第6話:毒を食らわば、皿まで
多分、毒を盛られました。
宝石国とは名ばかりだった。
石造りの城壁は所々が崩れ、街道の石畳には雑草が生えている。
民の顔は疲れていて、市場に並ぶ品は少ない。
「豊かな国ではないのね」
「……面目ありません」
ラピスが俯いた。
「謝らなくていい。伸び代があるということよ」
私は城門を見上げた。
石造りの門の上に、宝石を模した紋章が彫られている。
くすんでいたが、形は悪くない。
(磨けば光る)
そういうものは、嫌いじゃない。
多分、私に重ねているのだろう。
***
城内に入った瞬間、空気が変わった。
廊下に居並ぶ貴族たちが、私たちを見ている。
ラピスを見る目は冷たく、私を見る目は値踏みするように細い。
ラピスの侍従が、努めて平静に声を上げた。
「第三王子殿下が、ご帰還されました」
誰も頭を下げなかった。
彼も首を垂れなかった。
「……ご苦労だったな、ラピス」
奥から声がした。
五十がらみの貴族が、たるんだ腹が邪魔をして
ゆっくりと歩いてくる。
指には宝石国だけあって、
これでもかと言うほど指輪が輝いている。
目だけが、ぎらりと光っていた。
「宰相のヴァルド卿です」
ジークが小声で教えてくれた。
「この国の実権を握っている男です」
ヴァルドはラピスに視線を向け、
それから私を見た。
上から下まで、一瞬だけ。何かを確認するように。
「旅の連れを連れてきたか」
「はい。しばらく滞在させていただきます」
ヴァルドは鷹揚に頷いた。
「構わんよ。歓迎しよう」
愛想のいい笑みだった。
よく練られた、空虚な笑みだった。
(この人は)
私は笑みを返しながら、胸の中で思った。
(全部、知っている)
目が、笑っていなかった。
歓迎の言葉を口にしながら、
値踏みを終えた獣の目をしていた。
でも今は、それを顔に出す必要はない。
「ありがとうございます、ヴァルド卿」
私は丁寧に頭を下げた。
***
あてがわれた客室は、悪くなかった。
広くはないが清潔で、窓から中庭が見える。
夕刻、使用人が夕食を運んできた。
スープ、焼いた肉、果実の盛り合わせ。
質素だが、量は十分だった。
「姫様、私が毒味を」
「いいえ、大丈夫。
流石に今日の今日で毒を盛るようなバカではないと信じたいわ。」
「ですが・・・・」
まだ傷が完全には癒えていない。顔色が優れなかった。
私の心配をする前に、自分を大事にすることも覚えて欲しい。
「あなたが先に休みなさい。私は少し食べてから寝るわ」
ジークが渋い顔をしたが、
ラピスが「僕も見張りますから」と言ったので、渋々横になった。
とはいえ、ラピスも少ししてから眠ってしまったのだが。
若い体は正直だ。
一人になった部屋で、
私はスープを口に運んだ。
味は悪くない。どこか懐かしい。
食べ終えて、横になった。
私の体も正直だ。
(疲れた)
久しぶりの柔らかいベッドだった。
自然と意識が沈んでいってしまった。
***
深夜。
異変は、突然やってきた。
(——っ)
胃の底から、熱が広がった。
燃えるような、じわりとした熱。
最初は疲れのせいかと思った。
でも次の瞬間、
全身の血管が沸騰するような感覚が走った。
(毒……!)
気づいた時には、体が動かなかった。
ベッドの縁を掴んで、
床に落ちないようにするのが精一杯だった。
声を出してはいけない。
ジークとラピスを起こしてはいけない。
歯を食いしばった。
(夕食に、仕込まれていた)
食べてすぐには気づかなかった。
遅効性だった。
数時間かけてじわじわと体を蝕む、巧妙な毒。
あの森の夜食らった、
カインの毒霧とは種類が違う。
あの時は一瞬だった。
これは——じっくりと、
時間をかけて殺しにくる。
体が熱い。
痛い。
視界が滲む。
意識が遠のきそうになるたびに、奥歯を噛んで繋ぎ止めた。
(死にたくない)
その言葉が、暗闇の中で蘇った。
あの夜も、そう念じた。
地下牢でも。
玉座の間でも。
私はいつも、この言葉だけで生きてきた。
(死んでたまるか)
その時。
暗闇の奥から、声がした。
『あら?……また苦しんでいるの?』
あの声だった。
覚醒した夜に、私の魂の深いところから響いてきた、
甘くねっとりとした声。
(あなたは……)
『美味しそうな匂いがしたから来てみたわ。
ねえ、この毒——飲み込んでみたい、と思わない?』
飲み込む?
毒を?
(できるの?)
『あなたはもう、カインの魔力を喰らっているでしょう。
あの夜、体に馴染んだ感覚——覚えていない?』
森の夜の感覚が、蘇った。
確かに何かが体に溶け込んだ、あの感覚。
『それがあなたの器を広げた。
だから今なら——この程度の毒なら、喰らえるわよ』
(やってみる)
私は意識を、体の奥に向けた。
毒が暴れている場所へ。
喰らえ、と念じた。
じわり、と。
燃えるような熱が、引いていった。
毒が分解されていく感覚があった。
体の中で、毒が毒でなくなっていく。
『そう。上手よ』
声が、満足げに笑った。
『これがあなたのものよ。
誰かに与えられたものじゃない——あなたが喰らって、奪い取ったもの』
やがて、熱が完全に消えた。
体が、軽くなった。
私は荒い息のまま、天井を見上げた。
(毒を、飲み込める)
弱い毒では気づかなかった。
これほど強い毒でなければ、
自分の能力に気付かなかったかもしれない。
皮肉な話だ。
ヴァルドが強い毒を盛ったおかげで、私は一つ強くなった。
夕食からずいぶんと時間が経っていたようだ。
私は静かに身を起こして、窓の外を見た。
中庭の向こう、
城の東棟に明かりが灯っている。
こんな夜中に。
まあ。
こんな夜中まで、私たちに一言もかけないと言うことは
眠気の理由は若さだけじゃなかったのだろう。
でも今は、それより先にやることがある。
(明日の朝食が、楽しみだわ)
ヴァルドの顔が、どんな顔をするか。
私は静かに、ベッドに戻った。
***
翌朝。
食堂に下りると、ヴァルドがいた。
朝食のテーブルに着いて、書類に目を通している。
私の足音に気づいて顔を上げた瞬間——
ヴァルドの顔が、凍りついた。
私は何事もなかったように椅子を引いて座った。
給仕が運んできたパンを手に取る。
「おはようございます、ヴァルド卿」
ヴァルドは、まだ固まっていた。
手の中の書類が、かすかに震えていた。
「……お、おはようございます」
「よく眠れましたか?私は少し疲れが出たみたいで」
そう言って、パンを一口齧った。
「特製スープのおかげで、すっかり元気になりました。
あれは何が入っていたのかしら?」
ヴァルドの目が、私を見ていた。
食堂の皆の目が、私を見ていた。
生きているはずのない娘を見る目で。
少し遅れてラピスが食堂に入ってきた。
私を見て、足を止めた。
「……顔色が」
「何?」
「昨日より、いいですね。なんか……違う気がして」
「宝石国というだけあって、
私も寝て起きただけで、磨かれたのかしら」
ジークも続いて入ってきた。
椅子に座った私を見て、一瞬だけ目を細めた。
何も言わなかったが、
その目が「何かあったか」と言っていた。
何が変わったのか、二人にはわからないだろう。
ただ確かに、アナの何かが——変わっていた。
私はスープに手を伸ばしながら、
胸の中で静かに呟いた。
(さて、次は何を盛ってくるのかしら)
ヴァルドがまだ、こちらを見ていた。
(楽しみね)
後書き
お読みいただきありがとうございます!
毒を盛られ、苦しみながらも喰らい尽くしたアナ。
そして翌朝、平然と朝食を食べるアナを見たヴァルドの顔は——。
毒を盛るたびに強くなる捕食者。次は何を喰らうのでしょう。
面白かった!と思っていただけましたら、
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