第二十九話 鬼狩。相対せしモノ
はい、三週間ぶりです。
どうして時間がかかったかは後書きで。
三日月を思わせる斧刃の曲線が、竹林に立ち込める薄霧の中で異様な存在感を放つ。
霧を抜けて差し込む陽光により鈍く輝き、その切れ味と恐怖を見た者に幻想させる。
――もっとも。
この場には観客が三人しかおらず、しかも三人が三人とも別の事に意識を集中させているため、断頭処刑にも用いられる伐採道具なんぞには見向きもしていないのだが。
三人の内の一人、斧を頭上に振りかぶった少女。
彼女の視線は、さほど大きくない切り株の上に注がれている。ジトッとした半目や、今にもため息が零れそうな口元。やるせない表情をこれでもかと浮かべて、処刑斧を上段に構えたまま苦々しく沈黙する。背中に生えた左右非対称の羽も心なしかグンニャリしているような。
『止めろ、止めてくれ! 俺が一体何をしたって言うんだ!? 俺はただ、みんなと同じようにひっそりと生きていただけなのに!』
切り株の上で“それ”は喚く。
彼女――封獣ぬえに真剣に訴えかけるような口調で、ぱっくりと裂けただけの簡単な口で己の人権(?)とぬえの行動の愚かさについての主張をまくし立てる。もう二十分以上この調子だ。さっさとコイツぶった切った方が手っ取り早いかなぁとぬえは思う。
修行だと言われて斧を手渡されて。
何がどう鍛えられるのか詳しい説明は受けてない。それでもまあ『修行』と言っているのだから修行なのだろうと、ちょっと残念な頭で考える。何だかんだ言いつつも師匠に全幅の信頼を置く素直さが彼女の長所であり弱点でありからかわれる原因なのであった。
それは続ける。
『俺と同じ寸胴チビ体型のクセに仲間を切るのか!? この人でなし! まな板! 泣き虫! スカポンタン! お前なんて一生その幼児体型のまま』
「ヌォリャアアアアアアアアッ!!」
瞬間的に沸点突破。
額にわかりやすい『井』型の血管を浮かべ、悩み多き乙女のコンプレックスを的確に抉ってくれやがった不届き者めがけて斧を振り下ろす。
断末魔と、割れるというより破裂したような音。
割断された半分がくるくると宙を舞い、それっきり声は聞こえなくなる。
「し~しょ~! 何なのさコイツ! ってかなんで薪に口が出来て喋ったりするのさ!? しかも私が気にしてる事ばっかり!」
落ちて転がった残骸にではなく、少し離れたところにいる師に向けて恨み言を吐く。
しかし竹製の長椅子に腰掛けた男は何処吹く風。まな板コンプレックス少女の怨嗟の声などには堪えた様子もなく飄々と言い返すのだ。
「俺の能力で喋っているように見えてるだけだっつの。せめてそれくらいは気付け。ついでに説明すると、そいつらが言ってる事はお前の深層心理に反応して生み出された幻聴だ。無駄に苛立たせる台詞を吐くように設定してあっから、まな板とか言われたくねぇなら胸が真っ平らで問題あるかー! って開き直るこったな」
「それはそれでなんか凄く悲しくなるんだけど!?」
そりゃそうだ。
認めようが抵抗しようが、どちらにしても大ダメージは必至なのだから。
確かに自分自身を見つめ直して肯定するのも強くなる上で重要だとは思うけれど、そういう風に説明されると余計に胸への執着が増して逆撫でされそうな気がする。
現に、背後に積まれた薪の山から新たな一本を引き抜いて切り株の上に載せれば、先ほど同じくモゾモゾと口が生まれ(たように見え)て、
『…………なんと見事な貧乳!』
「ウガアアアアアアアアアッ!!」
それがまた良い! などとほざいてくれやがった薪を頭からカチ割って沈黙させる。勢い余って切り株まで両断してしまったが、ンな事はどうでも良くなるくらいに怒髪が天を衝く。
ただでさえ銀髪女にスキマ賢者に花妖怪と、羨ましく妬ましい膨らみを持つ存在が三人もいるのだ。
邪魅とてゐと自分で三対三、形は綺麗だが控えめと(かろうじて)言える輝夜も引き入れれば四対三。数の上では優勢だが、邪魅がたゆんたゆんな大人の姿になっちゃったりなんかしたら戦況を一気にひっくり返されて少数派扱いに! ああ貧富の差が、乳格差が著しい! 強さと胸の大きさは比例するとでも言うのか!?
たかが薪に――というか自分の苦手意識を反映された幻覚におちょくられてニョギャアアアア! と頭を抱えながら苦悩するぬえ。水揚げされたエビのように仰け反って地面の上を飛び跳ねる。それこそ永琳に頭の薬でも処方してもらった方がいいのではと心配してしまうくらいにビョンビョンと。
そんな弟子の奇行を半目で眺める屍浪も、忙しいといえば忙しかったりする。
「ちょっと! よそ見してないで真剣にやりなさいよ!」
「……っつっても、今は姫さんの手番だし俺がする事なんて何もないでしょうが」
屍浪が座る竹製長椅子の反対側――これまた竹製の将棋盤を挟んで、絶世の美少女がプンスカ憤慨している。
永遠亭の住人。八意永琳の主君。貧乳同盟の一角。
蓬莱山輝夜その人である。
両足を開いて馬乗り体勢という女の子としてちょっとそれはどうよ? な座り方だが、それすらも絵になってしまう輝夜の美しさに感心すればいいのか育ての親として呆れた方がいいのか。
兎にも角にも、二人は現在対局の真っ最中なのだった。
戦況は輝夜の方が明らかに――そして圧倒的に不利。飛車と角行を含めた自駒の半数以上を取られているのだから当然といえば当然だ。
ぐぬぬぬっと唸りつつ般若顔で盤上を凝視する月のお姫様だが、睨んだところで身を寄せ合う玉将とわずかばかりの自駒の活路が見出せる訳もなく、どの駒をどう動かしても王手な状況。
投了こそが最善の手と言えるほどに手詰まりだった。
「俺が言うのもなんだが……こっからどうにか出来んの?」
「ばっ、馬鹿にしないでよ!? いいから黙って見てなさい! ここからが輝夜ちゃんの本領発揮なんだからね!? ほらよくあるでしょ、窮地の時にズバァッと覚醒する潜在能力的なアレとか!」
「そーですか」
たかが遊びで秘めたる力とかに目覚められても困るのですが。
まあ、諦めずに立ち向かうのは良い事だ。
そう前向きに考えて、屍浪は何処ともなくぼんやりと視線を漂わせる。
時間の無駄だとか決して思ってはいけない。ついうっかり口が滑ろうものなら、輝夜が半泣きでブチ切れて長椅子ごと引っくり返されてしまう。なんせこのお嬢様には(中身が白猿の妖怪だったとはいえ)本調子ではない怪我人の顔面めがけて重量感たっぷりの双六盤を投げつけた前科があるのだから。
「……いや、それはそれで手っ取り早い、か?」
「何がかしら!?」
「別にー?」
どうしても勝てずムキになる娘と、負けるまでゲームに付き合わされる父親。
月からの逃亡者と白骨の妖怪には見えない微笑ましい光景だったりする。
「――あ、いたいた。おーい、屍浪やーい」
そんな親子団欒を繰り広げる中。
永遠亭の正面――玄関がある方から、自前の垂れウサ耳を装備したちっこいのがステテテテーと駆けてくる。今日も今日とて桃色ワンピースに裸足スタイルな因幡てゐである。彼女の他にも細々とした雑用を担う脇役妖怪ウサギっ娘が数名(数匹?)ずつ交代で常駐しているのだが、厳密に永遠亭に住んでいると言えるのはてゐだけだ。
「あんたにお客さんだよん」
「客?」
首を捻る。
永遠亭に滞在している事は誰も知らないはずだし、そもそもこの場所だって他人に認識されているのかすらも怪しいのだ。知人はそれなりに多いほうではあるけれど、わざわざ竹林の迷宮を抜けてまで自分を訪ねて来るような人物となると――心当たりは全くと言っていいほどにない。
「客ってどんなよ。男か女か」
「んー? 桶の中だし女って事くらいしか分からんねー」
「桶ん中ぁ?」
流石に桶の中からコンニチワするような変人なんかと知り合いでない――と思いたい。つかスキマを使える紫じゃあるまいし、そんな奴がいきなり飛び出てきたら言葉を交える事なく拳骨でもって叩き戻しているだろう。
しかし、桶か。
つまりは水――水鏡の術。
「……もしかして、四六時中あらあらウフフとか笑ってそうな女か?」
「あーそうそう。あとツノ生えてた」
おそらくは一番の特徴であるはずなのに、言われるまで気付きませんでしたーな表情を真面目に浮かべる兎娘。やっぱり神代の頃から生きていると物忘れが激しくなるのだろうか。無駄に長生きという点では他人事ではないので、自分も気をつけようと心に決める。
ともあれ。
「ざくろか。一体何の用なんだか……」
「行くならさっさと行った方が良いと思うよー? さっきから永琳師匠がすっごく怖い笑顔で相手してるから」
「早く言え!?」
ぎゃあああああああああっ!! と形振り構わず全力で走り去る屍浪。浮気相手からのメールを発見されたお父さんという表現がこれ以上なくピッタリな慌てようである。
迷いの竹林、本日の天気予報。
いつも通り一日中霧が立ち込めますが、ところにより猛烈な血の雨が振るでしょう。
「……で、姫様は何してんのさ」
「べべべ別に何もしちゃいないわよ!?」
「いやいやいや、どう見ても屍浪の駒の位置ずらしてるじゃないっスか」
未だに全身で飛び跳ねているぬえ。
イカサマを指摘されて慌てふためく輝夜。
おまけに屋敷の中からは、
――うっわ、なんか既に手遅れっぽい!
――は? 一緒に子育てした仲ってどういう事って……それこそどういう事!? その手に持ったメスと注射器は何に使うおつもりなのでしょうかね永琳サン!?
――おいコラざくろ、口からデマカセ……じゃねぇなよく考えたら! 普通に父様とか呼ばれたりおしめ交換したりしてましたね俺!
――ああついに泣かせた、泣かせてしまった! いや違う違う、違うのですよ! 誓って浮気とかではないのですよ! じゃあ本気で捨てるつもりなのねって、どうしてそう悪い方に考えるかねアナタは!
――そしてまさかの無理心中展開!? 貴方を殺して私も死ぬ的なアレですか!? つかそこの鬼女! 楽しそうに笑ってる場合じゃねぇだろお前が原因なんだから何とかしやがれ! ホントに何しに来たんだお前は!
ドスンバタン、グサッ、ギャアアアアアアァァ――……
と、最後の断末魔までしっかり聞き終えてから。
てゐは一言だけ、
「うん。今日も平和だ」
そう満足げに頷いた。
◆ ◆ ◆
鬼子母神ざくろの用件は単純にして明快、そして血生臭さが漂うものだった。
曰く――最近、人間達の間で鬼を滅ぼそうとする動きがあるのだという。今のところざくろの子供達に被害はないが、このまま何もせず静観を決め込んでしまえば遅かれ早かれ犠牲者が出る。
それは萃香や勇儀とて例外ではない。どころか、鬼子母神であるざくろの庇護下から外れているため真っ先に狙われる可能性だってある。
生まれ持った膂力に物を言わせる鬼。
知恵と数を武器とする人間。
萃香達がただ黙って負けるとは思わないが、可能性が全くないとは言い難い。
もし人間が本当に脆弱な生き物だったならとうの昔に滅んでいたはず。そうならなかったのは、人間が外敵に対抗出来るほどの知識を用いて生き抜いて来たからだ。
水鏡で連絡を取ろうとしても応答はなく、ざくろは山を守る立場にあるため気軽に動けない。もどかしく、時間だけが過ぎていく。
そんな状況の中で打てる最善の手は――
「はい。つー訳で、やって来ました大江山」
屍浪に助けを求める事。
この黒衣の白骨が拒む訳もなかった。
萃香達の生まれ故郷である山と比べて、大江山は過剰と言えるくらいに緑の多い場所だった。元からそうだったのか、あるいは鬼達の妖力に感応して節操なく生い茂ったのか。どちらにしてもただの山ではない。獣道じみた山道は日中でも薄暗く、鬼が跋扈するに相応しい不気味具合だ。
とは言え。
れっきとした化け物ご一行である屍浪達からしてみれば『だから何なのよ』とバッサリ切って捨てる程度の山に過ぎず、彼等はもっと別の事に頭を悩ませたりしている。
「………………」
額にメスを刺しっぱなしにしたまま、静かに後ろを振り返る屍浪。
視線の先で棒立ちになっているのは紫と幽香。屍浪に見られていると気付いた途端に真っ赤な顔を俯けて、上着の裾を引き千切らんばかりに両手で握り締める。
邪魅も邪魅で、屍浪の背中に張り付いて紅潮した顔を見られないようにしているし、この場にいない永琳も自室に一人籠って枕に顔を埋めて身悶えしていたりする。
比喩表現でも何でもなく、肉眼ではっきりと、彼女達の頭から立ち上る湯気を視認出来てしまう。
理由は語るまでもない。先日の一件が原因だ。
理性と本能の境界を紫の能力で弄って暴走しちゃったりしたものだから歯止めが効かず、しかも酒に酔っていたとかそういう訳ではないので記憶もしっかりと鮮明に残ってしまっている。時間の経過と共に冷静になってみれば、込み上げてくるのはウニャアアアアアアアアッ!? と転げ回りながら叫んでしまいそうな羞恥心の大洪水。
「あーっと、その、何だ……」
屍浪も努めて平静を装ってはいるものの、気分はどん底でグッシャグシャ。心の中で自己嫌悪とか罪悪感とか名付けた壁に頭をガンガン打ちつけてセルフ拷問中。大切に慈しんできた娘達を自分で汚してしまったようなものなのだから無理もない。
父親の代わりを自負する彼の気持ちを知ってか知らずか、煮え切らない夫に一大決心して強引に迫った幼妻のごとく――初夜翌日のような気恥ずかしくも甘酸っぱい雰囲気を醸し出す乙女達。チラチラと上目遣いで屍浪の顔を窺っているのが何とも初々しい。
「…………むー」
それが“ただの”弟子でしかないぬえには面白くない。
おそらくは本人にもまだ理解出来てない感情に素直に従って、彼女は愛用の得物である三叉槍を屍浪の後頭部めがけて全力でフルスイングする。
おばぁっ!? と屍浪の上体が傾き、しかし突然の暴挙を咎めたりはせず、無理矢理にではあるが気持ちを切り替えさせてくれた弟子に対してグッとサムズアップ。
「……見事だ馬鹿弟子」
「よく分からないけどどう致しまして!」
とまあ、そんな感じに漫才をしつつ。
一行は萃香達の根城に足を運ぶのだった。
◆ ◆ ◆
鬼の根城。
転がっているのは酔っ払い共の死屍累々。
「うあー……酒クサッ!」
ぬえが鼻を押さえながら惨状を一言で述べる。
屍浪達も鼻を押さえてこそいないが、顔を顰めて同感の意を表す。
むせ返るような酒気の香りは、一息吸い込んだだけで酔い潰れてしまいそうなくらいに濃密だ。体構造を弄ってアルコールを無効化出来る屍浪はともかく、鬼でもない生身の少女達にこの濃度は危険すぎる。もはや毒と呼んでも過言ではない。
「……とりあえず、この馬鹿共スキマ送りにして引き上げるぞ」
「ま、その辺にほっぽり投げとく訳にもいかんか」
「送り先はざくろのところでいいのよね?」
どいつもこいつも見た顔ばかり。ちらほらと知らない奴も見受けられるが、それでも屍浪が我が子のように面倒を見ていた若者の方が圧倒的に多い。
だからこそ情けないと思う。
流石にもう子供ではないから飲むなとは言わないが、飲んだ挙句に潰れて音信不通なり母親を心配させたとなれば怒りを通り越して呆れしかない。
「おじさん、萃香と勇儀を見つけたわよ」
「ぅえへへ~」
「あれ~? 小父貴が二人いるぅ?」
「……完っ全にへたってるけど」
人数を確認していた幽香が、赤ら顔の鬼姉妹を小脇に抱えて戻って来る。小柄な萃香だけならまだしも長身の勇儀まで華奢な細腕で――しかも屍浪同様の呆れ顔で苦もなく抱えているその姿は、両脇でへらへら笑っているおバカ二人の笑顔と相まって異様な迫力があった。
兎にも角にも、今はこの『後片付け』を早急に終わらせなければ。
「人数は合っておるのか?」
「一応だけど、ざくろに教えてもらったのと一致してる」
「じゃあスキマ開くから、さっさと――……おじさん? どうかした?」
「……いや」
屍浪が見ているのは周囲に散乱した酒器の数々。特に珍しい陶器ではなく、ひっくり返ったり落ちて割れたりしているだけで不審な点はないように思える。
だが、屍浪が気になったのは器の数。
「幽香。萃香達がいた場所にも酒はあったか?」
「え? あったけど……それが?」
「数は?」
「えっと……」
言われるがまま、幽香は記憶を呼び起こして指折り数えていく。右手の親指から始まり左手へと続き、十本目を折り曲げたところで『あれ?』と首を傾げた。
「少なかっただろ?」
「そう言われてみれば……。でもどうして?」
「その辺に転がってる酒樽やら徳利やらの中身を全部足しておおよそ三斗。今幽香が数えた分を足してもせいぜい倍の六斗ってとこだ」
屍浪は何を言いたいのか。
真っ先に気付いたのはやはり邪魅だった。
「……少なすぎるのぅ。萃香達が総出で酔い潰れるまで飲んだしては」
「その通り。並の人間や雑魚妖怪ならまだしも、ガキの頃から俺の目を盗んであんだけ酒酒言ってた奴らがこの程度でぶっ倒れるとはとても思えん。加えて、嗅いだ事のないこの酒の臭い」
「もしかして……毒酒?」
「だとしたら酔い潰すだけっていうのは変じゃないの?」
ぬえの疑問はもっともだ。
どうせ盛るなら致死毒の方が手っ取り早いはず。
そうしなかった理由とは一体?
「生け捕りにしたいのか、それとも自分の手で首を刎ねて息の根を止めたいのか」
「どちらにしても、ざくろの母親の勘は大当たりという訳じゃな。それで屍浪、これからどうする?」
「どうするも何も、これが襲撃である以上長居は無用だ。毒酒がどうやって此処に持ち込まれたのかを考えると嫌な予感しかしやがらねぇ」
とにかく一旦ざくろの――と。
そこまで言った屍浪の声が不自然に途切れた。
背後から現れた巨大な影に殴り飛ばされたからだ。
唐突に、何の予兆もなく。
全員の意識の網を掻い潜っての一撃だった。
大木を小枝のように圧し折りながら弾丸じみた速度で水平に飛ばされ続け、岩に叩き付けられてようやく停止した。屍浪を中心に走る蜘蛛の巣状の亀裂がその桁外れの衝撃を如実に物語る。
「ぐっ――このっ……」
「おじさん!!」
「紫、背を向けるでない!」
思わず駆け寄ろうとした紫を邪魅が怒声で押し止める。
襲撃者は鬼――いや、それ以上に筋骨隆々とした巨体の化け物だった。大陸のものに近い甲冑を纏い、腰には刃こぼれだらけの両刃の剣。何より異様なのは、目も鼻も口もないのっぺりとした白面を装着している事だ。振り乱した頭髪の中から、縫い付けられた耳が覗く。
「何なのよコイツ!」
「私が知る訳ないでしょ!」
「気を抜くなよ! 何をしてくるか分からぬぞ!」
臨戦態勢を取る少女達だったが。
「そんなに警戒しなくても何もしやしないさ。少なくとも今は、ね」
台詞と共に、巨躯の背後から新たな人影が現れる。
今度は常識的な背丈の男だ。どこか狐を彷彿とさせる細面と胡散臭い糸目、緩やかな弧を描く薄い朱の口唇。烏帽子を被り、白を基調とし五芒星が刺繍された狩衣姿。
その姿が意味するのは――
「お主、陰陽師か」
「如何にもその通り。都でしがない術師なんぞをやっている――安倍晴明と申します。以後、お見知りおきを」
「その……自称しがない陰陽師が俺達に何の用だ?」
「師匠! 怪我はない!?」
「ああ、問題ねぇよ」
屍浪は太刀を抜き放ち、少女達を背に隠すようにして晴明と対峙する。
着流しの背中部分が破れてはいたが、既に修復されて傷らしい傷はない。
彼もまた、妖怪以上に正真の化け物なのであった。
しかし陰陽師、安倍晴明とは――
「大物が出てきやがったな」
「そう言う割には反応が薄いね。これでも七十近いから名乗ると結構驚かれるんだけど」
「生憎、見た目と中身が違うくらいで驚くような人生は送っちゃいねぇよ。不老長寿のトンデモびっくり人間なら妖力を分けてもらって生き永らえてる尼さんで経験済みだ」
「……なるほど噂通り。確かに面白い妖怪のようだね、キミは」
「お褒めの言葉をどう――もっ!」
たったの一歩で彼我の距離を零にして、大上段から晴明に斬りかかった。
不老程度の人間では反応出来ない速度。
だが――
「――――――」
「ちっ!」
声なき咆哮を上げ、白面の巨躯が剣でもって屍浪の一太刀を受け止める。
見かけに反してかなり機敏だ。しかしその動きは、主人の身を守るために自分で動いたというよりも、あらかじめ設定されていた動作パターンを実行しただけにも見えた。
まるで自我の一切を排除された機械のように。
「そう殺気立つなよ。まだキミと戦うつもりはない。帝から受けた勅命は都を脅かす酒呑童子――伊吹萃香とその一味の排除。とは言え、私の仕事は七度搾った酒に呪を込めるまでだし、キミ達が彼女らを討つ事を良しとしないならこのまま帰るとするさ」
「そう言われて馬鹿正直に信じると思うか?」
「なら、このまま山を下りるまで見張っていれば良い。向こうで呆けて転がってる源なんたらとかいう猪武者とは違って、私は朝廷への忠誠心が薄いからねぇ。今ここでキミ達全員を相手にするよりも、帝を幻術に嵌めて誤魔化した方が楽でいい」
言って、晴明は人差し指と中指を口元に運び、小さく何事か唱える。それと同時に傍らに控えていた巨躯の姿が掻き消えて、目に見える限りではあるが陰陽師の男は無防備となった。
彼は踵を返して木々の向こう――都の方へ歩み出す。
「さあ、斬りたければ好きにするといい。丸腰の相手を背後から斬りつける勇気があるならね」
屍浪は抜き身の太刀を握ったまま、動こうとはしなかった。
「師匠良いの? あの男……」
「……今は萃香達を避難させる方が先だ。それに、周りをよく見てみろ」
「周りって――あっ」
乱立する木々の――その幹に。
周囲をぐるりと取り囲むようにして呪札が貼り付けてあった。
何のためかは分からないが、良い予感はしない。
「ここはアイツの領域、手の平の上って訳だ。お前らだけならまだ何とかなるだろうが、酔い潰れた馬鹿共までは流石に守り切れん」
「口惜しいが、退くしかないか」
「そういうこった」
晴明の背中が見えなくなった後、屍浪達は手分けして鬼達をスキマに押し込み永遠亭へと帰還した。時間にすれば十五分にも満たない短い邂逅だが、安陪晴明という人間じみた化物の存在は、屍浪の心に言いようのない不安を刻み込むには十分だった。
屍浪と晴明。
この二人が雌雄を決するのはもう少し後の事となる。
艦これ、おもしろいですねー
MH4、画がヌルッと動きますねー
次回は月面戦争です。