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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
三章 邂逅別離編
35/51

第三十話 騒乱。父兄参加型月面戦争

そうだ月に行こう――前編です

 

 

 

「月へ行きます!!」


 いつものように皆で朝食を取っていたある日の事。

 一体何を思い立ったのか、紫が覚悟を決めたような顔で唐突に宣言した。

 本人は至極真面目な話をしているつもりなのだろうが、口元についたご飯粒が緊張感を見事にぶち壊している。ちなみに今朝の献立は白米と茄子の味噌汁、鮭の塩焼きに厚焼き玉子に漬物という純和風仕様。紫は既に三杯目のおかわりに突入していて、このままのペースを保ち続ければ数日後には体重計の上で絶叫する羽目になる事は確実だ。


 閑話休題ンなこたぁともかく


 ふんすっ、と勇ましく息巻くスキマ少女。一方で、宣言された屍浪達はさして興味もなさそうにちらりと一瞥して箸を進めるだけ。

 そうなると哀れなのは紫である。

 食事時に行儀悪く立ち上がっての宣言。注意される事も覚悟した上での敢行にもかかわらず、彼女の自慢の家族達は驚きもせず食いつく事もなく『ふーん』と相槌も打ってくれずに淡々と飯を食む。


「え……と、ねぇ、みんな聞いてる?」


 沈黙を返答とされ、いきなり出鼻をくじかれた紫。そこでのの字を書いてイジケたり諦めたりせず、話を続けようとするあたりが彼女の長所なのかもしれない。まあ、それも時と場合によりけりだが。


「もちろん聞こえてるわよ? はいシロ、あーん」

「月に行くって話だろ? むぐ……いやあの永琳サン、自分で食えますって」

「貴女の言う事は話半分に聞いて丁度良いのよ。……あ、おじさん、夕飯の時は私の番だからね」


 返してくれたのは順に永琳、屍浪、幽香である。

 永琳は何時ぞやの幽香のように愛する男の右隣に陣取って甲斐甲斐しく世話を焼き、世話焼かれている屍浪は口で拒絶しつつも逆らえないのか唯々諾々と彼女に従う。左隣に座る幽香がそれを見て対抗心と嫉妬心を燃やして両者の間で火花がバチバチ。

 話半分どころか、関心すら抱いてもらえてない。

 それでも、返事をしてくれただけまだマシな方だった。

 残りの面々はといえば――


「獲ったりー!」

「ああ、私の玉子焼きっ!」

「おうおうスマンのう。食わんのかと思うて、つい」

「思いっ切り略奪宣言してたわよね今!? 私は好きなものは最後に食べる派なのよ! 代わりにアンタの分寄越しなさい!」


 箸を刀さながらに操り好物を奪い合う邪魅とぬえ。


「ご飯の時くらい静かに出来ないのかしらねぇコイツらは」

「とか言いつつ私のお椀にナス入れるの止めてくれませんかね、姫様」

「……嫌いなのよ。食べなさい」

「知ってますか? ウサギにナスを食べさせちゃダメなんですよ?」


 隙あらば相手のお椀にナスを移し替えようとする輝夜とてゐ。

 四人が四人とも、紫の話などそっちのけで食事という名の駆け引きに勤しんでいるのだった。やっている事は子供のそれと大差ないが。髪色や外見年齢がそれなりに似通っているため、客観的には四姉妹のようにも見える。女が三人集えば姦しいとは言うけれど、四人になればそれ以上だ。

 のどかだと思う反面、もう少しくらい関心を持ってほしいと悲しくもなる。


「ほれ紫、突っ立ってないで続き続き」

「……うん」


 屍浪の気遣いが痛い。

 コホン、と咳払い一つして、


「……月に誰かが住んでいるっていうのは本当なの?」


 紫のその質問に、屍浪はちらりと横目で永琳を見やる。こちらが言いたい事は分かっているらしく、彼女は静かに頷くだけだった。


「ああ、本当だ」


 真実を話す許可を得て、屍浪は紫の問いを肯定する。


「かつて地上で繁栄を続けていた人間達が、穢れた大地を捨てて老いも病もない文字通りの浄土――月へと移住した。もう何千年も何万年も前、数えるのが馬鹿馬鹿しくなって化石になるくらい大昔の話だが、その連中は今も卓越した科学力でもって栄華を極めているらしい。お前も幽香も見たはずだ。あの日の夜、輝夜の屋敷に妙な形の船で降りて来て俺に心を殺された奴らを」

「それでもまだ、月には大勢の人間達が暮らしている」

「その通り」


 首肯する。

 屍浪が廃人にしたのはせいぜい五百人程度。移住した人数など屍浪は知らないが、ほんの一握りの少数派に過ぎない事くらいは分かる。


「けどまあ、よくその考えに行きついたな。月に誰かが住んでるかもなんて荒唐無稽な話、普通は思いつかんだろ」

「私だってあの変な船を見るまでは半信半疑だったのよ。邪魅からも色々と話を聞いてはいたけど、予想を裏付けるには少し決め手に欠けてたし。でも、いなくなったおじさんを探し此処に来て、永琳に実際会ってみて確信に変わったの」

「さすがっつーか何つーか、妙なところで冴えるんだなお前の頭は」

「わーい、おじさんに褒められたー」


 あからさまな棒読み口調で両手を挙げてバンザイする紫だったが、続けざまに放たれた質問で表情を強張らせる事になる。


「…………で、それを誰に話しちまったんだ?」

「う……」


 西洋人形のように整った顔立ちが引き攣る。

 なるべく怒られなさそうなタイミングを見計らって切り出そうとしていた本題を相手の方から、しかも力任せに引きずり出されてしまったのだから無理もない。

 図星を突かれて言葉に詰まる『娘』。


「あああの、あのね、あの時はお酒とか飲んでたから仕方がないっていうか酔ってつい口が滑っちゃったっていうかその……ようやく形になりつつある幻想郷を確固たるものにするためにも常日頃から友好を深めるべきかと思って酒宴を開いてね、宴ならそれなりの話題が必要かなーって思って、だっ、だってだって特に口止めとかされてなかったし――」

「紫」


 しどろもどろな言い訳をピシャリと遮り、目を見据えて屍浪は問う。


「簡潔に聞くから素直に答えろ。……何人に話した?」

「……えと、じゅっ、十人……」

「本当に?」

「…………三十人くらいいたと思います」


 聞き終えた屍浪、そして両隣の永琳と幽香も盛大に溜め息を吐いた。

 最初の勢いは何処へやら、紫は居心地が悪そうに両膝を抱いて座り直す。その身体は小さく小さく縮こまり、雨の中で寒さに震える子猫みたいになっていた。前髪の陰からビクビクと上目で屍浪の顔色を窺う様子が小動物っぽさに拍車を掛ける。


「……妖怪の賢者なんて呼ばれてるなら少しは自分の発言に責任持ちなさいよ」

「うう、肩身が狭いよう……」


 幽香に呆れ口調で言われて項垂れる紫。


「……この分じゃ、もう噂が広まっていると考えた方が良いわね」

「根も葉もない作り話じゃなくて真実ってのが余計にタチ悪いな。……ところで紫。まだ聞いてなかったが、月に行くっつっても一体何しに行くんだ? 身の内から沸々と込み上げてくるこのとんでもなく嫌な予感を否定してくれると嬉しいんですけど?」


 紫はもう泣きそうになっていた。それはまるで、今までひた隠しにしてきた数々の悪行が白日の下に晒された子どもの如く。


「その、その………………戦争――にゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ!?」

「この駄娘が駄娘が駄娘が!」


 右腕は永琳に抱きしめられて動かせないので、連続手刀とアイアンクローとほっぺ引っ張りの三連コンボの幻覚をこれでもかと叩き込んでオシオキとする。狂骨印のオシオキ術、当社比いつもの五割増しでお送りしております。


「止めようとしたの! 私だって最初は止めようとしたのよぅ!」

「だーったらなぁんでンな頭悪そうな事この上ねぇ傍迷惑な行事なんぞ開催してくれちゃったりしてやがんのかねぇえ!?」

「だってー、今更『ゴメンやっぱナシー』とか言って中止したらどんなイヤミ言われるか分からなかったんだもん! 私の幻想郷に反対する奴らだってまだたくさんいるし!」

「まあ確かに、そう簡単に前言撤回なんてしたら糾弾される格好のエサよね」

「それに、その状況で戦争しないなんて言ったら人間に恐れをなしたと思われかねないかも。たとえ今は協力的でも、紫の力に疑いを持つ妖怪が出てくるわよ絶対」


 永琳と幽香の言い分は全くもってその通り。

 しかし一体どうしたものやら。

 あの大戦が起きた頃ならばともかく、今の妖怪達が超科学兵器を装備した月の軍隊相手に勝てるとはとてもじゃないが思えない。つか何度想像しても完全敗北の光景しか浮かばない。もちろん頭数が揃いさえすればその限りではないだろうが、まず間違いなく大量の死傷者が出る。当然、参戦したほとんどが幻想郷賛成派。つまりは紫に協力している妖怪ばかりが死ぬ事になる。

 戦争にも負けて味方を一気に失ったとなれば、紫の周りはあっというまに敵だらけ。八方塞り四面楚歌、振り出しに戻るどころか、何十年と積み上げてきた幻想郷計画が水泡の如く弾けて消える事は火を見るよりも明らかだ。

 紫とてそれは重々承知しているはず。

 自分を慕い、夢に共感してくれた同胞を死なせたくないから―― 


「お願い、手を貸して! というか何とかして!」

「拝むな拝むな、俺は仏像じゃねぇっての」


 何とかしてと言われても、そう簡単に名案が浮かぶ訳もなく。

 こんな時、邪魅ならどうするのか――と淡い期待を込めて彼女に目を向けるが、


「おーい相棒、何か良い案ない――」

「にょほほほほ、しょぉ――っ!!」

「あ、聞いてねぇな」


 視線の先には、卓に突っ伏したぬえの後頭部を片足で踏みつけて玉子焼きを突き刺した箸を高々と掲げる馬鹿幼女が一名いるだけだった。……うん、見なかった事にしよう。

 そこで幽香がふと、


「でもおじさん、月にいる連中ってどれくらい強いのかしら」

「それに関しちゃ俺の知識も埃が積もってるどころか風化しちまってるしなぁ。勝ち目がないとは言わねぇが、一対一のタイマンと違って戦争は指揮官の腕次第なところがあるし」


 狼に率いられた羊の群れと、羊に率いられた狼の群れ。

 どちらがどちらなのかは置いておくとして、個々の戦闘能力以上に指揮官の統率力が勝利のカギを握っている事は確かだ。


「……実際、あの子達は有能よ」


 月側の内情を知る永琳は言う。


「私から代替わりしてまだ日は浅いし、攻め込んでくる敵がいなかったから訓練ばかりで実戦経験は皆無に等しいけど、それでも看過するには大きすぎる障害ね」

「お知り合いで?」

「知り合いも何も、私の遠い親類にあたる姉妹よ。名前は綿月豊姫と綿月依姫。ついでに言えば、私を師と仰いでいたから弟子ようなものとも呼べるかしら」


 思った以上にとんでもないのが敵でした。

 屍浪と幽香は諦め半分の表情で顔を見合わせる。


「そりゃ大問題だな」

「こっちの指揮官は“コレ”だものねぇ」


 三人分のじっとりとした視線を受けた紫は何をどう勘違いしたのか、ほんのり赤らめた頬に両手を添えてクネクネモジモジし始めた。


「え……えへ」

「何故照れる」

「だっておじさんがじっと見つめてくるんだものあ痛ぁ!?」


 幻覚ではなく本物の拳骨をくれたやった自分は悪くないと思う。

 頭は決して悪くない――永琳とは別分野ではあるが天才と呼んでも差し支えない頭脳を持っているはずなのに、どうしてこうも肝心なところでアタマ悪い子ちゃんになってしまうのだろうか。


「まあ何にせよ、行ってどうにかするっきゃないわな。お尋ね者な永琳サンと輝夜の姫さん、特に関係ないてゐは留守番確定だとして……幽香、お前は?」

「紫には悪いけど遠慮しとく。正直、月になんて興味ないもの」

「そりゃそうか。そんじゃあ、邪魅さんよう」

「モゴ?」

「何時まで食ってんだお前は。つーか馬鹿弟子が涙目だからいい加減ヤメレ――じゃなくて、月に戦争止めに行きますけど一緒に行きますかー?」

「モンガー!」

「行かない人その2ね。ってことは、ついてかにゃならんのは俺と馬鹿弟子に決定か」

「うえっ、私もなの!?」


 寝耳に水と言わんばかりに愕然とするぬえ。自分には関係のない話だと高をくくっていたのだから当然といえば当然の反応ではある。


「いい機会だ。何事も経験だぜ馬鹿弟子」

「とか言って、自分だけ巻き込まれるのが嫌なだけじゃないの……?」

「………………」

「ちょっと、なんで目ェ逸らすのさ!? さては図星だなコンニャロー!」


 その通りだよ、文句あっか。


「さーて紫、さっさとスキマ開きな。行くのが月となれば色々と準備せにゃ」

「ハイッ、合点了解です!」

「ちょっとー! 私まだ行くとはウギャアアァァ――」

「あーっと、そうだ。幽香、邪魅、片付けよろしく」

「ん、やっとく」

「土産も忘れるでないぞー」

「シロ……いってらっしゃい」

「……いってきます」


 ――かくして。

 渋々ながら娘の面倒事に付き合う羽目になった屍浪と、彼が加勢してくれる事になってご満悦な紫、そして師匠命令で強制的に参加決定となってしまったぬえ。

 疲労と歓喜と焦燥という、三者三様の表情を浮かべたうるさい連中が足元からスキマに飲み込まれて、永遠亭の食卓にようやく朝の静寂が訪れたのだった。



 ◆ ◆ ◆



 屍浪達がスキマの中に消えてから少しばかり時間が経った後。


「そろそろ儂らも出るとするかの」

「そうね、おじさんが帰ってくるまでには済ませておきたいし」


 食後の茶を飲み終えた邪魅と幽香が、席を立ってそう言った。

 そんな二人に怪訝な視線を向けるのは、卓に顎を載せてだらけきっている輝夜だ。彼女は今にも溶けそうな感じでぐだらーっとタレながら、胡乱げな声音で質問を投げ掛ける。


「んー? アンタ達もどっかお出かけ?」

「なぁに、ちと野暮用をな。まったく、世話のかかる家族を持つと苦労するのぅ」

「ふーん? そういえば『片付けよろしく』とか言ってたけど、掃除でも頼まれたの?」

「まあ、ゴミ掃除って意味では当たってるかしらねぇ」


 白く細い指をぺろりと舌先で舐めて。

 口唇に弧を描いて破顔する幽香。

 しかし彼女と、傍らに立つ邪魅の幼な顔に浮かぶその笑みはひどく、ひどくひどく妖怪らしい――輝夜も思わず口を噤んでしまうほどの禍々しい美しさがある。

 眼光を鋭く輝かせて、まるで今から殺戮でもしに行くかのような。

 世に蔓延る悪名を体現した――そんな笑みだった。



 ◆ ◆ ◆



 さて。

 さらに時間が少しばかり経って――夜。

 とある湖の畔。

 天上には青白い満月が煌々と輝き、穏やかな水面に瓜二つの虚像を映し出している。それだけであったなら正に風光明媚。戦争などその辺に捨て置いて、夜空と湖面にある二つの月を肴に酒を一献といきたいくらいに美しい光景であった。

 しかし誠に残念ながら、心の底から遺憾ながら、のんびりと酒杯を傾けるには周囲が騒がし過ぎた。

 木の幹に背を預けて立つ屍浪。彼の目に入るのは景色ではなく、無数に蠢く異形共の群れ。紫の召集に応えた腕自慢の妖怪達が各地方々から集結し、湖畔を埋め尽くさんばかりの勢いでひしめき合っているのだ。これだけの数を揃えた――揃えてしまった紫の人望というかカリスマ性には素直に感心するけれど、これでは風情もへったくれもあったものじゃない。


「やっぱ来なきゃ良かったかねぇ」

「だから何度も帰ろうって言ったじゃないのさぁ……」


 足元にしゃがんで頬杖を突いたぬえが愚痴を返す。

 無理矢理に連れてこられた彼女の言い分は至極ごもっとも。屍浪だって、出来る事ならさっさと帰って風呂入って寝たいと思っている。


「「帰りたいー、帰りたいー、負ーけてもいいから帰りたいー」」


 奮い立つ軍勢の中で、いきなり後ろ向きな歌を歌いだした二人。

 当然周囲から悪意に満ちた視線が突き刺さるが、この程度のガキ共の睨みくらいで怯むような屍浪ではないし、彼に師事して鍛えられ慣らされたぬえも平気な顔で合唱を続ける。なんだかんだで息がピッタリな師弟なのであった。

 そんな騒音装置と化した二人に近付く人影。

 一見、消極的な新参者を諫めるために近づいたように思える。だが、その少女の顔には柔和な笑みだけが浮かんでいて、屍浪達の歌も周囲の視線もまるで意に介していないようだった。


「隣、よろしいでしょうか~?」

「はあ、どうぞ……」


 ぬえと一緒に少しずれて、少女が入れるだけの空間を作る。座ったり背を預けたり出来る場所など此処には他にいくらでもあるのだが、どうやらこの桃色髪の娘は屍浪の隣が良いらしく、ちょこんと同じように幹に背を預けた。

 それだけならばまだ良いのだが――


 じー…………。


 見られてる。

 なんか凄く見られてる!

 なまじ敵意が含まれていない分、何だかとっても居心地が悪くてむず痒い。身長差があるせいで少女が屍浪を見上げる形となり、好奇の視線が集中している顎の辺りがムズムズ。


「……ナニカナ?」

「いえいえ、紫に聞いたとおりの素敵なおじ様だなぁと思いまして」

「おじ様って、まあ若いつもりじゃねぇが……」

「あの子ったら、私のところに遊びに来るたびに貴方の話ばっかりするんですよ? 『おじさんにまた怒られたー』とか『頭を撫でてもらったのー』とか『寝てる時にお布団に潜り込んでたら危うくバレそうになったのよー』とか」

「最後のは何だ最後のはオイ」


 ここ最近、布団が不自然にめくれたりしてたのはそれが原因だったのか。

 図らずも紫の密かな楽しみを知ってしまい呆れる屍浪。いやまあ、今更寝込みに侵入されたくらいで目くじらを立てて怒ったりはしないが。暖を取るために飼い主の懐に潜り込む猫と似たようなものだろう。

 改めて、西行寺幽々子と名乗った少女を見やる。

 肩まで届くふんわりとした桃色の髪、水色というよりは青藤色に近い衣服、死に装束特有の三角頭巾を彷彿とさせる帽子。湛えているのは捉えどころのない微笑み。

 飄々と。のらりくらりと。

 誰にも真意を読み取らせまいとする笑みの形の仮面であった。

 そこで屍浪は視線を幽々子から正面に戻す。

 女人の顔をまじまじと観察するのはあまり褒められた行為ではないし、自分とて同じような仮面を何枚も何枚も貼り付けている身なのだ。心情を覆い隠した者同士、これ以上の詮索はしないのが礼儀というものだ。

 と、周囲がにわかにざわつき始める。

 一同が注視するのは湖畔に鎮座する巨岩――その真上。

 軍勢を見渡せる位置にふわりと降り立ったのは誰あろう――


「あら、紫があんなところに」

「ようやく始まるのか……」


 ドッと湧き上がる歓声に軽く手を振って応えながら、紫は何かを――誰かを探しているようだった。キョロキョロと小首を左右に巡らせている。やがて屍浪と、その隣に立つ幽々子に気付いて『あーっ!?』と今にもこちらを指差して叫び出しそうな表情を形作った。

 何してんのアイツ、と屍浪が怪訝に思っていると、


「あら、あらあら~?」


 困惑したような声。

 そちらを窺い見て、屍浪は更に首を傾げる。

 いつの間にかスキマが小さく口を開けていて、その中から伸びた紫の細腕が幽々子の肩をグイグイ押していたのだ。

 二人が――というか幽々子が一方的に距離を取らされたところで屍浪の眼前にもう一つスキマが開き、ニュッと一枚の紙切れが突き出される。


『ひっつくな!!』


 毛筆体である。

 よほど慌てて書いたのだろう、とても乱雑な字だ。

 その紙と、岩の上に立つ紫の顔を交互に見やる。それはもう見事な膨れっ面だった。


「ヤキモチ焼かれちゃったようですね~」


 気分を害した風もなく、桃髪少女はクスクス笑って少し離れた位置に大人しく佇む。何やら楽しそうではあったが、どうやらこれ以上紫の嫉妬心を煽るつもりはないらしい。屍浪としても、帰った後で『また女を引っ掛けたのねそうなのね?』と理不尽に断罪されたくはないので離れてくれた方が有り難かった。……紫に目撃された時点でもう手遅れな気もするけど。

 とまあ、戦争とは全く関係ない遣り取りの後。

 そこから先は特筆すべき事柄もなく、紫が天上の月と水面の月の境界を繋げて『さあ行くわよー!』とヤケクソ気味に叫び一同揃って大行進ならぬ大侵攻。


「ほれ行くぞ馬鹿弟子」

「フンギャ!?」


 退屈過ぎて半分寝ていたぬえを踏み起こし、屍浪達も後に続く。


 そして。


 舞台は穢れなき大地――月へと移るのだった。



 ◆ ◆ ◆



 弾ける轟音、飛び交う怒号。

 至る所で爆発が起こり、敵も味方も紙屑のように宙を舞う。

 実際に目の当たりにしなければ想像すら出来ない。血で血を洗う本物の戦争とはここまで凄惨で恐ろしいものなのか。今まで積み重ねてきた訓練や演習など児戯に等しい――そう思い知らされ、心の奥底、骨の髄まで恐怖が毒のように染み込んでいく。

 月の都には『月の使者』という組織がある。

 主な任務は都の防衛と地上の監視だが、地上の技術レベルでは月に辿り着く事はまず不可能であり、故にこれまでは監視任務のみに従事してきた。

 戦闘訓練こそ毎日のように繰り返しているが実戦経験など皆無。

 わざわざ宇宙空間を渡ってまで攻め込んでくる訳がないと高をくくり、部隊の大半を占める玉兎達は上司の目を掻い潜ってだらだらと怠けるのが日常となっていた――そう、妖怪の大軍勢が月面に出現するまでは。

 怒涛の勢いで攻め入る敵軍を食い止めるため、彼女達は今までサボってきたツケを払わされるかのようにヘルメットと銃剣を装備させられ、泣こうが喚こうが容赦なく前線へと送り込まれていく。

 元々の能力値が高いからか、あるいは生き延びるのに必死なだけか。とにかく近代兵器の性能に頼っている部分もあるのだろうが、有能な上司の下で玉兎達は予想以上の善戦を繰り広げていた。

 しかし。

 どれだけ優勢であろうと近代兵器を装備していようと、中には戦場の雰囲気に気圧されて戦意を喪失する者もいる。


(ムリムリムリ、あの中に飛び込むとか絶対ムリだってばあああっ!?)


 物陰に隠れて震えている彼女もその一人だ。

 ウサミミを折り曲げて強引に被っているのは他の玉兎の装備とは異なる――前面に大きく『安全第一』とペイントされた黄色いヘルメット。武器は開戦と同時に投げ捨てていて手元にはない。

 名前はレイセン。

 普段は上司でもある綿月姉妹のペットとして飼われているのだが、玉兎の中でも抜きん出た戦闘力を有していたがために『貴女も戦ってきなさい』と素敵な笑顔で前線送りにされてしまったのだ。

 いくら強くても怖いものは怖い。

 レイセンは息を殺して戦いが終わるのをじっと待ち続けた。爆発音がするたびにビクリと身を竦ませて、流れ弾や誰かが間違って吹っ飛んでこないか常に警戒しながら。


「大体どうして妖怪なんかが攻め込んで来るのよぅ……」


 私達が何したってのさ――。

 それは単なる独り言。レイセン本人も返答など期待してはいない――非常事態に直面して思わず口から出てしまった小さな小さな嘆きのはずだった。


「いやぁそれがな、聞くのも語るのもアホらしくなるけど俺の身内が原因なんだわ」


 荒れ狂う戦場の中では異質極まりない、平然と落ち着き払った男の声。

 その声はすぐ近くから――いや、レイセンの背後から聞こえてきた。


「………………」


 歪ませた口から魂を半分吐き出しながら、ギッ……ギッ……ギッ……と全身の関節が錆びついたような緩慢な動作でレイセンは後ろを振り返る。

 其処にいたのは男と少女。

 白髪頭の男は簡素な着流し姿でよくよく見れば左腕がなく、白鞘の太刀を腰に帯びている。一方、奇怪な三対の羽を生やした黒髪の少女は黒色のワンピースに同色のニーソックスを着用し、身の丈ほどもある三叉槍を背負っていた。

 明らかに、月の都の住人ではない。

 先進国家なのだから公序良俗に反しない限りどんな格好をしようがそれは個人の自由ではあるのだけれど――しかし、だからと言って、ヘルメット代わりに中華鍋を被った不審者二名と同郷とは思いたくない。というか何処から持ってきたんだそんなもの。


「なあっ!? い、いい一体誰でムグッ!?」

「はいはい静かに静かに」

「騒いだりしないでよ。私達だって見つかりたくないんだから」


 大声を上げかけたレイセンの口を塞ぐ中華なヘルメットの二人組。静かにしろという要求に対し小刻みな頷きを返すと、口を覆う大きな掌はすぐに外された。


「プハッ。えと……ど、どちら様ですか?」

「そう聞かれたら『地上の妖怪で、しかも敵です』って答えるしかねーんだが」

「あ、ははは、は…………逃げてもいいですか?」

「どうぞ?」

「いいけど?」

「そうですよねダメですよね、だって私達は敵同士ですもん見逃してくれたりとかそんな都合良すぎる展開なんて普通あり得ないですよね――って、いいんですか逃げて!?」


 思わずノリツッコミで返してしまったレイセンだが、不審者二人組はもう用はないとでも言うように彼女に背を向けて、物陰から上下に重なるようにして戦場を注視する。

 逃げてもいいと言われても、下手に動き回れば見つかる可能性が高い。仕方なくレイセンも彼らに混じって戦況を窺い、逃げ出すタイミングを計る事にした。

 敵味方入り乱れての大混戦。

 その中でも一際目を惹くのは、おどろおどろしい異空間を無数に開いて弾幕を撒き散らす金髪少女と、人魂さながらに儚く揺れる蝶を舞を思わせる動きで操る桃髪少女。


「へぇ……紫は当然だとして、幽々子の嬢ちゃんも思ってたよりやるじゃねぇの」


 劣勢の中においてなお強く美しく戦う二人を見て、白髪の男が感心したような声を上げる。その頭に乗る黒髪の少女は妖怪よりも『月の使者』の方が気になっているらしい。


「けどさぁ師匠、何なのさアイツらが使ってるあの妙な形の武器は。弓でも霊剣でも呪符でもないのに遠距離からふざけた威力で撃ち抜くなんて……」

「ありゃ銃器だよ。しかも実弾じゃなくて光線銃。使う奴の腕前にもよるが、狙い定めて引き金を引くだけでお手軽簡単ミナゴロシ完了、さらに連射も可能っつーおっかねぇ代物さ。まあ月の文明レベルがぶっ飛んでるからこその武装だから、地上で暮らすお前らが知らなくても無理ないやね」


 それよりも、と師匠と呼ばれた男はある一点を指差し、


「先陣切って突っ込んでるあの剣士のお嬢ちゃんの方が気になる」

「うん? うーん……確かに師匠好みの美人だね」

「そうそう、何処となく永琳サンと面影が似てるしなぁ――じゃなくて。他の連中は飛び道具なのにあの嬢ちゃんは刀一本だぜ? よほどの腕と自信がなきゃ出来ねぇ芸当だよ」

「……当然ですよ。依姫様は『月の使者』を束ねるリーダーの一人なんですから」

「ああなるほど、永琳サンの愛弟子だっていう姉妹の片割れか。ならあの無鉄砲さも納得だ。……やっぱり師弟ってのは何処かしら似ちまうものなのかねぇ」


 ぽつりと呟かれたその言葉を聞いて、黒髪の少女が少しだけ嫌そうな――しかしそれ以上に嬉しそうな顔をするのをレイセンは見逃さなかった。

 少女はそんな感情を誤魔化すかのように、


「――にしてもさあ師匠、このまま此処にずっと隠れてる訳にもいかないんじゃない? 私達は無傷でも他の妖怪は全滅しちゃうよ?」

「全滅されちゃ困るんだよなぁ、主に紫が。死人を一人も出さずに尻蹴っ飛ばして地上に戻して一件落着ってのが理想的なんだが……どいつもこいつも頭に血が上ってて話なんか聞きそうにねぇし」

「師匠の能力でどうにか出来ないの?」

「死人を一人も出さずにっつったろーが。流石にこの数じゃどちらか一方の勢力にしか能力は使えねーし、幻覚を見せて動き止めたらもう一方に押しツブされちまう」

「じゃあどうするのさー?」


 レイセンは驚愕する。

 口調こそのんびりとした緊張感のないものではあったが、どうやらこの二人は本当に戦争を止めようとしているらしい。しかも、ただの一人も死なせずに。

 正気の沙汰とは思えない。この坩堝のような戦場を前にして、たった二人で止めるなどまず不可能に近い。どうやら男の方はレイセンと同系統の能力持ちのようで、どちらか一方だけなら幻覚で無力化出来るらしいが、しかしそれでは男が自分で言ったように残ったもう一方に殲滅されてしまう。

 人手が足りない。

 もう一人、必要なのだ。

 他者の精神に干渉出来る能力者が。


「…………っ」


 右手に鋭い痛みが走る。握った拳から血が滲み出ていた。

 誰だって好き好んで戦争なんかしたくない。

 いつものように上司の目を盗んで訓練をサボって、いつものようにみんなで桃を食べて、夜になればご飯を食べてお風呂に入って寝床に入って――そして朝が来て変わらない毎日が始まる。

 この二人は妖怪だけでなく、そんな玉兎の毎日をも守ろうとしているのだ。

 赤の他人の平穏を、敵であるレイセン達の日常を。

 だというのに、自分ときたら止めようともしないで震えていただけではないか。レイセンの平和は……レイセン自身の手で守り抜かなければならないはずなのに!

 だから。

 レイセンは彼らの背に向けて、


「……あのっ!」

「んん?」

「だ、だったら――私がお手伝いします!!」


 知らず、声を張り上げていた。

 仲間を助けるために。

 

 

注:このレイセンは永琳に実験台にされちゃったりするあの鈴仙です。念のため。


調べてたら、月にいた頃は『レイセン』だったとか何とか書いてあったので。


最初は一話にまとめようと思ったのですが、流石に一ヶ月も空けてたし文字数もアレなんで分割しました。


後編ではホネおじさんがチャンバラします。

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