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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
四章 幻想郷放浪編
43/51

第三十五話 告白。生ける遺志、死せる意志

新年あけました。

あまけしておでめとう。

一発目から平常運転、今さら『東方幼霊夢』と『霊々夢』にはまった私であります。


 生まれて初めて、死ぬのが怖いと思った。

 あの永久不変に続く闇の中を漂っていた時も、月天より灼熱の矢が降り注いだ時でさえも、屍浪は己という『個』が消滅する事に執着したりはしなかった。

 そもそもが、明確な命を持たない自我だけの存在。他人の肉体を――亡骸を依り代にしなければ、形を保つのもままならない不安定な生きぞこない。

 故に、ぬえを助け、邪魅達を逃がして時点で、安倍晴明への気が狂いそうな怒りと憎しみこそ渦巻いてはいたものの、自分の命が尽き果てても構わないと考えていた。

 だが、己の消滅する瞬間に直面して、初めて屍浪の心に迷いが生じる。

 確実に弱っていく心臓の鼓動。氷のように冷え切った身体。

 限りなく人間に――生者の領域に近づいたからこそ分かる、自分がなくなるという味わった事のない恐怖。

 だから屍浪は安堵した。

 命が散る寸前で紫に助けられた事を、父親として情けなさと不甲斐なさを噛み締めながら、それでも惨めに無様に未練がましく――痛感したのだった。



 ◆ ◆ ◆



「………………」


 最初に視界に飛び込んできたのは、見覚えのある天井だった。

 木目の揃った板が、支え木の上に規則正しく並べられている。クモの巣や埃といった目立った汚れはない。まあ寝かされている場所が場所――清潔を保つ事を第一とする、患者の衛生面に配慮した部屋なのだから当然と言えば当然だ。

 目だけを開いた障子窓の外に向けると、薄霧の中に佇む竹の群れが見える。わずかに差す柔らかな月光から、今が深夜である事くらいは分かった。

 迷いの竹林――踏み入った者を惑わせる自然の迷宮。外敵の一切を拒絶する要害。その中心に守られるようにして建つ屋敷など、屍浪は一つしか知らない。

 永遠亭。

 六畳ほどの広さのこの部屋は、紛れもなく永遠亭の病室なのであった。


「ようやく起きたか。気分はどうだ?」

「……夢を見た」


 何故かは知らないが雪の降る中を走り回ってる夢で、不快じゃなかった事だけははっきりと憶えている。

 視界の端で揺らめく金毛九尾。

 妲己――八雲藍が屍浪の傍らに正座して、彼の右手をそっと握り締めていた。目覚めた事に一安心したのか、狐耳を思わせる帽子の先端が、彼女の心境を表すかのようにひくりひくりと忙しなく動き続ける。

 屍浪は数百年振りに会う友人に向けて、


「よう、久しぶり」

「ああ、久しぶり。まったく……よりにもよって私と交代した途端に目覚めるなんて、本当に空気が読めないと言うか間が悪いと言うか――意地が悪いんだな、お前は。つい今し方まで紫様が付きっ切りで看病していたんだぞ?」

「紫が?」


 藍が反対側の壁の方を指差す。

 其処にいたのは紫だけでなく、永琳や邪魅、輝夜にてゐ、何故か月で出会ったレイセンまでもが一枚の大きな掛布団に包まれて、身を寄せ合うようにして寝息を立てていた。

 彼女達の目元と頬に残る涙の跡。

 まるで泣き疲れた子どものような――しかし安らいだ寝顔を見て、自分がどれだけ心配をかけていたのかを思い知った屍浪。ありもしないはずの心が、ほんの少しだけ痛んだ。


「……俺は、どれくらい眠ってた?」

「今日でちょうど丸一月だ。京都のあの屋敷で、紫様と私が助けたすぐ後に気を失ってそのまま――な。ああついでに説明しておくと、今は外界の暦で西暦二千年くらいで、お前がいた時代よりも八百五十年ほど後の時代になる」

「八百五十年て。まあ、今さら時間旅行したくらいで驚きゃしないが……」


 時間旅行。

 現代人でも聞けば否定するか卒倒するような事実なのだが、大抵の事は受け入れてしまう屍浪と、実際に体験した藍にとっては“ついで”の一言で済む話題でしかないのだった。

 藍は眠る紫達の顔を順繰りに見て、


「それからずっと、紫様も邪魅もロクに眠りもしないでお前に付き添っていたんだ。もちろんそっちの薬師も、お前から決して離れようとはしなかったよ。これは医者の仕事だから当然とか何とか、微塵もそんな事は思っていないくせに必死に誤魔化して。正直、世話するのを見ている私の方が先に参ってしまいそうだった」

「………………そう、か」


 屍浪は一言、ぽつりと呟くだけに止めた。

 何を言っても自己擁護のための綺麗事にしか聞こえないと思ったからだ。

 今の自分には、彼女達を起こして詫びの言葉を述べる資格などない。逃がすために仕方がなかったとはいえ、それだけの孤独と苦痛を与えてしまった。その悲しみと罪は、口で謝った程度で償い切れるものではないのだ。


「私からも一つ聞いていいか?」

「……あの時、俺が何故動けたのか、か?」

「ああ。寸前まで起き上がる事も出来なかったのに――あれは本当にお前だったのか? 私でも身が竦むほどの怨嗟と憎悪を感じた。国を腐らせて、数え切れない民草を虐げてきたこの私がだぞ? それにあの凄惨な笑顔、思い出しても寒気がする」


 屍浪は、真相を話すべきかどうか迷った。

 見られてしまった以上、意固地に沈黙を貫く理由などありはしない。だが娘同然の紫と幽香はもちろん、当事者の一人である永琳や相棒の邪魅にさえまだ白状出来ずにいる己の醜い本性を、今此処で、藍にだけ話して良いものなのだろうか。

 天井を見たまま、少しだけ考えて、


「なあ九尾よ。死に直面した者が最期に抱く感情の中で、最も強く残るのは何だか知っているか?」

「……?」

「自分を殺した者への深く濁った恨みと憎しみ、何故死ななければならないのかという怒りと悲しみ――そういった冷たい負の情念だ。俺の身体のほとんど全てが、かつて起きた大戦で無念の死を遂げた人間達の遺骨によって成り立っている。その亡骸と一緒に、俺の中にはあいつらの未練までもが引き継がれてしまっているんだ。どれだけ堅強不屈な覚悟を決めようと、生者は命が止まる瞬間に必ず恐怖を覚える。それが他人に見捨てられた結果の死なら尚更だ」

「未練……」

「あの時までは、俺がどうにか抑え込んできた」

「ならどうして――」


 言いかけて、藍は一つの可能性に思い至る。

 過去と現在――大陸で初めて出会った時の屍浪と、目の前で床に伏している屍浪。

 完全同一であるはずの、二人の狂骨の相違点。

 それは、


「お前が、人間になったから?」

「御名答」


 屍浪は頷き、言う。


「俺は元々精神だけの無形妖怪。その分、強烈な意識の波に影響されやすい性質があるらしい。もしかしたらこの『俺』という人格も、一番最初に取り憑いた人骨に引っ張られて形作られたものかも知れないが――とにかく俺は晴明を殺すため、憎悪に身を任せて妖怪の姿を捨てた」

「そして死者達の遺志を抑え切れなくなり、呑み込まれた」

「その通り。まあ今回ばかりはそれが良い方向に働いた訳なんだが」


 隻腕の男と九尾の妖狐はそれっきり黙り込んだ。

 月明かりでぼんやりと浮かび上がる部屋の中、夜風に吹かれる竹の葉擦れの音と少女達の寝息だけが緩やかに流れていく。

 おそらくまだ聞きたい事はいくつもあるのだろうが、しかし八雲藍は訊ねようとはしない。ただ静かに目を細めて、何かを考えているようにも見えた。

 やがて葉擦れの音も止んだ頃、改めて屍浪は口を開く。


「……永琳と輝夜を助けた後、俺は元凶を作った男をこの手で握り殺した。仇は討たれ、恨みは晴らされて片が付く――はずだった。だが、数千年もの間うねり続けた怒りと憎しみはその程度では満たされず、歓喜に沸くどころかより一層激しくなった。気が付いた時にはもう手遅れ、コイツらは――いや俺達は何時しか、この世に生きとし生けるもの全てを憎むようになってしまっていた」

「………………」

「だが、戦場に残された経緯はどうあれ、大切な家族を守るために最後まで戦い続けて死んだ事に変わりはない。それこそ、文字通り必死にな。だから俺は真実を隠し通す事に決めた。既に反逆者の汚名を着せられていた戦友達の名誉と誇りを、これ以上傷つけたくなかったんだ」


 言うだけ言って、屍浪は目を閉じた。

 今の今まで誰にも打ち明けず、ずっと秘匿してきた自分達の後ろ暗い一面。

 どうして永琳でも邪魅でもなく、藍に真実を話そうと思ったのか。

 それは屍浪本人にも分からない。けれど敢えて、強引に理由を挙げるとするならば、何となく、聞かれたから――というのがやはり一番適切なのかもしれない。

 なんだ、と屍浪は心中で愚かな自分自身を嘲笑う。

 結局は、そんな理由で話せるような些細な問題だったのだ。


「……見損なったか?」

「まさか」


 現に、話を聞き終えた藍は見下すでも侮蔑の表情を浮かべるでもなく、屍浪が抱いていた不安や悩みなどまるで意に介した様子もなく平然と、


「お前のそういうところが、私は大好きだよ。――もちろん、友人としてな」


 そう言った。

 目を閉じた闇の中、襲い掛かる睡魔に沈みながら。

 屍浪は彼女の言葉を聞いて――ようやく本当に救われたような気がした。



 ◆ ◆ ◆



 次に屍浪が目を覚ますと、視界の片隅でふわふわ揺れ動く物体が、九本の狐の尻尾からよれよれのウサミミに変わっていた。

 どうやら起きた事にはまだ気が付いていないようで、ウサミミ少女――鈴仙は屍浪の足を曲げたり伸ばしたり、時にはふくらはぎや太股に両手でゆっくりと体重をかけていく。寝たきりでいる屍浪の筋肉や関節が固まらないように解してくれているらしい。

 何というか……これでは本当に介護老人みたいだ。

 まあ確かに、年齢で考えれば伝説級の古妖怪すらも余裕で子ども扱い出来るほどの――筋金入りの大年寄りなのだけれど、


「……待て待て待て、ストップだお嬢ちゃん」


 身体を拭かれそうになったところで屍浪は堪らず声を上げた。

 流石に意識がある状態で、うら若い――しかも顔見知りの少女に全部お任せする訳にはいかない。

 もし仮に、このまま黙って鈴仙の世話になったとして、万が一にも永琳とか永琳とか永琳とか邪魅とか幽香にバレたりなんかしたら、それこそ溢れんばかりの嫉妬に満ちた強制入院という名の監禁生活を送る事になるだろう。

 藍の言うように、本当に一ヶ月も眠り続けていたのなら既に手遅れな気もするが。


「わっ――わぁっ、屍浪さん! お、お元気ですか!?」

「……元気なら『患者』とは呼ばんよね一般的に」

「そ、そうですよね! ちょっと待っててください、すぐ師匠と皆さんを呼んできますから! 安静にしてなきゃダメですからね!?」


 屍浪が止める暇もなく、すっ転びそうな足運びで部屋から飛び出していくウサギ娘。その過程で彼女の投げ捨てた濡れ手拭いが屍浪の顔面にビチャッと激突する羽目になったのだが、永琳の弟子としてそれはどうなのだろうか、と冷たさを肌に感じながら思う。

 少し離れたところ――居間がある方から『屍浪さんが起きましたよー!』という鈴仙の声がして、湯呑みが割れたような音と共に永遠亭が慌ただしくなる。

 そんな日常的な喧騒を聞いて薄く笑む屍浪だったが、


「……ん?」


 手拭いを退けて天井を見上げると、そこにはお馴染みのスキマが。


「おじさん!!」

「屍浪!!」

「ちょっと何で私達までー!?」


 今にも泣きそうな顔の紫と大人姿の邪魅を先頭に、困惑気味の輝夜やてゐ、呼びに行った鈴仙もスキマから次々と、吐き出されるように――降ってきた。横になった屍浪のちょうど真上にスキマが口を開けているのだから、当然彼女達はその上に勢いよく落ちてくる構図になる訳で、


「うわぁ……」


 全快には程遠い屍浪は、満身創痍の身にこれから襲い掛かって来るであろう激痛を想起して、諦観を含んだ表情で二度目の『死』を覚悟した。

 直後。

 グギャア――と、何処か投げやりな悲鳴が響いた。



 それからしばらくして。



 病室の壁際に、頭に特大のタンコブを作った少女達が並んで正座させられていた。

 太古の樹妖とか妖怪の賢者とか月の姫とか――そんな肩書きはこの状況では何の役にも立たない。一様に顔を俯けて、時折小声で『お主らのせいじゃ』だの『だって嬉しかったんだもん』だの『だから私は関係ないって言ってんでしょうが』だのと、加害者同士で責任を押し付け合う。


「反省の色が見えないわね。……新薬の実験体にされたいの?」


 その正面、腕組みをして仁王立ちする女性。

 八意永琳の怒りを押し殺したような声に、それまで肘を突き合って言い争っていた下手人達がビクリと肩を震わせて、完全に巻き込まれた形のてゐと鈴仙に至っては、この世の終わりでも知らされたみたいな絶望的な顔で頭を抱えて怯える始末。


「大丈夫か?」

「うん……まあ紫だし、多分こうなるだろうなとは思ってた」


 手当てする藍の気遣うような台詞に、新たに湿布などが追加された屍浪はうつ伏せの体勢で、枕に顔を埋めたままくぐもった声で言う。言うだけの元気しか残ってない。

 何かもう――予想はしていたけど、精神的に疲れた。感動の再会とか何処行った?

 藍も藍で、自分の主人のうっかり具合に呆れ果てているようだった。


「で、でも師匠!」

「……何?」

「あっ……と、そのですね、と――とにかく屍浪が起きて本当に良かったね!?」


 いい加減足が痺れて限界が近いのか、矢尻のような視線に射抜かれて冷や汗を流しつつも、てゐが引き攣った笑みで無理矢理に話題の路線変更を図る。

 良くやった、とでも言いたげな被告人連中の小さなガッツポーズを永琳が見逃す訳もないが、それでも彼女にだって積もる話があるらしく、制裁もそこそこにして屍浪の枕元に腰を下ろした。


「……おかえり」

「……ただいまー」

「思ったよりも元気そうね」

「いやいや、空元気ってやつですよ」


 ひらひらと手を振って答える屍浪。

 あまりにも軽い会話に、藍も邪魅も紫達も目を見開く。

 およそ八百五十年という夥しい年月も、この二人からしてみれば昨日と今日ぐらいの短い隔たりと変わらないのだろうか。

 それだけ強く固く結びついた絆が彼と彼女の間にあるのかと思うと、お仕置きの真っ最中である邪魅と紫の頬も嫉妬でどんどん膨らんでいくのだった。

 そんな二人の可愛らしいヤキモチなんぞには構わず、


「とりあえず、折られた骨や裂けた内臓・筋肉の損傷は完璧に処置したつもりだけど、まだしばらくは安静にしてなきゃいけないわね。一ヶ月も眠りっぱなしだったからリハビリだって必要だし、それに――」

「……それに?」

「貴方はもう、妖怪じゃないのだから」


 屍浪の手が止まり、布団の上にぱたりと倒れた。枕で潰された唸りを漏らし、やがて彼は伏せたまま横を――永琳の顔を見る。

 傷んだ白髪を撫でられながら、 


「御心配おかけしました」

「心配なんてしてないわ。何があっても、絶対に私のところに帰って来てくれるって信じてたから」

「こんなに……弱くなっちまったのに?」

「それでも――たとえ力を失っても、貴方は私の大切な人よ」


 もしかして私達って邪魔か? と手持ち無沙汰な藍が思ったのと同時、


「屍浪!」


 なんか邪魅が威勢よく挙手した。

 何処となく、構ってほしい子どものような雰囲気をまとっている。


「はい、邪魅くん」

「わ、儂だって全っ然これっぽっちも心配なんかしとらんかったぞ!? むしろお前が帰ってくるまで綺麗さっぱり忘れてたくらいだからな! ぶっちゃけ『あ、今帰ったの?』みたいな感じじゃ!」

「……心に突き刺さるお言葉をどーも」

「あっ……ちちち違うぞ、今のは別に本当にお主なんか心底どうでもいいとかそういう悪い意味じゃなくてな、儂も永琳に負けないくらいお主の事を心配して――いや、しとらんのか!? だ、だからつまりだな、実は心配してたけど心配してなくて、心配しなくてもいいくらいお主を信じて毎日毎日ずっと帰りを待っていたと言うか何と言うかその――」


 自分で言ってて収拾がつかなくなったらしく、邪魅は羞恥と混乱に染まった真っ赤な顔で永琳をきっと睨み、


「おのれ図ったな永琳っ!」

「どうしてそうなるのよ……」

「うっさいわ! 元はと言えば抜け駆けした貴様が悪いんじゃ!」

「抜け駆けじゃなくて、当然の権利だと思うけど?」

「言うたな、言いおったな!? 屍浪といちゃついてるのを見せびらかすのがそんなに楽しいんかこの性悪女ー!」


 邪魅が痺れた足でふらつきながらも食ってかかり、勝利の黒い笑みを浮かべた永琳が余裕で受け流す。

 紫が羨ましがり、藍が呆れて、輝夜とてゐが足の痺れに悶絶する。

 いつもの光景。いつもの平穏。

 ようやく取り戻せた日常。

 けれど――そこで、おや? と。

 会話を聞いていた鈴仙は小さな疑問を抱く。

 確かに、永琳は屍浪が無事でさえあれば何の問題もないのだろうし、もしかしたら自分の的外れな勘違いなのかも知れないが――何故だろう、鈴仙の目には、師匠が無理にいつも通りの態度でいようと気丈に振る舞っている風にも見えた。

 まるで、余命幾許もない患者に接してるような――

 まさかと思う。

 完璧に処置したという永琳の言葉に嘘はないはずだ。いくらまだ半人前でも、間近で見学していたのだから鈴仙にだってそれくらいの事は分かる。

 では、一体何だと言うのか。

 この確信にも似た嫌な予感は――


「師匠……?」


 懇願にも似た呟きは、しかし喧騒に紛れて届かない。

 騒動も一段落して皆の息も整った頃。

 永琳が、それまでとはまるで異なる厳粛な面持ちで口を開く。


「屍浪、それにみんなも、落ち着いて聞いて」


 鈴仙も本を読む。

 それは難解な医学書だったり永琳に習って書き留めた薬の調合書だったり拾った新聞だったり、空想と夢が溢れる冒険譚や恋愛小説だったりする。

 物語は好きだ。どうせ読むなら、挫けそうなくらい困難な状況や辛く過酷な恋路を二人で乗り越えて結ばれるハッピーエンドの方が良い。

 永琳はとても怖いけど、それでも尊敬に値する師匠だ。

 屍浪だって、大事な家族を助けるために必死に戦ったと聞く。

 今やっと、ようやく再会出来たのだから、これから二人で――みんなで幸せに生きていくだけの権利と資格は十分過ぎるほどにあるはずだ。

 少なくとも、鈴仙はそう思う。

 だが。

 この世界の全てを見下ろしているであろう神様とやらが用意したシナリオは、鈴仙が一番大嫌いなラストで強引に終幕を迎えようとしていた。


「……詳しく検査して分かったの」


 永琳は言う。




「このままじゃ屍浪の命は――あと半年と持たない」




 淡々と突き付けられた宣告。

 考えうる限り最悪の現実。

 拳を握り、噛み締めた唇から一筋の血を流して。

 この日初めて、鈴仙は神という途方もない存在に殺意を抱いた。

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