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最初に浮かび上がったのは、私自身が記憶していたよりも、ずっと古い場所だった。
幼い私は、母の手を握って歩いていた。
今は皺が目立ち小さくなってしまった手が、大きく柔らかい。
『愛されている』と私は思った。
母に連れられて歩いた世界はとても広く、未知に満ちていた。
私はこの時まだ知らなかった。理解出来ていなかったのだ。
母の手より優しいものなんて無いのだと。
少し離れた所に立つ父が、笑顔で大きなカメラをこちらに向けている。
父に向かって走り出そうとして、足元の砂利がサクサクと鳴る。
これは……三歳の七五三の時の光景か。
それから、いくつもの場面が次々に通り過ぎていく。
庭先のチューリップを摘もうとして、母にひどく叱られた日。
涙が出るのが恥ずかしくて、両手で顔を覆った。指の隙間から見える世界が、にじんでいた。
あれが、人生で最初の「悲しい」だったかもしれない。
父が肩車をして走ってくれた日。
とにかく揺れて、めちゃくちゃに笑った。私は世界で一番高い場所にいた。
父を見下ろし、母を見下ろし、私が指差す方へ父が走る。
誰よりも偉い、絵本の王様になった気分だった。
父はあの頃、何歳だったのだろう。今の私よりも多分若かった。
私よりも若いのに、もう父をしていたのだ。
今になって、ようやく父の凄さが分かった。
突然の雨の中、傘もささずに帰った日。母が一緒だった。びしょ濡れになって、二人で笑った。家に帰って、温かいタオルで頭を拭かれた。
あのタオルの匂いを、私はまだ覚えている。
柔軟剤と、母の匂いと、夕飯の煮物の匂いが混ざっていた。
温かくて安心する匂いだった。
小学校に入学するまで、何度も見せつけるように背負った空っぽのランドセルが重かった。
荷物を入れたらひっくり返ってしまいそうになった。それでも私は、誇らしげに背負って歩いた。
重みを背負うことが、大人になるということだと、当時の私は無邪気に信じていた。
小学校を駆ける私は風よりも軽かった。
何も持っていなかったから。
──いや、本当はあった。給食袋と、宿題と、誰にも言えない小さな秘密。「明日も同じ朝が来る」という、何の根拠もない信頼。
それを「重み」と呼んでもよかったのかもしれない。
けれど当時の私は、それを重みだと感じていなかった。
放課後、友達と帰る夕焼けの道。私達は何かを話していた。
何を話していたのか、今となってはまったく思い出せない。けれど、私達は確かに笑っていた。
あの笑い声を、もう一度……ほんの一秒でいいから、聞きたいと思った。
でも時は流れていく。
もう、戻れない。




