第3話 静かな場所に、いないはずのもの
昨日の放課後のことを、少しだけ引きずっていた。
「……近い」
あの一言が、妙に残ってる。
⸻
放課後。
教室のざわつきが、少しずつ遠くなる時間。
「でさ、それ絶対盛ってるって」
「いやマジだって!」
そんな会話を横で聞き流しながら、鞄に教科書を突っ込む。
いつも通り。
特に何もない日常。
――の、はずだった。
⸻
「……橘」
後ろから声がする。
振り返るまでもない。
「なんだよ」
「今日、帰る前に少し付き合いなさい」
命令口調。
相変わらずだな。
⸻
「検証だろ」
「……分かってるならいい」
ほんの少しだけ、間があった。
「場所は?」
「昨日と同じ」
⸻
屋上前。
人が少ない場所。
“静かでいられる場所”。
⸻
「……」
紗夜は、珍しく何も言わなかった。
歩きながら、少しだけ周りを見ている。
いつもより、意識が外に向いてる感じ。
⸻
「どうした」
「……まだ、いる」
小さく呟く。
⸻
昨日のやつか。
⸻
「見えてんのか?」
「見えない」
「じゃあ何で分かる」
「……気持ち悪いのよ」
⸻
それだけで、なんとなく理解した。
⸻
屋上前に着く。
人はいない。
風も弱い。
いつも通り、静かな場所。
⸻
「……ここなら」
紗夜が、少しだけ息を吐く。
肩の力が抜ける。
⸻
「……やっぱ、違う」
次の瞬間だった。
⸻
空気が、重くなる。
⸻
何かがいる、っていう感じじゃない。
でも
“何もないはずの場所に、何かが混ざってる”
⸻
「……っ」
紗夜が、小さく息を詰める。
⸻
「おい」
「来てる」
⸻
短い言葉。
でも、それで十分だった。
⸻
視界は変わらない。
景色も同じ。
でも
さっきまでと“何かが違う”
⸻
ざわつく。
頭の奥が、少しだけうるさい。
⸻
「……なんだこれ」
思わず呟く。
⸻
「感じるでしょ」
紗夜の声が、少しだけ震えていた。
⸻
「……これ、昨日の」
⸻
言葉と同時に、
紗夜の表情が歪む。
⸻
「……っ、やば……」
一歩、よろける。
⸻
「おい」
とっさに腕を掴む。
軽い。
思ったよりずっと。
⸻
「……入ってくる」
紗夜が、歯を食いしばる。
⸻
「多すぎる……」
⸻
さっきよりも、空気が重い。
⸻
いや
違う
⸻
“濃い”
⸻
感情が。
⸻
形はない。
でも
確実に“何か”がここにある。
⸻
「……離れて」
紗夜が、絞り出すように言う。
⸻
「無理だ」
「なんでよ!」
「そのままじゃ倒れるだろ」
⸻
一瞬だけ、紗夜がこっちを見る。
⸻
「……バカ」
⸻
でも、そのまま膝が落ちる。
⸻
支える。
そのまま、倒れないように。
⸻
「……これ」
紗夜が、小さく呟く。
⸻
「昨日より、濃い」
⸻
「は?」
⸻
「増えてる」
⸻
その一言で、
背筋が少しだけ冷えた。
⸻
“増えてる”
⸻
つまり
これ、一つじゃない。
⸻
「……なあ」
自然と声が低くなる。
⸻
「これ、やばいやつか?」
⸻
紗夜は少しだけ黙って
⸻
「……まだ、大丈夫」
⸻
そう言ったけど
⸻
その顔は
全然“大丈夫”じゃなかった。
⸻
「……帰るぞ」
⸻
「は?」
⸻
「こんなの長くいれる場所じゃねえ」
⸻
紗夜は一瞬だけ何か言いかけて
⸻
「……分かってる」
⸻
小さく頷いた。
⸻
そのまま、その場を離れる。
⸻
背中に、何か残ってる感じがした。
⸻
振り返らなかった。
⸻
校舎を出たところで
紗夜がぽつりと呟く。
⸻
「……あれ、人に付くタイプ」
⸻
「……は?」
⸻
「多分、もう遅い」
⸻
何が、とは聞かなかった。
⸻
聞かなくても
分かる気がした。




