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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
三章 邂逅別離編
32/51

第二十七話 決意。乙女の聖戦――永琳と邪魅の場合

 正座を、しなければならぬ。

 それが現在における狂骨・屍浪の最優先事項だった。

 粛々と床に跪き、踵の上に尻を載せ、両の膝は拳二つ分ほどの間隔を空けて、右手は軽く握って腿の上に。背中を真っ直ぐに伸ばし、しかし頭は上方を――正確には正面に立つ彼女の顔を視界に入れないよう軽く項垂れる。

 一分の隙もない全面降伏謝罪姿勢。

 すぐにでも土下座に移行可能。

 何処ぞの博物館で『怒られちゃってる人』の骨格標本として展示されてしまいそうなくらいに見事な反省具合であった。

 邪魅、それに紫や幽香が同席してなくて本当に良かった、と心の底から思う。見られても別に恥ずかしくはないけれど、気軽に見物させて良いものでもないのだ。

 邪魅達も一応当事者ではあるのだが、今は別室でぬえを玩具代わりにして自分の番を待っている。置き去りにされた馬鹿弟子が怯えた表情で縋るように屍浪を見ていたが、助けてほしいのはこっちの方だと声を大にして言いたかった。

 ああ、逃げ出したい。

 絶対に不可能だと分かっていても、そう願わずにはいられない。このすぐ後に、同じように怒り心頭な相棒と『愛娘』二人によるお説教タイムが待っているのだから尚更だ。

 良くも悪くも男親のような立場にある屍浪では『娘』を育て上げる事は出来ない。鍛える事くらいは出来るが、それは意味合い的に似て非なるものだ。だから、嬉々として母親役を買って出た邪魅や、子育て百戦錬磨のざくろに頼んでみたのだけれど……。


(……早まっちまったかねぇ)


 おかげさまで紫も幽香も一人前になりましたと笑いたくなる半面、もう少しお淑やかに育って欲しかったなぁと嘆きたくもなる。

 黙って姿を消した屍浪に非があると言うのならその通りだが、その結果が“アレ”では悔やんでも悔やみ切れない。良かれと思って講じた策が、完全に裏目に出てしまっていた。

 やれやれどうしたものか――と。

 現実逃避する事すら、今の屍浪には許されない。


「シロ?」


 ビクリと身を竦ませる。

 意を決して頭を上げれば、極上の笑みを湛えた永琳の顔が眼前に。

 何時以来だろうか、彼女のこの笑顔を見るのは。

 何時以来だろうか、これほどの恐怖を感じたのは。

 こうなるなら骨の姿に戻っておけば良かったか、と今更ながらに後悔する。止め処なく浮かぶ冷や汗で肌と着流しはべっとりと湿り気を帯び、表情筋が形作るのは引き攣った笑みばかり。


「うふふふふふふ――」

「は、ははははは、は……」


 銀髪を揺らめかせる美しき修羅。

 その降臨を目の当たりにした屍浪。

 歪み震える口からは、乾いた笑いしか零れない。

 人形のように白くてキメ細やかな指で頬を撫でられ、そしてやんわりと引っ張られる。抓ると言うよりは摘むように――痛みこそ感じないが、それ故にこれから何をされるのか想像がつき過ぎて、恐ろしさだけが増幅していく。


「……ねぇ、シロ?」


 永琳の紅い口唇が緩やかな弧を描き、


「こんな時に、他の娘の事を考える余裕なんてあるのかしら?」

「いや、まあその、ない……のでしょうね、やっぱり」


 底冷えのする声に含まれるのは、凍て付くような激情。

 共に暮らした経験がある屍浪だから、まだこの程度で済んでいるのだ。

 耐性を持っていない――たとえば初対面のぬえがこの場にいたら、恥も外聞もなく大きな悲鳴を上げて屍浪の背中に隠れてガタガタ震える事になっただろう。現に今、部屋の外で待機している因幡てゐが絶対零度の怒りの余波を受けてしまい、壁越しでも分かるくらいの悲鳴を響かせているのだから。

 とにかく、この状況は非常に不味い。

 言葉の選択を誤れば、命の危機に直面するどころか三途の川を泳ぐ羽目になる。自分に彼岸に辿り着けるような魂があるかどうかは知らないが、それくらい切羽詰っていると屍浪は言いたい訳で。

 彼女の質問に対して大人しく肯定するか、それとも言い訳がましく弁解するか。

 どちらにしても無理難題極まりない。

 と。

 屍浪が行動を起こすよりも先に、永琳が動いた。

 彼女は屍浪に覆い被さるように上体を預け、両の腕を愛しい男の首に巻きつける。そのまま肩に顔を埋めて、耳元でそっと言葉を紡ぐ。

 甘い睦言の如く。

 蝕む呪詛の如く。


「私がどれくらい怒ってるか分かる?」

「いや、えーと……」

「分かるわよねぇ。だって、ずうっと一緒に暮らしてきた『家族』だもの。私が怒っている事も、これからどうして欲しいのかも、貴方は全て気付いてるはず」

「あのな、永琳サン。あいつらが何をどう捻じ曲げて説明したのかは知らねぇが、と言うか、浮気バレした旦那の言い訳みたいな月並みな台詞ではございますが、本当に、貴女に顔向け出来ないやましい事とかは微塵もなくてですねその――」


 其処で言葉は途切れる。

 永琳が首の締め付けを強めて、頬と頬を寄せ合うように密着してきたからだ。柔らかな香りと感触に口を塞がれて、屍浪は何も言えなくなる。


「そうね。確かに色々な事をたぁくさん聞かせてもらったわ。その中には私が知らない貴方が何人もいて、それを知る事が出来てとても嬉しかった。けど、同時に悲しくもなったの。だって、そうでしょう? 今の貴方は昔と違って、私だけを見てくれてはいないのだから」


 永琳は呆然とする屍浪を正面から見つめて、


「貴方が優しい事は誰よりも良く知ってる。困っている人を見捨てられない事も、自分一人で全部背負いたがる事も、貴方にとっては私も邪魅も彼女達も『大切なもの』の一つだと言う事も」


 でもね屍浪、と続けて永琳は笑む。

 先ほどまでとはまるで異なる、優しげで儚げな微笑。にも関わらず、その笑みが発する迫力は圧倒的と呼べるほどに桁外れで――


「貴方はそれで良くても私は――私達はそれじゃ駄目なの。私達は女。とってもこわくて欲張りな生き物だから」


 貴方を好きになったから。

 貴方を愛してしまったから。

 一番にならなければ、気が済まないの。


「だから……ね?」

「いや『ね?』って……ま、待った、待て待て待て待て! 仰りたい事は重々承知したし何考えてんのかも理解したから一旦ここで落ち着こう。ほらアレだ、別に強行手段を無理に御利用にならなくても、冷静に話し合えばお互いに納得がいく解決策を見出せると思うのですが!?」

「あら? 話し合いなら貴方が来る前に終わってるわ。ええ――それはもうじっくりと、朝から晩まで話し合って決めたのよ?」

「き、決めたって……」


 まさか――


「ええ……最初は私♪」

「いがみ合うどころか裏で手ェ組んでらっしゃった!? ってか『最初』って、あいつらがさっき言ってた『順番待ち』って説教とかじゃなくてそっちの話なのですか!?」


 裏切られた気分になる屍浪に対し、永琳は新たな行動に出る。

 今度は頬ではなく、唇を重ねたのだ。

 しかも、啄むような軽いものではない。

 舌先で屍浪の口を強引にこじ開けて、深く、長く、濃密に貪る。

 やがて離れて、それでも強く強く抱き締めたまま、口を開きながらも声を出せずにいる屍浪に向けて、八意永琳は静かに宣言する。

 三つ編みにしていた髪をゆるやかに解き。

 銀糸のように伸びる唾液を妖艶に舐め取って。


「覚悟なさい屍浪。私はこれから、貴方の一番になる」


 その願いが叶うまでは――


「絶対――ゆるさないんだから」



 ◆ ◆ ◆



 同時刻。

 屍浪の弟子を自称する封獣ぬえもまた、彼に負けず劣らずの窮地に直面していた。

 ワタクシ何か粗相をしましたかやらかしちゃいましたかーっ!? と身に覚えのない罪だけどとにかく謝ってしまいたくなるくらいには混乱の極みにある。

 表面上は平穏そのもの、特に明確な敵意や殺意を向けられている訳ではないのだが、代わりに値踏みされているような警戒されているような――指一本動かしただけで容易く滅ぼされてしまいそうな空気と視線が全身に纏わりついて離れない。

 少しでも気を抜けば押し潰されてしまいそうな重圧。

 刺々しく、重々しく。

 針のムシロか、あるいは断頭台の首枷のごとく彼女を苛む。

 もっとも、


「……あ、おじさんの悲鳴」

「首尾は上々、と言ったところかしら。彼女に一番手を譲るのは癪だけど……」

「まあそう言うな幽香。永琳には屍浪をある程度崩してもらわにゃならん。でないと儂らのこれからにも支障をきたすしの。それに順番は公平にくじ引きで決めたのだから、最初になろうと最後になろうと文句のつけようもあるまい? 恨むなら自分のくじ運のなさを恨むが良い」


 この場にいるぬえ以外の三名は、奇妙な形の透明な器に淹れられた緑茶を平然と啜って談笑していたりするのだが。

 八雲紫。

 風見幽香。

 彼女達の存在がぬえは恐ろしくて仕方がない。

 轟く異名、蔓延る悪名、聞く者が聞けば震えが止まらなくなるほどの大妖怪。そこらの木っ端妖怪など指先一つで薙ぎ倒せる正真正銘の怪物達が目の前にいるのだから無理もないと言える。必死に食い縛っていなければ、歯が鳴りっぱなしになっていただろう。

 そしてもう一人、得体の知れない存在がいる。

 外見はぬえに近い年頃の娘。しかし萌葱色の襦袢を着た矮躯から滲み出る気迫は、永い年月を生き抜いてきた実力者のそれだ。明らかに不機嫌そうな幽香を子供でもあやすような口調で窘めている事からも、少女の立場と力量が否応なしに推し量れてしまう。

 どうしてこんな事にと自問するが、答えが見つかる訳もなく。

 何もかもが唐突過ぎて考えがまとまらないのだ。

 屍浪の後について山沿いの道を進んでいたら、両端をリボンで結んだ目玉だらけの穴が空中にぽっかりと口を開けて、『あ、やっば……』と口走った屍浪にその意味を訊ねる暇もなく中から伸びてきた巨大な樹木の腕に捕獲されて引きずり込まれて、目を開けたら見慣れない屋敷の一室にいて噂に名高い大妖怪三人組とめでたく恐怖のご対面。

 うん、全くもって意味不明だ。

 助けを求めたいところだが、唯一の味方である屍浪は怖い笑顔の銀髪女に連行されて今は不在。師事する者として、屋敷の奥から時折聞こえてくる焦ったような悲鳴が師匠のものではないと信じたい。


「……飲まないの?」

「え?」


 声につられて顔を上げると、卓に頬杖を突く幽香と目が合った。

 真紅の瞳で彼女が指し示すのは、ぬえの前に置かれた緑茶だ。


「私が作った茶葉だけど、口に合わなかったかしら?」


 ゆっくりと細められる双眸。

 前髪の陰から紅い光を放つ幽香の目が、声なき声で雄弁に語る。


 残したら殺す、と。


 慌てて喉奥に流し込むぬえ。

 手を付けずに放置してたせいですっかり冷めてしまっていたが、それが逆に有り難い。熱々の状態で強引に飲み込んでいたら間違いなく火傷しただろうし、耐え切れずに吐き出しちゃったりなんかしたら目も当てられないくらい悲惨な結果になっていたはずだ。主に、自分が血の海に浮かぶ感じの。


「け、結構なお手前で……!」

「あらどうも。けど……あまり味わっているようには見えなかったわねぇ」

「そそそそそんな事ないわよ!?」


 飲み干したのに幽香の攻撃は止まらない。

 これが、冷酷無比と恐れられる風見幽香か。

 なるほど確かに、睨まれて声を聞かされただけで、全身を磔にでもされたような錯覚に陥ってしまう。彼女の機嫌を損ねた者のことごとくが無残な結末を迎えていると聞くが、それは誇張でも何でもない純粋な事実であったのだと思い知らされる。

 生きた心地がしないぬえ。

 助け舟を出したのは予想外の人物だった。


「止めなさいな。いくら虫の居所が悪いからって、八つ当たりなんてみっともないわ」


 幽香と卓を挟んで向かい合う八雲紫が、端正な顔立ちに呆れの表情を浮かべて言う。

 流石は妖怪の賢者と呼ばれている才媛だ。妖怪と人間の共生を目指して尽力するだけあってなんと思慮深く、慈悲深いのだろうか。悪い噂ばかりで偏見を持っていたけど、幽香とは比べ物にならないくらい優しい性格なのかも、とぬえは思わず涙ぐみそうになり、


「それにその子、おじさんについてきた子でしょ? 苛めたりなんかしたらおじさんが戻ってきた時に怒られるわよ? 私だって我慢してるんだから」


 まさかのオチに脱力して、卓に額を打ち付けた。

 やっぱりこの女達は全員敵だ。助けて師匠。


「……で、小娘。お主は屍浪の何なのじゃ?」


 畳み掛けるように黒髪の少女が問うてくる。

 何なのかと訊ねられても返答に困るのですが。

 元々強引についてきた身の上だし、そもそも弟子と認められてすらいない気がする。最近になってようやく能力の応用やら槍の使い方やらの稽古をつけてくれるようになったが、それだって屍浪の気が向いた時だけ。口喧嘩じみた会話を繰り広げながら朝から晩まで歩き続ける事の方が多い。

 その事に今更ながら気が付いて、頭の中でぐるぐると不安が渦巻く。

 もしかしたら、本心では付き纏う自分を鬱陶しく思っているのかもしれない。このワケのワカラン騒動も実は屍浪の策略で、当人は既に旅立った後なのかも――


「そ、そういうアンタ達こそ師匠の何なのさ!? さっきから呼び捨てにしたり『おじさん』って呼んだりしてるけど!」


 這い寄るもやもやを拭い去るために、質問に質問を返す。

 黒髪と金髪と緑髪は特に気分を害した風もなく、んー? とそれぞれ思い思いの表情を形作って、


「伴侶じゃ」

「お嫁さんよ」

「正室ね」

「……ええー?」

「ちなみに永琳は『本妻』とか言ってたぞ?」


 きっぱりと断言した。

 きっぱりと断言されてしまった。

 まさかの四股疑惑が浮上して微妙な顔になるぬえだったが、それを否定するかのようにタイミング良く、全部間違ってるぞーっ!! という魂の叫びが耳に届く。

 ああ師匠、貴方は最後の力を振り絞って身の潔白を証明しようとしたのですね。疑ったりなんかしてゴメンナサイ。あと、最低のクズ野郎なのかもって少し思っちゃいました。

 それっきり何も聞こえなくなった――その意味を苦々しく噛み締めつつ、屍浪が今直面しているであろう困難の万分の一でも味わうために、


「あの、おかわりください!」


 とりあえず。

 かなり美味しかった幽香印のお茶をおかわりする事にした。

 んまーっ。



 ◆ ◆ ◆



 ようやく――本当にようやく、永琳が解放してくれた。

 彼女の寝室に拉致されたのが今日の昼頃。その時はまだ陽は高かったが、今はもう夕方で、笹葉の合間から見える空の大半が薄闇色に染まろうとしていた。

 おおよそ四時間ほど二人っきりだった事になる。

 四時間。

 生々しい時間だった。


「生きとるかー?」

「……罪悪感と自己嫌悪で死にそうだよ」


 あまり心配してなさそうな邪魅の問い掛けに対し、屍浪は投げやりに答えを返す。

 住人が『永遠亭』と呼ぶ純和風建築の大きな屋敷――新緑鮮やかな竹林を望む縁側で、右腕と両足をだらりと投げ出して『くたびれちゃってますよ感』を全身で表現する。疲労の色が相当に濃く、中空を彷徨わせる視線もどこか虚ろで、半開きの口から漏れるのは『ぶわー』とか自分でも意味不明な音ばかり。

 疲れた。本当に疲れた。むしろ憑かれた。

 身体を動かす気も起きず、もうかれこれ三十分は此処でだらけている。


「しっかし、ここまで弱っているお主というのも初めて見るのぅ」

「弱る原因を作った当事者の一人が何言ってやがる……」


 眼球だけ動かして睨みつける屍浪だが、黒髪樹精小娘は飄々と、


「ふん、純情乙女の心を弄んだ薄情者には丁度良い罰じゃ。手紙も残さずいきなり置き去りにするとか阿呆かお主は! 実は結構泣きそうになったんじゃからね!?」

「後半の台詞はともかく、乙女って単語が似合う年じゃ――」

「天誅ーっ!!」

「うばぁ」


 小っちゃな拳で顔面を殴られた。自称乙女に年齢の話は禁句であるらしい。邪魅の場合は数発殴られただけで済んだけれど、これが永琳サンだったら無言のまま矢をぶっ放すか毒薬を盛るかするんだろうなぁと怖過ぎる想像が鈍痛と共に脳裏を駆け巡った。

 まったく……と邪魅は真面目な顔つきになって眉尻を下げ、


「どうしてそこまで毛嫌いする。一個の生命体として、子孫を残すという行為は称賛すべきであろ? 嫌がる女子を無理矢理手籠めにするというならともかく、儂ら自身がそれを望んでおるのだから拒む理由などないだろうに……」

「……厳密には生物ですらねぇからだよ。人間の姿も、骨の姿も、他人から譲り受けた仮初に過ぎねぇ。お前にもそう教えたはずだろうが」


 屍浪の正体は妖力そのもの。

 故に、理屈の上では分かっていても、実際に行動を起こそうと思わない。意欲が湧かない。情欲が滾らない。本来ならば実体を持たない屍浪は、そもそも『種の保存』――性欲という本能が希薄なのだ。

 永琳も、邪魅も、幽香も紫も、自分如きに好意を抱いてくれた。認めてくれた。愛してくれた。

 それを嬉しく思うから。心の底から大切にしたいと思うから。

 だからこそ、


「こんな半端な気持ちで、お前さんらを汚す訳にはいかねぇんだ」

「………………」


 邪魅はハァ――とため息一つ。


「ホントに難儀で面倒な性格しとるのぅお主は。他ならぬ儂ら自身が良いと言うとるのだから、そんな小難しく考えずに美味しく頂いてしまえよ。傷つけたくないっちゅーお主の気持ちは分からんでもないが、折角用意した据え膳を食べてもらえぬ方がよっぽど乙女の誇りを傷つけるぞ?」

「食うにしても礼儀礼節ってもんが大事だろ」

「じゃぁかぁらぁ、誰もそこまで行儀正しくしろとは言うとらんじゃろが! 男は皆ケダモノとか、そんな感じで流れに身を任せておけば何とかなるわい! っちゅーか儂ら全員初めてだからいざそうなったら他の事考える余裕なんてありませんよ多分!」


 何かいきなり唐突に、生娘である事をカミングアウトされてしまった。

 この場合どんな反応を返せばいいのだろうか。

 諸手を挙げて喜ぶのは違う気がするし、励ますのはもっと違う気がする。

 なので努めて冷静に、しかしあからさまに話題を変える事にした。


「……ときに相棒」

「何じゃい」

「俺は何時までこの体勢を維持しなければならないのでしょうか?」

「儂の気が済むまでじゃ」


 屍浪は現在、仰向けに寝転んだ状態で身動きが取れずにいた。後頭部から伝わってくるのは柔らかな感触。目に映るのは永遠亭の軒先ではなく、こちらを上から覗き込む邪魅の童顔だ。彼女の両手は屍浪の両頬に添えられており、時折思い出したようにムニムニとこねてくる。

 端的に説明すると、膝枕をされていた。

 屍浪が懇願した訳ではない。邪魅の主張が強引に押し通された結果の産物である。疲労困憊で動けない屍浪に残されたのは口頭での抗議だけだったが、笑みを深めた自称純情乙女は耳を貸そうとはしなかった。


「……永琳サンは『最初』っつってたけど」

「察しが良いのう。二番手は儂じゃ」


 だろうと思ったよチクショウ!! と叫んで身体を起こそうとするが、上手く力が入らない。せめて頭だけでも離そうと首を動かし、邪魅の太ももから硬い床に滑り落ちて痺れる痛みにぐおおっと悶絶。

 逃げられないと確信しているのか、邪魅は焦る事もなく、


「そーんなに嫌がらなくても良いじゃろー? ほぉれほれほれほれ、瑞々しい十代のお肌じゃよー、良いではないか良いではないかー」

「ま、待てぐもももっ……」


 すぐに頭を戻されて、今度は胸部全体で抑え込まれた。

 その気になれば鬼子母神とも張り合えるほどの馬鹿力で圧迫される屍浪。柔らかいような硬いような――プニプニコツコツとしか言い表せない不可思議な感触が顔面を襲い、軋んで割れるような破滅の音が頭蓋に響く。

 かろうじて耳の届くのは、してやったりとでも言いたげな笑い声。 


「にゅふふふ――どうして儂が二番手に甘んじておるのか考えなかったのか? 疲れ果てたお主なら楽に取り押さえて好き放題出来るからに決まっておろうが。永琳は実に良い仕事をしてくれた。さぁ屍浪、観念せい。儂のために働いてくれたあの女の分まで、二人っきりでゆっくりと――」


「――そんな事だろうと思ったわ」


 声がした。

 邪魅が今、一番聞きたくない声が。

 屍浪の頭を押さえつけたまま視線を移せば、其処に立っていたのは八意永琳。

 十字印の帽子は被っておらず、三つ編みを解いた状態の銀髪を肩から背中へ流し、身嗜みに気を使う彼女にしては珍しく胸元がはだけている。

 そして、その顔はとても不機嫌そうだった。


「順番を譲ってくれた時点で薄々勘付いてはいたけど……随分と姑息な真似をしてくれるじゃない」

「『自分に回ってきたら他の者は邪魔をしない』。あらかじめ決めておいた約束事はそれだけだったはず。ならばお主にとやかく言われる筋合いはあるまい?」


 邪魅は心底愉快そうに両の口端を吊り上げて、


「愛する男一人モノに出来んような女に、儂は負けるつもりはないぞ?」


 ビキリ、という音と同時に周囲の気温が急低下。

 額にぶっとい青筋を浮かべて、頬を引き攣らせながら、それでも笑顔のまま、永琳は邪魅の売り言葉を安価で買い取る。


「……そうねぇ。でも、それはお互い様ではなくて? 可哀想な屍浪。青臭いまな板なんかを押し付けられて、とっても辛そう」

「――あァ?」


 体感温度、更に低下。

 まるで腕組みでもするように、両の二の腕で己の双丘を押し上げる永琳。これ見よがしに強調される母性のシンボルに対し、残念ムネんの所持者である邪魅は、


「……とーうっ!」

「もがっ!?」


 何を思ったのか、いきなり屍浪に接吻をし始めた。

 呆気に取られる永琳の前で、邪魅の身体が変化していく。

 手足はすらりと長く伸び、背丈も比例して均整のとれた完璧なものへ。白磁の肌を持つ相貌からはあどけなさが消えて、代わりとばかりに漂い出すのは、傾城傾国と呼ぶに値する妖しげな色香。

 森の女王の座に君臨した、かつての大妖の艶姿。


「――ぷはっ。どうじゃぁ? これで儂の方がデカいぞ? んん?」


 ぶるんと揺れるその胸は、確かに永琳よりもちょっとだけ――ほんのちょっとだけ大きくなった。色々豊かになる代償として、不意打ち気味に妖力を吸い取られた屍浪が虫の息になってしまったが。


「……胸が大きくなっても――」

「それに、儂が迫っても屍浪は拒むどころか文句一つ言わなかったぞ?」


 周囲一帯から生物の気配が失せて、殺気が天地を鳴動させる。

 この永遠亭全体に、氷河期が到来しようとしていた。

 ちなみに。


「が――ぐ、ご……」


 屍浪は文句を言わなかったのではなく、言えなかったのだとここで説明しておこう。疲労が蓄積した状態で妖力を奪われたのだから無理もない話ではある。

 逃げる事も出来ず、説得もろくに出来なくなった屍浪は――


「さってさてー、それじゃあ本番といこうかのー♪ 何なら隣で見学するか? 鬼子母神仕込みの籠絡術、とっくとご覧に入れようぞ?」

「……ええ、是非もないわ。貴女と私の、何処がどう違うのか、何が勝り何が劣っているのか、隅から隅まで余す所なく観察して――すぐに奪い返してみせるから」


 二人にずるずると引き摺られて、奥の座敷に逆戻り。

 薄れゆく意識の中で彼が最後に目にしたものは。


「………………」

「………………」


 曲がり角の陰から、こちらに向けて合掌一礼するぬえとてゐの姿だった。


 今回の教訓。


 節操のない優しさは、時として己の身を滅ぼす。

R15、いや、13くらいには出来ただろうか……。


次の話は紫と幽香のターンです。お風呂もあるよ!

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