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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
二章 竹取物騙編
27/51

第二十二話 終局。嘘吐き達の末路

批判はどんどん受け付けます。

 この竹林に移動した時と同様に、屍浪は紫特製の呪符を使ってスキマを開く。

 一枚毎に使用者の妖力を消費して開く片道切符の移動術式。長距離移動の際に重宝する代物。本来の能力者であり製作者である八雲紫の意思も相まって、現在は――そしてこれからも、屍浪しか所有しないしさせないであろう希少な品だ。

 ギョロリ、ギョロリ――と。

 両端をリボンで縛られたスキマの内部から、無数の目玉が眼光を輝かせる。瞳が忙しなく動き回り、屍浪を認めると同時にジットリとした半目――間違いなく不機嫌になっているはずの『彼女』の心を反映するかのように、呵責が多分に含まれた視線を投げてくる。


「……そんな目で見るなよ」


 言って、屍浪は溜め息を吐く。

 背後には永琳と輝夜。

 てゐは結局見つからず、二人をこの場に残す形になってしまった。周囲の藪からは屍浪達を窺う微小な気配がいくつか感じ取れる。様子から察するに、どうやら見慣れない余所者を警戒しているようなのだが、その『余所者』の中に自分も含まれているのかと思うと屍浪は何だか物悲しくなってくる。

 まあ兎は一羽二羽と数えるし、連中も同じように鳥頭なんだろう――と強引に納得する事にした。

 振り返り、屍浪は永琳に問う。


「――にしても永琳サン、本当に手伝わなくても大丈夫なのか? 俺の能力を竹林全体に干渉させれば、月の連中の目を誤魔化すくらい訳ないってのに」

「いいの、何から何まで貴方に任せっきりにする訳にはいかないもの。最低限の事くらいは自分でやってみるつもりよ。それにシロ、貴方への負担だって軽くはないし、能力も永遠に維持出来るものではないんでしょ?」

「これくらいの規模なら何とかなると思うんだがなぁ……」

「それでも、よ」


 屍浪の着流しを掴む永琳。

 握るのは左――中身の失われた、左の袖。

 その行為が意味するのは。


「助けてくれるのはとっても嬉しい。けどそれで――私を助けた所為で貴方が傷ついたり苦しんだりする姿を見るのは絶対に嫌なの。自分の事は自分で何とか出来るから――お願いだから、もっと貴方自身の事も大事にして」

「……わーったよ」


 俺だってアンタが悲しむ顔なんざ見たかねぇしな、と屍浪は言う。

 渋々、不承不承といった声音ではあったが。


「さぁて――と。それじゃあ色々と片を付けにゃならんもんがあるから俺は向こうに戻るが、姫さん、一つだけ良いか?」

「? ……何よ?」


 話を振られて怪訝な表情を浮かべる輝夜。

 彼女は二人きりの空間を膿み出していた屍浪と永琳を気遣って沈黙を貫き、砂糖でも吐きそうな顔をしつつも、それこそ無色無臭の空気のよう佇んでいたのだった。

 蓬莱山輝夜。

 ワガママで子供じみてると温かい目で評価されていても、そこは八意永琳の元教え子。それなりに場の雰囲気を読める聡いお姫様なのである。

 そんな輝夜に屍浪はスキマに片足を突っ込みながら骨指を向けて。

 父親が娘に説教でもするような口調で――


「今度会う時までには、怪我人に双六盤投げつけるような手癖の悪さは直しとけよ。いくら見た目が良くてもアレじゃあ、嫁の貰い手がなくなるぞ?」

「なっ――なな、何であの事をあんたが知ってるのよ!?」

「そんじゃ永琳サン、用があったら呼んでくれな」

「あ、コラ、ちょっと待ちなさい、変な捨て台詞残してスキマ閉めるな! 説明してけ! 逃げるんじゃなああああああいっ!!」


 叫び、竹林に怒声を木霊させる輝夜を尻目に。

 白骨を飲み込んだスキマは目蓋のように閉じて消え去ったのであった。



 ◆ ◆ ◆



「戻ってくるのが遅いわこの馬鹿者!!」


 スキマを抜けて屋敷に戻った屍浪を罵声と共に出迎えたのは、十歳くらいの子供――もっと言えば少女の両足の裏だった。きちんと揃えて眼前に迫り来るそれを屍浪は片手で受け流し、どころか、タイミングを合わせて片足を掴み、襲撃者を逆さ吊りにする。

 萌葱色の着物の裾を両手で押さえる小柄な人影。

 言うまでもなく、屍浪の長年の相棒――邪魅である。


「……いきなりドロップキックかましてくれやがった理由は懇切丁寧に説明してくれるんでしょうねぇ邪魅さんよう」


 腕を上げて目線を合わせ、呆れ口調で言う。


「お主の方こそキッチリカッチリ説明してくれるのだろうな、んん? 片付けを儂らに押し付けてあの小娘と仲良く宜しくやりおってからに。返答次第ではお主――女の敵にめでたく認定、今夜の邪魅さんはちょーっと大胆な行動に出ちゃいますですよ?」


 興奮のあまり言葉遣いがおかしくなっている。

 だが、それよりも屍浪の気を引いたのは――


「永琳サンの事、憶えてるのか?」

「いや、憶えてはおらぬ。初めて見る顔だ。だがどうにも忌々しい。と言うよりも憎々しい。それよりも妬ましい。あとは……羨ましい、のか? とにかく儂はあの小娘が好きになれん」

「……まあ、あの出会い方じゃそう思うのも無理ないわな」


 何しろ、永琳と邪魅の二人は殺す側と殺される側――喰う側と喰われる側だったのだから。たとえ記憶を失っていたとしても、あの殺し合いに関する何らかの断片は残っているのかもしれない。もし二人が再び相見えたら――おそらく最終的には樹木の大巨人が暴れ狂い、銀の矢が雨あられと降り注ぐ事態に発展してしまうだろう。そして身体を張ってそれを止める羽目になるのは屍浪だ。

 今後の平穏のためにも、出来うる限り二人は会わせないようにしよう。

 そう考える屍浪だった。

 改めて、庭を見る。

 廃人と化した使者達も、雲に偽装されていた船も、綺麗さっぱり跡形もなく消え去ってしまっていた。確かに『俺が戻るまでに綺麗にしておいてくれ』と頼んだのは自分なのだけれど、一体どういう風に片付けてしまったのか。


「……んで? あっちの二人は何してやがんだ?」

「自分で聞け馬鹿者。つーかいい加減に降ろせ!」


 降ろした。というか、手を放した。

 結果は当然、自由落下である。重力とは素晴らしい。

 足元で『ンギャア!?』と悲鳴が聞こえたが気にしない事にする。

 それよりも今は彼女達の相手を優先しなければならない。


「……お前さんら、揃って仲良く河豚の真似でもしてんの?」


 縁側の端に二人はいた。

 風見幽香と八雲紫。

 緑髪と金髪の、掛け値なしの美少女達。

 しばらく振りに会う家族。

 紫は、人間と妖怪が共存する『幻想郷』なる理想の土地――誰のとっての理想なのかはこの際置いておくとして――とにかく、その夢のために手段を問わず奔走し。

 幽香も幽香で、屍浪に会うためだけに向日葵畑を広げて邪魔者を打ち滅ぼし。

 かつて屍浪がそうあるように願った未来そのままに、聞く者が聞けば震えが止まらないほどの大妖怪として力をつけ、畏怖されるようになった。

 ずっと昔から見守ってきた。

 実父のように、彼女達の成長を嬉しく思う。


 だが。


「…………(むー)」

「…………(ぷー)」


 当の二人は思いっ切り、これ以上ないほどに不貞腐れていた。

 あるいは、むくれている、と言い換えてもいい。

 ご丁寧に膝を抱えて――俗に言う体育座りのまま、可愛らしく形容するならエサを口一杯に詰め込んだリスのように頬を膨らませて拗ねている。

 二対の目が非難がましく屍浪を見て、やがて幽香がぽつりと――


「手伝わせてくれるって約束したのに……嘘吐き」


 紫も言う。


「おじさんがどうしてもって言うから幻想郷の仕事も投げ出してさ、とっておきの転移符だって作ってあげたのにさ、結局ぜーんぶおじさんが一人でやっつけちゃったし……」

「紫なんてまだ良い方よ。私なんか、その辺に転がってたのをスキマに押し込んだだけなのよ? これじゃあただ掃除しに来たのと変わらないじゃないの」

「……これだけ手伝ってくれりゃ俺としては十分なんだって。元々こいつは俺と永琳サンとでつけにゃならんケジメみたいなもんだ。お前さんらに休憩と弁当タイムその他諸々挟んで昼夜ぶっ通しで付き合ってもらうほどの御大層な催し物じゃあねーのよ」


 そーじゃないのー! と紫が勢いよく立ち上がり、怒り心頭といった様子で腕をブンブン振り回す。隣で膝を抱えている幽香も含めて、2.5頭身くらいにちっちゃくデフォルメされてるように見えるのは気のせいか。気のせいという事にしたい。

 ねんど○いどっぽくなった紫は膨れっ面を屍浪に近づけて、


「そういう事じゃなくて! 私達はもっとちゃんと……全面的におじさんを手伝いたかったの! 綺麗に息の合った連携とか展開して、もっとこう――ドカーン! とか『キャー紫ちゃんったら八面六臂!』とかそんな感じで派手に千切って投げて戦いたかったの! そんでもって私達とおじさんの仲を見せつけてやりたかったの!」


 口調もまるっきり子供だった。

 もし、幻想郷を築くにあたってこれまでに紫が排除――あるいは彼女に強引に説得された者達がこの光景を見たとしたら、彼らは一体どんな顔をするだろうか。少なくとも己の中にある『八雲紫』の人物像が崩れてギャップに悩みはするんだろうなあ、と所詮は他人事なので放っておく。

 ともあれ、


「……ドカーンとされたら困るから俺一人でやったんだっつーの。今のお前らのテンションだと下手すりゃこの屋敷ごと吹っ飛ばしかねんでしょーが。先の短い老人を路頭に迷わす気かねキミは?」


 でもまあ、と屍浪は続けて、紫の頭を髪を梳くように撫でる。

 誤魔化そうとしている――と言い換えればその通りだが、


「手伝ってくれて、有り難うな」

「そう思うなら……もっと撫でて」

「はいはい。幽香、お前は?」

「…………ん」


 これがまた、存外に効果覿面なのである。

 紫と、控えめに差し出された幽香の頭を交互に撫でる。心底嬉しそうに顔を綻ばせる彼女達を見て、この辺はまだまだ子供なんだなぁ――と微笑ましく思いながら。


「……それで屍浪よ。一応、お主の言う通りに残しておいたが、アレを一体どうするつもりなのじゃ?」


 土埃を払いつつ邪魅が指し示したのは庭の隅。

 ゴミのように放置されているのは、屍浪と永琳の仇とも呼べる存在。唾棄すべき肉ダルマ――大嘘吐きで裏切り者の総隊長であった。忘我の表情で空を仰ぎ、両目と鼻腔と口から体液を汚らしく垂れ流している。

 屍浪にとって――『彼ら』にとって、視界に入れたくもない、早急に消し去ってしまいたいとすら思うほどの不倶戴天の怨敵。

 精神を徹底的に破壊された、廃人同然の風体。

 しかしそれでも。

 まだ、終わりではない。

 まだ――この男は、生きている。


「どうするつもりも何も――」


 邪魅の問いに対し、屍浪は簡潔に答えた。

 幽香達に背を向けて、感情の一切を消し去って。


「これから――いや、これで仕上げにするんだよ」


 ぞっとする――

 これまでとは、まるで異なる――

 幽香と紫、邪魅ですら身震いするほどの声で、答えた。



 ◆ ◆ ◆



 命あるものに死を。

 光あるものに闇を。

 形あるものに無を。

 この世に存在する悪意という悪意を、害意という害意を、敵意という敵意を、蔑意という蔑意を――それら全てを混ぜ合わせて煮詰めたような、深く濁った泥のような混沌を眼窩に湛えながら。

 死神然とした異形の外見に従い、触れる全てに破滅を与えるために。


「一つ、昔話をしよう」


 肥満男に歩み寄り、睥睨しつつ屍浪は言葉を紡ぐ。

 それは独白のような平坦さで、


「あの戦争で俺は不覚を取り、骨格を頭から割断された。破砕されたと言ってもいい。とにかく俺は実体を失い、ただ茫洋と、燃え残った塵芥のように火焔の中を漂う事しか出来なくなった。何故、と疑問に思うだろう。『俺』という種族は全く不本意ながら、その気になりさえすれば何処の誰だろうと関係なく、他人の肉体に乗り移って支配権を強奪し、成り済ます事が出来るのだから」


 庭にある影は、屍浪と男の二つのみ。彼ら以外は誰も――邪魅達の姿もない。渋る幽香と紫をどうにか言い聞かせて、しばらく席を外させたのである。

 これから自分が行う事を、出来れば誰にも見られたくなかった。

 特に、妖怪と人間の共存を夢見る紫には。


「だが俺はそれが嫌だった。他人の身体に寄生して生き延びる事が嫌だった。それがたとえ死体であってもだ。下等な蛮族と月人からは忌避される妖怪邪霊魑魅魍魎、その中でもおそらくは最底辺に位置するであろう俺にも、一応ではあるが美学や矜持くらいはある。だから俺は、新たな肉体を得る事が出来なかった」


 辻褄が合わない。

 そもそもが、矛盾している。

 実体を持つ事を拒絶したというのに此処に在る。

 その理由とは。


「……百七十八」


 白骨は呟く。

 百七十八。

 もし、肥満男にまだわずかにでも意識が残っていたとしたら、毛ほどでも罪悪感が残っていたとしたら、その数が示す意味に、すぐに気が付いただろう。

 何故ならば――


「まさか忘れた訳じゃあないよな。お前が見殺しにした部下の数を」


 今の俺の身体を形成している骨の数でもある――と付け加える。

 百七十八人と、百七十八本。

 その数の一致は決して偶然ではない。

 偶然どころか、必然の結果である。

 百七十八という骨片と命の繋がりによって、屍浪はこの世に在るのだから。


「俺の骨格はあの大戦で散った戦友達の遺骨で成り立っている。たとえ死体であっても他者の身体に寄生したりはしない。確かに俺はそう言った。だが――同意が得られたのならその限りではない。アイツらの亡骸から一人一本ずつ、未練や遺恨と共に寄せ集めて、組み立てて、その果てに今の俺が在る」


 通常、人体は二百余りの骨で形作られる。

 しかし『屍浪』を『屍浪』として形成す骨格は十全無欠、五体満足というには二十本ほど部品が足りず――ゆえに左腕が存在しない。譲り受けた骨身であるからこそ、新たに付け加える事もなく隻腕を貫いている。


「実を言うなら、俺はお前を恨んだりはしていない。お前が逃げ出そうが何をしようがどうでも良かった。経緯や理由はどうあれ、お前の大嘘に便乗した形になるのだから、その点では感謝すらしている。俺は妖怪として、相応に生きて朽ちる事が出来れば満足だった。人間の条理道徳など知った事ではない。ただ――永琳を守り切る事さえ出来れば文句はなかった」


 隻腕――右腕でもって肥満男の頭部を鷲掴み、屍浪は言う。


「だから、これは復讐でもなければ仇討ちでもない。寄生者である俺ごときにその資格などない。死者の無念を晴らすなどと綺麗事は言わない。お前を殺さなければならない理由はたったの一つ。お前が永琳と輝夜を――俺の大事な『家族』を殺そうとしたからだ」


 だから――殺す。


「お――ああ、ああ゛ああ゛あ゛ああああああ゛っ!?」


 男の口から叫びが――悲鳴が漏れる。

 恐怖すら感じぬはずの口から溢れていく。


「そう喚くなよ総隊長殿。たかだか百七十八回ほど頭の中で殺され続けるだけだろうが。最後の最後くらいは軍人らしく、あの時のアイツらのように派手に死に花を裂かせてみせろ。お前が見捨てた部下達の死因を追体験し、味わい、その有様を精神に刻み付けて、刻まれて――」


 男の頭蓋がギシミシと音を立てて変形し、


「死ねよ」


 砕ける音と共に悲鳴は途絶えて。

 男は血泡を吐く亡骸へと――今度こそ、本当の死体へと成り果てた。

 漆黒と白亜の出で立ちに返り血の深紅を加えた屍浪は、最早足元の死体になど見向きもせず、ただ、何かを訴えるように――咎めるようにキシギシと軋り鳴く己の骨格に、


「……分かってるさ。お前らが喜んじゃいねぇって事くらい」


 詫びるように、言うのだった。



 ◆ ◆ ◆



 唐突ではあるが。

 此処で舞台は一転する。

 日付は月の使者の襲来から数日後。

 時刻は深夜。

 主役は――



 ◆ ◆ ◆



「はっ……はっ……はっ……はっ……」


 雲に霞む月夜の下、藤原妹紅はひた走る。

 顔には疲労の色がありありと浮かび、振り乱す髪も、着ている衣服も、貴族の娘とは到底思えぬほどに泥や土埃で汚れてしまっていた。

 それでも、何度も転びそうになりながらも、妹紅は走り続ける。履き物などとっくに脱げてしまった素足のまま、自分の頭ほどもある大きさの『薬壺』を両腕で大事に抱えつつ――彼女は走る。


 何故、走るのか。


 そう問われれば、妹紅は迷わずこう答えるだろう。


 父のためだ――と。


 なるほど、父を思う娘とは。

 確かに大層で崇高で、衆人の支持と涙を得そうな動機ではあったが、しかし事情を詳しく知る者が聞けば失笑、あるいは憐れみの目で見てしまうような大義名分――単なる自己満足と称されても仕方のないものであった。

 幸か不幸か、妹紅の周囲にはそれを指摘してくれる者が既に存在しなかったために、彼女は自分の行いに対して何の疑問も感じる事はなかったが。


「はっ……はっ……」


 妹紅が抱えている壺の中身。

 それは、輝夜が帝のために残したという不死の薬であった。

 不死の薬――月人達には『蓬莱の薬』と呼ばれている禁忌の劇薬。かつて蓬莱山輝夜が服用し、月から追放される原因となった曰くつきの代物。

 勿論その事実を生粋の地球人である妹紅が知るはずもなく、父の遺恨を晴らすため、引いては自分の気持ちを整理するために屋敷へと続く道を進む。

 待っているであろう父の元へと。

 複雑な家庭環境であったがゆえに、妹紅は父の事はあまり好いてはいなかった。嫌悪こそしてはいなかったが、決して『好き』とは言えなかった。ずっと――父が死ぬまでこの微妙な距離は縮まらないだろうと断言出来るくらいには嫌いだった。


 そんな、親子とは言えないような関係を変えた原因を挙げるとしたら。

 確信に近い予感を覆す出来事を述べるとしたら。

 今も都で多発している連続殺人事件が切っ掛けなのだろう、と妹紅は考える。


 殺人事件。

 輝夜の噂で陰に隠れてしまっていたが、関係者――特に都の治安維持に携わる者達からしてみれば、輝夜などどうでも良いと思えるくらいに頭を悩ませる事件である。

 不謹慎だが、あるいは犠牲者が一般の民だったのならまだ良かったのかもしれない。しかし殺されていくのは貴族ばかり。護衛や牛引きの少年、運の悪い目撃者など、貴族以外の人間も巻き添えに殺されているらしいが、やはりというか何というか、朝廷は『貴族が殺された』事だけに注目して解決に躍起になっているのだった。

 もっとも。

 貴族の娘と言えど、妹紅とて『一般人』の枠から外れた訳ではない。この事件も、屋敷の侍女達の噂を耳に挟んで初めて知ったのだ。なので彼女の頭の中では『人がたくさん殺されている事件』程度の認識しかなく、犠牲者の大半が臓物を食い破られて殺されているなどとは考えもしなかった。

 他人事ではない、とようやく危機感を覚えたのは父が襲われたと知らされた直後の事。そして、父の性格やら価値観やらが変わったのも襲われた後からだ。


 本音を言えば。

 父が豹変した事について、妹紅は内心で喜んでいた。


 乱暴になったのならまだしも、性格が穏やかになって困ると本気で思う人間はあまりいないだろう。妹紅もその大多数の一人だった。

 用がある時だけ威圧的に、それも来客時には部屋に籠って一歩も出るなと『命令』されていた頃とは雲泥の差だ。常に優しく、飄々としていながらも自分の事をいつも気にかけてくれている。何時しか父娘の溝は埋まり、妹紅は父の事が――あくまで娘として――好きになっていた。


 だから、分かるのだ。


 取り繕ってはいるが、それでも妹紅は気付いていた。

 あれだけよく笑っていた父の様子が、また少し変わった事に。

 輝夜が月に帰ってからというもの、後悔しているような物憂げな表情を垣間見せるようになったのだ。その光景は今も妹紅の脳裏から消えずに残り、募るのは父をそんな顔にさせた輝夜への恨みばかり。

 当然、輝夜が地上で隠遁生活している事など妹紅は知らない。なので輝夜に直接恨み言をぶつけに行く訳にもいかず、ならばと代わりに考えたのが不死の薬の奪取であった。

 老夫婦と帝宛てに残したという妙薬。

 それを使い、帝ではなく自分と父が不死になる。

 輝夜にどのような意図があって薬を残したのかは知らない。けれど何時か、何かしらの理由があって地上に舞い戻って来た時――それが数百年後の未来であった時、それでも変わらぬ姿でいる自分と父を見せつける。

 おそらく輝夜は愕然とするだろう。

 そんな彼女に、真正面から言ってやるのだ。

 積もりに積もった恨み言の山を。

 天は妹紅の味方をしたらしく、彼女の計画は順調に進んでいた。

 帝に命じられた一団の後を追跡し、山頂に捨てられようとしてた薬を奪って、止めようとする追手を藪に紛れる事でどうにか振り払い、懸命に走って、走って走って走り続けて――今、ようやく都の灯が見えるところまで戻ってきた。

 都から富士の山まで。

 十代前半の少女が自分の足で往復出来る距離ではない。

 けれども妹紅はやってのけた。

 父への想いと歪んだ復讐心が可能にした、たった独りの行軍を。


「はぁー、はぁー、はぁー、はぁー……」


 と。

 此処で初めて足を止め、妹紅は休憩らしい休憩を取った。

 水分もまともに摂らなかった口腔内はからからに乾き切っていて、一滴の唾液も零れはしない。その代わりとばかりに喉奥から血の風味が逆流して、犬のように突き出した舌を僅かに湿らせる。

 この場で大の字になって休みたい。だが、こんな状態で横になったら、次は何時動けるようになるか分かったものじゃない。どころか、もしかしたら二度と起き上がれないかも知れない。それほどまでに妹紅は消耗しきっていた。


 身も心も疲れ果てていたから。

 だから妹紅は考えられなかった。


 見慣れた牛車が。

 最低限の装飾だけに留めた、父の所有する牛車が。

 まるで狙い澄ましたように、妹紅が戻ってくるのを待っていたかのように、目と鼻の先にある樹の下で停まっていた事を。

 牛車の前に、父の姿がある事を。


「あ……」


 疑問にすら――思わなかった。


「父……様、父様ぁ!!」


 あらん限りの声を上げて、父の胸に飛び込んだ。

 へぇん、へぇん、と妹紅は泣く。

 今まで堪えていたモノを吐き出すように。

 涙と鼻水、血や泥が父の衣服を盛大に汚すが、けれど怒鳴ったりはしない。右腕一本で妹紅を力強く抱き締め、彼女の頭に顎を乗せるだけだ。

 呆れた口調で父は言う。


「馬鹿娘め……書き置きも残さずにいきなりいなくなったりするんじゃない。都中を探し回ったんだぞ。それに何だこの格好、ボロボロじゃないか」

「ごめんなさい……ごめんなさい」


 顔をクシャクシャに歪めて、妹紅は謝罪する。

 優しい言葉が心を溶かしていき、幸福感に沈んでいく。こんなにも心配してくれる父を嬉しく思い、心配をかけさせてしまった自分自身に怒りすら抱いた。

 薬壺を持っている事も忘れて身体を押し付ける。

 父はうぐっ、と呻き、


「ちょっと妹紅? 妹紅さん? 何か堅い物が鳩尾に――ぐふっ」

「ああ、ごめんなさい!」


 謝りっ放しだと思いつつ妹紅は二、三歩後退して『成果』を見せる。

 傍目には小振りな壺にしか見えないソレは。


「父様、見てください! あの女が――輝夜が残していった不死の薬です! これを飲めば私と父様は永遠の命を得られます!」


 これには流石の父も予想外だったらしく、両目を大きく見開いて驚愕を露わにする。まじまじと、妹紅の手に乗ったままの薬壺を矯めつ眇めつして、それでもまだ完全に信じるには至らなかったのか、首を傾げて疑問の声を上げる。


「……本物、なのか?」

「本物です!」


 それは間違いない。

 仮に中身が偽物なのだとしたら、薬を奪ったあの時、出し抜かれた兵士達もあれだけ必死になって追いかけては来ないはずだ。単に、帝の命令を遂行出来なくなるから、という理由も無きにしも非ずだろうが、そもそも捨てに行くのだから偽物を用意する訳もない。

 確証こそないが、断言は出来た。

 この薬は本物だ。


「……そうか。そうかそうか、本物に間違いないか」


 父もようやく得心がいったのか、破顔してしきりに頷く。


「こんな私のために、わざわざ取って来てくれたのか。揃って不死になろうと、なって欲しいと、そう言ってくれるのか。妹紅、全くお前は本当に……本当に、親思いの良い娘に育ってくれたなぁ。今まで生きてきた中で、こんなにも嬉しいと思った事はない」

「父様……」


 その言葉に、妹紅もつられて泣き笑いの顔になり――




「だがな妹紅」




 瞬間。

 妹紅の背中から刃が生えた。

 否。それは刃ではない。

 くすんだ銀色の、刀身にも似た反りを持つ爪だった。


「え……?」

「飲むのは、俺だけでいい」


 前から後ろへ、五指どころか手首まで。

 易々と。深々と。

 妹紅の柔らかな肉体を貫通してしまっていた。

 心臓こそ“まだ”掠める程度で済んでいたが、それ以外――肺や肝臓といった臓腑と重要な動脈を的確に裂いていて、誰が見ても致命傷なのは明らかだった。


「…………父、様?」


 妹紅の全身から力が抜けていく。

 薬壺が手から落ち、音を立てて地面を転がった。


「どうして……?」


 父の顔は、これまで見てきたどの顔よりも冷え切っていた。

 コイツは、誰だ?

 コレは、一体何なのだ?

 父の顔をした『何か』は冷徹に笑う。

 嘲笑。蔑笑。人を人とも――娘を娘とも思わぬ、そんな笑み。


「この薬はな、妹紅。お前には必要ない物だ。なぜなら――」


 笑顔のまま『何か』は言葉を放つ。

 妹紅の心を穿ち砕く一言を。


 ――なぜなら、お前はもう用済みだからだ。



 ◆ ◆ ◆



 少女の身体から『藤原不比等』は腕を引き抜く。

 肘の辺りまでべっとりと付着した、乙女の肉片や血液。

 それらを野犬の如く乱雑に、長い舌で二度、三度と舐め取って口に含み、まるで味を確かめるかのように瞑目する。


「…………ふぅん?」


 期待したほどの味ではない。

 そう言いたげに唸り、『不比等』は目を開く。

 地面に放置されていた薬壺を拾い上げ、血塗れのままの右手で葢を開けて中身を確認してみる。だが確認も何も、初めて見る代物――ましてや『不死の薬』などという珍妙極まりない品の真贋など、素人が一目見ただけで分かるはずもなく。

 視覚よりも――嗅覚。

 嗅ぎ慣れない匂いから、何らかの薬であるらしい事くらいは判別出来た。

 見た目は艶のある灰白色の、固体のような液体のような――まあ、確かに不可思議な『薬らしさ』は感じられる物体だ。本物だと言い張っていた少女の言葉を鵜呑みにするつもりはなかったが、とりあえずは本物だろうと考えて懐に仕舞う。

 今はまだ飲まない。

 不死である事を自覚し、確証を得る。

 裏を返せばそれはつまり、最低でも一度は死ぬような目に遭わなければならないという事だ。本物ならば万々歳――しかし偽物だった場合、待っているのは己の死。可能性としては極めて低いが、それでも決して零とは言い切れない。だからまずはその辺にいる犬猫か、餓死寸前の赤子にでも飲ませて『実験』してみるのが得策だろう。

 それからでも、遅くはない。

 そう考えた上での保留だった。


 ――と。


 実験の算段を立てる『不比等』の背後で物音がした。

 風に揺れる葉擦れよりも更に小さな、こんな人気のない場所でなければ聞き逃してしまいそうな微かな音。

 後ろを見やれば、そこに在るのは地面に打ち捨てられた少女の肢体。傷口から血を濁々と流しながらも、その胸腹は浅く上下を繰り返す。

 肺腑に穴を空けられて、けれど少女は生きていた。

 まだ――死ぬ事すら出来ずにいた。

 その様子を眺めて『不比等』は一言、


「……まあ、残すってのも行儀が悪いしなぁ」


 熟し切ってねぇが喰うか、と。

 右の五指から伸びる禍々しい刀爪でもって少女の衣服を裂き、白い肌と鮮血とで彩られた腹部を露にする。

 出来る事なら、もう少しばかり脂が乗って円熟してから味わいたかった。

 どちらかといえば屍肉よりも新鮮な肉の方が好みなのだが、致命傷を与えたのは他ならぬ自分だ。月に逃げてしまった輝夜姫のように、味が良くなるのを待ち過ぎて食らう機会が失われるよりは良いだろうと考える。

 少女の腹に顔を寄せる『不比等』。

 口が大きく――耳まで裂け、覗くのはぞろりと生え揃った牙。漏れる吐息は血生臭く、人間の風貌と範疇を明らかに逸脱していた。

 牙が少女の肌に触れ、臓物諸共食い破ろうとした――


 その瞬間だった。


 一筋の銀閃が、『不比等』の頭目掛けて投擲されたのは。


「――っ!?」


 弾かれるように少女から距離を取った。

 寸前まで頭があった空間を銀色が通過し、鈍い音を立てて大地に突き刺さる。僅かに湾曲した影を地に映すそれは――


 鍔のない、一振りの太刀であった。


「シイイイィィィィッ――」


 右手と両足の、四つ這いならぬ三つ這いの低い体勢のまま、余裕の消え失せた顔に冷や汗を垂らしながら『不比等』は牙を剥く。

 正面――太刀が飛んできた方向、乱立する木々の合間。

 踏み鳴らす草履の音を返答とし、暗闇の中から現れたのは誰あろう――


「………………」


 あの日、『不比等』の命を救った恩人。

 竹取りから富豪へと成り上がった老人。

 都中の男を虜にした月姫の養い親。


「これはこれは。姫様が月にお帰りになられてさぞ気落ちしておられるだろうと思っておりましたが、御元気そうで何よりです。――それで? こんな夜中にこんな場所に、それもたったお一人で、一体どういう用件で参られたのでしょうか……翁殿?」


 竹取の翁――讃岐造その人であった。

 慇懃無礼な口調の『不比等』に、しかし老人は答えない。

 ……否、と『不比等』は訝しむ。

 そもそもこの男は、本当に老人なのだろうか。

 人相が変わった訳ではない。身体が痩せ細った訳でも、ましてや肥大して筋肉質になった訳でもない。年齢相応に猫背気味だった姿勢が真っ直ぐになった事以外は、皺が刻まれた顔も質素な服装も、何から何まで『不比等』の記憶にある讃岐造そのものだ。

 けれど。

 表情だけが、全く異なっていた。

 柔和な笑みなど微塵も浮かんではおらず、好々爺然とした雰囲気もまるで感じられない。あるのは明確な殺意だけ。何処までも純粋で底の見えない――冷たく透き通った水のような殺意だけ。

 横目で後方を窺えば、老人が投げたと思しき太刀が見える。間一髪でどうにか避けられたが、当たっていたら間違いなく刺し貫かれて即死だった。

 速度も。

 威力も。

 年老いた人間が出せる限界を超えている。


「あーあー、なるほどつまり? テメェも俺と同類だったってぇワケか。何でわざわざそんな老いぼれに化けてんのかは知らねぇが――」


 敵である事はよく分かった。

 恩人だろうが何だろうが関係ない。敵であるのなら、殺してしまえばいい。殺されようとしているのだから、その前に殺してしまえばいい。

 弱ければ死に、強ければ生き残る。

 それが彼らの――妖怪の世界における絶対の理なのだ。


 この身体、結構気に入ってたんだがなぁ。


 そう前置きした次の瞬間。

 メギッ――と這ったままの『不比等』の体内から怪音が響く。

 それが『変化』の始まりだった。妹紅の意識が既になく、目撃せずに済んだ事がせめてもの救いだと思えるほどの、おぞましい変化だった。

 一言で形容するならば――蛇の脱皮。

 大きく開かれた『不比等』の口の中から、体液と白毛に覆われた右腕が突き出される。続いて肩、そして頭部。胸の辺りまでズルズルと這い出たあたりで、『藤原不比等』の人皮を纏っていた妖怪の正体がようやく明らかとなる。


 白い獣毛を持つ、左腕のない大猿。


 背丈はおおよそ七尺半。

 この時代の人間と比較すると、巨大と言っても差し支えない図体だ。

 顔は血のように赤く、耳は尖り、口は裂けていて、うごめく眼球は大人の握り拳よりもさらに大きい。身に着けているのはボロ布同然の腰巻が一枚きり。

 何より目を引くのは白猿のその右手だ。

 一本一本が刀身と見紛うばかりの、長く、硬く、鋭い爪が指の数だけ――計五本の刃が生えている。

 演じていた『不比等』を完全に脱ぎ捨てて、白猿は久方振りに我が身を伸ばした。狭く小さな人間の皮、その中に無理矢理押し込んでいた全身の筋肉が膨張し、本来の筋骨隆々とした体躯を取り戻していく。


「コ――アアアアアアァァァァァッ!!」


 歓喜に吠える白の大猿だが――


「……うるせぇんだよ猿野郎が」


 対して。

 讃岐造の『変化』は呟き同様に静かなものだった。

 予兆らしい予兆もない。

 一歩、また一歩と、白猿に向けて歩を進めるごとに、老人の姿を成していた皮膚と筋肉が崩れていくだけだ。血肉に擬態させていた微量の妖力が、それこそ砂か塵のように音もなく散りゆく様は、変化というよりは『風化』と言い表した方が適切だろう。

 老人は消え去り、現れるのは白骨と黒衣。


 狂骨・屍浪。


 左腕を持たぬ妖骨が、此処に在った。



 ◆ ◆ ◆



 距離にして、約七歩。

 互いに一撃で殺せると確信出来る位置で、二つの異形が対峙する。


 片や、構えを取る事もなく飄々と立つ白骨。

 片や、右の五爪をこれ見よがしに擦り鳴らす白猿。


「――カッ! それがテメェの正体かよ。どんな凶悪面が出てくるのか楽しみにしたってのに、その辺に転がってそうな骸じゃねぇか。キヒヒ、何だよ何だよ、期待外れにもほどがあるってなもんだ!」

「……格好や姿云々の話題でお前にどうこう言われたかねぇよ」


 屍浪は言う。


「体液でべとべとになってるクソ猿如きに理解出来るとは端から思っちゃいねぇし、確かに俺は屍だが……それでもな、この姿は意外と気に入ってんだ。貰い物だからとか形見だからとか、そんな小綺麗な理由もなくはないが、それに関係なく、気に入ってんだ」


 屍浪は右足を引いて半身になる。

 腰を深く落とした、爪先立ち。

 一気呵成に突撃を敢行するにも、相手の攻撃に合わせて飛び退くにも有効な、攻防一体を基本とする我流独特の戦闘態勢。だが、今現在の屍浪の状況においては、どちらかというと攻撃よりも防御としての意味合いが強いように思える。

 何故ならば、


「おーおー、やる気満々ってか? なるほどなるほど、形見だってんじゃあプッツンきても仕方ないわな。けどよぉ……いくら何でも丸腰って、流石に俺を舐め過ぎなんじゃねぇかオイ」


 屍浪唯一の武装と言っても過言ではない、白鞘の太刀。

 しかしそれは大猿を妹紅から引き離すために投擲してしまっている。だから当然、地に突き立つ太刀との距離は、屍浪よりも大猿の方が近い。

 とどのつまり、屍浪が太刀を回収するには、まずは眼前に立ち塞がる邪魔者――白猿をどうにかして排除しなければならないのだ。

 敵を殺すための武器を、敵を殺して取り戻す。

 本末転倒だった。


「まあ、恨むなら――迂闊だったテメェ自身を恨むんだな!」


 言って。

 七歩分の隔たりを一気に詰めて、白猿が攻撃を繰り出す。

 それは槍だった。

 長大な腕を柄に、爪を穂先に見立てた、全体重を乗せた刺突。

 回転を加えられた五つの切っ先が、唸りを上げて襲い掛かる。


「月並みなセリフをどうも。そっくりそのまま返してやるよ」


 しかし屍浪には届かない。

 当初の予定通り、迷いも躊躇いもなく後方に跳んでいたからだ。

 剣士ではあるが、武士ではない。

 太刀に命を預けるが、あくまで妖怪に過ぎない。

 だから、屍浪は退く事を恥とは思わない。

 のらりくらりと後退しつつ捌く屍浪に対し、


「逃げてんじゃ――ねぇよ!」


 白猿の攻撃は激しくなる一方だ。

 引いては突き、突いては引く。

 何度も。

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 本物の槍ではなく自前の腕である。それゆえに――自分の身体だからこそ、射程距離は槍に比べて狭くなるが、自由度と応用力は格段に向上する。肩に肘、手首に指――これだけの関節を十全に活用すれば、槍には到底不可能な多方向からの攻撃も可能だ。

 点ではなく面。

 直線的ではなく曲線的。

 一方的に、攻め続ける。


「それにしても解せねぇ!」

「ああ?」

「殺し殺され喰い喰らうのが俺ら妖怪の常識っつってもだ、俺とテメェにゃあ何の因縁もありゃしねぇはずだろうが! だがテメェは最初から俺を殺す気で来た! 答えろよ骨野郎! テメェが俺を殺さなきゃならねぇ理由ってのは一体何なんだ!?」

「因縁と理由、ねぇ……」


 あり過ぎるくらいにあるな、と。

 徐に。

 屍浪は右手で己の頭骨を覆って。

 次の瞬間には讃岐造の顔でにやりと笑いながら、讃岐造の声で言う。


「どうやら、記憶力はあまり良い方じゃあなさそうだな。自分が殺した人間の顔くらいは覚えておくのが最低限の礼儀ってもんだろうが」

「……まさかテメェ、そのジジイ――」


 白猿が動きを止める。止めざるを得ない。

 否応なく、強制的に静止させられる。

 讃岐造の仇討ち。

 それが理由だ。


「お前を追って都に這入った日の夜の事だ。俺は偶然、お前に襲撃されて事切れる寸前だった爺さんに出会った。今際の際に爺さんは言ったよ。傍らに立つ俺が何者かも知らないまま、ただただひたすらに『娘を守ってくれ』とな」

「だから……成り済ましてたってのか」

「そこで願いを聞いてやらなきゃ男じゃねぇだろ?」


 聞き入れた結果として。

 屍浪は息絶えた翁の亡骸を分解してその身に取り込み、今の今までずっと――輝夜にも『不比等』に化けていた白猿にも、長年連れ添ったであろう媼にも怪しまれる事なく、完璧に演じ切ってみせたのだ。


「な、なら――だったらどうして俺を助けた!?」

「ああ、そりゃ簡単だ。お前だと気付かなかった」

「なっ――」


 あっけらかんと。

 何ということもなく、あっさりと。

 屍浪は己の非を暴露する。


「わざわざ都くんだりまで追って来たは良いものの、よくよく考えてみりゃあお前の特徴なんざロクに聞いてなくってな。俺よりもデカい白い猿って事くらいしか知らなかったんだよ。まさか同じように人間に化けてるとはな」

「気付かなかったって……いやそもそも『追って来た』だと!? 俺がジジイを殺す前からテメェは俺を殺すつもりだって事か!?」

「当然。……その腕」


 再び妖骨の姿に戻る屍浪。

 その骨指でもって指し示すのは、白猿の失われた左腕。


「紫にこっぴどくやられたみてぇだな」

「――ッ! テメェ、あの女の身内か!?」

「身内どころか、育ての親みたいな立場な訳だが――アイツも詰めが甘い。お前みたいな輩は後々面倒になるから情けなんかかけずに駆逐しろと教えてきたはずなんだが……」

「…………好き放題言ってくれるじゃねぇか」


 白猿も負けじと、指を突き付けて叫ぶ。


「オカシイのはあの女の方だろうが! 妖怪と人間の共存なんて笑い話にもならねぇ荒唐無稽な妄想をクソ真面目な顔して謳いやがる! 何が幻想郷だ、反吐が出る! なぁんで力のある妖怪の俺達が弱いだけの人間なんかと仲良くしなきゃならねぇんだ!? 喰らって、喰らって、喰らい尽くす! 強いから殺す! 弱いから死ぬ! それが唯一絶対の摂理だろうがよ!」

「…………まあ。どういう経緯があって紫が共存の道を選んだのか、それは俺にも分からんし聞くつもりもない」


 白猿の言い分も極論ではあるが、妖怪の立場からしてみればあながち間違いという訳でもない。それほどまでに妖怪と人間の確執は深く――決定的なのだ。むしろ紫のような妖怪こそ少数派、変わり者と後ろ指を指されても仕方がない。

 けどなぁ、と屍浪は嗤う。


「『娘』が何かを成し遂げようと頑張って奔走してんだ。『家族』として、『父親』として、手伝ってやらねぇ訳には……いかねぇだろうが」

「そんな……そんな理由で――」

「ああ、そんな理由さ」


 大多数の妖怪を――同族を敵に回してしまうかもしれない。

 所詮は夢物語だったのだと挫折してしまうかもしれない。


 だが、紫が共存を望むというのなら――


「そんな理由で十分なんだよ」

「がっ……!?」


 その言葉が紡がれたのは、白猿の――背後。

 同時に、ぬらりと輝く白刃が大猿の胸から生えてきた。

 奇しくも、妹紅を傷つけた時のように容赦なく。

 因果応報だと、刻み付けるように。

 刀身が、寸分の狂いもなく、白猿の心臓を刺し貫いていた。

 持ち主である屍浪がまだ正面にいるというのに――!


「な、な……」


 かろうじて背後を振り向けば。

 太刀の柄を握って立つのは、黒衣を纏う白骨。

 白猿がその事実を認識するのを見計らったように、正面――丸腰の方の屍浪の姿が薄れていく。カカカカカカカカカと盛大に嘲笑いながら、蜃気楼のように薄れていく。


「幻、覚……!?」


 それが、最期の言葉だった。


「その通りだよ大マヌケ」


 引き抜かれ、言葉と共に横薙ぎに振るわれた凶刃によって。

 白猿の命は頭部ごと、いとも容易く刈り取られた。

 弱かったから、斬り殺された。

 ただ、それだけの事だった。



 ◆ ◆ ◆



 ……さて。

 この物騙の騙り部を担っていた者が終盤を残して永久退場してしまったので、ここからは俺こと屍浪が引き継ぐ事にしようと思う。と言っても、俺に残された台詞など数える程度、微々たるものだ。真相も何もない、おおよそほとんど全ては既に述べられ尽くされているのだから。

 ゆえに、これからの話はあくまで話半分に聞いて頂きたい。

 信用に足り得ると思うのなら信じていただいて結構。荒唐無稽、あるいは支離滅裂と嘲笑うのならそれも大いに歓迎しよう。

 俺はただ、やり残された仕事を片付けるだけだ。

 語って、騙るだけだ。


 結論から言うなら。


 俺には大まかに分けて二つの目的があった。

 一つ目は説明するまでもない。

 紫が取り逃がした、もとい、見逃した馬鹿猿を駆逐する事である。これに関しては、新たに語るべき重要な事柄などありはしないため、このまま流してしまっても問題はないだろう。強いて言うなら懸念材料が一つある程度だ。

 なので 二つ目。

 俺個人の目的について説明する。

 本音を言えば、紫の件がなくとも俺は都に出向くつもりだった。と言うよりも、紫の尻拭いはあくまでついでであり(紫としてもあの年で尻を拭かれたくはないだろう)、本当の目的は人間の血肉を得る事にあった。誤解のないように補足しておくが、決して食人衝動に襲われたとかそういう訳ではない。生命の危機に瀕していたのは間違いないが。


 妖力の枯渇。

 最優先で解決すべき問題に直面していた。


 妖力こそが俺の本体である事は既に周知の事実となっている訳だが、それが枯れ果てるという事はすなわち『俺』という存在が消滅してしまうという事に他ならない。原因としては……この際明言してしまうが、我が相棒こと邪魅への妖力供給と能力の過剰使用だ。

 他の妖怪も同様なのかどうかは知らないが、少なくとも『騙し偽り欺く程度の能力』に関して言えば、発動の度に妖力を消費――文字通りに我が身を削って行使する能力であったらしい。

 結果、邪魅への施しと相まって俺の生命は風前の灯火。どちらか片方だけだったならばお茶を濁すように誤魔化せたのかもしれない。だが両方となると現状維持も困難となってくる。早急に、妖力を回復する何らかの手段を講じなければならなかった。

 実体を持たない俺に残された方法は一つ。

 それが、他者の血肉を取り込む事だった。

 細胞の一片にまで分解して吸収し、肉体情報を『俺』自身に刻み込み更新する。分かりやすく言い換えるならば、以前に永琳サンが説明してくれた『インストール』が意味的には近いか。新たな情報を取り込んで妖力の自己回復機能を追加する、とも言える。

 元々、妖怪は自身の体内で妖力を生み出す事が出来る。要は、その真似事をするためのプログラムとして人間の血肉の情報が必要になった訳だ。

 誰かに教えられたのではない。

 いつも頭の片隅で響いていた警鐘だった。

 その点では、事切れる寸前だったあの老人に出会えたのは僥倖と言えるだろう。流石に同意を得る時間がなかったため、彼の願い――輝夜を守る事で肉体譲渡の契約とした。それを切っ掛けに永琳サンと再会出来て大団円を迎えられたのだから、いやはや全く、人生とはどう転ぶか分からないものだ。

 ともあれ。

 どうにかこうにか二人分の血肉を得て、人間の姿でいる間は妖力を回復出来るようになった俺が解決しなければならない問題は、残すところあと一つとなっていた。


「…………ん、んぅ」


 どうやら。

 丁度いいタイミングで彼女が目を覚ましたらしい。

 説明が遅れたが、俺と彼女は現在、家主が失われた屋敷の一室にいる。俺にとっては『他人の家』、彼女にとっては『我が家』だ。もっとも、消えた家主が唯一の血縁だったらしいので、この屋敷の中に彼女の肉親は誰一人として存在しないのだが。

 つまりは。


「此処……は?」

「……お前の家だ、藤原妹紅」


 そういう事だ。

 肺腑と動脈はぐしゃぐしゃに損傷していて、最早永琳サンでも治療不可能なほどの――息があるのが不思議に思えるほどの酷い有様だった。

 ならばどうして生きているのか。

 重症患者を治療出来る技術は持ち合わせていないが、手っ取り早く傷を塞ぐ方法ならばあった。脱ぎ捨てられた『藤原不比等』の遺体、その懐の中に。

 不死の薬。

 使うのに躊躇いがなかったと言えば嘘になる。

 父親の正体を知らぬまま死んだ方が幸せなのでは、とも思った。

 結局は俺の自己満足に過ぎない。

 目の前で死なれると寝覚めが悪くなるから。

 それだけだ。

 それだけでいい。


「っ! 父様……?」


 横になったまま、妹紅は俺を『父様』と呼んだ。

 それが意味するものは一つ。


「残念だがハズレだよ、藤原妹紅。確かにこの人皮はお前の父親だが、中身は丸っきり違うモノだ。人間でも、生き物ですらないモノだ」

「あ――」


 理解出来ない、いや、理解したくないのか。

 当然だろう。心の拠り所だった父親は既に死んでいて、その父親に成り代わっていた化物に殺されかけたのだから。


「じ、じゃあ私の、私の父様は……?」


 まだ……あんな奴を父と呼ぶか。

 それほどまでに、お前の心は孤独なのか。

 救ってやりたいと思う。けれど、俺にはもう、その資格などありはしない。何かあるとすれば……責任か。だから彼女に起きた変化も、これから抱くであろう感情も、俺一人で背負うつもりだ。

 誰の手も借りはしない。

 何があろうと絶対に。

 これは、俺だけの罪だ。


「お前が今まで『父様』と呼んでいた奴なら……」


 言え。

 言え。

 言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え――


 ――言いやがれ!!


「俺が、斬り殺した」

「――――――」


 妹紅の顔から一切の感情が失われた。

 能面のような表情で、けれど行動は迅速だった。


「――ぁあああああああああああああああああああっ!」


 瞬時に跳ね起き、俺に向かって飛びかかってくる。

 純白と化した髪を振り乱しながら。

 血のような真紅の瞳に殺意を滾らせながら。

 猛禽の爪の如く歪ませた両手でもって、殺しにかかる。

 首を絞めるつもりか。

 眼球を抉るつもりか。

 どちらにしても。

 今はまだ、殺されてはいけない。

 だから遠慮なく


「――ぎっ!?」


 妹紅の右手首を、斬り落とした。

 絶叫が屋敷中に響く。

 激痛に悶え、床を転げまわる妹紅。常人ならば貧血昏倒どころか失血死する量の血液が噴き出るが、それでも彼女が死ぬ事はない。死ぬ事が出来ない。

 何故なら、彼女は不死だから。

 気付かなければならない。

 気付かせなければならない。

 手首が再生し始めている事を。

 これから悠久を生き続ける事を。


「……俺が憎いのなら、殺しに来い。何十年、何百年経っても恨み続けて、俺を殺しに来い。大好きな父親の仇を、見事に討ち果たしてみせろ」


 目的のない生は死と同義だ。

 限られた命であるならば――終わりがあるのならば、それも一つの生き方なのだろう。だが、妹紅には終わりなど存在しない。俺の手によって、永遠に失われた。

 だから、理由を作る。

 復讐という、生きる理由を。


「何時までも待っているぞ、藤原妹紅」


 言い捨てて、『不比等』の姿のまま、俺は屋敷を去る。

 もう二度と訪れる事はないだろう。


「――ろして……る。――してやる……。――殺してやる。殺してやる殺してやる殺してやる! 私が絶対に――お前を殺してやる!!」


 ……そうだ。

 それで、いいんだ。



 ◆ ◆ ◆



 物騙は終わる。

 救いようない大嘘吐き達に罪と罰を与えて。

 終わりを――迎えた。

一つにまとめたらいつもの三倍の文字数に。

投稿した後で二話に分ければよかったと考える。


序盤の話。

ちっちゃくデフォルメされた紫と幽香。


そして終盤の話。

はい、まさかの展開ぶちこみました。でも一度でも『そうです』と明言した覚えはないし伏線も入れたつもりなので……まあ、未熟なミスリードだと広い心でお考えください。

文句・批判どしどし受け付けます。

そして妹紅ファンのみなさんごめんなさい。


次の第三章では、日常編を数話挟んで急展開。


そして四章から幻想郷編に突入の予定です。


最後に。


今回も更新が二週間以上も空いてしまいました。

それでもお気に入り登録してくれたり解除してくれなかった方々に感謝を。


週に一度は更新したいですね。


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