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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
序章 古代編
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第二話 対峙。邪魅

 周りの風景が、風切り音とともにものすごい速度で後ろへ流れていく。 


「……ったく。助けたはいいが、これからどうしろってんだか」


 気怠げなその声で、永琳は己の思考をどうにか取り戻す事が出来た。

 だが、あまりに突拍子もない衝撃的な出来事ばかりで頭がうまく働かない。霞がかったように漠然としている。

 肥満体の上司に死んで来いと言われ、踏み込んだ化け物だらけの森で動く白骨と出会い、同行した兵士達が怪植物に殺されて。

 これは夢だ、夢なのだと、現実逃避したくなるような事ばかり起きる。

 やはり日頃の行いが原因なのだろうか。そりゃあ興味本位で作った新薬を部下に無理矢理飲ませて昏倒させたり、五日――いや、三日に一度は研究室で異臭・爆発騒ぎを起こしたりするけれども。

 この時、国の医療施設で療養している十数名の男女がほとんど同時に『十分だよ!!』と叫んで精神病の疑いを掛けられたそうな。

 永琳は知らない。

 密かに『永琳様被害者の会』なるものが設立され、多数の会員が存在している事を。

 閑話休題。

 とにかく、どこか感覚が麻痺した揺れる視界の中、普段ならば考えられないほどゆっくりと時間をかけて、自分が誰かに抱きかかえられて移動しているのだと理解する。

 首を巡らせて背後を窺うと、直前まで自分が立っていた場所から、大人の胴回りほどもある太い根が突き出しているのが見えた。あんなものをまともに食らっていたら治療する暇もなくあの世行きだっただろう。

 ゾォッ、と背中に冷たいものが走る。

 ああ――それにしても、自分を救ってくれたのは一体誰なのだろうか。

 ピンチの時に颯爽と現れてくれるなんて、まるで御伽噺に出てくる王子様ではないか。きっと白馬に乗ってやって来たに違いない。ちょっと口調と運び方が乱暴で、腕が妙に白くてごつごつしているけど、そうに違いない。

 永琳、実はまだ結構錯乱気味で、柄にもなく乙女脳全開だったりする。

 そして、止せば良いのに恩人をもっとよく見ようと頬を赤らめながら顔を上げて――


「……よう」


 白馬の王子ではなく、白骨の妖怪と超至近距離でご対面した。

 眼球が抜け落ちた黒い窩。

 肩の辺りまで伸びた白髪。

 あ、意外にも歯並びは綺麗なのねーとか、再びショートした頭でぼんやりと考えてから永琳はようやく、


「イイイイィィィィィヤアアアァァァァァァッ!?」

「人の顔見て悲鳴上げんな。叫びたいのは俺の方だっての――っと!」


 白骨は呆れた口調で言って、混乱する永琳の頭を守るように左手で押さえ込み、身体を宙に躍らせる。

 前方、数歩先の地面を突き破って、杭状の根が幾つも出現したからだ。

 それらはまるで白骨の動きを読んでいたかのように、まったく別々の方向から絶妙のタイミングで襲い掛かるが、


「ちっ――」


 舌打ち一つ。

 白骨は空中で器用に身体を捻ることで回避する。

 着流しの右肩部分が大きく破り取られて宙を舞うが、かろうじて二人は無傷だった。もしあのまま走り続けていたら、白骨も永琳も揃って仲良く串刺しになっていただろう。

 しかし永琳に一息つく余裕はない。

 鼻先を攻撃が掠っていったのだ。前髪を数本飛ばされるだけで済んだが、それでも彼女の頭はもう一杯一杯の容量限界値に達していて、


「イヤぁ、もうイヤぁ! 帰るぅ、おウチ帰るぅ! 帰って月夜見と一緒に寝るぅ!」

「アンタ、さっきまでの頭良さそうな大人の雰囲気ドコ行ったよ……」


 幼児退行して泣きじゃくる永琳を抱えながら、木々の合間を黒白の弾丸が一直線に駆け抜ける。白骨は明らかに辟易している様子だったが、それでも左手で抜き放った太刀で薙ぎ払い、切り倒し、時には自身を盾代わりにして永琳を根から守り続けた。

 しかし、逃げても逃げても一向に攻撃が止む気配はない。

 いくら妖怪の体力が人間と比べて桁外れだといっても、いつかは限界を迎えてしまう。そうなれば待っているのは悲惨な末路だけだ。


「このまま走り回っても埒が開かねぇか……。おいアンタ、出口は知らねぇのか?」

「グスッ……ふぇ?」

「だから出口、でーぐーち。言ってる意味分かるか、お嬢さん?」


 仮にも国を代表する稀代の天才に対して、まるで子供をあやすような台詞。

 永琳を崇拝する月夜見などが聞けば侮辱以外の何物でもないと烈火の如く憤慨しそうな、心底鬱陶しいと言わんばかりの声音。

 骨に表情などあるわけもないが、ため息を吐くのを堪えているようにも見えた。


「……ちょっと待って」


 腫れた目許を擦りながら永琳は腕輪型の端末を操作して、自分達の現在位置と、森の外に待機している本隊が居る方角を確認する。幸いにも、今走っている方向で合っていた。

 そう告げると、白骨は大して喜びもせずに軽く頷いて、


「そもそもあんな少人数で、しかも夜中に入ってくる事自体間違ってんだろ。此処が化け物共の巣窟だって知ってたんじゃないのか?」

「私達だって夜が明けてから調査するつもりだったのよぅ……」


 そう、本当は斥候のつもりだったのだ。入り口付近に待ち伏せや罠がないか警戒し、内部の状況を大まかに調べるための先遣隊。小一時間もしたら帰還するはずだった。

 なのに――


「なのに貴方があんな場所にぼーっと立ってたりするから! 調査対象の貴方が居たりしなきゃこんな奥まで来なかったわよ!」

「……俺の所為なのかね、それは」


 そうだ、全部この骨が悪い。

 いざ帰還しようとしたら計器が大きな反応を示して、それが国で観測した例の特殊な妖気だったためにムクムクと湧き上がる好奇心に負けて。


「責任取って何とかしなさい!」

「だからこうしてアンタ抱えて逃げ回ってんでしょうが……」


 理不尽だ……とぼやく白骨。


「つーか喚いてばっかいないでアンタも少しは応戦してくれよ。弓持ってんだろ、弓。扱い方からして背中の飾りじゃねぇんだろ?」


 うっ、と痛い所を突かれて言葉に詰まる永琳。

 何か後ろめたい事でもあるのか、白骨と目を合わせないよう明後日の方向に視線を逸らしている。


「さっきの件にしたってそうだ。奇襲に反応して構えるまでは良かったのに、その後は動こうともしなかった。まさか弓が役に立たないって訳じゃあるまいし――」


 と、そこで感付いたのか、白骨は何とも言えない微妙な沈黙の後、


「……アンタ、まさか……」

「い、いやぁねぇ、何考えてるのよそんな訳ないじゃない! この私が素人同然のミスなんてするハズ――」

「まだ何も言っていねぇけどな」


 容赦ない突っ込みに永琳の取り繕うような笑顔が固まり、カクンと首が傾いだ。


「――ちゃったのよ……」

「あ?」


 上手く聞き取れなかった白骨が聞き返すと、永琳は着流しの胸元を鷲掴んでガクガク揺さ振りながら、


「だから! 外に! 矢を! 忘れてきちゃったの!! 文句ある!?」


 彼女の顔は羞恥と自身に対する怒りで真っ赤に染まっていた。しかも若干涙目。

 大失態だ。末代までの恥だ。

 迎撃しようと腰に伸ばした手はスカスカと何も掴めずに空を切るばかり。まさか――と最悪の予感が頭をよぎって目をやれば、其処にあるはずの矢筒は何処にもなく。

 思い出すだけで顔から火が出そうになる。

 話を聞いて白骨は黙り込んでしまった。

 時折、何か言いたげに下顎を上下させるが、気持ちを汲んでくれているのか言葉に出そうとはしない。

 妖怪にも他人を気遣う心があるのね、と永琳の目から今度は感動と感謝の涙が零れ落ちそうになり――


「うーわ、このヒト使えねぇ……!!」


 歯に衣着せない言動で見事にトドメを刺された。

 永琳の顔は真っ赤を通り越して最早蒼白である。


「つ、使えないって何よ失礼ね! 言っときますけど私の本分は科学者であって射手でもなければ軍人でもないの! 弓はあくまで淑女の嗜みとして心得てるだけよ!」

「本当に淑女なら事前の準備と確認を怠ったりしないだろうし、不測の事態に硬直したりしないと思うが……」


 いちいち屁理屈を吐く骨である。

 そこがまた永琳には腹立たしい。


(でも、よく考えたら知っているのはこの妖怪だけよね……)


 決めた。

 森を脱出したら、適当な理由をつけてコイツの口を早急に塞いでしまおう。

 そうしようそうしよう、と般若の面を着けた小さな脳内永琳達が手を挙げて、デストローイと満場一致で可決した。


「……何か、アンタからドロドロした殺気を感じるんだが。具体的には脱出した瞬間口封じされそうな感じの……」

「気のせいでしょ? それより、そろそろ森を抜けられるはずよ」


 妖怪にではあるが、守られているという安堵からかすっかり本調子に戻った永琳。

 出口が近づいて木々の数が減ってきたせいか、枝葉の合間から月明かりが漏れて明るくなり始めている。地中からの襲撃が少なくなってきているのも良い証拠だ。これならば高密度の妖気で断絶されていた通信も回復するだろう。


「――っ!」


 希望の光が見え始めた矢先、唐突に白骨が足を止めた。

 土煙を上げながらの急制動。

 噛み合わされた歯が憎々しげに軋む。


「ちょっと、どうして止まるの!? このまま真っ直ぐ行けば――」


 そこまで言って、永琳は口を噤んだ。噤まざるを得なかった。


「何よ、これ……」

「見ての通り、笑えねぇ冗談だ」


 二人の視線の先――あと数百メートルで出口だというところに、常軌を逸した植物の壁が立ちはだかっていた。

 無数の枝と根が縦に横にと節操なく絡み合い、まるで巨大な蜘蛛の巣さながらの様相を呈している。月光を容易く遮るほどに分厚く、何よりその規模が桁外れだ。右を見ても左を見ても壁、壁、壁。抜けられそうな綻びや穴は一切見受けられなかった。


「もう少し、もう少しなのに……」


 そんな永琳の言葉を掻き消すように。


「クククッ、観念するんじゃな童共。揃って仲良く儂の糧となるが良い」


 頭上から声が降ってきた。



 ◆ ◆ ◆



 着ている服のように赤から青へと忙しなく顔色を変える永琳とは対照的に、変える肌を持たない『彼』はあくまで自然体――しかし何時でも抜刀出来る構えを取りながら、冷静に頭上の影を注視していた。

 萌葱色の長襦袢を着崩した若い女が太い枝に腰掛けている。

 勿論、妖怪である事は明白なため実年齢など推し測りようもないが、外見的には永琳と同じか一つ二つ上といったところか。長い長い黒髪を束ねもしないで枝から流し、口元には妖艶な笑み。たわわに実った双丘が長襦袢を押し上げていて、並大抵の男ならば目が離せなくなってしまうほどの色香を醸し出している。

 しかし『彼』が見ていたのは女妖怪の胸ではなく、その両の目。

 僅かな月光に反射して輝く瞳の色は、纏う衣服よりも濃い深緑。

 宿るのは愉悦と敵意、そして――羨望と憧憬?


「………………?」


 自分が抱いた印象に違和感を持つ。

 おそらくは千数百年の時を生き延びてきた妖樹の精。今更一介の人間と骨しか持たない木っ端妖怪に何の憧れがあるというのか。

 純粋に、永琳の容姿や衣服が羨ましいのか? 

 いやいやと首を振って愚考を否定する。

 こんな人間など滅多に来そうにない深い森で美しさを磨いてどうする。同じ理由で自分の着流しも除外。と言うか、そもそも、あの女の姿も己の想像を基にして構成・具現化した理想の紛い物。その気になればいくらでも変えようがあるはずだ。

 だとすれば、一体何に?

 まったく分からない。


「……そこの骸、お主、儂と同じ化生の者のクセに人間を助けるのか?」


 恐怖のあまり声が出せない永琳と思考に浸り始めた『彼』に痺れを切らしたのか、樹精が先に質問を投げ掛けてくる。妖怪らしくないと咎めているというよりも、人間を助けた理由に興味を持っているかのような声音だった。

 嘘を吐く必要もない『彼』は律儀に答える。


「別に? 俺が妖怪である事も、お前が食おうとしていた事も関係ないさ。たまたま目の前にいて殺されそうになってた。だから助けた。それだけだ。文句でもあるのか?」


 真っ向から喧嘩を吹っ掛けているとしか思えない『彼』の挑戦的な言葉に、傍らに立つ永琳はいよいよ生きた心地がしなくなる。かと言って白骨の口を押さえる事も出来ず、顔面蒼白のまま酸欠の魚のようにパクパクと口を開閉させている。


「クッ、ククク、クカカカカ――」


 一瞬面食らったような表情を浮かべた後、樹精は笑った。


「なぁるほどのぅ。確かに儂らはバケモノ、ヒトが定めた道理なんぞに従う必要も無し。食らいたいから食らい、救いたいから救う。己の身の内から湧き上がる衝動に従った、実にアヤカシらしい行いよなぁ」


 ならば、と彼女は続けて、


「今から儂がその女を力ずくで奪い食らったとしても、お主に文句はないんじゃな?」


 その言葉と、すっ――と横に薙いだ右手の動きを合図に、永琳の足元から幾本もの根が飛び出すが、


「確かに、そうだな」


 鳴り響く金属音。

 それは『彼』が抜刀し、納刀した音だ。

 一瞬で微塵に断ち切られた根がパラパラと地に落ちる。


「奪えるもんなら――やってみろ」


 呆気にとられている永琳を肩に担いで『彼』は来た道を戻り始めた。

 植物の壁がどんどん遠ざかっていく。

 勢いで啖呵を切ってしまったが、あの壁を破る手立てはない。だからひとまず樹精と距離を取るために逆走する。どんどん深みに嵌っているような気がしないでもないが、無抵抗のまま食い殺されるのを見るよりは何倍もマシだろう。


「ククッ、嬉しいのぅ久しいのぅ懐かしいのぅ、鬼ごっこなど何百年振りかのぅ」


 背後で心底楽しそうな女の声が木霊する。


「さぁてさて、この邪魅を相手に何時まで逃げ切れるかな? 骸や骸、白くて黒くて可愛い骸、せいぜい儂を楽しませておくれ」


 思い切り舐められている。

 無理もない。

 植物を手足のように操る邪魅にとって、この森は彼女の腹の中に等しいのだから。


 けれど、それでも。


「一度助けると決めたんだ。意地でも守り切ってみせるさ」


『彼』は駆ける。

 もっと速く、より速く。

 人間の、一人の女を守るために。

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