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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
間章 断片集
20/51

小話。其の五、彼女達の決意

……やりすぎたか。そう思う。

 屍浪には秘密があった。

 もっとも本人からしてみれば秘密でも何でもない、聞かれないから説明しないだけの話なのだけれど、とにかく周囲からは秘密の行動と認識されている習慣があった。


 月に一度、屍浪は必ず何処かに消える。


 最初こそ皆は怪訝に思った。

 だが、特に異変がある訳でもなく、山は平穏無事そのもの。

 当の本人も夜明け前にはひょっこり帰って来るし、何より、相棒の邪魅や管理者であるざくろが騒いだりしないので、今はもうほとんど誰も気にしなくなっていた。

 例外なのは、やはりというか何というか、屍浪に懐いている“彼女達”だけ。

 そして今夜も、屍浪は静かに山道を登る。

 足取りはそれこそ亡霊のように重さを感じさせないもので、右手から提げているのは飾り紐付きの瓢箪酒と漆塗りの杯が二つ。


(ちょっと萃香! あんまり押すなって!)

(仕方ないじゃないか見えないんだもん!)

(静かに!)


 その後を、岩陰に隠れるようにして追う影がある。

 数は四つ。

 あまりに拙い追跡者達だが、しかし白骨は気付いた様子もなく。


(おじさんお酒持ってるから、月見酒かしら?)

(確かに今日は満月だけど、もしかしたら……)


 もしかしたら? と他三人の視線を受けた紫。

 彼女は頬を赤らめたまま、


(あ、逢引、とか?)


 時間が止まった。ヒビが入るような音がしたのは幻聴ではないだろう。

 耳年増で想像力逞しい紫だからこそ予想してしまった、彼女達にとっての最悪の未来。

 屍浪本人が聞いたら『んな訳ないでしょ。骨の待ち合わせ相手なんて腹減らした犬くらいしか思いつかねぇよ』と呆れながら否定しそうな、冗談にもならない邪推。

 不運だったのは、今この場にそれを笑い飛ばせる者がいなかった事だ。


(……まさか、おじさんに限ってそんな事。でも、もし……)

(ゆゆ幽香!? 抑えて、抑えて! 岩がミシミシ言ってるから音でバレちゃう!)

(勇儀、逢引って?)

(母さんが『結婚する相手と会う事』って言ってたような……)

(結婚!? 小父貴が結婚するの!?)

(する訳ないでしょ!! たとえ本当でも私がさせないわ!!)

(お願いだから静かにしてえええっ!)


 もはやカオスである。

 そんな四人の背後から、


「……何遊んどるんじゃお主らは」


 眠そうに目を細める邪魅がいた。

 欠伸を噛み殺す彼女は少し不機嫌そうに見える。


「邪魅!? どうして此処に!?」

「お主らを探しに来たからに決まっておろうが。まったく、揃いも揃って勝手に寝床を抜け出しおって。まあ……それ以外の理由もあるっちゃああるがの」

「と、とにかく隠れて! おじさんに見つかっちゃう!」


 焦る四人に対し、ふむ? と首を傾げる邪魅。

 顎に手をやり、少し唸って、


「見つかるも何も、屍浪ならとっくに行ってしまったぞ?」

「へ……?」


 恐る恐る前方を窺うが、そこにはもう誰もいない。

 山風が拍子抜けした四人の頬を撫でた。

 響くのは虫の音と、クククと零れる樹妖の笑い声。


「そうかそうか。お主ら、雁首並べて屍浪の後をつけていた訳か。若い身空で出歯亀とはお姉さん感心せんなぁ、んん?」


 咎める台詞とは裏腹に、邪魅の顔は喜色満面であった。まるで仲間を見つけたような、丁度良い暇潰しになるとでも言わんばかりの笑みだ。

 彼女は少女達を置いてスタスタと山道を登り、


「何処に行ったのかは分かっている。一緒に来たければ来るが良い」

「連れ戻しに来たんじゃないの?」

「それ以外の理由もある――そう言うたろ? 儂の目的は端から出歯亀じゃよ。お主らも興味あるじゃろ? 屍浪が――誰を想っているのか」


 少女達は互いに顔を見合わせる。

 言い返せなかった。



 ◆ ◆ ◆



「永琳様、少しお休みください。もう五日も寝ていないのでしょう?」


 そう言ったのは、実験結果を報告に来た部下の一人だった。

 心配で仕方がないという感情が、彼女の顔にありありと浮かんでいる。


「姫様の事を思っているのは分かります。ですがあれは事故です! 姫様が間違って飲んでしまわれただけで、貴女様の責任ではありません!」


 そうです、その通りです、と皆が口々に言う。この研究所内の、いや、月の都のほとんどの者が永琳の身を案じていた。


 同郷の仲間として――ではない。


 薬師の名家・八意家の現当主。

 月の都の創設者の一人で稀代の大天才。

 彼らが一番恐れているのは、自分達にとって価値がある『八意永琳』という象徴が穢れ、衰退してしまう事だった。だから彼らは敬い、媚び、身を尽くす。自己満足と甘い汁に浸るために、それが永琳にとってどれだけ苦痛であるかなど考えもせず。

 まるで人権のない美術品のような扱いだ。

 心を押し潰されながら、それでも永琳は気丈に振る舞う。


「……薬を作って、机に放置していたのは私よ。なのに姫様だけが地上に追放されて、私は無罪放免。紙切れ一枚手渡されて『はいそうですか』と割り切れるものじゃないわ」


 まとめ終わったデータを片付け、背中に視線を浴びながら永琳は研究室を後にした。

 足取りは重くもなく軽くもない。さながら機械のような、意思を感じさせない歩み。

 誰かとすれ違う度に、体調や近況などを尋ねられる。それらを台本を朗読するかの如く『処理』しながら、永琳は自分に割り当てられた邸宅に戻った。


 ただいま、とは言わない。


 かつて地上に住んでいた頃は『おかえり』と言ってくれる家族がいたが、今はもう、誰も出迎えてはくれないのだから。


「………………」


 照明も点けずに、その家族が寝台代わりにしていたソファに倒れ込む。

 自室のベッドは未使用のまま埃を被っている。数日に一度帰宅して睡眠を取る時は、いつもこのソファを使っていた。


「女々しい……かしら」


 ポツリと漏らしたその問いに、


『いーんじゃねぇの、女々しくても。永琳サンはどう見ても女なんだからよ』


 からかいながら肯定してくれる声が聞こえたような気がした。

 暗闇の中、唯一光る物がある。

 ガラステーブルに置かれたそれは、タブレット型のコンピューターだった。

 映し出された映像は、凄惨極まりないものであった。


 渦巻く紅蓮、飛び散る深紅。

 白刃の群れが閃き、耳を刺すのは阿鼻叫喚。


 地上を脱出する際に繰り広げられた防衛戦の映像。

 移住記念の一つとして流されている、脚色と虚構だけの映画などではない。

 撮影者は相当慌てていたようで揺れが酷いが、それでもはっきりと分かる。

 この映像こそが真実なのだと。

 妖怪の大軍勢相手に戦う、本当の英雄達の姿が映し出されていた。自ら裏切り者の汚名を被り、二千を超える化物共と奮闘した百七十九人。


 その先陣を切っているのは、


「…………シロ」


 右手に太刀を、左手に槍を携えて駆ける白骨。

 嘘を吐き、自分に恨まれるのを覚悟で、護るために残った風変わりな妖怪。


「本当に……馬鹿。お人好しなのは貴方の方でしょ……」


 映像の送り主は、ある意味では永琳以上に有名な人物だった。

 あの大戦を生き残り、国を救った英雄の一人と賞賛される元護国兵。そして、月に移住してからの最初の自殺者。

 永琳の端末に覚えのないデータが届いたのは、彼が銃で自殺した次の晩の事だった。

 映像データが一つと、暗号化された文書データが一つ。

 文書には、己の罪の告白とこれまでの後悔が延々と綴られていた。

 手紙を読み、映像を見て、永琳はようやく真実を知った。本当に憎むべき相手が誰であるのかも、その手紙にははっきりと記されている。


 唐突に、電子音が鳴り響く。

 テーブルの隅に鎮座する腕輪型端末からだった。


「ああ、月夜見? ………………そう、やっぱり本当だった訳ね。姫様も予定通り? そう、分かった。手を貸してくれて有り難う。私もすぐに準備するわ」


 短い通信を終えて、永琳は身を起こす。

 モニターの光に淡く照らされた彼女の顔には、冷たく透き通った――殺意にも似た決意が秘められていた。



 ◆ ◆ ◆



 頂上へ続く道を、五つの影が登る。


「……じゃあ、おじさんは今もその人の事を?」

「どーだかのう。あの男の心は分からんし、今の話も本人から聞かされたのをそのまま話しただけじゃ。記憶を失っている儂には正否の判断など出来んよ。ただ昔を懐かしんどるだけかも知れんし、本当に好いておるのかも知れん」


 その言葉に少女達は沈黙した。

 屍浪が今でもその女性を想っているのなら、自分達はどうしようも出来ない。思いの丈を精一杯ぶつけても、どんな答えが返ってくるか目に見えている。

 でも、そんなの、


「そんなの……酷い」

「小父貴が何処か行っちゃうなんて……ヤダ」


 幽香と萃香の嘆きは、皆の心の代弁だった。

 ずっと想い続けてきたのは自分達だって同じなのに、それは絶対に叶わないと言われているようなものなのだから。


「まあ、屍浪が誰を好いていようと関係ないがの!」


 いきなりの展開に「えぇっ!?」と呆ける少女四人。

 それはそうだろう。しんみりとした話を、それまで重々しげに語っていた邪魅本人が自分でぶち壊してくれやがったのだから。


「なぁに驚いとるんじゃ小娘共? 強い男に惚れる! 女として何か間違っとるか!? 儂らはちぃとも悪くないぞ!? むしろ、その気にさせたくせに昔の女に未練たらたらな屍浪が悪い!!」


 暴論だ。

 けど、納得出来たりもする。

 どうして自分が身を引かなければならないのか。

 そんなこんなやってる内に、頂上に着いてしまった。

 岩に腰掛けて、満月を肴に酒を煽る屍浪がいる。傍らには、酒が注がれたもう一つの杯があった。誰の分かは考えるまでもない。

 こっちを振り向いてくれない彼に、何だか無性に腹が立ってきて――


「……紫」

「言いたい事は分かるわ、幽香」


 紫と幽香は下肢に力を込めて。

 萃香と勇儀も満面の笑みで拳や首の骨を鳴らし。


「――ごっはぁ!?」


 想い人の背中に一斉に、全力で飛び掛った。

 悲鳴が上がり、酒が飛び散るが、そんなの知った事か。

 背中にくっついて、腕にしがみつき、最近育ってきた胸を頭に押し付けて、


「何!? 何事!? ちょいと邪魅さん説明頼む!」

「心配するな屍浪。小娘共がほんの少し大人になって、ほんの少し本気になっただけじゃ。いいから黙って弄られとけこのスケコマシ」

「本気って何だ!? 本気で俺を亡き者にするつもりか!?」


 もう亡くなってますけどワタクシ!? と叫ぶ女の敵。


「お、おじさん、今日は私と一緒に寝て! あの、その……違う意味で!」

「違う意味で!?」

「小父貴、わたしと赤ちゃん作ろ!」

「女の子がそんな事簡単に言っちゃイケマセンっての! ざくろの話ちゃんと聞いてたのかお前ら!? ってかまだ引っ張るかそのネタ!」

「……どうしてかしら。おじさんの悲鳴聞いてたら身体がゾクゾク――」

「しなくていい! お願いだからそれ以上先に進むな幽香!」


 もみくちゃにされている相棒の叫びを聞きながら、邪魅はゆっくりと空を仰ぐ。

 浮かぶのは、白銀の満月。

 あの場所に、あの小娘がいる。

 顔も知らないあの女がいる。

 恋とは戦争だ。弱気になった方が負けだ。

 だから今、改めて宣戦布告する。


「……高みの見物決め込んでないで、さっさと降りて来るが良い」


 月下。

 今を共に歩む女と。


「早くしないと、奪ってしまうぞ?」


 天上。

 かつて隣を歩いた女が。


「待ってて。すぐ……会いに行くから」


 約――三十八万四千キロの距離を挟んで、再び対峙する。

ぱぁと、ふぁいぶ。


短編集もひとまず終わりです。


次回から竹取物語編の突入です。

ちょっと『んん?』な展開になりますが、あえて先に言っておきます。



大丈夫ですから。



そして週一の更新に戻ります。

余裕があればもう少し早く……なったらいいなーと思います。

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