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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
間章 断片集
19/51

小話。其の四、式神は語る

……壊し過ぎただろうか。そう思う。

 ビキリ――と軋む耳障りな音を、八雲藍は確かに聞いた。


 音の発生源は彼女の主人が持つ双眼鏡だ。

 軍用で頑丈な代物だと自慢げに話していたが、か弱い少女(笑)の細腕でも握り壊せる程度の強度しかなかったらしい。やっぱり人間が作った物は脆いなぁ、と己の主人の馬鹿力については目を逸らして現実逃避を決め込む事にした。

 げに恐ろしきは、恋する乙女の力なり。


「…………羨ましいぃぃ」


 ぼそりと呪詛の如く漏らす紫の手元から、細かい破片が零れ落ちた。

 陽を反射して輝くのは、粉々に砕けたレンズだ。役目を果たせなくなって涙のように散るそれらを哀れみながら、藍は無言のまま予備の双眼鏡を主人に手渡した。これでもう五個目である事は考えないようにする。

 紫の視線の先――二キロ前方にあるのは、あの男が仮宿にしている鬼の巣だ。

 元々は野生に身を置いていた狐、しかも妖怪である藍の目は人間のそれよりも遥かに高性能で、はっきり言って紫よりも視力がある。なので、裸眼でもあの男の姿形を容易に視認出来た。

 変わり映えのない黒い着流しを身に纏い、頭に手拭いを巻いている。

 彼の首と背中と右腕と腰にしがみついているのは、ちっこいのが二人と金髪と緑髪のが二人。その内一人は若かりし頃の――今も若々しい少女の姿だが――紫である。

 藍からしてみれば、今の彼の状況は奮闘する保育士、あるいは幼稚園の先生以外の何物でもないが、どうやら嫉妬に燃える主人には違うように見えているらしく、


「もー何よ、おじさんったらニヤニヤしちゃって! あんな子供に抱きつかれるのがそんなに嬉しいのかしら!? 胸とか私の方が大きいのに!」


 いや、表情がないからニヤニヤしてるかどうかなんて全然分からないし、と言うか仮にあったら絶対疲れた表情しかしてないだろうし、そもそもあの中で一番大胆に抱きしめてるのって昔の紫様ですよね?


 そう突っ込みたい衝動に駆られるが、何を言っても無駄だと分かり切っているため、うつ伏せに寝ている主人の背中を見下ろしながら静かに嘆息するだけにした。

 言動も滑稽だが、紫の衣装は更に奇抜だった。


 迷彩柄のフリル付きドレス。

 枝をいくつも挿した深緑色のヘルメット。

 ご丁寧に、トレードマークの日傘まで迷彩柄だ


 最初に見たとき、何かの間違いかと思った。そして、オーダーメイドでわざわざ作らせたと教えられたときは彼女の頭を疑った。本人曰く、正式な戦闘服であるらしいのだが、一体何と戦っているつもりなのやら。岩山に迷彩色だなんて、余計に目立ってしまう事に気付いているのだろうか。


 ともあれ、時刻は昼。


 藍はいつものように昼食の準備をする事にした。

 当然だが、こんな岩山では材料などろくに揃わない。スキマを抜けて調達しようにも、開け閉め出来る張本人がこの場から動こうとしないため不可能。という訳で、本日のメニューもお湯で温めるだけのレーションだった。

 ここに留まり早三年。住み慣れた屋敷が恋しい。留守番に残してきた橙は元気にしているだろうか。あの子の小さな猫耳をホニホニ弄って堪能したい。目を瞑れば感触が蘇ってくるようだ。


 ホニホニ。

 ホニホニホニ。

 ホニホニホニホニミシミシメリメリ――


「藍? 藍!? 後ろから凄い音が聞こえてきてとても怖いんだけど!?」


 紫の声にハッと我に返る。

 手元を見れば、あるのは使い物にならないくらいベッコベコに変形した片手ナベ。『戦闘時は武器にもなります』というワケのワカラン売り文句で評判な一品なのだが、


「……失礼しました。どうやら鍋の調子が宜しくないようです」

「調子!? お鍋にも調子が良い時と悪い時があるの!?」

「あるのです。料理が出来ない紫様には分からないだけで」

「くっ――悔しいけど言い返せないわ……」


 よし、誤魔化せた。

 それからしばらくはレーションを煮る音だけが続き、


「ねぇ……藍」

「何でしょう」

「藍は昔、おじさんと会った事があるの?」


 そういえば、話していなかったような気がする。

 昔々、ずっと昔、海の向こうの大陸に『殷』という王朝があった時代の話だ。


「昔のおじさんってどんなだった? やっぱり骨だったの? 邪魅もいた?」

「そうですね、あの二人は今と全く変わりませんよ」


 藍が妲己と名乗り腐らせていた国の宮殿に、奇妙な二人組は唐突に現れた。

 何の予兆も気配もなく、数千人の警備など意にも介さず平然と。


『へぇ、こいつぁ珍しい。畜生が国を動かしてやがる』


「……第一印象は最悪でしたね。人の顔を見るなり畜生扱いしてきたんですから。縊り殺してやろうかと思いましたよ」

「おじさんらしいと言えばらしいけどね」


 確かに、と藍は笑う。

 隻腕の白骨と不遜な少女は、宮殿内を自由気ままに歩き回った。

 妲己に媚びへつらう訳でも敵対する訳でもなく、勝手に食料を漁り酒を飲む。

 幽鬼のように現れては何処かに消える彼らを最初は疎ましいと思った。けれど不思議な事に、本気で追い出したいとは思わなかった。

 やがて自分から話し掛けるようになり、二人の名前が屍浪と邪魅である事を知った。


「ですが、私は名乗れませんでした」

「どうして?」

「妲己という名は、私の本当の名ではなかったからです」


 二人の名を知ったその日から、退屈極まりなかった宮殿暮らしは変わった。

 共に酒を酌み交わし、他愛もない話に花を咲かせて大いに笑う。三人で過ごす時間は、どんな贅沢よりも濃密に妲己の心を満たした。

 しかし、そんな小さな幸せも長くは続かなかった。


 国の各地で諸侯が反旗を翻したのだ。

 殷周革命の発生である。


 今思えば、あの二人は自分ではなく、衰退し、崩壊していく殷国そのものを見に現れたのではないだろうか。

 どんなに力を持っていても、やがては滅び、死に絶える。

 それを見届けて、己の心に刻みつけるために。


 炎の中、宮殿を去ろうとする二人に縋りつき、妲己は泣いた。

 別れたくなかった。離れたくなかった。

 兄のように、姉のように、弟のように、妹のように、息子のように、娘のように、父のように、母のように――家族のように自分を肯定してくれた二人。

 彼らと別れるのだけは、どうしても嫌だった。


「あんな大声で泣いたのは、後にも先にもあの時だけです」


 二人の姿が消えた後、妲己は炎の中で立ち尽くした。

 噛み締めるのは、去り際に彼が放った言葉。


『信じろ。いつか絶対に、お前さんを本当に必要とする奴が現れる』


 何の根拠もない世迷い言。

 それでも、その言葉を信じて生き続けてみようと行動を起こした。

 大陸を出て海を渡り、この島国に来て名前を変えて。


「……ふふっ」

「どうしたのよ、いきなり笑ったりなんかして」

「いえちょっと、紫様と初めて会った時の事を思い出しただけです」


 陰陽師に正体を暴かれ死に瀕していたところを、紫が助けてくれた。


『お願い、力を貸して! 私の大切な人を助けるために、貴女の力が必要なの!』


 泣き腫らした顔で彼女は言った。

 屍浪が言っていた言葉の意味を――長年探し求めていた人物が誰なのかを、この時になってようやく理解した。

 式神になる事を快諾し、時を超えてこの地に降り立ち。

 紫が助けたい人物が屍浪である事を知り、己の使命を悟った。


「藍、貴女には感謝してる。けど、これだけは言わせて」


 うつ伏せのまま、紫は言う。

 金糸の髪を合間から覗く耳を、ほんのりと紅潮させながら。


「お……おじさんを好きになったりしちゃ、ダメだからね? 藍は美人だし、幽香とか邪魅とかもいるのに、これ以上ライバルが増えたら、その、ちょっと困るから」


 その言葉を聞いて、


「……全く、本当に」


 藍は破顔した。

 本当に、あの二人には感謝してもし切れない。

 二人に出会い、信じる事が出来たから、今の自分が此処にいる。

 だから、精一杯力になろうと心に決めた。

 この可愛らしい主人と、掛け替えのない恩人を。

 今度は自分が支えて、助けるために。


「ちょっ、ちょっと萃香!? 『今日一緒に寝よー』だなんて羨まし――じゃなくて、何言ってるの!? 由々しき事態よ、由々しき事態だわこれは! 藍、今夜は徹夜で監視するわよ!」

「はい……かしこまりました」


 とりあえず、彼女の恋を応援する事から始めてみようと思う。

ぱぁと、ふぉー


次の話で短編終わらせます。

あの人も出ますよー。

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