「お嬢様には指一本触れさせません」没落令嬢を守る完璧貴公子は若返った元老執事
「――聞こえなかったのかい、ベアトリス?」
伯爵令息のナイジェルが嫌味たっぷりの声で言う。
ぎりっ、と私は歯を食いしばった。
「今週末行われる、学園主催の社交パーティー。君のエスコート役をこの僕、ナイジェル=ホガース様が務めてやろうと言ってるんだ。……悪い話じゃないだろう? 没落令嬢である君には、他に相手などいないことだろうしねぇ」
ナイジェルは勝ち誇った顔でそう言った。
亡きお父様の跡を継いだ、私の今の身分は子爵家当主。
本来、伯爵令息でしかない彼に軽んじられる道理はないのだが、逆らえない事情があった。
「……お相手は、おります……」
――ああ、言ってしまった。
このときの私は、ナイジェルの嫌味をやり過ごすことができなかった。
没落と借金の件で毎日のようにからかわれ、がまんならなかったのだ。
「はあ?」
ナイジェルが胡乱げな顔をして問い返す。
何言ってんだ、お前……とでも言いたげだ。
「おいおいおい、ベアトリス。君は今なんて言ったんだい? ――ギデオン、今の言葉を聞いたか?」
「いいえ。よく聞き取れませんでしたな」
ギデオンと呼ばれたナイジェルの護衛騎士が薄ら笑いを浮かべながら答える。
――嘘だ。絶対に聞いていたはずだ。
「お相手は、おります!」
改めてきっぱりと言うと、ナイジェルがぎょっと目を丸くした。
私は、きっと馬鹿だ。
でももう、後には引けなかった。
「貴方なんかより何百倍も素敵な殿方にエスコートしてもらいますから、どうぞお気遣いなく!!」
「なんだって! おい、待ちたまえ。ベアトリス!」
私はそう言い放つと、ナイジェルの返事に耳を塞ぎ、くるりと背を向ける。そのまま、逃げるように王立貴族学園のサロンを後にした。
背後でナイジェルがどんな顔をしているのかなんて知らない。
周りで私たちのやりとりを見ていた貴族の子女たちは、信じられないものを見る目で私を見ていた。
私だって信じられない。
エスコートをしてくれる相手なんて、誰一人思いつかなかった。
†
「お帰りなさいませ、ベアトリス様」
学園の寄宿舎に戻った私を出迎えてくれたのは、老執事のアーサーだ。
お金がなくて苦労を掛けているが、その立ち居振る舞いには相変わらず一分の隙もない。どこへ出しても恥ずかしくない、私の自慢の執事だ。
2か月前に両親を亡くした私に残ったものは、家名と領地、そしてアーサーともう1人のメイド、モニカだけだった。
……いや、もう1つ。父が残した莫大な額の借金という負債も、私の両肩にずっしりとのしかかっていた。
それを借金取りたちに立て替えてくれたのが、あの憎っくきナイジェルの父親、コーネリアス=ホガース伯爵というわけだ。――だから、私はあの父子に頭が上がらない。
伯爵に借金を返せなければ、いずれ私はあのナイジェルの元に嫁がされてしまう。そうなれば、歴史あるクロスフォード家の名は私の代で途絶えてしまうだろう。
なんとしても、その未来だけは回避しなければ……。
「お茶のご用意ができております」
「ありがとう、アーサー」
はあ……、どうしたものかしら。
とにかく、目前に迫った社交パーティーをなんとか乗り切らなくては。
これ以上、赤っ恥をかくのはごめんだわ。
でも、エスコートの相手なんて――――
そこで私は、ふと目の前の完璧な老執事に目を留める。
「? どうかなさいましたか、ベアトリス様」
「い、いいえ。何でもないわ……」
私は一度視線をカップに戻し、さりげなくアーサーの様子を窺う。
髪は白く、肌はしわくちゃだが、鼻筋は整っておりハンサムだ。瞳の色もやや色素が落ちているが、その眼光は鷹のように鋭い。
(………………アリかも? いえ。むしろ、私の理想に近いわ…………)
私は幼い頃に何度か聞いた、ばあや――アーサーの奥さんののろけ話を思い出す。
――不肖の旦那の話で恐縮ですが、若い頃のアーサーはそれはそれはカッコよくて、多くの女性を虜にしていたのですよ……!
幼かった私は「へえ」としか思わなかったが、いま改めて思えば……
私はポン、と手を打ち鳴らす。
――それほどの美男子なら、きっと私のエスコートの相手としても申し分ないわね……!
この素晴らしい妙案に思い至った私は、こっそりとペンダントに忍ばせていた家宝の秘薬を取り出しつつ、席を立つ。
「――いつもありがとう、アーサー。たまには私にもお茶を淹れさせてちょうだい」
「もったいないお言葉です」
忠実な執事であるアーサーは、私の提案にすぐには頷かなかった。が、メイドのモニカを巻き込みつつ、一緒に「日頃の労をねぎらう」という名目でなんとか席に着かせることができた。
私は普通にお茶を淹れるフリをして、アーサーのカップにこっそり秘薬をたらす。
ぽとり、ぽとり……と。――こんなものかしら。
「さあ、飲んでちょうだい」
「……では、失礼して」
リラックスした様子でぐびぐびとお茶を飲み干すモニカに対し、アーサーは優雅に香りを楽しむようにしてカップに口をつける。彼の喉が動き、確かにお茶を飲み込むのを私はにこやかに――内心では固唾を飲んで見守っていた。
カラン、とカップが転がり、まだ中に入っていたお茶がテーブルにこぼれた。
アーサーがカップを落としたのだ。
「アーサーさん!?」
モニカが慌てて椅子から立ち上がった。
「こ、これは…………ベアトリス様、私に何を飲ませたのですかっ!?」
アーサーは片手で胸を抑え、額に玉のような汗を浮かべている。彼の体は、異常な熱気を放っていた。
「落ち着いて、アーサー。それは毒なんかじゃない。我がクロスフォード家に伝わる家宝の秘薬よ」
「ひ、やく……?」
アーサーは喋るのもつらいのか、ぜいぜいと肩で息をしていた。
アーサーの肩や背中から、しゅるしゅると煙のような蒸気が立ち昇る。そして……
――――カッと、アーサーの全身が激しい光を放つ。
私はその瞬間、片手をかざして目を閉じた。
数秒の後、ゆっくりと目を開くと光は収まっていた。
かざした片腕を下ろせば、目前では理想の青年執事が椅子に腰掛け、戸惑いの表情を浮かべていた。
――肉体年齢は18ぐらいだろうか。
豊かな頭髪は王族もかくやというほどの鮮やかな金一色に染まり、眉目秀麗な彫りの深い顔立ちに、アイスブルーの眼光が輝いていた。そして全身に強靭な筋肉が蘇り、執事服のゆとりを埋めてはち切れそうになっていた。
「これはいったい……」
アーサーが困惑した様子でつぶやく。
その声は先ほどまでの渋い老人のものではなく、若くてハリのある青年のものに変わっていた。
「やっぱり! ばあやの言った通りね!」
「え? わ、私の妻が何か……?」
未だに自身に起きた変化にさえ無自覚なアーサーは、全く話が見えていない。
そんなアーサーに構うことなく、私は最重要事項を告げる。
「――アーサー、あなたには私の婚約者になっていただきます」
その言葉に、モニカが隣で「きゃあ」と嬌声を上げた。一方で、
「そ、そんなっ!? 私めなどが恐れ多い……」
青年アーサーは真っ赤になって首を振っていた。あら可愛い。
私はそこでパチンと指を鳴らす。
「モニカ、鏡を」
「はい」
私の指示に従い、モニカがさっと手鏡を取り出してアーサーに見せる。
「これは、私……?」
アーサーは鏡を手に取り、キツネにつままれたような顔を見せた。
「そう。それが秘薬の効果よ。これを使えば、どんな老人でも全盛期の姿に若返らせることができるのよ」
私が胸を張って説明すると、アーサーは鏡を手にしたままふるふると全身を震わせ始めた。
……うんうん。きっと秘薬の効果に感動しているのね。
「何をやっとるんですか! ベアトリス様ーーッッ!!」
――って、さすがにそんなことはなかったか。……あ、執事服のボタン飛んだ。
さあ、次はアーサーに肩書を用意しなくっちゃ。
†††
「――というわけなの」
「何それ! 超おもしろいんだけど」
ここは学園と同じ王都にある王宮の一室。
そして私の目の前で腹を抱えて大笑いしているのが、この国の第3王女――セラフィナ=ヴィクトリア・ローズ=ヴェリディア様だ。私と彼女は無二の親友なのだ。
「そこで、セラに頼みたいことがあるんだけど」
「その執事の仮の身分ね! いいわ、完璧な肩書を用意してあげる!」
こうしてアーサーは、遠国ティルナノーグ大公国の侯爵令息〝アーサー=グラディウス〟の身分を得た。
――なお、同席していたアーサーはひたすら遠い目をしていた。
†
これで計画の準備は万全――かと思われたが、意外な盲点があった。
我が執事は完璧執事すぎて、貴族らしい上位者としての振る舞いがまるで出来なかったのだ。
「ベ、ベアトリス……。お、お前はオレのも、ものだ……」
「違う! そこはもっと尊大に!」
「そ、そう言われましても……」
私が書き上げた台本をしどろもどろで読み上げるアーサー。
演技指導は難航した。
駄目だ……。見た目は完璧なのに。執事としての性根が完成され過ぎている……。
エスコートのために主の前を歩くことさえ、アーサーにとっては難題だった。
「お嬢様、ここは趣向を変えてみてはいかがでしょう?」
「モニカ、それはどういう意味かしら?」
問い返すと、モニカは鼻息を荒くして力説する。
「はい。彼の国には『レディ・ファースト』なる言葉があると耳にしたことがあります。アーサー様にはオラオラ系の貴族よりも、淑女を尊ぶキラキラ系の貴公子のお姿の方が似合いますわ!」
――そのとき、私の全身に電流が走った。
そうだわ。貴族の振る舞いも一通りではない。私のアーサーを、あのナイジェルやホガース伯みたいな憎らしい貴族にしてはいけないわ。
「ありがとう、モニカ。よく教えてくれたわね」
「当然のことですわ」
サッと髪をかき上げるモニカ。
アーサーもこの路線変更にホッとしていた。
「……私としても、そちらの方が気が楽ですな」
やはり、主を軽んじるような振る舞いは心苦しかったらしい。
私はこれまでの台本を丸々全部破棄して、ゼロから書き直すことを決めた。
「――それじゃあ、パーティーまで残り3日! 完璧に仕上げるわよ!」
†††
3日後の朝。
私の寄宿舎の前に、1台の馬車が停まる。
下りてきたのは、丸顔の伯爵令息ナイジェル=ホガースだ。
「ベアトリス、迎えに来てやったぞ」
その直後、ナイジェルの馬車より豪華な四頭立ての馬車が、同じ寄宿舎の前に停まった。
「な、何者だ!」
慌てたナイジェルが誰何の声を上げる。
その豪華な馬車から姿を見せたのは、青と白を基調とした華麗な装いに身を包んだ貴公子、アーサー=グラディウス侯爵令息だ。
「何者……とは随分なお言葉ですね。ナイジェル=ホガース殿」
馬車を下りたアーサーは決してへりくだりすぎないほどの優雅さでもって一礼をした。
「お初にお目にかかります。遠方、ティルナノーグの地より参りましたアーサー=グラディウスと申します」
「ティルナノーグだと! 馬鹿な……」
ナイジェルは見るからに驚愕していた。
ティルナノーグ大公国は、ここヴェリディア王国から馬車と船で1か月は掛かる遠方の国だ。
いくら怪しもうと、彼にアーサーの身分偽装を見破る術はない。
アーサーは更に告げる。
「ベアトリス様とは以前から懇意にさせてもらっています。子爵閣下のエスコート役はこの私が務めますので、あなたはもう帰ってもらって結構」
「なんだと!」
丁寧に、かつぴしゃりとアーサーが言い切ると、ナイジェルの顔が湯沸かし器のように真っ赤になった。
「さあ、ベアトリス様。参りましょう」
「ええ、アーサー」
一張羅のドレスに身を包んだ私は、アーサーの手を取り馬車に乗り込む。
馬車に入り、周囲の目と耳が遮られると、アーサーはへなへなと崩れるように腰を下ろした。
やはり普段と違う自分を演じるというのは、大変な心労だったようだ。
「アーサー、お疲れ様。完璧な演技だったわよ」
「……伯爵家のご子息にとんでもない口を利いてしまいました」
「いいのよ、あんなやつ」
私がそう言うと、アーサーは少し元気を取り戻したようだった。
「――確かに、少々胸がスッとしましたな。あの御方の態度にはいささか目に余るものがありましたので」
それを聞いた私はクスッと笑みをこぼした。
パーティーは大成功だった。
絵画から出てきたような貴公子アーサーは会場の注目の的となり、パートナーを務めた私の株も上がった。
特に、彼の身体能力は抜群で、ダンス・パフォーマンスは圧巻の一言だった。
――クロスフォード子爵のお相手はどなたなの? あんな美男子がどこに隠れていたのかしら。
――知らないの? あのティルナノーグ国からいらしたんですって。子爵の婚約者だそうよ。
――まあ、羨ましい。
令嬢たちのそんな噂話が会場のあちこちで聞こえてきた。
話題の中心人物を婚約者として独占できたことで、私はこれまで没落令嬢として嘲笑されてきた鬱憤を大いに晴らすことができた。
途中、何度かアーサーが貴族らしからぬ執事のような振る舞いをする場面があったが、「女性を丁重に扱う紳士」というロールプレイで何とかごまかすことができた。
……そのせいで、何名かの淑女がアーサーに心臓を撃ち抜かれてしまったようだが……。まあ、彼女らには存在しないグラディウス侯爵令息を頑張って探し出してもらうとして……。
――問題はパーティーから帰った後に発覚した。
寄宿舎に帰ると、1通の手紙が届いていた。封蝋に刻まれた印は、ホガース伯爵家のものだ。
『――1週間以内に借金を全額返済せよ。さもなくば、息子ナイジェルと結婚してもらう』
恐れていた最悪の未来が、すぐそこまで迫っていた。
†††
「――これは、好機ね」
社交パーティーの翌日、面会したセラフィナ王女のその言葉に、私は目が点になった。
私たちは今、5日前と同じ王宮内の一室にいた。
ホガース伯爵からの手紙を読んだ私は、頼れる親友である王女に相談することにしたのだ。
話を聞いた彼女が口に出したのが、先の言葉だ。……どういう意味なのかしら?
「ねえ、ベティ。どうして伯爵が、息子のナイジェルとあなたを結婚させようとしているか知ってる?」
「伯爵が……? 私はてっきり、ナイジェルが私に邪な思いを抱いているのかと……」
私がナイジェルの下卑た目つきを思い出して身震いすると、セラはうんうんと頷く。
「それもあるんでしょうね。でも、それは伯爵の本命じゃない。伯爵のねらいは――クロスフォード子爵家の領地よ」
「領地……?」
私は首を傾げた。
お父様が亡くなる前から、クロスフォード家の領地は荒れていた。お父様が信頼していた代官たちはまともな徴税や報告を行わず、領民たちは不作や野盗に苦しんでいたのだ。私が実態を詳しく知ったのはごく最近のことだ。
そんな領地に、伯爵が何の価値を見出しているというのか――
「ベティ、クロスフォード家が借金をした商人たち。彼らは伯爵と裏で繋がっていたのよ」
「――え?」
私は耳を疑った。
セラがさっと手を一振りすると、メイドの一人がいくつかの書類を運んで来る。それらは、私が名前を知っている商人が伯爵と取引をしていた証拠だった。
そんな……。
伯爵はきっと善意の手を差し伸べてくれていると思っていたのに、全て自作自演だった――?
混乱する私を前に、セラは沈痛な面持ちを見せる。
「それだけじゃないの。あなたのご両親が亡くなった馬車の事故。あれにも伯爵が関与していた疑いがあるわ……」
「――――!!」
衝撃だった。
私はカッとみぞおちの辺りに火が点ったのを感じた。
「……許せない」
自分でも驚くほど低い声が出た。
よくも、薄汚い欲望なんかのためにお父様とお母様を…………。
領地が荒れているのも伯爵の計画の一環だという話だ。本来のクロスフォード子爵領はもっと大きな価値を秘めている――セラはそう語った。……果たして伯爵は、どれだけの数の悪事に手を染めているのだろうか。
「王家としても、伯爵にこれ以上の権力を渡すわけには行かないわ。証拠は揃いつつあるの。後は、伯爵を罠に掛けるだけ。――協力してくれる?」
私はコクリと頷いた。
――伯爵に報いを受けさせられるなら、なんだってやってやる。
そんな気持ちだった。
†††
――あれから、2週間が経った。
私は遂にホガース伯爵に借金を返すことができず、セラフィナ王女もあと一歩のところで伯爵の不正を示す決定的な証拠を掴めずにいた。
私は先週から、伯爵が王都に持つ屋敷に軟禁されていた。
アーサーはいない。一向に秘薬の効果が切れる気配のない彼を私の執事に戻すわけにも行かず、グラディウス侯爵令息としてティルナノーグ大公国に帰還した……ということにした。
「……ベアトリス様、おきれいです」
モニカが沈んだ声で言った。
彼女は私の唯一のメイドとして、伯爵家にも滞在を許してもらっていた。
「ありがとう」
私は今、純白のウェディングドレスを身にまとっていた。
ここは伯爵家ではない。私たちは今、王都の一角にある広い教会の中に来ていた。
ガチャリ、とノックもなしにドアが開く。
入ってきたのは、不似合いなタキシードを着たナイジェルだ。
「ナイジェル様。ベアトリス様はまだ――」
「フンッ、メイド風情が。道を開けろっ!」
「きゃっ!」
モニカが入室を阻もうとしたが、ナイジェルはそんな彼女を乱暴に突き飛ばした。
私は悲しい気持ちになりながらも、全てを諦めたような顔で目を伏せた。
「……すっかりしおらしくなったな、ベアトリス。自分の立場を思い知ったか?」
「はい……。これまでの私が愚かでした」
私は憂いに満ちた声でそう述べた。
そんな私の態度に満足したのか、ナイジェルは鼻の穴をひくひくと膨らませていた。
「ならば行くぞ。我々の愛を神の前で誓うのだ。その後は、グヘヘヘヘヘ……」
下世話な妄想をしたのか、ナイジェルの顔は笑い声と共にだらしなくゆるんだ。……このとき、彼の股間が不自然に膨らんでいるような気がしたが、私は努めてそれを無視した。
「……はい――痛っ!」
彼は結婚式が待ちきれないのか、私の手首を掴み、強引に式場へと引っ張っていく。
式場であるチャペルへの道中。参列客に扮した仮面の男の存在に私だけが気づいた。彼は私と目が合うと、首を2回縦に振った。そのサインを見て、私は笑みをこぼした。
結婚式は厳かな雰囲気で進んだ。
式の間、ナイジェルの父親であるコーネリアス=ホガース伯爵はチャペル内の最前列で絶えず機嫌が良さそうな顔を見せていた。
きっと、万事が思い通りに進んで大満足なのだろう。
「――新郎ナイジェル卿。あなたは病めるときも健やかなるときも、夫として妻を愛し敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
私の隣に立つナイジェルが宣誓を行い、私を見てにやりと笑った。
神父が満足げに頷き、続いて私の前に立つ。
「新婦ベアトリス嬢。あなたは病めるときも健やかなるときも、妻として夫を愛し敬い、慈しむことを誓いますか?」
「――いいえ、誓いません」
どよめきが起こった。
「ばっ! おまっ……ばっ……!」
ナイジェルは怒りが一周して思考停止したのか、何かを言おうとして口をパクパクさせていた。……あら、面白い顔。金魚の物真似かしら。
「……どういうことかな、ベアトリス嬢」
ホガース伯爵がゆらりと席から立ち上がっていた。
そのこめかみには、ぴくぴくと青筋が立っている。
「どうもこうもありませんわ。お芝居はもう終わり、というわけです」
「なにぃ?」
伯爵がドスの効いた低い声を上げた。
――思ったより気が短いのね。もう化けの皮がはがれかかってるわ。
「……小娘風情が。今まで大人しくしておったから大目に見ておったが、ワシに逆らうと言うなら容赦はせんぞ」
悪意をむき出しにした伯爵に対し、私は一歩も引かなかった。
「どうぞご勝手に。――ただし、そんな機会がこれからあれば……の話ですが」
「なんだと……?」
そのとき、バタンと大きな音を立てて、チャペルの入口の大扉が開いた。
「そこまでよ! ホガース伯爵、あなたの悪事の証拠は掴んだ! この結婚は無効よ!」
毅然としてそう叫ぶセラフィナ王女を筆頭に、近衛騎士たちがチャペル内になだれ込んで来る。
参列客が次々と捕縛されていく。多くが伯爵の汚職や悪事に何らかの形で関わっていた者たちだ。
チャペル内は一気に混沌とした。
「ば、馬鹿な……」
最重要人物のホガース伯爵は、騎士に剣を突きつけられ、あっさりとお縄についていた。
伯爵はセラから動かぬ証拠を見せられて、がっくりと肩を落としていた。
……ふっ、ざまぁないわ。屈辱に耐えて、この1週間モニカとホガース家の屋敷を家探しした甲斐があったわね。
「ベアトリス様! こちらへ!」
あちこちで揉み合いが起こる中、参列客にまぎれていた先ほどの仮面の男が、裏口の方で手招きをしていた。
どうやら安全な脱出ルートを確保してくれているようだ。
……さすがは有能な私の執事ね!
「ち、父上が……こんなの、何かの間違いだ……」
意外なことに、ナイジェルはまだ捕まっていなかった。
たぶん、いつでも捕まえられるから後回しにされてるんだろう。
しかし、彼は私が脱出しようとしているのに気づくと、血走った目を向けてきた。
「ベアトリス、おのれ……! ――ギデオン! ギデオンはいるか!」
ナイジェルは混迷を極めるチャペル内に向かって、護衛騎士の名を叫んだ。
すると、近衛騎士の1人を斬り伏せたギデオンがナイジェルの側までやって来た。……あの護衛騎士、近衛騎士を倒せるほどの腕前だったのか。
「……坊ちゃま、御用ですか?」
「ベアトリスを捕まえろ! 彼女を人質にしてここから逃げるぞ!」
「はあ……まあ、悪くない考えかもしれませんね」
ギデオンは剣を振って血のりを飛ばすと、無造作な構えで私の方に近づいて来る。
「……ベアトリス様、下がっていてください」
「アーサー、何をする気? あなたは執事でしょう。戦いは――」
「昔取った杵柄、というものがございまして」
仮面を取ったアーサーは、いつの間にか抜き身の剣を手にしていた。倒れた騎士か誰かのものを拝借したのだろう。
私はアーサーとギデオンの間で、見えない火花が飛び散るのを幻視した。
「グラディウス卿、貴様だったのか」
「ええ」
悠然と構えるギデオンに対し、アーサーは半身になって剣気を研ぎ澄ませる。
「ただ者ではないと思っていたが……。なぜ、遠国の子爵令嬢ごときにそこまで入れ込む? その女にそこまでの価値があるのか?」
「私にとってのベアトリス様の価値は、あなたなどには計り知れないものです」
――不覚にも、どきりとしてしまった。
もちろん、主従としての言葉だというのはわかっているけど。……アーサーったら、嬉しいこと言ってくれるわね。
「そうか。異国の貴族を斬っていいものかわからんが、主の命令だ。――死ね」
「お断りします」
それから、激しい剣戟の応酬が始まった。
戦う力のない私は、アーサーの邪魔をしないように見ていることしかできなかった。
初めは互角に見えた戦いだったが、段々とアーサーの優位に傾いていったように見えた。
距離を取ったギデオンが肩で息をする。
「クッ……、貴様! これまで手を抜いていたな!」
「滅相もない。ようやく若い肉体に体の感覚が追いついてきたところです」
「何を訳のわからんことをッ!」
やがてアーサーの剣は、ギデオンの剣を高々と弾き飛ばした。
「ティルナノーグの剣、恐るべし……」
その言葉を最後に、ギデオンの意識は刈り取られた。
そんな彼に対し、アーサーは申し訳なさそうに言う。
「……いえ、ティルナノーグは関係ありませんけどね」
うん、ごめん。それ真っ赤な嘘なんだ。
ギデオンが倒れる頃には、ナイジェルも近衛騎士に捕えられていた。
――こうして、ヴェリディア王国の歴史の中でも一大事件となった大捕物は幕を閉じた。
†††
「やれやれ……。やっと終わりましたな」
一連の事件が終わって、アーサーはすっかり肩の荷が下りたようだった。
彼の姿は相変わらず若々しい美男子のままだが、老人のように自らの肩をトントンと叩いていた。私にはそれが微笑ましかった。
ホガース伯爵家は取り潰しとなった。
その結果、クロスフォード家が抱えていた借金は帳消しになった。
それでいいのか、という気がしないでもないが、王家としては伯爵が不正に溜め込んでいた財産を押収できたので問題ないらしい。
それに、私も伯爵の不正を暴くのに重要な貢献をしたと認められ、謀殺された両親への見舞金を兼ねて少なくない額の報奨金を得ることができた。これで両親へ少しでも恩返しができたなら嬉しく思う。
「さあ、ベアトリス様。そろそろ私を元の姿に戻していただけますか?」
アーサーがハリのあるいい声でにこやかに言った。
もう役目は済んだだろう――彼がそう思うのももっともだ。しかし、……
「え? できないわよ。そんなこと」
――ピシリ、とアーサーの笑顔が固まった。
「…………で、で、できないとは…………?」
アーサーが固まった青色の笑顔のまま、だらだらと汗を流しながら問う。
「もちろん、そのままの意味よ。だって、秘薬は若返らせるだけだし……」
「で、では、私はずっとこのままの姿なのでしょうか……?」
私はにっこりと笑った。
「良かったわね、アーサー。人生2周目よ」
「そ、そんなバカなーーーーッッ!!」
アーサーの絶叫が響き渡る。
メイドのモニカは、そんな私とアーサーのやりとりを楽しそうに眺めていた。
私は主として、彼に新たな指針を示す。
「――こうなったら、あなたも目いっぱい楽しみなさい。
……そうだわ! クロスフォード家の騎士団を結成しましょう! あなた、あんなに強いんだから、騎士団長も兼任ね! 荒れた領地を復興するために、まずは領地にはびこる盗賊たちを退治するわよ!」
「は、はい。仰せのままに……」
私はすごくいいアイディアを出したというのに、なぜかアーサーはさめざめと涙を流していた。
(了)
お読みいただきありがとうございました。
面白かった、こんな作品がもっと読みたいという方は、ぜひ★評価をお願いいたします。