第三十七話 鈍刀。リハビリ×油断=拉致
※先駆けバレンタイン小話 ヤンデレ風
少し早いですが皆様にチョコのプレゼント。
萃香 「私が材料とみんなの欲望を萃めたの」
勇儀 「私が素肌で温めて溶かしたの」
幽香 「私が掻き混ぜて髪の毛を入れたの」
永琳 「私が隠し味に一服盛ったの」
紫 「私が型に流し込んで理性と本能の境界を壊したの」
ぬえ 「私が飾り付けして正体不明にしたの」
邪魅 「儂が仕上げに樹液を振りかけたの」
一同 「「「「「「「さあ…………食べて?」」」」」」」
鈴仙は何時になく真剣だった。
人差し指と親指だけをピンと立てた――拳銃の形を模した右手を真っ直ぐに伸ばし、軸がブレないように手首を左手で固定する。軽く息を吐いて『銃身』の震えを抑制し、心を努めて平静に――日常の延長線に過ぎないのだと思い込む。
私の日常かぁ……と改めて考えてみると、師匠に新薬の実験台にされたりとか同居人の悪戯に引っ掛かったりとか姫様に弾幕ごっこで憂さ晴らしされたりとか、痛痒い系の余計なシーンまで浮かび上がってくるけれどそれは極力無視の方向で。
「…………む~」
電波を飛ばすみたいにウンウン唸る。
武器の形状に反して、イメージするのは弦を引き絞った弓。
連射の場合はやはり銃弾を四方八方にばら撒く様を想像するがしかし、確実に先手が取れる――取らせてもらえるこの状況では、限界まで力を溜めて撃ち放つ弓の方が威力も速度も上がる気がして都合が良いのだ。あくまで『気がする』程度の気休めだが、何も考えずに妖力をぶっ放すよりは前向きだろう。
当然というか何というか、弓は銃器に比べて連射性能が落ちるはずなのだけど、鈴仙の師匠はそんな常識を嘲笑うかのように――本当に笑みを浮かべながら一息で二十射くらいかましてくるから恐ろしい。しかも、それでもまだまだまだまだ手加減しているというのだから、避け慣れた彼に自分が一発も当てられないのも納得出来てしまう。
一度だけ怒りの全力を味わったという彼曰く、
『……鈴仙のお嬢ちゃん。世の中には知らずにいたり、思い出さない方が幸せな事だってあるんだよ。雨の代わりに矢が降ってくる大嵐なんざ体験したくないだろ?』
浮気とかじゃなかったのになぁアレ……と、遠い目をして語る彼の背中が煤けて哀愁を漂わせていたのをよく憶えている。まぁウン、同じ女としてやっぱり浮気はいけないしされたら許せないとは思う。自分なら蜂の巣にするかヘッドショットだ。幸か不幸か、それを行うに相応しい相手に出会った事はないが。
閑話休題。
話がズレたが、イメージは欠かせないと言いたい訳で。
何やかんやとトラウマにも負けず努力した結果、鈴仙は束の間ではあったが彼女自身も驚くほどの集中力を発揮する事に成功していた。
これならば、
「イケる……かも?」
断言しないで疑問系なあたりが臆病な鈴仙らしい。
見据える先――標的との距離は目測でおおよそ三十メートル強。狙撃と呼ぶにはあまりに近く、不意を打つにはあまりに遠い位置関係。
だが、それで構わない。
何かの間違いで奇跡が起きて当たったらそれで良し。外れたら外れたで、最終的に誰かの攻撃が当たりさえすれば良いのだから。
「てゐ、準備は?」
「問題なーし。全員何時でもイケるよん」
声はすれども姿は見えず。
自分と同じく笹葉に紛れて機を窺っているはずだが、悪戯好きの同居人は気配すら掴ませない。此処は元々彼女の縄張りだし、野生の獣から変化した妖怪は総じて環境に溶け込む術に長けている。その上トラップマスターという悪癖も相まってか、ひっそりこっそりワルさするのが病的に大得意だったりするのだ。
「ヒィーヒッヒッヒッヒッ、今日こそあの脳天に一発ブチかましてやる~」
「……ほんとに怪我させたら師匠や邪魅さんが黙ってないから限度は守ろうね」
きっと言っても無駄なんだろうなぁと思いつつ、悪人もびっくりな顔になっているであろう相方に忠告しておく。
てゐの得物は使い慣れた杵だが、餅つき用の道具でも立派な鈍器に変わりはない。ああゴメンついウッカリ……が発生して入院期間が伸びたりなんかしちゃった場合――あの人なら苦笑しながら許してくれるのだろうが、退院後のアレやコレやを遠足前夜の小学生のように待ち望んでいる女衆からどんな酷い目に遭わされる事か。
それに、あくまでこれはリハビリ目的のゲーム。当てる事こそこちらの課題とは言え、その過程で新しい傷をこさえるなど薬師見習いとして論外だ。
「そんな気張らなくてもいーんじゃない? 遠慮なくって言ったのは屍浪の方なんだし」
「それは……そうなんだけど、でもなぁ……」
何にせよ、うだうだと躊躇っていても仕方がない。
仕掛けるタイミングはこちらに一任されているが、だからと言って、このままぼーっと時が過ぎるのを待っているだけでは本末転倒もいいところだ。ただでさえイナバ達には気まぐれ者が多いのに、自分が悩んだ所為で集中力が切れてお昼寝タイムなんかに突入されたらこの鍛錬そのものが破綻する。
それだけは避けなければ。
「ハァ……ま、いっか。実験台にされるのもボロボロにされるのも慣れてるし」
「また聞いてて悲しくなるくらい後ろ向きな覚悟だにぇ?」
原因の三分の一くらいを占める加害者のくせにどの口でほざくか。
ともあれ。
「……いくよ!」
言葉と同時に、妖力の弾丸は放たれた。
竹と竹の間を真っ直ぐに飛び抜けていくそれは、音速に達していないが故に限りなく無音に近く、本物の銃火器でないが故に炸薬特有の匂いもない。
サナトリウムで療養する患者さながらの物静かな雰囲気を纏わせながら、太刀を杖代わりにして茫洋と佇む隻腕の男。
弾丸は、その後頭部に吸い込まれるように伸びていき――
「――っ!?」
避けられた。
害意も敵意も殺意もなく、風切り音すら立てない感知不可能なはずの魔弾をいとも容易く、バネ仕掛けじみた動きで身体を沈めて回避された。
四つ這いに近い体勢で、ギラリと光る眼が脇の下からこちらを見る。
「てゐっ!」
「分かってるよ!!」
鈴仙の銃弾は、先制の一撃と同時に開戦の合図でもあった。
てゐの吹き鳴らした指笛が竹林に木霊する。ピヨ~ッという気の抜けそうな音色とは裏腹に、繰り出される攻撃は中々にえげつない。
頭上から、四方から、果ては地中から。
手に手に杵を携えた妖怪ウサギ達が文字通りに湧いて出る。
その数なんと五十余り。
「永遠亭イナバーズアタック第二弾――『質よりやっぱ量よね作戦』!」
結局は物量でのゴリ押し。
戦闘訓練というよりもゲームの意味合いが濃い事を本能的に理解しているのか、揃いも揃って楽しそうな表情なのでかなり不気味な光景だったり。
ウサミミを生やした女の子達が満面の笑みで鈍器を振り下ろしてくるとか、冷静に考えれば軽く悪夢な状況だなぁと鈴仙は今更ながらに思う。
とは言え、彼女らを迎え撃つのは妖怪の賢者やフラワーマスターや怪力乱神や小さな百鬼夜行を相手取って掠らせもしなかった規格外の狂骨。この程度の人海戦術くらい捌き切れなければ彼の名が廃るというものだ。
援護射撃する鈴仙の眼前、披露される回避技能は正に神業と呼ぶに相応しい。
地面を弾くように右腕を伸ばして後方に飛び退き、頭上からの襲撃を躱す。必然的に背後から攻め寄るウサギっ娘の一団と距離を詰める事になるが、唸り来る杵の柄を足裏で受け流し、その勢いを殺さずに空中で横回転。地に突き立てた太刀を支柱にしてその場で倒立すれば、寸前まで彼の頭があった場所を重い一撃が通り抜けていく。
下手をすれば頭部粉砕コース一直線の攻撃を見て鈴仙は青褪める。
「ちょっ、ちょっとてゐ、あれはいくら何でもマズくない?」
「だいじょぶだいじょぶ、まだ足りないくらいだってば! いくぞコンニャロー!」
他のモブイナバに混じってぬおーっと吶喊していくてゐ。何やら私怨が含まれている気がしないでもない。とにもかくにも、鈴仙としては全然まったくだいじょばない状況だ。
はっきり言って明らかにやり過ぎなのである。
加えて、
「屍浪さん、どうして目つぶってるんだろ……」
時には手刀で受け止め、時には足でいなし、時には鞘で逸らす。
確かに聞き及んだ以上に卓越した技術だし感覚の一つを封じて動けるのは素直に凄いと思うけれど、ああも頑なに――眉間にシワが寄るくらいキツく視覚を閉ざす意味が果たしてあるのだろうか。何というか余裕の表れとはちょっと違うみたいだし、少しばかり焦っているような……って、
「…………え? あぁっ!?」
その原因はすぐに分かった。分かってしまった。
道理で屍浪さんが必死になって目を閉じるはずだよー!? と真っ赤になって鈴仙は走り出す。自分も攻撃に参加するためではなく、ワンピースの裾がめくれる事などお構いなしに飛んだり跳ねたりしている仲間達を止めるために。
「てゐー! ストップストップ! それは流石にシャレにならないってば!」
「いやいや鈴仙、これだって立派な戦略だよ!」
「戦略とか今はどうでもいいからみんなパンツ穿いてー!?」
そう。
驚くべき事に、イナバ達はお揃いの桃色ワンピースの下に何も穿いてなかった。
てゐだけはドロワーズを着用しているようだが、それ以外のウサギ娘らは皆一様に可愛いお尻がコンニチハしていたり『前』が見えそうで見えなかったりとかなり際どい状態にあるのだ。元が野生の獣だった所為か、彼女達の羞恥心もあってないようなものだから余計に無防備で超デンジャラス。
別の意味でドキドキハラハラ――もはやセクハラだ。
「見ちゃダメですよ屍浪さん、見ちゃダメですからね!?」
「……分かってるから早く何とかしてくんねぇかな」
「ああもうコラ、そんなはしたないカッコで外に出ちゃダメだってば! 裾バサバサしないで! だからって何でみんなして私のスカートの中覗こうとするの!?」
「ほほう、今日の鈴仙は人参柄ですかぁ。定番だね♪」
「ひいぃ!?」
男の人の前でなんて事を!?
スカートを押さえながら涙目で屍浪を窺い見れば、彼は明後日の方向に視線を逸らしてこちらと目を合わせないようにしていた。その優しさというか気遣いが有り難い反面、聞かれてしまった恥ずかしさで顔から火が出そうになる。もしかしたら湯気くらいは本当に出てるかも。
他の誰かにならともかく、屍浪にだけは子どもっぽいと思われたくない――と、そんな鈴仙自身にも正体が掴み切れない衝動に駆られてしまう。
「い、いつもはもっと、師匠みたいに黒いのとかヒラヒラしたのとかもっと大人なのを穿いてるんですよ!? 今日はあのその、全部洗濯しちゃってて仕方なく……!」
「とりあえず落ち着け。今とんでもない事口走ってるから。そして俺は想像しちゃって申し訳ない気分になってるから」
「はうっ!?」
◆ ◆ ◆
能力を使って作り出した椅子に腰掛けて、邪魅は優雅に本を読んでいた。
萌葱色の長襦袢から伸びた足を大胆に組んで真剣な眼差しを注ぐその姿は、世が世なら傾城傾国――玉藻前、華陽夫人、妲己にも引けを取らない異様な美しさがある。
もっとも、この三名は実は同一人物(しかも何気に腹黒い友人)で、いずれも歴史に名を刻まれるほどの稀代の悪女。つまりは同じくらい邪気を帯びた美貌だという事に他ならないのだが。
それでも何処かの骨男などは『しょーもない悪戯を思いついた子どもみたいな顔。まあ嫌いじゃあないけどな』と本人の聞いていない所で彼なりの誉め言葉を漏らしてたりするので、獲物を誑かし魅了する女妖怪としては正しく真っ当ではあるのだろう。
と。
笹の葉を踏む音を聞いて、邪魅は緩やかに顔を上げた。飼い主が帰宅した時の子犬のような嬉しさが滲み出ているのは――彼女の名誉のためにも気の所為という事にしておく。
「おー屍浪、もう終わったのか?」
「終わったっつーか終わらせるしかなかったっつーか。ってか、お前も『見て』たんならどうなったか知ってるだろ?」
「……ああ、見させてもらったぞ。そりゃあもうしっかりとな」
声が一気に不機嫌になった。
凶器にも使われそうな分厚い装丁の本が、まるでメモ紙のようにグシャリと握り潰される。ちなみにそれは暇潰しにと貸した一冊で、さらに言うなら永琳からの借り物なのだけれど、やっぱり俺が謝らなきゃならんのでしょうね分かります、と屍浪は辟易。
「眼福だったか? 正直に言うてみ、んん? 怒ったりせんから」
「……なら、ひとまず後ろに出てるその馬鹿デカい腕をしまってくれ。今の俺じゃソレに殴られたら間違いなく死ぬぞ?」
俺だって礼儀くらい弁えてるさ、と言って肩を竦める屍浪。
へー、ほー、ふぅーん? と思いっ切り疑っている邪魅の半目が痛い。
てゐ達の奇行に気付いていながら止めなかったのも否定しようのない事実だが、ぶっちゃけてしまえば穿いていようがいまいが関係ない。その程度で本当に動揺するほど青臭い若造ではないつもりだし、あの人数を相手に視覚を塞いだ状態でどれだけ動けるのか興味があっただけだ。
断じて、やましい気持ちがあった訳ではない。ないったらない。
「――にしてもアレだな、流石に一月以上も寝たきりだと勘がかなり衰えてやがった。おまけにこの身体、望んでなったとはいえ重いし鈍過ぎる」
「その証拠が頭の“それ”か。また随分と懐かれておるようじゃのう?」
「言うなよ。何時の間にか背中に張り付いてたんだ」
屍浪の頭には、てゐよりもさらに一回り幼いウサミミ娘がしがみついていた。
最近妖怪化したばかりの新入りウサギらしく、両手足でしっかりと抱き締める様が邪魅の嫉妬心をこれでもかと掻き立てる。
「にょー♪」
「おー、鳴いたぞ邪魅」
「いや鳴き声なのか今のは?」
その真偽は至極どうでも良いとして、優越感にも似た蕩けそうな表情なのがまた腹立たしい。もちろん、愛する男が幼女の抱擁を平然と受け入れているのも大きな原因の一つと言えるのだが。
青筋を浮かべる邪魅の前で、屍浪は静かに右腕を伸ばす。
「しっかしまあ、お前のおかげでまだ生きていられるとはいえ、これにも耐えられないようじゃまだまだ全快には程遠いな……」
シュウシュウと音を立てて指先から白骨化していくが、その変化は二の腕の半ばに達した辺りで止まってしまう。代わりに襲ってくるのは、血管に煮え滾った湯を流し込まれたような激痛だ。
右腕に走る針にも似た高熱は何時まで経っても慣れるものではない。
「ぐっ……っつぅ――」
「今はそこまでが限界か……」
妖力の相性が抜群だとしても――拒絶反応を最低限に抑制出来るとしても、副作用は少なからずある。逆に言えば、唯一適応する邪魅だからこそこの程度で済んでいるのだ。
永琳が事前に説明したように、仮に紫や幽香の妖力だったなら、指先を変化させただけで何倍もの痛みが生まれて耐え切る事は不可能だったろう。
そもそもが強引に再妖怪化させる荒療治。大なり小なりのリスクを背負うのは屍浪も邪魅も、提案した永琳も覚悟の上だった。
ハァ――と、屍浪は空を仰いで息を吐く。
垂れ下がった右腕は急速に人間らしい肌を取り戻し、同時に痛みもピタリと治まる。こればかりは屍浪自身が乗り越えるしかなく、妖力を分け与える以外に手伝える事がない邪魅は歯痒そうに彼を見ていた。
「…………そんな顔するなって。今はまだ無茶はしないさ」
苦笑を浮かべながら屍浪は言う。
右腕だけ狂骨化した場合から鑑みて、全身を変質させた場合の反動は想像に難くない。だが、ゆっくりとではあるが確実に範囲は広がってきている。牛の歩みさながらのペースでも、目に見えるだけの進展があるのだからリハビリは順調と言えるだろう。
コリをほぐすように右肩を回し、ついでに調子に乗って大きく仰け反ったら破滅の音が腰から聞こえてきてゴロゴロ悶絶。面白がったウサギ幼女も真似して隣でゴロゴロゴロ。
しばらくしてから弱々しく立ち上がり、
「お……お前の方こそ、身体が怠くなったりしたらすぐ言えよ」
「フフン、それこそ杞憂と言うべきじゃな。昔ならばともかく、今の儂は地脈に根を下ろしておるから燃料切れもないし、むしろ幻想郷に来てからは二十四時間三百六十五日絶好調なのじゃ!」
見よこのワガママボディ! と沈痛な面持ちから一転して大きな胸を張る邪魅。確かに屍浪が知る中では一番メリハリというか起伏に富んだ肢体ではある。
簡単に機嫌を直ってしまった相棒に一言。
「ホント、頼りになるコンセントだなお前さんは。バッテリーだった俺とは大違いだ」
「にょほほほほ……そう褒めるな、照れるから」
でもやっぱり頭はちょっと残念なままだった。それ故に今まで言い争いをしても確執を生む事なくやってこれたのだろうが。
伊達に永琳に恋敵認定されてないのだ。
「ところで、あの二人はまだやってんのか?」
邪魅が黙って永遠亭を指し示す。
微かに聞こえてくる喧騒は永琳と紫のもの。
壁に穴が開いたり屋根が吹っ飛んだり弾幕が荒れ狂ったりしてないので、今回は比較的穏便な話し合いが行われている――そうあって欲しいなあと切に願う。何せ妖怪の世界において、特に屍浪の周囲で起こる『話し合い』とは肉体言語が普通に繰り広げられる馬鹿騒ぎなのだから。
「……朝からずっと?」
「うむ、朝からずーっと」
「……俺が止めるの?」
「当たり前じゃ。はっきりせんお主が原因なんじゃから」
議題はズバリ――『屍浪が何処に住むのか』である。
医師と患者という立場も含めて、一緒に住むのは当然だと主張を譲らない永琳。恋仲どころか伴侶だと公言して憚らない彼女の強情さは語るまでもないだろう。
対して。
無用な軋轢や混乱を避けるためにも、人間とも妖怪とも一線を画す屍浪は自分の目の届く範囲にいなければならないと紫は述べた。何ともはや、如何にも取ってつけたような形式ばった理由だが、それが建前に過ぎない事は皆にバレている。
紫の本音は単純明白。
――私だっておじさんと一緒に暮らしたいんだもん!
確かに。
権利と言うなら、過去に遡って命を救った紫にもワガママを言い張れるだけの権利があるに違いない。故に屍浪は『どっちにするの!?』と二人に迫られながら未だに決めあぐねてしまっているのだ。ちなみに『あの、新しく屍浪さんの家を建てたらいいんじゃ……?』という鈴仙の提案は賢者二名の一睨みで否決と相成った。
「あー……ったく、しゃーねぇか。このまま平行線じゃ埒が開かんし」
止めてくらぁ、と心底面倒臭そうに肩を落として玄関に向かう屍浪。頭に乗ったチビイナバがにょーにょーにょーにょーと鳴きながら慰めるように撫でているので余計に惨めな姿に見えてしまう。
その背中を微笑ましさ半分妬ましさ半分で見送る邪魅だったが、
「……っ、しろ――」
そこで気付いた。
やはり自分で言ったように、一ヶ月もの眠りは屍浪から鋭敏さを少なからず奪っていったらしい。でなければ、足元で口を開けているスキマを知覚出来ないはずがない。
名を呼んで止めようとするが、時すでに遅し。
ん? と屍浪は振り返りながら足を踏み出して。
スポンッ――と。
ウサギ娘を頭に装備したまま綺麗に落ちていった。
一月末に旅行にいって、見事に生水とノロにあたった久木です。
皆さんも体調管理に十分気を配りましょう。