釣り人
お話し全体はフィクションですが、「トルネードによって行方不明になった二人の釣り人。何人も目撃者がいながら、トルネードの後に一切彼らの遺品になるような車、ボートトレーラーなどが未だに見つかっていない」という部分は実在したお話しになります。ジャンルに当てはまるものが相応しないような気がしましたが、「不思議な話し」ということでホラーのカテゴリーに入れました。
お話しの舞台はアメリカとなっております。
では、お楽しみください。
重くきしむ木のドアの鍵を僕は数年ぶりに開けた。
このドアを開けるのは4年ぶりだろうか?
確かドアを閉めた時には、僕は妻と一緒だった。
たった4年の間に僕ら夫婦はいがみ合いを続け、苦痛の日々を積み重ねることに耐えかねて離婚にいたった。
僕らが住んでいた小さな古い一軒家は町にあるということで、財産の一部として妻のものになり、僕に残されたのは両親が残してくれた田舎町にあるこの古いキャビンだけになった。
それでも何も残らないよりはマシだ。
そう自分を励ましつつ、ドアのノブを回してドアを押した。
しばらく人が訪れていなかったせいで、ドアを開けると埃っぽい空気が鼻の中に飛び込んでくる。
一歩足を踏み入れる度に、木の床はギシッと音をたてる。
一人だからなのだろう。
小さな音は僕の耳に大きく響いた。
「掃除が必要だな……」
誰かに言う必要もないのに声を出したのは、これから始まる一人の生活を改めて寂しく感じたからかもしれない。
鍵を埃の積もったテーブルの上に置き、ため息をついた。
何かする気力はなく、掃除は後回しにしようと思った。
そういえば、このキャビンの前面は湖に面していて、家の前には三人乗りの小さなボートが杭につながれていたっけ……。
壁にもたれかかった釣竿が目にした僕は、湖に釣りにでようと決めた。
平日の湖畔の朝は、とても静かで、ボートに寄せる水の音がとても心地良い。
薄い霧に覆われた神秘的な湖をゆっくりと沖に進んでいった。
かすかに男の笑い声が聞こえた。
僕は辺りを見回してみた。
それは僕が漕いでいる先である背後からだった。
興味からだったのか、僕はボートの向きを変えて声のする方に向って漕いだ。
二人の男が釣りをしていた。
一人は日よけ用のカウボーイハットを被り、立ってキャスティングを繰り返している。もう一人の男は座って静かに釣り糸を垂れていた。彼らは二人とも初老にさしかかった気のいい男達のように見えた。
「こんにちは。何か釣れましたか?」
僕が大きな声で話しかけると、彼らは手を振って挨拶をした。
カウボーイハットの男は太い声で笑いながらこういった。
「俺たちは釣れても釣れなくても釣りの時間を思い切り楽しんでるのさ」
座っている男がすかさず会話に入る。
「それでも今日は面白いほどよく釣れると思うよ?さっきも木の枝釣っちまったよ」
二人の笑い声に僕も便乗した。
「どうだい若いの、ここは俺たちの穴場だから一緒に釣るかい?」
カウボーイハットの男は更なる話し相手が欲しいようだった。
僕は特にやることがなかったし、彼らのあまりにも楽しそうな様子をみて一緒の時間を過ごしたいと思った。
「そうさせてもらいます」と言う前に、僕の腹が何かくれと催促の音を鳴らした。
「これだから若いのは……。釣りに来る時はちゃんと飯をもって来ないとだめなんだぞ」と、座っている男が「アンのレストラン」と書かれたサンドイッチのバッグを見せて笑った。
僕はとても残念に思ったが、これからあのキャビンに住むようになれば彼らにもまた会えると思い「一度船から降りて食事をしてきますよ」と手を振った。
カウボーイハットの男は、「またな、良い一日を」と帽子の端で軽く手を振った。
僕はキャビンに戻り、食事する場所を求め湖の脇を少しドライブした。
五分程ドライブすると小さなレストランがあった。
入り口には赤い文字で「エマのレストラン」とかわいらしく書いてある。
レストランのドアを開けると、壁には湖でとれた魚の写真やら周辺であった古い新聞のニュース記事が額にいれられてレジスターの横に飾られていた。
その中の一つの色あせた新聞記事に僕の目は吸い付けられた。
「トルネード直撃!目撃者の話では湖には初老の男性が二人乗ったボートがいたが、トルネード通過後には彼らを再び発見することができなかった。彼らの遺留品となるであろう車、ボートトレーラーなども未だ一切発見されていない」
記事に釘付けになっている僕の横で、陽気なウェイトレスが料理をもったまま話しかけてきた。
「不思議でしょ、この話し。もう十年前の話しなんだけどね。何人もの人がボートに乗った彼らを見てるのに、トルネードの後に誰も彼らを発見することができなかったのよ。飛ばされたのかしら?それにしてもどうやってこの湖にまで来たのかしら?」
僕はさっき湖であった二人の男がのったボートを思い出していた。
腹が減っていた僕は、席に急いで付くとコーヒーとホワイトグレービーのかかったビッケットとソーセージ、スクランブルエッグのセットを注文した。田舎のレストランの味は、幼い頃食べた母親が料理した朝食を僕に思い出させた。
ふと自分の左横にあった壁にある一枚の写真に目を写すと、このレストランがオープンした日の写真が飾られていた。中年を少しすぎた夫婦と娘らしき若い女性がレストランの前に並んで笑顔で写っている。レストランの名前は「アンのレストラン」と青い文字で書いてあった。
「コーヒーお替りします?」
再びウェイトレスがテーブルに来て、僕が見ている壁の写真を指さした。
「このレストランは私の母のものだったのよ。五年前に母が亡くなって私の名前のレストランになったのよ。写真の中の私と今の私、そんなに変わってないでしょ」
そういい終えると、彼女は小さく笑った。
今朝僕があった男が持っていたサンドイッチの袋は、彼女の母がオーナーだった頃のレストラン名が入った袋を持っていたのか……。
もしかしたら彼らは、僕らとは同じ時の中で生きている人たちではないのかも知れないと感じた。
不可思議なことであったけれど、彼女に今朝のことを説明しようとするのを留まった。
楽しい彼らの時間を無粋に壊すようなことをしたくない気持ちからだったのかもしれない。
会計を済ませようと僕は再びレジスターの横に立ち、ボートに乗った二人の男の古い新聞に目を移した。
「どちらにしても、彼らが今も幸せに生きているといいわね」と、彼女が僕に微笑んだ。
僕の口からはごくごく自然に言葉が流れてきた。
「ああ、彼らは今も楽しそうに釣りをしているよ」
実際にあった事柄に想像のお話を加えました。読み終わった後に、釣り人たちが本当に存在したのか?別の時間でまだ楽しく釣りをしているのではないか?とさまざまな想像を巡らせていただけると嬉しく思います。
カタカナ表記を修正しました。
だんぞうさん、ありがとうございました。