第27話:砂塵と、決意と、空腹と
英雄は舞台の上に立つ。怪物は舞台袖で腹を満たす。
翌日の昼。
下町の広場が、異様な熱気を帯びていた。
人、人、人。
老婆が、商人が、農民が、職人が——まるで市場の開幕のように、ざわめきながら集まっている。
その中心に、ナーガが立っていた。
手には、昨夜書き写した告発の書類。丸められ、握りしめられ、もはや武器にしか見えない。
「皆さん、聞いてください」
声が震えていた。
当然だ。広場を埋めた数百の瞳が、全部こっちを向いている。普通なら足が竦む。
「この街で——何が起きていたか」
震えが、止まった。
「全部、話します」
私は——広場の端、建物の日陰に身を預けていた。
ジークが右に。ラピスが左に。
「前に出なくていいのですか」
ジークが、静かに訊いた。
「いいのよ」
私はナーガを見た。
「あれは——ナーガの戦いだから」
ナーガの声が、広場の空気を裂いていく。
最初の震えは、もう消えていた。
言葉が一つ落ちるたびに、砂漠の焼けた地面に水が染みるように——聴衆の表情が変わる。
怒り。
驚愕。
そして——熱。
絶望じゃない。乾ききった喉に水が届いた時のような、確かな渇望が混じっている。
(やるわね)
私は口元を緩めた。
悪くない味だった。他人の覚悟が生む熱は、意外と腹に響く。
ラピスが、静かに言った。
「あなたがいなければ、ナーガはあそこに立てなかった」
「そうかもしれないわ」
「それでも——前に出ない」
「ええ」
私はナーガを見た。広場の日差しを一身に浴びて、褐色の肌が光っている。
「私は——腹を満たしたいだけよ。日の当たる舞台の上に立つ趣味はないわ」
ラピスが、小さく笑った。
透明度の高い、濁りのない笑い方。こういう笑い方ができる人間を、私は二人しか知らない。
広場の向こうで、ナーガの声が突き抜けた。
「この街は——私たちの街です!」
拳を握る音。歯を食いしばる音。
「奪わせない。——絶対に」
一人が声を上げた。
二人目が続いた。
三人目は、もう数えられなかった。
歓声が、砂嵐のように広場を呑み込む。
波。うねり。爆発。
私は——その熱を、心地よい食後の余韻のように背中で受けながら、広場を後にした。
前菜は、終わった。
***
数日後。
「ナーガ、どうだった」
「役人が三人、拘束された。闇商人も姿を消した。——そして昨日」
ナーガが、一息置いた。
間の使い方を知っている。占い師の話術は伊達じゃない。
「コロッセオ計画が、白紙撤回された」
「上出来ね」
街は歓喜に沸いていた。
けれど、その立役者であるはずのナーガは——今、静かに私の前に立っている。
手には、小さな鞄。
「……子供たちは、宝石国へ?」
「うん。ラピスが手配してくれた馬車に乗せた。……みんな、泣いてたけど」
「あなたも一緒に行けばよかったのに」
ナーガは、首を横に振った。
「安全に暮らしたいわけじゃないんだ」
丘の上。砂漠の風が、ナーガの長い編み込みを揺らしている。
眼下に広がる下町は、数日前とは別の顔をしていた。活気。喧騒。人が笑う声。
「今回、私は勝てた。街を守れた」
ナーガの横顔。砂嵐を潜り抜けた後の空みたいに、澄んでいる。
「でも——それはアナたちが全部お膳立てしてくれたからだ」
「否定はしないわ」
「でしょ」
ナーガが笑った。すぐに、笑みが消える。
「私、もっと強くなりたい」
真っ直ぐな目だった。
「この街には、まだ苦しんでる人がたくさんいる。でも今の私じゃ——」
ナーガが、両手を広げた。そして、ゆっくりと閉じる。
「砂を掬っても、指の間から零れ落ちていく。全部を守るには、私はまだ何も知らなすぎる」
鞄を、握り直す。
「だから——アナたちと一緒に旅をさせて」
風が吹いた。
「もっと広い世界を見て、いろんなことを知って——いつか、私がこの国を変えられるような人間になるために」
その瞳に灯った火を、私は知っている。
砂漠の熱を、そのまま心の芯に封じ込めた炎。蜃気楼じゃない。陽炎でもない。灼熱の砂の下を流れる、決して冷めない地熱。
(……呆れた)
ため息が出た。
復讐のために国を喰らう女帝と、弱者のために国を変える指導者。
向いている方向は——まるで正反対だ。
なのに、隣に立とうとする。
(……厄介なのよ、こういう味は)
腹の底が、じわりと熱い。
飢えでも怒りでもない。名前をつけたくない類の熱。
「……あなたのその純粋さは、時として毒より厄介ね」
「ダメ?」
「いいわ」
私は、背を向けた。
「ただし——私の足手まといになったら、砂漠の真ん中に置いていくから」
「やったぁ!」
ナーガが飛びついてきた。
暑い。重い。鬱陶しい。
——悪くなかった。
ジークが呆れたように首を振り、ラピスが小さく目を細めている。
砂漠の風が、私の深紅の髪を攫った。
この風は、去り際に必ず何かを持っていく。記憶を、涙を、時には命さえも。
でも——今日は、何も持っていけない。
私の手の中にあるものは、全部——私が飲み込んだものだから。
「さあ、行くわよ」
私は背筋を伸ばし、南の空を見据えた。
「この街には、もう美味しいものは残っていないから」
次の獲物の匂いが——海風に混じって、微かに届いた気がした。
ちょっと駆け足でしたが、
炎砂皇国アルザード編、完結です。
ナーガが仲間になりました。復讐のためでも利益のためでもなく、
ただ「友だちでしょ」で隣に立てる人間。
アナにとっては一番扱いに困るタイプですね。毒より厄介。
次回から新章【自由港クロッサード編】に突入します。
海賊都市。荒くれ者の楽園。そして——ガルドという男が、待っています。
次回更新は3/26 19時〜を予定しております。




