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東方妖骨遊行譚  作者: 久木篁
一章 全国行脚編
13/51

第十三話 虚実。天狗の山の神隠し

 季節は初夏。

 降り続ける雨が、霧のようにうっすらと世界を覆い隠している。

 山川草木を育み潤す恵みの雨には違いないのだろうが、絶え間なく三日三晩も降り続けると流石に嫌気がさす。特に、耕す土地など持たない旅人にとっては厄介な天気極まりない。ろくな雨具が手元にない状況なら尚更だ。まあ、何処ぞの軍神が能力を垂れ流して降らせた豪雨よりは何倍もマシなのだろうが。


「……神隠し、というものをご存知ですか?」


 獣道よりは太くて整っている、ただそれだけの特徴のない道の脇に、ぽつんと一本だけ生えた木があった。何ら変哲のない木だ。季節に従って、枝葉を傘のように広げて生い茂らせている。


 口を開いたのは、その木の根元で雨宿りをしている人影のうちの一人だった。


 旅装束の、若い女である。

 黒髪で、美人でもなければ醜くもない、ふとした拍子に綺麗さっぱり忘れてしまいそうな印象の無さが特徴として表れている不思議な女だ。どうやらそれは血筋であるらしく、彼女の傍らに座る祖母と思しき老婆からも、同じように薄い印象しか感じられなかった。


「あれだろ? 人間が跡形もなく消え去るってやつ。それがどうかしたのか?」


 若い男の声で返したのは、目深に被った笠と手拭いで顔を隠した長身の影。

 黒い着流しに白鞘の太刀を差した隻腕の――言うまでもなく、屍浪であった。

 胡坐を掻いて座る彼の両膝では、右を萌葱色の襦袢を着た長髪の少女が、左を癖のある緑髪で洋装姿の少女が、それぞれ枕代わりに占領して静かに寝息を立てている。


「おや、この先の山で神隠しが起こると近隣の村々ではもっぱらの噂なんですよ? てっきり貴方も噂を確かめるつもりなのかと思ったのですが……」

「見りゃ分かんだろ。子どもを二人も連れてんのに、そんな如何にも危なっかしくて面倒くさそうな山に好き好んで入るかよ。……てか、貴方『も』って事は他にもいたのか?」

「ええ、原因を探るために山に入った血気盛んな男達が。数刻も経たないうちに慌てて逃げ帰って来たそうですけど」

「無傷で?」

「転んで擦り剥いたり足を挫いたりした方が何人かいたようですが、私が見た限りでは五体満足で後遺症もなく、今は臆病者扱いされて元気に怒ってました」


 その光景を思い出したのか、若い女は口元を手で覆ってくすくす笑う。


「そもそも、神隠しなどと仰々しく呼んではいますが、被害といえば何も知らずに山に入った旅人の荷物の中から僅かな食料が何時の間にか消え去ってるくらいで、人間が消えた事なんて一度もないそうです。それでもこの大騒ぎ」


 一体どういう訳があると思いますか――と。

 女は涼しい顔で問うてくる。


「………………」


 ただ単に食料が減っただけならば、自分でつまみ食いして被害者のように振舞っていると考えるのが常識的だ。なのに、神隠しの噂がさも当然のように蔓延している。

 あの山にはあるのだ。

 普通の山や村の中であれば誰もが一笑に付すような珍事件を、人智を超えた『何か』の仕業だと信じ込んでしまうような理由が。


 たとえば、神。

 あるいは、アヤカシ。


 仮に、本当に山の神の仕業であるのなら、被害者は旅の安全を祈願するための供物のようなものだと自分達の都合良く解釈するだろう。しかし原因を探ろうとする者まで表れるという事は、災いや悪行の類だと確信している事を物語っている。

 つまりは神の対極。

 人に仇なし、人を謀る者達の蛮行。


「…………妖怪の巣か」

「理解がお早いようですね」


 その通り、と若い女は頷き、


「あの山には大勢の天狗達が住み着いているのですよ。それも、人間が村を作るよりもはるか昔から。天狗はむやみに襲いかかるような種族ではないので、これまで人間とは不干渉を貫いて均衡を保っていました。ですが今は……言わなくてもお分かりでしょう?」

「一方的に盗人扱いされたらそりゃ怒るわな。やったかどうかは別として」


 雨は小降りになり、雲の合間から太陽が顔を覗かせる。

 屍浪は立ち上がり、まだ眠っている邪魅と幽香を器用に片手で抱いて歩き出した。

 進む先にあるのは天狗が棲む山。


「おや、行かれるのですか? 子供を二人も連れているのに? 天狗達は殺気立ってますから、何が起きるか分かりませんよ?」

「話を聞いてたら興味が沸いたんでね。危なっかしくて面倒そうではあるが、それ以上に、話の種と退屈しのぎにはなりそうだ」


 背中に掛かる声に、屍浪は振り向かずに言い返す。

 数歩進んだところで立ち止まり、


「ああそうだ、俺からも一つだけ。お前さん達……人間じゃないだろ?」


 若い女の返答を待たずに、屍浪は続ける。


「話が正確すぎるんだよ。その場にいて見ていたんだと分かるくらいにな。それに最後の一言は余計だった。ただの人間が殺気立った天狗共から全く気付かれずに、しかも何の被害もなく逃げ切れるものかよ」

「……それだけで、ですか?」

「まだあるぜ?」


 屍浪は若い女の黒髪と、そして老婆の白髪を指差して、


「この島国を旅してから結構経つが、お前さん達ほど綺麗な“金髪”は珍しいなんて言葉じゃ足りねぇくらいに珍しい。一応、知り合いには金髪が一人いるが、そいつは人間じゃなくて神だしな。以上の理由から、俺はお前さん達が人間じゃないと断言した訳だが、反論はあるか?」

「…………いいえ」


 若い女――の妖怪はゆるやかに首を振り。

 見破られた事がまるで光栄であるかのように、言う。


「いいえ、お見事です」


 その言葉に満足し、屍浪は再び歩き出した。



 ◆ ◆ ◆



「……やはり気付かれましたか。私の幻術だけならまだしも、能力で偽装しているはずの紫様まで。そのくせ私の顔は思い出さなかったようですが。勘が鋭いのか間が抜けているのか、相も変わらず得体の知れない男です」


 白骨が去った木の下で、呆れたような声が生まれる。

 口を開いたのは、それまで沈黙を保っていた老婆。だが驚いた事に、紡ぎ出されたのはしわがれた声ではなく、うら若い――少女の声と言えるものであった。

 若い女と老婆の姿が歪み始める。

 輪郭が蜃気楼さながらに風景に溶けていき、次の瞬間には二人の少女の姿へと変わっていた。双方ともに屍浪が言ったように金色の髪で、長髪と短髪の違いはあれど、甲乙付けがたいほどに見目麗しい相貌を誇っている。


「ともあれ、興味を抱いてくれたようで何よりですね。邪魅や幽香がいるので安全を考慮して遠回りする可能性も十分考えられました」


 短髪の少女には、ふわふわと揺れる狐の尾が九本も。彼女が人ならざる者であるという事を如実に表していた。けれど、その事実を指摘するような無粋な輩はこの場にいない。


「紫様……?」


 身動き一つしない己の主人に異変を感じて声を掛ける。

 紫と名を呼ばれた長髪の少女は、両手を頬に当てて蹲っていた。顔を俯けていて、その表情は窺い知れない。


「……藍。私さっき、おじさんに綺麗な金髪って言われた?」

「……? はい」


 主人の問いに、狐尾の少女――八雲藍は頷く。

 確かに、あの白骨はそう言ってたはずだ。


「そうよね、私の聞き間違いなんかじゃないわよね。……そうかぁ、綺麗かぁ……」


 えへ、えへへへ、と俯く紫から漏れるのは笑い声。

 藍がしゃがみ、主人の顔を覗き込もうと近づく。

 紫はふやけた表情をしていた。にやけてしまって仕方がないのに、それでも必死に真顔を取り繕うとして失敗を繰り返している。

 他人から話を聞いていただけで、藍本人はまだ見た事はなかったのだが。

 屍浪絡みの事となると行動的になり過ぎるこの主人、彼に唐突に褒められたり頭を撫でられたりするとこうして行動不能になる事があるのだそうだ。


「……紫様、そろそろ後を追いませんと」


 言いながら、藍は小さく嘆息した。

 この状態に陥った紫を再起動させる役目を知人から押し付けられているからだ。簡単に直せるスイッチとか頭の何処かにないかなー、と半分本気で考えていたりもする。


「――ハッ! そ、そうね急がないと!」


 幸いにも今回は軽度であったらしく、紫はすぐに再起動した。

 こほん、と咳払いを一つして彼女は居住まいを正す。

 広げた扇子で口元を隠し、屍浪が向かった山を眼光鋭く見据えて、


「藍、これからが正念場よ。一瞬たりとも気が抜けないわ、覚悟しなさい」

「心得ております」


 主人の様子が元に戻った事に安堵し、藍は恭しく一礼する。

 それまでのほんわかした雰囲気は消え去り、あるのは最強屈指の妖怪としての気迫と信念。少女姿の大妖怪が動き出そうとしていた。


「……待っててねおじさん。必ず、私が助けるから」



 ◆ ◆ ◆



 天狗達が棲むという山に侵入してしばらく経って、ようやく幽香が目を覚ました。


「ぁ――――ふぅ……」

「おはようさん」

「……おはよぉ」


 欠伸をして目を擦る幽香の頭を撫でながら、屍浪は遅めの昼食を取る。

 道中の狩猟で得た干し肉や干し魚、干飯と呼ばれる一度炊いた後に乾燥させた白米など、味よりも保存性を重視した乾物系ばかりだが、本来ならば食事を必要としない屍浪にとって生モノだろうと干物だろうとあまり関係なかった。

 育ち盛りの幽香も今のところ不満はないらしく、水で戻した干飯を小動物のように口いっぱいに頬張っている。

 普段は妖怪があまりいない場所で食事を取るのだが、


「あれ? おじさん、邪魅は?」

「ちょっと別行動中。いいから食っとけ、なくなるぞ?」


 干し肉が十枚に干し魚が八枚。二人では食い切れない量であるはずだが。

 天狗の縄張りのど真ん中で暢気に食料を広げているのには当然理由がある。食事の手を止め、屍浪は感覚器を操作して三百六十度全方位を全身で見渡した。


(……さぁて、どう来る?)


 死角はない。周囲に妖怪らしい気配もない。

 目論見通り、エサに食いついてくれるのか。

 物がいきなり、しかも葢がされているはずの荷物の中から忽然と消え去る訳はない。何らかの妖術、あるいは能力の類である事は確実だ。

 ならば、こうして堂々と食料を晒していたらどうなる?

 自分でも確認出来なかったから何時盗られたのかすら分からないのだ。目の前にこれ見よがしに並べておけば、盗られる瞬間やその方法を判別出来る。


 その時。

 カタリ――と、屍浪の太刀が動いた。


 思考を中断して食料を見ると、干し肉が一枚なくなっていた。

 幽香はまだ干飯を食べている。彼女ではない。もちろん屍浪も食べていない。


 カタリ――とまた太刀が動いた。


 今度は干し魚が一枚なくなっている。


(動きが素早くて見えないとか透明になるとか、そういう問題じゃねぇな……)


 それならば『彼女』も感知出来ないはずだ。

 屍浪は右腕をだらりと下げて、三度目の襲来に備えた。

 不自然なまでに物音一つしない山の中、時だけが緩やかに過ぎていき――


『屍浪っ!!』


 突如響いた邪魅の声に反応し、屍浪は手を跳ね上げた。

 握った手から伝わってくるのは、細く柔らかな肉の感触。

 屍浪の右手が、見慣れない少女の細腕を掴んでいた。


「おじさん、その子誰?」


 幽香には、何もない空間から少女がいきなり現れたように見えたのだろう。状況が分からず、口元に飯粒をつけたまま首を傾げている。


「……対象者の意識を逸らす――いや、有意識と無意識の隙間に潜り込む能力持ちってところか? そりゃ荷物の中にある食い物も盗み放題だわな」


 幽香と同じ、十歳くらいの少女だ。

 朝日のような見事な金色の髪で目鼻立ちも整っているが、ボロ布としか形容出来ない衣服であるため全体的にみすぼらしく見えてしまう。薄い胸元から覗いているのは、先ほどくすねた干し肉。


「さて、と。どうすっかねぇ……」


 今まで見破られた事がなかったのか、それともただ単純に屍浪の顔が恐ろしいのか。理由は定かではないが、とにかく少女は目に見えて怯えていた。

 予想していたとはいえ、まさか子供相手に干物の一枚や二枚盗られたくらいで怒鳴り散らす訳にもいかない。というか思いっ切り涙目だし腰が抜けているようにも見えるし、何か言ったらすぐに泣き出してしまいそうである。

 屍浪は少女の手を離し、自分の干飯が入ったお椀を差し出して、


「腹減ってんならまずは食え。話はそれからだ」

「え……?」

「私もこれあげる」


 差し出されたお椀と幽香が手渡した干し肉を、少女は信じられないような物を見る目で凝視する。おずおずと手を伸ばし、素手で一口、もう一口と口に運び、やがてお椀を引ったくって勢いよく食べ始めた。よほど腹が空いていたのか、干飯と干し肉はすぐになくなった。


「……どうして?」


 手に付いた米も一粒残らず食べた後で、不安げな様子で少女が口を開く。


「いや、どうしてって言われてもねぇ……。幽香、どうしてだろうな?」


 話を振られた幽香は、んー、としばし考え、


「みんなで食べた方が美味しい、から?」

「――だってさ」


 あっけらかんとした二人の言い分に、少女は呆然としていた。怒られもせず、それどころか食料を分けてもらった事がまだ信じられないらしい。

 屍浪はきょとんとしたままの少女を放置し、幽香と一緒に荷をまとめて、


「そんじゃあまあ、腹も膨れたところでさっさと逃げるとしますか。早くしねぇと怖い鳥共がやって来て――」


 頭上からバサバサと羽音。

 木々の向こうからも殺気立った妖怪達の気配。

 飛来するのは無数の矢。


「……来ちまったみてぇだねこりゃどうも」


 少女二人を背に隠し、太刀を振るって矢を叩き落とす。肩や足に少し掠ったが、まあ全員怪我らしい怪我はないので良しとする。

 何時の間にか、屍浪達は包囲されていた。

 地に降り立つのは、漆黒の翼を持った人影。


 ――天狗だ。


 世間一般の通説のように鼻が長い訳でも、鳥類のように嘴がある訳でもない。背に生えた一対の翼以外は人間と変わらない老若男女の外見だった。


「武器を捨てろ、侵入者共!」


 若い天狗の一人が言う。

 子供二人を連れている上に多勢に無勢、おまけに侵入者である事は仰る通り至極ごもっともなので、屍浪は特に抵抗もせず太刀を後方へ盛大にブン投げる。太刀はうすら暗い木々の陰に消えて、あっという間に見えなくなった。

 天狗の壁が左右に割れて、現れたのは年老いた大天狗。後ろに妙齢の女の天狗を連れ従えている。女天狗の翼は服の中に隠されているようだった。


「……さて、そこの娘を此方に渡してもらおうか?」


 老天狗の口調は穏やかで静かなものだったが、有無を言わさぬ威圧感が屍浪達を襲った。細い双眸が全身を射抜き、針のムシロでも着ているかのような錯覚に陥る。


「何故?」


 しかし屍浪は平然とした態度で老天狗に返す。


「訳は説明せずとも分かっているはず。そこの娘は盗みを働き、その濡れ衣を我らに被せた。名誉を傷つけられて黙っていたとあっては天狗の名折れ。よってその娘を掟に従い処罰する」

「腹いせに殺すって事か。大人気ないねぇ」


 殺すという単語に、着流しを引く少女の手に力が籠った。


「勘違いするな。殺す場合も有り得るというだけの事だ」

「なら承諾は出来ねぇな。このガキは俺の大事な手駒なんでね。殺されちゃ困る」


 その言葉に少女は屍浪の顔を見上げて凝視し、どういう訳か、老天狗の後ろに控える女天狗も驚愕に目を見開いている。驚いていないのは『ああやっぱり……』とでも言いたげな表情の幽香だけ。


「つまり、首魁は貴様で、その娘は貴様に唆されて悪事を働いていたという事か?」

「そう聞こえるように言ってるつもりだぜ? 天狗ってのは揃いも揃ってそんな事も理解出来ねぇほどオツムの弱い鳥頭なのか?」


 自分の頭部を指で小突いて挑発する屍浪に、周囲の天狗達は容易く乗せられる。


「貴様、黙って聞いていれば――!」

「止さんか」

「しかし天魔様! 今の暴言は聞き捨てなりません!」

「冷静さを失えばこの男の思うツボだぞ? 我らをわざと怒らせて隙を作るために言ったのだと何故気付かん」


 いきり立つ部下を諌める老天狗。


(それなりの大物が来るとは予想してたが、まさか天魔本人とはな……)


 その見事な手腕より何より、屍浪は天魔がこの場に出向いてる事に感嘆した。たかが食料泥棒の汚名を拭うためだけに天狗の長が自ら赴くとは。

 天狗が抱く誇りとは、思った以上に重いものであるらしい。

 ともあれ、ここで止めてしまっては信憑性に欠けてしまう。

 屍浪は話を続ける事にした。


「こいつの能力はなかなか使えるんでね。まあ、それ以外は何の取り得もねぇから食い扶持を稼がせてたんだよ。ところがこのガキ、俺からも盗もうとしやがった。飼い犬に手を噛まれるたぁ情けねぇ話だぜ全くよぉ」

「……ならば、そのまま黙っていれば良かったのではないか? わざわざこの娘との関わりを我らに話して貴様に一体何の得がある?」


 そう、何の得にもならない。

 黙っていれば少女一人が犠牲になるだけ。

 だから屍浪は嘘を吐く。

 あまりに胡散臭いと自嘲しつつも。


「別に? ただ情が移っちまっただけさ。さんざ道具扱いしてきたが、それでも黙って見殺しにするくらいなら一緒に裁かれた方が何倍もマシに思えたんでね」


 半分は嘘で、半分は本気だ。

 老天狗――天魔は黙って話を聞いていた。聞き終えて、やがて頷き、


「そうか、ならば望み通りにしてやろう」


 踵を返し、翼を広げながら、言う。


「捕らえろ。娘達もだ。里に戻ってから改めて相応しい罰を決める」



 ◆ ◆ ◆



 裁決が確定するまでの間、屍浪は天狗の里の牢獄に幽閉される事となった。

 牢獄と重苦しく呼ばれているがそれは名ばかりで、実際は洞窟の中にある無数の窪みに丸太で組んだ格子戸を嵌め込んだだけの粗末な代物だ。男女の分別は徹底しているらしく、幽香は別の牢に連れて行かれてしまった。

 湿った土の上に寝転びながら、思考する。

 部下は少々血の気が多いようだが、その長である天魔は公平を重んじる性格であるらしい。ならば年端もいかない子供に乱暴するような愚行を許したりはしないだろう。皮肉な事ではあるが、少なくとも、牢に入っている間は幽香達の安全が保障出来る。

 後は、こちらから二人を迎えに行けばいいだけの話だ。

 もちろん裁きが決まるまで待つつもりなど毛頭ない。

 思い立ったら即行動。

 動き出すべく屍浪が上体を起こしたところで、


「……少し、話を聞かせてくれないか?」


 予想外の客が訪れた。

 天魔の後ろに控えて、翼を隠していたあの女天狗であった。

 顔立ちは凛として整い、武術を嗜む者特有の鋭い気迫を発している。起伏に富んだ肢体を機動性を重視した軽鎧で包み込み、腰には両刃の剣を差していた。


「アンタに話さなきゃならん事なんてあったかね?」

「……何故、嘘を吐いた」


 屍浪の軽口を無視して、女天狗は単刀直入に尋ねる。


「お前はあの娘とは何の関わりもないはずだ。なのにどうして嘘を吐いた? 見ず知らずの子供のためにそこまで身体を張る理由があるとは到底思えない」

「……カハッ」


 屍浪は嗤った。心底馬鹿にしたように。


「どうしても何も、俺は最初から嬢ちゃんを助けるためにこの山に登ったんだ」


 それ以外の理由などない。


「お前は、犯人が子供だと最初から分かっていたのか?」


 女天狗は理解が追い付いていないようだが、分かるも何も、神隠しが起きた状況を考えれば簡単に想像がつく。


「金目の物には一切手を付けず、盗まれたのは荷物の中にあった僅かな食料だけ。被害者はたまに通る旅人ばかりなのに盗むのがその量で済んでるって事は、犯人にとってその量で足りるって事だろうが。十中八九、小柄な女か子供の姿をした妖怪。旅人自身は無傷だから、人間を襲い食らう度胸がない子供の可能性が高い。子供なら何時かは油断してヘマをする」


 だから、と続けて、


「だから俺はここに来たのさ。あの嬢ちゃんがアンタ達に見つかる前に保護するつもりで。まあ、出会った直後にアンタ達に見つかっちまったがな。……さあ、俺は質問に答えた。今度はアンタが俺の問いに答える番だ」


 屍浪は女天狗に近寄り、丸太格子を挟んで対峙する。

 捕らえた者と捕らわれた者の立場にあるとは思えないほどの――威圧しているかのような傲慢かつ傍若無人な態度で。


「もし、俺があのまま黙って何もせず、嬢ちゃんだけが罪に問われたとして、そこに何らかの救いはあったのか?」

「……何?」

「嬢ちゃんは生きるためだけに盗みを働いていた。必要最低限の食料だけを求めていた。嬢ちゃんの身体を触ってみたか? 腕は枯れ枝みたいだったしアバラも浮いてガリガリに痩せてたぞ?」

「多少の温情は……ある。我らはそこまで非道じゃない」

「腹ぁ空かせてるだけの子供に手前勝手なくだらねぇ掟を押し付けて罰与えようとしてる時点で十分非道だ。修正のしようがない悪法の方がよっぽど重罪だろうがよ」

「仕方ないだろう! 掟がなければ秩序は成り立たず罪人が蔓延る! 我らはこの山の秩序と安寧を守らなければならないんだ!」


 女天狗の口調が荒くなる。

 彼女も分かっているのだ。

 何が正しく、何が間違っているのか。


「……そんな事、誰が頼んだんだ?」


 殻を破らんとする彼女の心に、白骨の楔が深々と打ち込まれる。


「結局はアンタ逹の自己満足だろうが。あのじーさん天狗も、アンタも、どいつもこいつも盛大に勘違いしてやがるぜ。盗みを推奨する訳じゃねぇが、そもそも俺ら妖怪は無法者なんだ。必要な掟は人間の真似事みたいな決まり事じゃなく――」


『必死に生きる』という、誰もが生まれ持ったルール。


「ただ一つ、これだけだろうが」


 女天狗は、もう何も言い返そうとはしなかった。

 噛み締めた唇から一筋の血を流す彼女に、屍浪は丸太格子の間から骨指を突きつけて、


「いるかどうかは知らねぇが、もし仮に、アンタに子供がいたとして、その子供が、他ならぬアンタのためにこの腐った掟を破って断罪されそうになった時……アンタはそれを黙って見ていられるのか?」


 返答はなかった。

 屍浪は、逃げ出すように足早に立ち去る女天狗の背を黙って見続けていた。



 ◆ ◆ ◆



『……大した詭弁じゃの。誰よりも必死に生きておらんのは他ならぬお主だろうに』


 暗く牢内に、少女の声が木霊する。

 しかし姿があるのは屍浪だけ。


「詭弁はその通りだがな、俺は嘘を言ったつもりもないぜ?」

『まったく難儀な性格じゃの。ひねくり曲がっとる癖に妙なところで真っ直ぐで、おまけに一度こうと決めたら梃子でも動かん』

「お褒めの言葉光栄至極」


 その声は屍浪の腰――太刀のない鞘から聞こえる。


『ときに屍浪よ、もう身体を作っても良いのではないか? そろそろ逃げ出すのであろ? いい加減、じっとしてるのも飽きて来たぞ』

「動けないはずの樹の妖怪が何言ってやがんだか……」


 呆れつつ屍浪は鞘を抜き、湿った土に軽く突き刺す。

 変化は一瞬だった。

 突き立てた鞘の隣の地面から無数の根が生え昇り、互いにミシミシと複雑怪奇に絡み合って形を成していく。

 足が生まれ、胴体が現れ、腕が伸び、頭部を成す。

 萌葱色の若葉が折り重なって襦袢となり、長髪の、一人の少女がその場に君臨した。

 邪魅が持つ『増殖する程度の能力』――その応用である。


「何時見ても面白いねぇ、お前さんのソレ」

「言うほど簡単ではないがの」


 軽く飛び跳ねたり身体を伸ばしたりして調子を確認する邪魅。彼女は山に入った直後からずっと鞘の中に意識を戻していた。

 あの少女の能力は、屍浪と幽香にだけ作用していた。姿のない邪魅に気付かず、能力を使えなかったのだ。だから屍浪と幽香の意識は誤魔化せても、邪魅だけは少女をはっきりと認識して、屍浪に合図を送る事が出来た。


「で、アレは?」

「安心せい。抜かりなく回収しとるわ」


 邪魅の足元から生えてきたのは、屍浪が投げ捨てたはずの抜き身の太刀。太刀の柄に使われている木材も彼女の一部であるため、こっそりと地中に回収する事など造作もない。

 手渡された太刀を何度か握り締めて、


「それじゃあまあ、おチビさん達を迎えに行くとしますか」


 丸太格子を一太刀で破壊して。

 誰にも止められる事なく、白骨と樹妖は一歩を踏み出した。


「幽香への土産は何が良いかの?」

「飾り布でも頭につけて『土産は儂じゃ』とかやれば?」



 ◆ ◆ ◆



 時を同じくして、屍浪と隔離された幽香と金髪少女の元にも珍客が訪れていた。


「そのシロウという方はそんなにお強いんですかー」


 興奮に目を輝かせているのは、幼い天狗の少女である。

 幽香達も外見的にはまだ十歳くらいでまだまだ小さいが、この天狗少女はそれよりもさらに三つ四つは下に見える。鴉天狗だと自称するが、あどけない表情とパタパタ動くちっこい黒翼がとても可愛らしく、幽香は心の中で彼女をヒナ天狗と呼ぶ事にした。


「うん、ちょっぴりいぢわるで嘘吐きだけど、とってもカッコ良くて優しいの。おじさんは私のために神様とだって戦ったんだから。私のために空を飛ぶ神様達を引き摺り下ろして、泣き出すくらい思いっきり拳骨して怒ってくれたの」


 ほへー、と感嘆の息を漏らす金髪少女とヒナ天狗。

 妙に『私のために』と強調して自慢げに話す幽香。

 話の最後だけを聞けば概ねその通りではあるのだが、屍浪との出会いや細かいセリフなどは、当の本人である屍浪が聞けば『いや誰それ!?』と叫びそうなくらいに幽香の脳内で美化脚色された一大活劇と化していたりするのであった。


「じゃあ、どんな服を着てるですか? おとなのみんなに聞いても『ざいにんには近づくな』って怒られて全然見れなかったんです」


 おじさんの服……。

 着流しと呼んでいるあの服、改めて考えると屍浪以外の誰かが着ているのを見た事がない。この時代では自分の洋装もとても珍しいが、神様に選んでもらったからという理由でどうにか納得は出来る。

 しかし、気が付いたら最初から着ていたという屍浪の着流しは独特の肌触りで、材質は絹とも麻とも違う。いつも抱きついているからよく分かる。口では『いきなり飛び付いてくるんじゃありません』とか怒るけど、最後には必ず優しく頭を撫でてくれて――って違う違うそうじゃなくて。


「んー……不思議な、服?」


 としか幽香には言いようがなかった。

 あんまり参考になりませんよう、と落胆するヒナ天狗。


「じゃあじゃあ、どんな顔してるひとなんですか? わたしの母様よりもキレーでカッコイイですか?」


 思考の切り替えは早いらしく、めげずにヒナ天狗は質問を続ける。

 一番難しい質問が来た、と幽香は内心で少し困る。

 どう説明すれば良いのか。

 男は外見じゃなくて中身だよー、と諏訪子が言っていたような気がするしそれには大いに同感なのだけれど、屍浪の素顔は初対面の相手には些か凶悪過ぎる気もする。


(……気絶するかも)


 天狗以外は見た事がないと分かるこのヒナ天狗が屍浪を見たら――


「――――あ、後ろ」

「はい?」


 思わず口走ってしまった幽香。

 その言葉に素直に従って後ろを見たヒナ天狗は、


「………………」

「………………」


 蓬髪頭の白骨と超至近距離で対面を果たしてしまった。

 目玉が抜け落ちた仄暗い眼窩、かすかな明かりに反射して浮かび上がる骨、剥き出しになっているがゆえに原始的な恐怖を呼び起こす歯牙。

 白骨は右手を上げながら口を開き、


「……やあ、どうもホネです」

「…………………………――――キュゥ」


 パタリ、と軽い音を立てて。

 ヒナ天狗は、ものの見事に気絶した。


「……俺の顔ってそんな怖いかね」

「ガッカリしないで。どんな顔でも私はおじさんが大好きだから」


 うわぁ子供の無邪気な気遣いが痛ぇよ、と自嘲気味に呟いた屍浪はヒナ天狗を壁際にそっと寝かせて、彼と幽香の間を阻んでいた丸太格子を両断する。


「さて、とっとと此処から出るぞ。もちろん、そっちの嬢ちゃんも一緒にな」

「幽香、儂がいなくて寂しかったじゃろ! さあ、思う存分抱き着くが――」

「おじさん!」


 何やら頭に飾り布を装備した邪魅がいたような気がするが、幽香はそれを全力で無視して屍浪の胸に飛び込んだ。にこやかな笑みで両手を広げたまま固まる邪魅。そんな彼女に出入り口を塞がれる形になってしまった金髪少女はオロオロとしばらく逡巡して、


「え……えい?」


 邪魅に抱き着いた。


「こ、これで大丈夫?」


 ものっすごく気遣われてる。


「……あれ? 屍浪、何だか儂、涙が出て来たんじゃけど?」

「眠くなるのは勝手だが、寝たら置いてくからな?」

「欠伸と違うわ戯け!!」


 牢獄から脱出するにしては、かなり賑やかな集団であった。



 ◆ ◆ ◆



 頭上を哨戒天狗が絶え間なく飛び交う。


 罪人が逃げた! 

 早く探し出せ!


 口々に叫ぶ彼らを尻目に、屍浪一行は山を一気に駆け下りる。


「しっかし便利だな嬢ちゃんの能力。『隙間に潜る程度の能力』だったか?」

「うん!」


 真下を堂々と走っているのに、天狗達は気付かない。

 それは金髪少女の能力によるものであった。

 最初に屍浪と幽香に使ったように、彼女は天狗達の有意識と無意識の隙間に、自分と屍浪達の四人の存在を潜り込ませているのだ。言い換えれば、見えているが気付いてない状態――道端に転がる石ころと同等に誤認させているのである。


「にしてもまあ、どんだけ怒ってやがるのやら……」


 哨戒天狗の数は増えていく一方だ。

 上空は漆黒の翼の群れで闇夜と化している。

 汚名の濡れ衣を被せた犯人が脱獄したのだから当然の対応であるようにも思えるが、それでも流石に数が多すぎる気がする。


「あー……屍浪? 多分それ、後ろのが原因じゃと思う」

「後ろぉ?」


 屍浪は少女達を置き去りにしないくらいの速度で先頭を走っている。二番目が金髪少女で三番目に邪魅が続き、最後尾を幽香が、が…………


「……うぉぉい」


 絶句した。

 幽香が気絶したままのヒナ天狗を両腕で抱きかかえていたからだ。

 ちょっと待ってアナタどうして連れて来ちゃってんの――とか、道理で奴ら死に物狂いで探してるはずだよ――とか、怒鳴りたい事は色々あるが、


「拾ってくんな! 元いた場所に戻してらっしゃい!!」

「えー? だってこんなに可愛いんだよ?」

「いけません! ウチにはそんな余裕ありません!!」

「混乱のあまり捨て犬みたいな扱いしとるのぅ……」


 名誉毀損、脱獄、加えて幼児誘拐。

 まずい。特に最後のがまずい。人質にしてしまえばいいのではとも考えたが、それは屍浪の信念に反する行為であり、もっとも唾棄すべき愚行であるため却下した。

 とにかく、一度戻ってヒナ天狗を親元に返してこなければ。

 そう決定し、急停止した屍浪の目の前に、


「見つけたぞ!」


 あの女天狗が空から舞い降りた。

 よほど焦って探し回っていたのか、顔は汗に濡れて息も荒い。けれどそんな事よりも、屍浪は彼女が広げた翼に目を奪われた。


「ほう、これは珍しいのう」


 淡く輝く純白の翼。

 舞い散る羽の中に佇む姿は、下手な下級神よりも神々しく思える。

 しかし彼女は鴉天狗のはず。

 よくよく見れば瞳が紅い。髪は黒いが、どうやら煤で染めているようだった。


「アルビノ……ってやつかね」

「あるびの?」


 幽香と金髪少女が首を傾げる。


「山育ちなら、たまにシロヘビとか見た事ないか? あれと同じだ。要は白い身体と赤い瞳で生まれてくる生き物の事」


 劣性遺伝とか突然変異とかメラニン色素とか小難しい話題になってくるのだが、解説したところで幽香達が理解出来るとは到底思えないので割愛する。一から説明するのもメンドクサいし。


「私の事などどうでもいい! 早く娘を返してくれ!!」

「娘? ――って事はこのちっこいのはアンタの子か?」


 牢獄での質問が脳裏を掠る。まさか本当に子供がいるとは思わなかった。


「この一件に娘は関係ないだろう!? 人質が欲しいのなら私が代わりになる! 頼む、娘には乱暴しないでくれ!!」


 女天狗は剣を投げ捨てていた。

 地に膝をつき、涙ながらに懇願する。


「……まるっきり悪人じゃの、儂ら」

「まあ、見た目とやってる事はそれ以外の何物でもねぇしな」


 とはいえ、どうしたものか。

 ただ返すだけなら簡単だ。けれど屍浪はこのまま見過ごせないと考える。女天狗が頑なに翼を隠していた理由の見当がついたから。


「……幽香。そのちっこいの下ろして、邪魅達と先に行け」

「えー? うー……分かった」

「邪魅、頼むぞ」

「うむ、任せるが良い」


 幽香からヒナ天狗を受け取り、屍浪はその場に残った。『早く来てねー!!』という幽香の溌剌とした声を背に浴びつつ、女天狗と対峙する。


「まずは……この子を返す。アンタの娘とは知らなかったし、こっちだって本当は連れてくるつもりなんてなかったんだ」


 右腕の中で暢気にすやすやと眠る幼子を返すと、母親は二度と離さないとでも言うようにしっかり抱きしめた。ただただ静かに身体を震わせて、安堵の感情を押さえ込んでいるようにも見えた。


「アンタが真実を知っていながら何も言わなかったも、ずっと翼を隠していたのも、その色が理由だったんだな?」


 屍浪は言う。

 それは問いかけというよりも独白に近い。

 答えなど必要なかった。


「アルビノは神聖な吉兆とさせる場合もあれば、逆に災いを招く凶兆とされる場合もある。アンタら鴉天狗は後者の方だった」

「……そうだ。鴉天狗にとって白とは忌むべき色。生まれた子供は里に仇なす者とされ、すぐに殺されなければならなかった」

「だがアンタはこうして生きて、子供まで産んでいる。あのじーさん天狗――天魔が、アンタの翼の色を知りながらも助けてくれたから」


 それしか考えられなかった。

 真実を知っているのに意見せず、黙っていた理由。

 彼女は、命の恩人である天魔に逆らう事が出来なかったのだ。


「私には『真実を見通す程度の能力』があった。だから、あの娘が生きるために仕方なく盗みを働いていた事も、我らの名誉を傷つけるつもりがなかった事もすぐに分かった」

「それでも言えなかった」

「言える訳がないだろう!? 今の掟を定めたのは天魔様だ! 私はあの方に、一生かかっても返しきれないほどの恩がある!」


 彼女も掟の被害者だった。

 善悪の観念などは個々によって異なるもの。

 彼女は自分の正義に今も責め続けられている。


「私はどうすればいい!? 私や掟が間違っているのは分かっているんだ! 『気高く、正しくあれ』と偉そうに娘に教えてきたのに、その私は罪深い嘘の塊だ! 今さら偽善者ぶったところで、一体何が出来ると言うんだ!?」


 屍浪は姿を重ねた。

 かつて、雨の降る丘の上で。

 自分は人殺しだと責め嘆いた銀糸の髪を持つ天才と。


「……泣かないで、母様」


 救いの手を差し伸べたのは、抱かれて眠っていた幼子であった。

 母親の頬を、泣く子でもあやすようにぺたぺた触って。

 そして、微笑む。


「母様の翼、とーってもキレイです」


 幼子も、白は忌み嫌われる色だと教えられているはず。それでもこの幼子は、掟よりも言いつけよりも、母親への愛と己の心を選んだ。

 何時の世も、何処の国でも、一番素直で正しいのは子供の心。


「文……文……っ!」


 何度も何度も娘の名を呼んで、彼女は今度こそ本当に泣き崩れた。

 きょうの母様は泣きむしさんですー、と抱きしめられながら幼子は笑っていた。


「……変えたいって気持ちがあるんなら、まずは綺麗な翼を隠す事を止めるんだな」


 余計なお節介だと理解しつつも、屍浪は彼なりの道を示す。


「白が凶兆だってんなら、そのくだらねぇ概念を引っ繰り返すほどの事をやって吉兆だと思わせればいい。臆するな、恐れるな、アンタにゃその夢を叶える能力があるし、支えてくれる家族がいる。賛同する奴も必ず出てくるはずだ」


 だから――


「変えてみせろよ、掟を。アンタの世界を」


 もう、この場に留まる理由はない。

 幽香達の後を追うために、屍浪は跳躍した。

 去り際に、こう言い残して。


「ああそれと、これは俺の推測だがな! 多分あの偏屈じーさん、アンタが『この掟は間違ってる』って言ってくれるのを待ってると思うぜ!?」



 ◆ ◆ ◆



「むぉ、おふぉいそひろう」

「おふぁえひー」

「お、おひゃえりなひゃい」


 モグモグガツガツバクバクムシャムシャ――と。

 山の麓、天狗達を撒いて追いついた屍浪を出迎えたのは、なけなしの食料をリスのように口いっぱいに頬張っている三人の少女だった。


「いや、何してんのよキミタチは」


 別に非常食という訳でもないので全部食べてくれても問題はないのだが、流石に場所が場所だ。いくら金髪少女の能力があるといっても、もう少しくらい危機感を覚えてほしいと屍浪は思う。


「仕方なかろ? 紫がお腹空いたと言うとるんじゃから」

「紫ってダレ?」

「あ……私の名前、八雲紫です」


 おずおずと手を上げた金髪少女。

 そういえば名前を聞いてなかった気もする。


「そうか。じゃあ紫、お前はこれからどうしたい?」

「どうって……?」

「あと数日もしたらこの山は騒がしくなる。戻るってんなら別に引き止めはしねぇが、天狗共も荒れるだろうから、騒ぎが収まるまで少し生きにくくなるのは確かだ」

「………………」


 少女――八雲紫は黙り込んだ。

 黙って、考えているようだった。


「……素直に『助けてやるから一緒に来い』と言えんのかこの男は」

「……私の時は最初は『ついて来るな』って言ったのにぃ」


 後ろの声は聞こえない。聞こえないったら聞こえない。

 幽香の方からちょっと危ない気配がしてきたが気にしない。

 花が両足に巻き付いてくるが気にしないったら気にしない。

 主に自分の精神的な安全のために。


「どうする?」


 紫の答えは――

ちび紫、ちびちび文、登場。


区切るところが見つからず、気が付けば文字数はいつもの二倍の量に。

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