ!?」

「それ以前の問題だろうが。こちとら二人も乗っけて、人里からずっと歩き通しだってのに。道なんかロクに整備されてねぇし、この石段だって上りにくいったらありゃしない」


 一段上るたびに、熱い息に混じって言葉が吐き出される。

 幻想郷唯一の安全地帯と言われる人間の里からここまで、互いを隔離するように連なる小さな山々をいくつも越えてきたのだ。いくら理不尽と非常識が手を取り合って輪になって踊ってそうな屍浪でも、病み上がりの身にはいささか辛いものがある。

 歩きにくいなら飛ぶなり瞬間移動なりすれば良いではないか、と幻想郷の住人達――博麗神社に入り浸る面々ならば安易に考えるだろうが、何度も言うように屍浪は飛行が壊滅的に苦手であり、やけに不機嫌な紫がスキマを開いてくれない以上、もはや道とも呼べない道を馬鹿正直に進むしかない。

 石段――博麗神社へと続く、荒れ放題の獣道。

 同じような道筋でも、かつて訪れた聖白蓮の寺とは見映えが雲泥の差だ。

 生い茂り乱立する木々によって視界は暗く覆い隠され、あちこちから妖怪の気配が漂ってくる。その所為で参拝客は寄りつかず、人通りがないから道も整備されずに荒れ果てていく。

 凄まじい悪循環である。

 休憩だ休憩、と屍浪はついに足を止めてへこたれた。


「……っつーかさ、神社って普通は賽銭とか氏子からの寄付で成り立ってるもんじゃねーのか? この様子じゃ金に縁のある生活とかしてないだろ絶対」

「博麗の巫女は妖怪退治も生業にしてるから、一応それなりの報酬は貰ってるのよ。それに私だってあの子に死なれちゃ困るから食料品とか届けてるし」

「その辺の木っ端妖怪をどうにかする前にこの道どうにかしろよ……」


 階段を椅子に見立てて一息つき、心の底からそう願う。


「でも綺麗ですねー」

「そいつぁまあ、認めるがね」


 頭上の橙が言うように、ここからの眺めは正に絶景だ。

 四百を超えた辺りで数えるのを止めた石段はその段数に比例した高さがあり、頂上というか神社までまだ幾分か距離はあるものの、幻想郷を果てまで一望出来る景色はへばりかけていた屍浪の心身を癒すには十分な風情と趣きがあった。

 想像していた以上に幻想郷は多彩で面白みがある。

 開けた平地には先ほどまでいた人里があるし、天魔が統治するという妖怪の山に麓の霧深い湖、永琳達が隠れ住む迷いの竹林や、緑が一際濃い魔法の森とやらも見える。地底世界にも鬼や妖怪達が暮らしていて独自のコミュニティを築いており、天界に魔界に冥界も存在するらしい。


「これが……お前の『夢』か?」

「うん。人間と妖怪とが共存する――私が思い描いた理想の世界」


 数百年もかかっちゃったけどね、と紫は言う。

 言葉では表せないほどの、並大抵の苦労でなかった事を屍浪は知っている。

 だから、


「大変良く頑張りました」


 帽子の上から紫の頭をくしゃくしゃと撫でてやり、それを受けて紫は照れ臭そうに、外見相応のうら若い少女のように、可憐にはにかんだ。


「さーて。休憩もしたし、もうひと踏ん張りといきますかね……と?」


 言って。

 億劫そうに腰を上げ、尻の砂埃を払ったところで、ふと、気付く。

 座り込んでいた屍浪達よりも十段ほど高い位置――勾配が急だったために今の今まで視界に捉える事が出来なかった――その中空、何処までも澄み渡る青空を背景に、見知らぬ少女が訝しげな表情でふわふわと浮いていたのだ。

 そう、浮いていた。

 仁王立ちで待ち構えるでも座って呆けるでもなく。

 さながら、蝶のように。

 一目で巫女のそれと分かる、しかし肩と腋が大きく露出した紅白の装束。風にたなびく艶のある黒髪を大きなリボンが彩り、気の強そうな両の瞳に呆れを湛えて眼下を――未だに橙を肩車したままの屍浪と、その傍らでスキマを椅子代わりに浮遊する紫を見下ろしていた。


「妙に胡散臭い気配がすると思って来てみたら……」


 手にした大幣で肩を軽く叩いた後、盛大に溜め息でも吐きそうな――やる気のなさそうな調子で、半分ほどに細めた眼差しと共に、


「こんなトコで何やってんのよ、紫」


 彼女――博麗霊夢はそう言った。



 ◆ ◆ ◆



「はいどうぞ、粗茶だけど」

「こいつぁご丁寧に……」


 博麗の巫女について、紫から聞き及んだ事以外に屍浪が有する知識はない。

 自慢げに話す紫曰く、幻想郷に必要不可欠な役割であり、妖怪に抗う術を持たない人間達にとっての希望なのだとか何とか――まあその辺りは無益な殺生などせず食人嗜好もない屍浪からすれば割とどうでもいい話だが、それ以外にもう一つ、初代博麗の巫女の頃より連綿と受け継がれる伝統があるらしく、新参者の屍浪の興味はもっぱらそちらの方に向けられていた。


「あの……霊夢? これは、何?」

「水」

「うん、それは見れば分かるんだけど……」


 霊夢の案内で母屋に通された屍浪達一行。

 卓上に置かれたのは三つの湯呑み。

 一つは霊夢の前に、残りの二つは屍浪と紫の前に。

 紫が引きつった笑顔で質問したように、屍浪の湯呑みから上等な緑茶の香りが漂うのに反し、紫に差し出された湯呑みに入っているのは井戸から汲んできたと思しき地下水。

 博麗神社の天然水とでも銘打てば聞こえは悪くないかも知れないが、そもそも何を祀っているのかも定かではないので、これでは霊験あらたかどころか単なる嫌がらせである。

 分かってやっているのか無自覚なのか、霊夢は平然と、


「だって……屍浪さんはお賽銭にお土産までくれたのに、アンタは何もくれなかったじゃないの。水出してやっただけでも有り難く思え」


 ――賽銭入れなきゃ客じゃねーのよ。


 と、流石に口には出さないが清々しいまでの差別である。

 顔合わせするにあたって『博麗霊夢はお天気屋』なる情報を得た屍浪は、ひとまず人里に寄って土産を買う事にした。愛想の良い菓子屋の店主に『博麗んトコの巫女が喜びそうなものを頼む』と金に糸目を付けない注文をし、少々値の張る饅頭と羊羹を購入。何やかんやで拝殿に到着後、期待に満ちた眼差しの清貧巫女の前で賽銭をぶち込み二拍――は無理なので一礼のみ済ませて。

 結果として屍浪のご機嫌取りは見事に成功し、霊夢に太陽のような笑みを向けられながら優遇されるという状況が出来上がったのだった。


「――で? 優しい屍浪さんとケチな紫は今日は何の用で来たの?」

「特に用事らしい用事じゃないさ。こう見えて俺は幻想郷じゃ新参者でね、まあ、散策も兼ねて名のある連中に顔見せしてるってトコだ」

「ふーん?」


 聞いておいて興味のなさそうな生返事。

 饅頭を頬張った霊夢は一瞬だけ止まった後、改めてじっくりと味わうように口を動かし始める。どうやらあの店主の見立ては確かであったらしい。伊達に幻想郷で商売していないという事か。

 霊夢が食べ始めたのを皮切りに、紫や橙も饅頭を口に運ぶ。

 ムグムグモムモムとリスの如く頬を動かす三人を眺めながら、屍浪は自分と紫の湯呑みを交換し、猫舌だからと緑茶を遠慮した橙に水入り湯呑みを渡した。

 さも当然のように、ごく自然に。

 さりげなく家族を気遣う様子に、霊夢は口の中の物を飲み込んで、


「ホントに親子みたいに見えるわね」


 過敏に反応したのは当然というか何というか、紫だった。


「……霊夢、今のもう一度言ってくれるかしら」

「え? だから、親子みたいねって――」

「――ちょっと聞いたおじさん!? 何処からどう見ても私達お似合いの夫婦だって! 橙が子どもで私がお母さんでおじさんがお父さんに見えるって! でもでもだったら霊夢も私の娘みたいなものだし……おじさんとの愛の結晶が一度に二人も!? やぁねぇもう霊夢ったらー!」

「おっと……」


 照れながらも鼻血を出しそうな勢いで屍浪の肩を揺さ振る紫だが、その所為で今まさに切り分けて食べようとしていた羊羹がぼとりっ、と畳に落ちてしまう。おまけに肩車中の橙が持っていた湯呑みの中身も零れて、かろうじて無事だった饅頭さえも水浸しに。

 どちらも、屍浪はまだ一口も食べてない。


「…………」

「…………」


 針のムシロのような沈黙。 

 無用の長物と化した竹串を静かに卓に置き、屍浪はゆっくりと、無表情のまま愛娘を見て――冷や汗を浮かべて硬直する彼女に幻覚を混ぜ込んだデコピンを叩き込む。声もなくゴロゴロ転がって悶える姿には、妖怪の賢者としての威厳やカリスマなんぞ微塵も感じられなかった。

 イモムシみたいになって橙に突っつかれてる紫はさておき、


「……紫って屍浪さんの前だといつもこうなの?」

「子どもっぽくなるって意味じゃあ、まあ大抵こんな感じだな。見慣れないか?」

「少しね。私、両親の顔も知らないから普通の親子ってのがよく分からないし」


 あっけらかんと事もなげに。

 聞かされた屍浪の方が気まずさで口を噤むような重い身の上話。


「紫から何も聞いてないの?」

「いや……全然」

「あっそ。ま、言うほどの事でもないものね。それに人里の連中の話じゃ先代も先々代の巫女も同じらしいし、みなし子だろうと何だろうと、最初からいなきゃ別にどうとも思わないわよ」

「…………強いんだなぁお前さんは」

「博麗の巫女だからねー」


 強くなきゃやってらんないわよ、と。

 虚勢でも強がりでもなく、あるがままの現実を受け入れて。

 博麗霊夢は茶を啜るのだった。



 ◆ ◆ ◆



 幻想郷の指針はあくまでヒトとアヤカシの共存であり、一方的な支配ではない。

 重視されるのは双方のパワーバランス――それぞれが分相応の領分に留まる事。

 人間を殺し過ぎた妖怪は粛清され、銃火器の類や電化製品といった近代的な技術を広めようとする外来人も、人間側の力を過度に増大させる恐れがあるとして抹消される。

 言い方は悪くなるが、要は食物連鎖によって構築される生態系の維持である。

 ゆえに、人間の中で妖怪退治を“許されている”と厳密に言えるのは、博麗の名とお役目を宿命付けられた者――すなわち当代の霊夢ただ一人。

 だからこそバランスが極端に狂う事もなく、幻想郷における異種族の共存は――薄氷のような危うさを持ちながらも成り立っているのだ。

 霊夢自身、己の境遇について特に不幸だと思った事はない。

 とりあえず殴るか蹴るかしてぶっ飛ばせば解決する妖怪退治は性に合っているし、依頼がないならないで、縁側で煎餅を齧りながらぼーっと過ごす楽しさも知っている。

 神社での一人暮らしについても、紫や藍が頻繁に様子を見に来る――だらけきった普段の生活やぞんざいな家事に関しての小言が大半だが、それらを含めて寂しさを紛らわせようとする彼女達なりの優しさなのだろう。


「れ、霊夢! 早くコレ消しなさーい!」

「あー無理無理。一度出したら三日くらいは絶対に消えないから」

「何よそれ!?」


 悲鳴を上げながら境内をぐるぐる走り回る紫。

 縁側に座ってそれを眺める霊夢達。


「しっかし面白い紙兵術だな」

「しへーじゅつ、って何ですかー?」

「紙を動物とかに変えて操る術だよ。もっとも、霊夢のお嬢ちゃんの場合はちょっとばかしクセが強いようだけどな」

「……私がやるとどうしてもアレになっちゃうのよ」


 アレ。

 紙兵術とは主に遠方にいる相手への伝達手段として使われる。必然的に鳥や足の速い動物に変化させる訳だがしかし、霊夢が戯れに呼び出した十数体の紙兵は、伝達用として役に立つとはお世辞にも言えない姿形をしていた。

 藍が使えば実に多種多様の生物に変わるというのに。


「どうして私ばっかり追いかけて来るのー!?」


 翼を広げる紙兵の群れ。

 無機質な瞳と弧を描いたクチバシは鋭く、正に猛禽と呼ぶに相応しい。強靭な二本の足でしっかりと大地を蹴り、真っ赤な冠を揺らしながら獲物を――というか紫を猛追する。

 そう――それは脊索動物門脊椎動物亜門鳥網キジ目キジ科ヤケイ属セキショクヤケイ。

 とどのつまりが、


『コケーッ!!』


 ニワトリであった。


「……水炊き食べたいなぁとか考えながら召喚したのが不味かったのかしら」

「どうだかねぇ」


 飛べねぇじゃん、という屍浪のツッコミは当然として。

 赤と白のカラーリングはまあ、自分とお揃いだと納得は出来る。

 それよりも、屍浪の膝でウズウズと身体を忙しなく動かす橙の方が気になった。今にも飛び出して行きそうな――けれど我慢しているような、爛々と輝くネコ科特有の瞳。


「……遊びたいなら混ざってくれば?」

「いいんですか?」


 橙の上目遣いの問い掛けに、屍浪は軽く頷く。


「良いんじゃないですかねぇ。紫も楽しそうだし」

「わーい♪」

「私はちっとも楽しくなんかないわよー!?」


 追いかけて、追いかけられて。

 実に平和な光景だ。

 霊夢の知る紫はいつも胡散臭くて空虚な笑みを浮かべるばかりで、今日みたいに騒々しくはしゃいだり泣き喚いたり、素の性格を露わにする事など一度もなかった。

 考えられるとすれば――


(屍浪さんがいるから……?)


 屍浪が父親で、紫がその娘で、藍や橙は……何だろう。

 これが――自分には与えられなかった『家族』というものなのか。

 モヤモヤしてきた己の思考を打ち切って、ほうっ、と小さく吐息。物思いに耽るのを止めて霊夢は立ち上がる。

 何故かは分からないが、この場にいるのが辛くて苦しくなったから。


「……甘い物ばっかりってのも飽きてきちゃうし、お煎餅でも探して持ってくるわ。ついでに屍浪さんの分の新しいお茶も」

「手伝おうかい?」

「お賽銭を入れてくれる客にそんな事頼めないわよ」


 屍浪を縁側に残し、居間の襖を閉じようとして、


「……ああそうだ。さっきの紫の台詞じゃねぇが――」


 ぼさぼさの白髪頭がこちらを振り返り。

 境内の騒がしい声を背景に、紫達に――家族に向けるのと同じ笑顔で。


「お前さんが紫の娘みたいなもんなら、俺にとっちゃ孫って事になるんかねぇ」

「………………」


 いきなり何を、とは思わなかった。

 おそらくは、自分の心情など全て見透かされている。

 しかし不思議と不快ではなく、ただ、その一言で、先ほどまでのモヤモヤが何処かに吹き飛んでしまったのは自覚出来た。


「茶はなるべく熱めで頼むよ」

「……分かったわよ、屍浪――お祖父ちゃん」


 他人との繋がりなんて自分には必要ないと考えていたけれど。

 こんな関係もたまには悪くないと――突然の爆発音。





「やーっはっは! 霧雨魔理沙、ただ今参上だっぜ!!」





 ……少しくらいは空気を読め、バカ。

やんばるさんのマイクラが更新されず、禁断症状に悩まされる今日この頃。

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