第10話:解毒
村は、静かだった。静かすぎた。
グレイルが馬を止めたのは、村の入り口だった。
供回りの騎士たちも、それぞれ顔を見合わせた。
人がいない。一人も、いない。
「どういうことだ」
グレイルが低い声で言った。
怒りではなかった。まだ、困惑だった。
「逃げたのか。年貢を払えないから逃げたのか」
馬を進める。家々の扉は閉まっている。
井戸に人影はない。広場に声もない。
グレイルが、馬上で鼻を鳴らした。
「情けない。これだから平民は嫌いなんだ」
供回りの騎士たちは、黙っていた。
「逃げれば許されると思っているのか。
どこへ逃げようと、この国の土地は全て私のものだ。
村ごと燃やして、また一から作らせればいい」
馬から降りた。
広場の中央まで歩みを進めながら、雄弁に語り始めた。
「王族というのは、こういうものだ。
生まれた時から、全てが与えられている。
土地も、民も、命も。平民どもがどれだけ足掻こうと、
私の手のひらの上で踊っているに過ぎない」
誰も、答えなかった。
「そもそも、民に必要なのは幸福などではない。
従順さだ。年貢を納め、命令に従い、王族の繁栄を支える。
それが平民の生まれた意味というものだろう」
「逃げた連中も、腹が減れば戻ってくる。
その時にたっぷりと、いつものように貪り取ってしまえばいい。」
グレイルは歩みを止め、振り返った。
「なぁ、そこに隠れている愚弟よ。お前もそう思うだろう?」
「兄上!」
「ラピス、やはりお前の策か。」
「お話があって参りました」
ラピスが、真っ直ぐグレイルを見た。
「聞くに値せん。グズの平民どもをどこに隠した?」
「その答えを知りたければ、私を倒してからにしていただきたい」
沈黙。
それから——グレイルが、声を上げて笑った。
「はあ?」
笑いながら、ラピスに近づいた。
「お前が? 私に? 剣で?」
「はい」
「……正気か」
グレイルの目に、侮蔑と好奇が混ざった。
「いいだろう。愚弟の一世一代の大勝負だ。
村人たちに罰を与える余興程度にはなるだろう。何が望みだ?」
「殿下が負けた場合、継承権を破棄していただきます。
そして、これまでの行いに対する裁判を」
「裁判」
グレイルが、鼻で笑った。
「面白い。私が負けたら、だろう?」
「約束してくれますか?」
「ああ、役立たずに負けたら、もはや生きる意味などを持たん。」
剣を抜いた。
「かかってこい、皇族の出涸らし」
***
グレイルが剣を抜き、片手で構えた。
ラピスは、両手で剣を持ち踏み込んだ。
金属が噛み合う音が、村に響いた。
一合目で、わかった。
死闘と呼ぶには格が、違う。
ラピスの剣がグレイルの刃を受けた瞬間、腕全体に衝撃が走った。
「くっ」
足が、一歩後退する。
グレイルが隙を見逃すわけがない。横薙ぎ、縦斬り、突き。
ラピスが防ぐ。弾かれる。また防ぐ。
後退する。また後退する。
「遅い」
グレイルが、あくびをするように言った。
素人目に見ても、結末は予想できた。
***
ジークもその一人だった。
出会ってわずかだが、ラピスに情が生まれたのだろう。
今にも飛び出そうとしていた。
「まだよ」
茂みに隠れた私は前を見たまま、静かに言った。
「姫様、このままでは——」
「まだ。ラピスの覚悟を見れてない。」
***
「これが精一杯か。三年、何をしていた」
ラピスが答えなかった。
ただ、剣を構え直した。
再び踏み込む。今度は踏み込みが速かった。
グレイルが、わずかに目を細めた。
剣が交わる。
また弾かれる。
ラピスの手から、剣が半分こぼれかけた。
それでも、手放さなかった。
グレイルの騎士たちが、遠巻きに見ていた。
最初は嘲笑に近い顔をしていた。
囃し立てるものたちも多くいた。
ただ今は——誰も、笑っていなかった。
ラピスは吹き飛ばされ、鈍い音がした。
土煙が上がった。誰かが、息を呑んだ。
土煙の中で、ラピスが膝をついた。
片手を地面についた。肩が、上下していた。
立ち上がった。
グレイルが、初めて表情を変えた。
「……なぜ立つ」
ラピスが、答えなかった。
「なぜ立ち上がる。お前には何もないだろう。
才能も、力も、実績も。なぜ——何度でも立ち上がれる」
ラピスが、息を整えた。
口の端から血が流れていた。
それでも目だけが、真っ直ぐグレイルを見ていた。
「あります」
「何がだ」
「私には——信じてくれる人たちがいます」
グレイルの目が、細くなった。
「たかが平民どもか。笑わせるな。
それが、剣の代わりになるとでも思っているのか」
「思っています」
グレイルが、舌打ちをした。
「片手では失礼か」
両手で、剣を構え直した。
初めて、本気だった。
踏み込みの速さが、変わった。
風圧が、変わった。
剣筋の重さが、変わった。
ラピスが受けた瞬間、膝が折れかけた。
歯を食いしばって、堪えた。
また受けた。
また堪えた。
後退するラピス。立ち続けているのが奇跡でしかなかった。
木の幹に背中がぶつかった。
逃げ場がない。
グレイルが振りかぶり、今にもラピスを両断する勢いだった。
ラピスにそれを跳ね返す気力すら残っていなかった。
終わる——誰もがそう思った瞬間だった。
グレイルの足元で、影が滲んだ。
音もなく。
気配もなく。
ただ——黒い蛇の輪郭が、するりと伸びて、足首に絡みついた。
「なっ——」
グレイルの剣先がラピスを捉えることができず、
地面に刃を突き刺した
その一瞬。
ラピスの剣が走った。
グレイルの腕から剣が離れ、
まるで土下座のような形になってしまった。
首元には、ラピスの剣が。
まるで、斬首台で最期の時を待つ死刑囚のような形になっていた。
静寂。
風の音だけが、村を通り抜けた。
ラピスだけが——一瞬、私を見た。
私は知らん顔をしていた。
グレイルが、ゆっくりと視線を落とした。
足元の影は、もう何もなかった。
「……なぜだ」
誰も答えなかった。
「なぜ私が——第一王子の私が——こんな役立たずに——」
「勝負あり、です」
ラピスが、静かに言った。
足が、わずかに震えていた。
でも——立っていた。
***
「認めん」
グレイルが、地面に手をついたまま吠えた。
「こんな勝負、認めん!
お前たちも見ただろう! 私の足が——何かに——」
「グレイル殿下」
声がした。
全員が、振り返った。
村の入り口に、白髪の老人が立っていた。
背筋は真っ直ぐで、手に分厚い書類を持っていた。
グレイルの顔が、初めて青ざめた。
「シュバルツ……卿」
「お久しぶりです、殿下」
シュバルツ卿が、静かに歩み出た。
「国王陛下の名代として、本日の勝負を公式に認定いたします。そして——」
書類を広げた。
「この場で、読み上げさせていただきます」
グレイルが猛然と立ち上がろうとした。
騎士が二人、静かに両肩を押さえた。
「離せ! 貴様ら、私の騎士だろう!」
二人は、答えなかった。
シュバルツ卿が、読み上げ始めた。
帝国との密約。宝石国の軍事情報の横流し。国境の要塞の配置図。
読み上げるたびに、広場の空気が変わっていった。
村人たちが、いつの間にか戻ってきていた。
農民の男。商人の男。領主の老人。
それから、ラピスのネットワークの面々が、静かに広場を囲んでいた。
全員が、聞いていた。
グレイルが喚いた。
「でっち上げだ! 証拠など——」
「こちらがその証拠です」
帝国の印璽が押された、羊皮紙を取り出し
シュバルツ卿が、静かに力強く遮った。
「私が、確認しました。
この国にも、まだ、民を憂う正義が僅かに残っていたのでしょう。」
沈黙が、広場を覆った。
グレイルが、膝をついた。
それから——目が、私を捉えた。
村人たちの群衆の端で
ただ静かに立っている、辺境の村娘。
グレイルの目が、細くなった。
「……お前、よく見れば…」
私は何も言わなかった。
「最初から——あの目は——」
グレイルが、低く唸った。
「城で、処刑しておけばよかった」
私は、小さく笑った。
「あなたが私に勝てると思っているの?」
小娘までにバカにされたグレイルが、立ち上がろうとした。
しかし、その視線を遮るように騎士たちが取り囲んだ。
「反逆罪により、グレイル殿下を拘束いたします」
シュバルツ卿が、静かに言った。
グレイルが引きずられていく。
喚き続けていた。最後まで、喚き続けていた。
広場に、静寂が戻った。
ラピスが、村人たちを見た。
村人たちが、ラピスを見た。
誰も何も言わなかった。
農民の男が、膝をついた。
次に、商人の男。領主の老人。
それから、一人、また一人。
私はその前に、踵を返した。
「姫様、最後くらい」
ジークも私を追うように、群衆から離れていった。
(終わったわね)
空腹だった。
でも、まだ夜ではなかった。
***
翌朝。
かつて王族の威厳を纏っていた男は、
息をするだけの人形のように、牢の中で座っていた。
一夜にして何が起きたのか?
目撃者もおらず、声すら上がらず、
まるで影がイタズラしたかのように。
***
「姫様。そろそろ朝食の時間です。」
「私はお腹いっぱいだから、もう少し寝るわ」
春の陽気がいつにもなく、気持ちよかった。
後書き
お読みいただきありがとうございます!
第一の毒——グレイル、終わり。
ラピスが自ら前に立ち、シュバルツ卿が動き、帝国の印璽が示す真実が白日の下に晒された。
そして夜、誰も知らないところで。
アナは静かに、お腹を満たした。
次は——第二の毒へ。
【次回予告】
第11話『第二の毒、オスカー登場』
面白かった!と思っていただけましたら、
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