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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
三章 邂逅別離編
31/51

第二十六話 聖魔。平等主義者は何を思う

 その寺の存在を知ったのは何時の頃だったか。

 風に乗って流れて来た噂を偶然小耳に挟んだような気もするし、酒の席で鬼達が話題に上げたのを聞いたような気もする。とにかく、知り得た経緯はどうあれ、その寺と――そして其処に住まう者の名は、いつも屍浪の頭の片隅にあった。


 曰く――とある高僧の実姉であり、本人も屈指の法力を持つ。

 曰く――人間のみならず、力なき妖怪にも救いの手を差し伸べる。


 などなど、尾ヒレ背ビレを含めた諸々の逸話が人妖の間で広まっている。

 ざくろの下で食客していた頃は漠然と、永琳サン以外にも変な人間がいるんだなぁと軽く失礼に思う程度の感想しかなかった。だが今は、特に目的も予定もない行き当たりばったりな旅の最中。物見遊山ついでに変わり者の顔でも拝んでみようと考えるには申し分ない状況だ。

 妖怪が神仏を祀る場所に赴くなど滑稽極まりない話ではあるけれど、しかし人間・妖怪の種族を問わず分け隔てなく平等に接するというのなら、あるいはこの面倒事も快く引き受けてくれるのではないかと屍浪は淡い期待を胸に歩を進めているのだった。


「ねー師匠、ドコ行こうってのさー?」


 屍浪が『面倒事』と称する者と共に。

 すぐ後ろをついてくるのは、左右非対称の翼を持つ黒の少女。変わり映えのしない風景に飽きてきたのか、彼女は得物の三叉槍を弄びながら問うてくる。

 封獣ぬえ。

 頭を踏みつけられるという衝撃的な登場を果たし、高らかに上げた名乗りは腹の虫に邪魔された挙句、平安京で悲鳴を撒きながら逃げ回った、紆余曲折――と呼べるほど複雑怪奇ではないにしても中々に数奇な運命を辿る薄幸の妖怪である。


「師匠ってばー」


 屍浪は答えない。

 聞こえていないのではなく、ぬえの呼び掛けを努めて徹底的に無視し続けている。喚き散らそうが袖を引っ張ろうが周囲をくるくる走り回ろうが飛び回ろうがお構いなし。封獣ぬえという少女の存在そのものを、己の意識から完全に締め出していた。

 当然、いない子扱いされているぬえは面白くない。

 無視されたくらいで大人しくすごすご引き下がるような性格だったなら、そもそも最初に『ついてくるな』と言われた時点で諦めて帰っているし、マミゾウの慮った忠告に反発して佐渡を飛び出したりもしなかった。

 諦めの悪さは美点とも言える。

 こちらを見てくれないのなら、見てくれるまで続けるのみ。

 彼女の行動は迅速だった。

 翼を翻して屍浪の背中に飛びつくと、彼の耳元に顔を近づけて、大きく大きく――仰け反るくらいまで息を吸い込み、


「――しぃしょおってばあああああああああああああっ!!」


 鳥が一斉に飛び立ち、獣が尻尾を巻いて逃げ去るほどの大音声。

 音波というよりは物理的な威力を伴った衝撃波が至近距離から襲い掛かり、黒い長躯がぐらりと真横に傾きかける。どうにかこうにかかろうじて踏ん張ってはみたものの、用済みで放置された案山子のような姿勢になってしまった。


「…………」


 引き攣った笑みを浮かべる屍浪。腕を伸ばし、鼓膜を破ろうとしやがった大馬鹿者の後ろ襟を掴んで眼前に吊り下げる。

 捕獲された猫のごとく揺れるぬえ。その顔は如何にも『御立腹です』と言いたげな膨れっ面になっているのだが、不機嫌さで比べるなら屍浪だって負けてはいない。


「……俺は」


 ゆっくりと――噛み砕くように。

 刻み込むように、刷り込むように。

 ぬえに向けて言葉を紡ぐ。


「師匠と呼ばれる筋合いなんざねぇし、お前さんを弟子にした覚えもねぇよ。ってか俺は何度も何度も何度も何度も『佐渡に帰れ』っつってんだろうが!」

「私は弟子に『してもらった』んじゃなくて弟子に『なってあげた』のよ! あんたをどういう風に呼ぼうが私の勝手でしょ! それに佐渡に帰ろうにも帰り道が分からないんだからあんたの後ろをついていくしかないじゃないのさ!」

「だったら黙って大人しくその辺の木陰からでもこっそりついて来いや! 毎日毎日必要もねぇのに俺の周りをうろちょろしやがって、一体何がしてぇんだ!?」

「退屈だし寂しいだもん!」

「可愛らしく言ってもそれで許されると思うなよ半人前!」


 ギャーギャー言い争いながら進む二人。

 向かうのは妖怪を救済する寺。

 となれば、この土地には屍浪同様に噂を聞きつけて集まった妖怪が数多く身を潜めているはずなのだが、しかし二人の怒声に恐れをなしたのか、あるいは関わり合いになりたくないだけか――これだけ盛大に騒いでいても、彼と彼女の歩みを邪魔する者が現れる事はなかった。

 もっとも。

 現れたら現れたで、怒り心頭の騒音コンビに八つ当たり気味に殲滅されただろうが。


 と、その時――


 数メートル前方、子供の背丈ほどもある茂みが、ガサッと大きく音を立てた。それも一度ではない。二度、三度と連続的に葉擦れの音を生み出す。

 言い争いがピタリと止んだ。

 揃って音源を凝視する。


「野犬……かな?」

「いや、もっとデカい」

「じゃあ、熊?」

「さぁてねぇ」


 降ろされたぬえは三叉槍を構え、屍浪は空いた右手で太刀の柄を握る。

 野犬だろうと何だろうと、妖怪化もしていない猛獣など敵にすらならないが、出来れば熊とかイノシシとかが良いなあ……と同時に思う。

 なぜならば。


「出てくるのが何であれ、絶対に逃がすんじゃねぇぞ」

「もちろん、三日ぶりのご飯だもん」


 空腹。

 二人の気が立っている原因はそれであった。

 ぬえが言うように、もう丸三日も食事抜きの状況に苛まれている。

 理由としては至極単純。

 ぬえが屍浪の想像以上に食べる子だった。

 ただそれだけの事ではあるが、『育ち盛りだから』の一言で片付けるには少々深刻な問題だ。子どもにひもじい思いをさせるなど屍浪のプライドが許さない。かと言って肉を調達しようにも、毎日のように繰り返す口喧嘩のせいで獣が寄り付かなくなる始末。

 本来ならば屍浪は睡眠も食事も必要としない。なのでこのまま絶食を続けても飢え死にする心配はないのだが、生身を手に入れた反動なのか弊害なのか、定期的に食べて眠らなければ落ち着かなくなった。言うなれば禁断症状だ。本能ではなく、嗜好や習慣の意味合いが強いのかもしれないと自己分析する。

 とにかく、水や木の実だけで腹を誤魔化すのも限界に近い。寺に着いたら『あの、ご飯ください!』と真顔で懇願したくなるくらい食料を渇望しているのだった。

 葉擦れの音が、飢えた二人のすぐ目の前まで迫る。


 そして――


 大きくて丸っこい耳が。

 茂みの中から飛び出した瞬間に。


「確保ぁ!!」

「いただきまーす!!」

「う――わわわわわっ!? 何だ何だ!?」


 見事な連携で獲物を捕獲した。



 ◆ ◆ ◆



「ご飯じゃー、朝食じゃー!」

「時間的には昼飯じゃー!」


 捕らえた獲物を地面に放置して、屍浪とぬえは嬉々とした表情で食事の準備を進めていく。調理方法は野性味溢れる丸焼きである。まだるっこしく料理する時間すらも惜しい。味なんぞ最低限で構わない。腹一杯になりさえすればいいのだ。

 何というか……密林の原住民っぽくなってしまっていた。


「ししょー、火が点きました!」

「師匠言うな! では――投下! 中までじっくり火を通すのだ!」

「合点了解!」

「了解じゃない! ちょっと待て、そんな躊躇いなく私を持ち上げるな! 待て待て待てお願いだから待ってくれぇ!!」


 獲物が悲鳴を上げる。

 おかしなテンションの二人から逃亡しようと色々試みてはいるものの、縄で雁字搦めに縛られているため文字通り手も足も出せず、せいぜい身を捩る事くらいしか出来ない。今にも火中に投げ込まれそうな体勢のまま、水揚げされた魚のように跳ねるばかり。

 まな板の上の鯉ならぬ、焚き火の上の鼠。

 そう――屍浪達が捕まえたのは鼠だった。それも、少女の姿を取る妖怪鼠だ。鼠特有の丸っこい耳と長い尻尾が生えている。彼女は暗い灰色の髪を振り乱し、深紅の瞳を潤ませながら、


「わ、私なんか食べても美味しくないぞ!? それにほらよく見てくれ、脂身が少ないから胸だってこぉんなに薄くて平らで慎ましやかで控えめで――ああ自分で言ってて悲しくなってきた!」

「味の方は食べてみないと分からない! 胸の方はまあ頑張れ!」

「胸が貧しいのは同情するわ! でも安心して! たとえ不味くても残さず綺麗に食べてあげるから!」

「会話が成立してるようでまるでしてない!? そして私の胸を気の毒そうな目で見ないでくれ! 誰か助けてええええええっ!!」


 色んな意味で悲痛な叫びが木霊する。

 ああ可哀想な鼠少女。このまま命乞いも空しく飢えた二匹の獣に骨の髄までペロリと美味しく(物理的に)食べられてしまうのだろうか。

 ……いや、諦めてはいけない、諦めてなるものか。

 彼女にはまだ頼れる同胞達が沢山いるのだから!


 ちゅー、という鳴き声。


 それは焚き火の音や馬鹿騒ぎに負けそうなくらいに小さく微かで、けれど決して掻き消されたりはせず、三人の耳に確かに届いた。


「んん?」

「えっ?」

「あっ!」


 声のする方を見やれば、其処にいたのは一匹の鼠。

 焚き火に背を向けて、鼠少女が投げ込まれるのを阻止するかのように後足だけで立つ。本当は怖くて怖くて仕方がないのだろう――手の平サイズの矮躯をプルプルブルブル震わせながら、それでも果敢に前足を広げて『しちゃダメーッ!!』と身振り手振りで己の心境を表現していく。

 小さくも大きな勇気を示した彼(彼女?)に感銘を受けて、他の鼠達もぞくぞくと集結し始める。木の根元に空いた洞、繁る草葉の陰、鼠少女の尻尾に吊るされたバスケットの中からも姿を現し、円陣を組んで焚き火を幾重にも包囲した。

 まるで『絶対にさせないぞ!』とでも言うかのように。


「み、皆ぁ!!」


 感動の涙を流す鼠少女。

 力では敵わない相手だと理解していながら、決死の覚悟で身を挺す。たとえ最後の一匹になったとしても絶対に守り抜くと心に決めて。

 仲間のために。

 彼女のために。

 なんと――なんと美しく気高い友情なのだろうか。

 聞くも涙、語るも涙。

 後世にまで連綿と語り継がれるであろう物語が、今、誕生した。




 …………まあ。

 屍浪達にはどうでもいい話なのだが。




「お・に・くーっ!」


 数を増やそうが陣形を組もうが、鼠は鼠でしかない。ハラペコパワーで狂化されたぬえの相手になる訳もなく、一瞬の内に全部捕獲されてしまった。鼠達の尻尾をまとめて掴んでぶら下げて、自分の『成果』を満面の笑みで披露する。必死に鳴いてもがく被食者達の姿が痛々しい。


「見て見て、オカズが増えたよ師匠!」

「いや鬼か君は!?」

「俺は骨だ!」

「私は鵺だ!」

「だから何だって言うんだい!?」


 結局。

 鼠少女をツッコミ役とした漫才は、彼女をからかうのに飽きた屍浪が『冗談だ、冗談』とぬえを抑えて縄を解いてやるまで延々と繰り返されたのだった。



 ◆ ◆ ◆



「…………本当に、ほんっとうに、聖に一目会ってみたいだけなんだね? それが済んだらさっさと帰ってくれるんだね?」


 寺へと続く道を先導しつつ、仲間と共に危うく食べられそうになった妖怪鼠少女――ナズーリンはジト目で屍浪達を睨めつける。その顔には珍客二人に対する不信感がありありと浮かんでいて、友好や親愛といった感情は全く見受けられない。

 屍浪は苦笑するように目を細めて、


「疑り深いねぇお前さんも。顔を拝んだらすぐにでもお暇するってさっきから何度も言ってんでしょうに……」

「さっきの今で信用しろと? そりゃあ無理な話だよ。どうやら君の性格は矯正不可能なくらいにひん曲がっているようだし、妙な真似をしないとも限らない。そうでなくとも私達は初対面なんだ、聖や私の御主人の身を守るためにも用心に用心を重ねるのは当然の事だろう?」


 理に適った言い分である。


「なのに案内してくれるワケは?」

「元々ウチは『来る者は拒まず』が信条の駆け込み寺だし、聖の説法を聞けば君の性格も少しはマトモになるだろうと思ってね。それに、性悪ではあるが悪人には見えない。強いて言うならそうだな――偽善者を装う偽悪者かな?」

「……ややこしい評価をどうも。大した野生の勘だ」

「毘沙門天の弟子としての慧眼、と言ってくれ。あとは――」


 そこで言葉を区切り、ナズーリンは尾の先に吊るしたバスケットに目をやる。屍浪もつられて視線を移せば、数匹の子鼠が『揺り籠』の中で身を寄せ合うようにして眠っているのが見えた。


「この子達と、私の同胞達の身の安全のためさ。普段は寺の周囲に巣を作って見張り役をしてもらってるんだけど、君の弟子をその状態で野放しにしたんじゃ流石に危険過ぎる。運悪く見つかったりなんかしたら――どんな悲惨な目に遭わされるか分かったもんじゃないからね」

「だぁから、弟子なんかじゃねぇって。……けどまあ確かに『コレ』に関しちゃあ、うちの馬鹿が御迷惑お掛けしてますとしか言えねぇか」


 二人は同時に溜め息を吐く。そして、ホントにどうしようねと言いたげな疲れた表情を作り、屍浪が荷物のように運んでいるモノを見た。


「むぐーっ!!」


 ぬえだった。

 先ほどまでのナズーリンよろしく全身を縄で縛られて、おまけとばかりに猿轡まで噛まされて。

 身動き出来ない少女を長躯の男が小脇に抱えて持ち運ぶ――第三者が見れば『……人さらい?』と確実に疑ってしまうような光景である。


「今まではどうにかこうにか気ィ逸らして騙くらかしたんだがなぁ……。お前さんが紛らわしく飛び出して来たせいで歯止めが効かなくなっちまってる」

「それは君達の食生活に問題があるんじゃないのかい? 様子を見に飛び出した私が悪いと言うのなら、大声で傍迷惑に言い争っていた君達にも非はあるだろうに」


 そーですねー、と屍浪は投げやりに返す。

 彼らが進む道は、草が繁茂する獣道から整備された石段へと変わっていた。均等な大きさに割り切られ、一分の隙もなく敷き詰められた無数の石。おそらくは、近隣に住まう人間達によって設けられたのだろう。老若男女を問わず参拝出来るようにと造られた構造物だが、しかし――


「……利用してる参拝客のほとんどが人間じゃなくて妖怪だってんだから、汗水垂らしてこれ造った奴らも報われねぇよなぁ」

「人間だろうと妖怪だろうと、便利なら使いたくなって当然だと思うけどね」


 言って、ナズーリンは前方を指し示し、


「見えたよ」


 屍浪達よりも、やや上方。

 樹木に埋もれるようにして建つその寺は、想像よりも簡素な造りをしていた。

 簡素ではあったが、朽ち掛けている訳ではない。豪奢よりも荘厳の二文字が相応しい、古めかしいからこそ重みを感じる風格。

 元々そう在るように造られたのか、それとも此処に住まう者の存在ゆえか。

 どちらにしても、屍浪がこれまでの旅の道中で見てきた寺社仏閣の――そのどれとも一線を画す独特の雰囲気を発しているのだった。

 ちぐはぐ。

 あるいは、どっちつかず。

 端的な感想を抱き、屍浪は笑う。


「なるほど。こいつぁ確かに、妖怪が縋りたくなる佇まいだな」

「褒め言葉として受け取っておくよ」


 石段を登り切ると、境内で話し込んでいる人影が。

 一人は頭巾の下から空色の髪を覗かせる尼僧。

 ぬえやナズーリンに比べて、幾分か大人びて見える。肩の辺りにはふよふよと、立派な髭を蓄えた入道らしき頭部が浮かんでいた。どうやら雲状の身体を持つ妖怪のようなのだが『何故に桃色?』と思わなくもない。

 もう一人は水兵服を着た少女。

 ウェーブのかかった短い黒髪を揺らしながら、楽しそうにけらけら笑っている。頭にちょこんと乗せた船長帽、身の丈ほどもある錨、そして柄杓。所持品と格好から屍浪は舟幽霊だと適当に推測してみたが、この辺りには海はおろか湖すらない。

 色んな意味で首を捻りたくなる二人(三人?)組だった。


「ムラサ、一輪、客人を連れて来たよ」


 ナズーリンの声に、三対の目がこちらを向く。

 信心深いとは到底思えない風体の屍浪だが、そんな珍客にも慣れているのか、三人は微塵も警戒する素振りを見せず、それどころか好意的とすら言える温かな視線で出迎える。

 いやまあ、そっけなく冷遇されるよりは確かに良いけど、無警戒過ぎやしませんかお嬢さん方? と酸いも甘いも噛み分けた屍浪は思いつつ、


「どーも。妖怪を匿う寺があるってんでやって来ましたー」

「おーいらっしゃいませ、歓迎しますよー。私の名前は村沙水蜜。元舟幽霊で、今は聖輦船の船長なんぞをやってます。どぞよろしくー」

「……せーれんせん?」


 何やら聞き慣れない単語が。

 清廉?

 製錬?

 いまいちピンとこない。


「ほら、アレだよ」


 村沙が指差したその先、境内の片隅に件の『聖輦船』はあった。造りとしては単純で、甲板上に長屋を一軒建てただけの屋形船――もっと仰々しく言うなら方舟はこぶねのような形状だ。中々に年代物なようで、あちこちに大小様々な補修跡が目立つ。


「あんなん水に浮かべたら一発で沈んじまうだろ」

「あっははー、その辺は大丈夫。聖輦船は海じゃなくて空を走る船だもん。だから船底に穴が開いてても水漏れしないし沈没の心配もなし!」

「空飛ぶ船ねぇ。そりゃ凄い」


 それはそれで、床が抜けて落っこちそうな気がする。

 実を言えば、空飛ぶ船自体は一度だけ、永琳と再会したあの日の夜に見た事がある。しかも、月世界の技術がこれでもかと搭載された宇宙空間だってドンと来いな代物を、だ。しかし、そうでしょスゴイでしょと自分の事のように胸を張って自慢話を続ける村沙にそれを伝えるのは辛い。

 そもそも宇宙という概念を正確に理解出来るかどうかも怪しいのだから。


「……そろそろ、用件を伺っても宜しいでしょうか?」


 このままでは話が進まないと判断したのか、尼僧が前に出て促してくる。遥か天上におわす方々のブッ飛んだ発明の数々に思いを馳せるつもりなどなかったので、屍浪は有り難く流れに乗る事にした。


「ああ――勿論。えっと……?」

「一輪、雲居一輪と申します。こちらは雲山」


 一輪に名を呼ばれ、漂っていた雲の老爺が頭部を前に傾ける。どうやら会釈しているらしい。厳つい顔に似合わず礼儀正しいんだなぁ、と思うだけで口には出さないように努めた。と言うか、主である一輪以上に強いこの存在感はどうにかならないのだろうか。おかげで一輪に対する印象が『尼さんの格好したお嬢ちゃん』くらいしかないのだが。

 ともあれ。


「二人は聖に会いに来たそうだよ。私が客間に通しておくから、聖を呼んで来てくれないか? あと、食事の支度も頼む。こっちの方は……なるべく急いで」

「んー? ナズーリンってば昼ゴハン食いっぱぐれたの?」

「いや、私じゃなくてだな……」

「御所望してんのはこっちのお馬鹿さんですよーっと」


 小首を傾げる村沙の眼前に、限界を迎えつつあるぬえを突き出す。

 空腹と荷物扱いされた怒りで血走った目、むふーっ! と荒く吐き出される鼻息、猿轡のせいで閉じられない口から零れる唾液。能力なんぞ使わなくても、彼女は立派に怪獣と化していた。


「ふしゅうううううううっ!」

「うひいぃっ!? お化けぇ!?」

「それはあんたでしょうが……。姐さんは私が呼んで来るから、村沙は食事の方をお願い。昼間の残りがまだあるはずだから、それを適当に盛れば形にはなるでしょ?」

「任されましたぁ!!」


 土煙を上げて寺の中に逃げる村沙。

 豪快に走り去る水兵服を見ながら、屍浪はぽつりと、


「幽霊なのにあれだけの健脚とは恐れ入る」

「いえいえ、お恥ずかしい限りで」

「まあ、風変わりだからこそ聖に惹かれたとも言えるけどね。――では此方へ」


 頭を下げて見送る一輪と雲山をその場に残し、ぬえを抱え直してナズーリンの背中を追った。途中、外に面した板張りの廊下を進みながら、寺の様子をつぶさに観察する。

 目に映るのは、くすんだ光沢を放つ床、落ち葉が点在する庭、日に焼けて黄ばんだ障子紙。木霊するのは鳥の声、葉擦れの音、ひたりひたりと等間隔に鳴る二人分の足音のみ。

 他には何も見えないし、何も聞こえない。

 人の姿も。

 話し声すらも。


「お前さんも、この寺に住んでいるのか?」

「うん? ……いや、聖と私の御主人、あとはムラサと一輪と雲山だけだ。私は近くに小屋を建てて其処から通ってる。それがどうかしたかい?」

「ちょっと気になっただけさ。別に深い意味はない」


 そうか、と丸耳を生やした少女は相槌を一つ打ち、それ以上詮索する事もなく、奥まった所にある部屋の前で足を止めた。


「さあ着いたよ。少し狭いが十分に寛げるはずだ。聖ももうじき来るだろうからそれまで、は……」


 障子を半分ほど開けたナズーリンは、そこで言葉を切った。

 切らざるを得なかった、と言うべきか。

 屍浪も彼女の肩越しに部屋の中を見て、その理由を知る。

 視線の先にあった――いや、寝転がっていたのは、虎柄の腰巻を身に着け、蓮のような花飾りを頭上に乗せた少女だった。幸せそうな表情を浮かべ、ぽっこり膨らんだ腹部を両手で撫でている。その傍らで歪んだ塔を形成するのは、積み重ねられた空の食器の数々だ。室内に充満する料理の美味しそうな残り香が、嗅覚と胃を否応なく刺激する。

 ナズーリンの顔が引き攣り、屍浪の顔も別の意味で強張る。

 しかし二人が声を発する前に――


 ブチリ、


 と小さな音がした。


「――――ぉお腹一杯幸せですってかコンニャロォオオオオオオッ!!」

「いひゃああああああっ!? な、何ですか、もったいないオバケ!?」


 ぬえ爆発。

 猿轡を噛み千切り、ついでに自分を縛る縄と堪忍袋の緒も豪快に引き千切って、幸福を満喫する虎柄少女めがけて突撃する。手を伸ばせば届いたのだろうが、屍浪は止めようとはしなかった。呆れ果てるのに忙しくて。

 引っ掻いたり噛みついたり、畳の上をごろごろ転がってくんずほぐれつのキャットファイトを展開する少女二人。それを観戦する羽目になった屍浪とナズーリン。どうしましょうかと揃って途方に暮れていると、そこへ一輪を連れ従えた若い女性が現れた。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。住職をしております聖白蓮と申しま――ってきゃああ!? どうしましょう一輪、よく分かりませんが星が大変な事に!?」

「とりあえず落ち着いてください。妖獣だからあれくらいでどうにかなったりはしませんて。……それで、うちの本尊相手にあの子は一体何やってんのさ?」

「あー、うん。御主人のだらしなさが原因……なのかなやっぱり」


 何からどう説明すればいいのやら。

 混沌とした空気の中、廊下の向こうから村沙が走って来て、


「やーゴメンゴメン! 星が『痛むと悪いしもったいないですよー』とか言ってお昼の残り全部食べちゃったの忘れてた!」

「…………」


 冷え切った視線が突き刺さっても怯まずに。

 舟幽霊の少女は、無責任に可愛らしく笑うのだった。


「助けてえええええっ!!」



 ◆ ◆ ◆



 とまあ、奇々怪々な騒動を経て。

 屍浪はようやく、本来の目的である聖白蓮との対面を果たせた。

 ちなみに部屋は移している。壮絶に吹き荒れたぬえ台風によって、ナズーリンに案内された部屋が壊滅的な被害を受けたからだ。その際、毘沙門天を名乗る少女の尊いかどうかは微妙な犠牲があった事を忘れてはならない。


「この度は、うちの馬鹿が御面倒おかけしました」


 開口一番、屍浪は頭を下げて謝罪の言葉を口にする。

 それを受けた聖は困ったように苦笑を湛えて、


「頭をお上げください。幸い二人とも大した怪我はありませんし、元気なのは大変喜ばしい事です。こちらの方こそ、折角訪ねて来て下さったと言うのに、その、はしたない所をお見せしてしまって……」


 こちらこそ、いえいえこちらこそ、と謝罪の応酬。

 絵に書いたような聖人君子の聖と、隠れ苦労人属性で義理堅い屍浪。もしかしたらこの二人、何処か精神的に似通った部分があるのかもしれない。

 そんな、悪戯好きの娘に手を焼く親のごとく謝り続ける彼らの膝上で、原因である少女達がそれぞれ暢気に眠りこけている。奇襲を受けて目を回した寅丸星は仕方ないにしても、加害者のぬえまでが惰眠を貪ってやがるのはどういう訳か。しかもご丁寧に、口元にご飯粒を装備した状態で。

 いっそ叩き起こしてやろうかと半分本気で思う。

 思うだけで実行しないのが屍浪なりの優しさだった。

 それにしても、と聖は前置きして、


「毘沙門天である星に挑むなんて……勇敢なお弟子さんなのですね」


 弟子じゃない、と訂正するのも面倒になってきたので流す。


「……その虎のお嬢ちゃんが本物の毘沙門天だったら、流石に俺も止めてたさ。じゃれ合いの域は出なかっただろうが、仏神を相手にするにゃあちと未熟過ぎる」


 星の頭を撫でる手を止め、聖は屍浪を見た。


「何故、星が毘沙門天ではないと?」

「仏教の何やかんやに関しちゃ門外漢だが、大和の神族に会った事があるんでね。それと比べると、虎のお嬢ちゃんは獣の臭いが強いし力の質も妖怪寄りだ。だから妖獣の類だと睨んでみたんだが、今のアンタの反応で間違ってないと確信出来たよ」

「……仰る通り、星は本物の毘沙門天ではありません。元々はこの辺りに住んでいた妖獣で、私が毘沙門天の代理に推薦したのです」


 推薦。

 名乗る事を本物に許されているとなれば、それ相応の実力を持つ証明ではあるのだろうけれど、思い浮かぶのは食後にだらしなく寝転ぶ自称毘沙門天の姿で。


「人選……間違ったんじゃ?」

「そ、そんな事ありませんよ!? 星はとっても頑張り屋さんで、確かにちょっと子供っぽい部分もあって三日に一度はナズーリンに叱られたりしますけど、でもでも信仰だって名に恥じぬくらいたくさん集めてるんですから!」


 両手をわたわたと振って慌てふためく聖。フォローしつつも身内の恥部を暴露してしまっている事に気付いているのかいないのか。彼女も彼女で面白い性格のようだ。

 このまま他愛ない話に興じても良いのだが、屍浪は聖に聞きたい事があった。

 色々と濃い出来事があって忘れそうになっていた今回の目的。

 そろそろ、本題に入るとしよう。


「まあ、アレだ、虎のお嬢ちゃんが有能か無能かはこの際どうでも良いんだ。俺が本当に聞きたいのは、何故アンタは妖怪を助けるのか――それだけなんだよ」


 尼僧の雰囲気が真面目なものに変わる。

 口元に柔和な笑みを浮かべて、しかし両の目には冷たく透き通った信念を湛えて。今まで慌て振りが演技だったと思えるほどの変わり様だ。


「……それを知って、貴方は何とするのです?」


 屍浪は納得する。

 今、自分の正面に座す彼女こそが。

 本当の聖白蓮なのだ、と。


「ただ聞きたいだけだ。人を諭し、妖を救い、その果てに何を望むのか」

「であるのなら、残念ながらご期待を裏切ってしまう事になりますね。……確かに、始めた当初は私にも目的がありました」


 己の死から遠ざかるため。

 不老長寿の身を保つため。

 そのために妖力を欲していたのだと彼女は語る。


「ですが、今は違います。望みがあるから――妖怪だから助けるのではありません。彼らが生きる事を願うから、私はこの手を伸ばすのです」

「救う事こそが望みになった、と?」

「はい。人間も、妖怪も、鳥獣も草木も、この世にある全ての生命は平等に尊い。にも関わらず、妖怪だけが悪と決めつけられ虐げられている。私にはそれが不可解で、不憫に思えてなりませんでした。平穏を望む妖怪もいます。友愛を願う妖怪だっています」

「しかし、人間を食らう妖怪も大勢いる」

「それは、人間が魚を食べるのと同義でしょう?」

「生きるために仕方なく喰らう――そんな綺麗事を並べて納得出来るなら、そもそも人と妖の間に確執なんぞ生まれちゃいない」


 理屈では片付けられない。

 たとえば、どちらかが獣並みの知能しかなかったなら、あるいは共存も可能だっただろう。支配や隷従と呼ばれる、重苦しい共存関係が。

 けれど幸か不幸か、不満を抱けるほどの知能があり、表現出来る声を持ち、抗う術を知っている。だから互いにいがみ合い、怒りや憎しみを募らせていく。


「自分のしている事が人間達への裏切りだとしても、それでも続けていくつもりか?」

「それでも、続けていくつもりです。妖怪の味方をする事が悪だと言うのなら、救えるはずの命を見捨てる事こそが私にとっての悪ですから」

「………………」


 そこまで聞ければ十分だ、と屍浪は静かに呟き。

 止めないのですね、と聖も返して。

 茶を淹れたナズーリン達がやって来るまで、ただじっと瞑目して沈黙を貫く。

 どのような未来が待ち受けているのかを想像しつつ。



 ◆ ◆ ◆



 それから半月ほど経った頃、聖と妖怪の関係が人間の知る所となった。

 誰が言い触らしたのか。何の目的があったのか。それは屍浪にも分からない。ただ、代わりに一つ断言出来るのは、遅かれ早かれいずれはこうなっていただろうという――冷淡な見識だけだ。

 人の口に戸は立てられぬ。

 妖怪であってもそれは同じ。

 他意があろうとなかろうと、無意識であろうとなかろうと、漏らした言葉は本人の意思に関係なく、性質の悪い風邪のように瞬く間に伝染していく。容易く信じてしまう者もいるだろう。まさかと疑い訝しむ者もいるだろう。小さな小さな悪意の種火は、そういった『不安』や『恐れ』を燃料として一気に燃え上がる。

 忌み嫌う妖怪と、それに加担する大罪人。

 人望の厚い聖人であったからこそ、その信頼を裏切られた人間達の怒りは激しく、狂うほどに深く、そして止められぬほどに大きく、常軌を逸したものとなる。

 くわすき、鎌に斧。

 手に思い思いの武器を携えて、人間達は罵り蔑み嘲り貶める。捕縛され地に投げ出された聖を取り囲み、汚らしい唾を吐き散らす。

 その光景を、少し離れた巨木の頂きで眺める影が。

 屍浪とぬえである。


「師匠、助けにいかないの?」

「……どうして?」

「どうしてって、だったあのままじゃ――」

「殺される……か? その心配はねぇよ」


 そう、聖が殺される可能性は極めて少ないと言えた。

 聖を殺すという事はすなわち、聖に恩義を感じる妖怪達から報復を受ける危険性があるという事。徒党を組まなければ尼僧一人取り押さえれらないのだ――そんな腰抜け連中にそれだけの覚悟があるとは到底思えない。

 となれば、


「最悪でも封印だろうな。生かさず殺さず、人質として封じておけば妖怪共への牽制にもなる」

「そこまで分かっているのに、助けないの?」

「此処で俺が飛び出して馬鹿共を叩きのめして聖を助ける。それで片が付けば簡単なんだろうが、あの聖人はそれを望んじゃいない。暴力じゃあ何も解決しないと説教されるのがオチだ」


 樹上からでも良く見て取れる。

 聖の顔は穏やかそのもの。

 全てを甘んじて受け入れてしまいそうな安らかな表情で、己の信念を説く事も力のままに抗う事もせず、ただ平然と地べたに座り込んでいる。


「あの人からしてみりゃ、人間も妖怪も同じなんだよ。同じように救うべき命。殺して逃げ出すくらいなら、大人しく封印されよう――大方、そんなお優しい事を考えているんだろうよ。助けたいと思っている星やナズーリン、村沙や一輪の気持ちなんぞ微塵も考えもせずにな」


 それが、聖が選んだ道。

 人を救い、妖を救う。

 善意と使命感に満ちた、究極の自己満足。


「だったら俺には、助ける義理も権利もないさ」


 言って、屍浪は何処か悲しげに笑うのだった。

次回、邪魅やら永琳やら幽香やら紫やらが一堂に会する予定。

どんな展開になるかは……メンバーで察してください。

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