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パラレルライン─「後悔」発、「もしも」行き─  作者: 石田空
ご乗車の際にはお忘れ物がないようお願いします─失った夢をもう一度─
7/19

「盗作とは、穏やかではありませんねえ」


 そうのんびりとした調子で歩いてきたのは、晴さんだった。さっきまで体操をしていたのとは打って変わって、駅長然とした態度だった。


「それでは、切符はお持ちですか?」

「ええっとICカードはあるけど……」

「駄目です。切符じゃないと」


 たしかにここの電車はICカードだと駄目だよなあ。そう思いながら眺めていたら、彼はジャンパーのポケットから「あっ」と言いながら紙を取り出した。


「これか!?」

「はい、拝見します……たしかに間違いありませんね。それでは、お話をお聞きしますから、駅長室までどうぞ。よろしかったら、そのマンガ雑誌もどうぞ」

「ん……」


 彼はぶっきらぼうな態度で、晴さんについていった。

 なんというか、あの人大丈夫かなあ。盗作っていうのは、ときおりSNSを騒がせているけれど、まさか目の前でそう証言する人が現れるなんて思いもしなかった。すごい剣幕で怒っていたということは、あれか。盗作されない世界に行きたいってことなのかな。

 俺はおろおろと売店の中身を確認した。こういうときに持って行くものってなんだろう。かなり怒っていたし、なにか落ち着くもの……そういえば、あの人はマンガを描いていると聞いた。マンガを描いているんだったら、そこまで手を汚さないほうがいいんだろうか。

 最近はパソコンでマンガを描く人もいるらしいけれど、手元が汚れたら困るのは、アナログもデジタルも同じだろうし。

 うんうんと考えた結果、ラムネがあることに気付き、それの会計を済ませて持って行くことにした。これで駄目だったら、俺が食べよう。

 そう思いながら駅長室に向かうと、相変わらずコーヒーを淹れながら、晴さんが彼の話を聞いているようだった。


「……以上が、パラレルラインの注意事項です。それでは、電車に乗りますか? 乗りませんか?」

「ん……ちょっとだけ、考えさせて」


 彼はコーヒーの湯気を眺めながら、椅子に深く深く座って途方に暮れたように天井を見上げていた。

 俺は駅長室から出て行こうとする晴さんを捕まえる。


「あのう、彼。いったいどうしたんですか?」

「ああ。彼は、どうも友達にマンガの内容を盗られてしまったようで」

「盗られたって……」

「彼は共に夢を語る友達がいました。彼に向かって『こんなマンガを描きたい』とマンガの企画書を書いて見せたら、それをそっくりそのまま持って行かれてしまったそうです」

「それは……」


 もし「こんな話を描きたい」とネタだけ話していたら、アイディア自体には著作権がないからセーフらしいけれど、企画書にまとめたものをそのまんま盗られたのならば、法廷に出ることも辞さないだろうけれど。

 俺はさっき読んだマンガのことを思い「まさか……」と呟くと、晴さんは頷いた。


「先程の週刊誌のマンガですけれど、あれこそが彼が企画書書いて、このままコンテストに出そうとしたものでした」

「ネタを盗られた上に、それで連載を決めたんですか? それってさすがにいくらなんでもひど過ぎますから、すぐにパラレルラインに乗ったほうが……」

「でも話を聞いた限り、即決できる話でもないようで」

「……なんでですか?」

「それ、届けがてた、聞いてみたらどうですか?」


 晴さんは最後まで答えることはなく、俺が買ったラムネを指差して弾いた。

 思わず手に取ってしまったけれど、これで解決する問題なんだろうか。俺は意を決してその人の元へと出かけていった。


「失礼しまーす」

「ん」


 彼は肘をついてごろんとしている。


「電車、乗らないんですか?」

「……今考え中」

「盗られたのに、ですか?」

「あーあーあーあー……」


 そう言いながら、彼はさっき広げて見せてくれた週刊誌を広げた。


「こいつとは、中学高校と一緒だったんです。ずっと一緒にマンガ描いてました」

「すごいですね」


 嫌みでもなんでもなく、素直な気持ちだ。それに彼はこそばゆい顔をしてみせた。


「俺はともかく、あいつは絵が無茶苦茶上手かったんですよ」

「あの絵が……ですか?」


 読ませたマンガを見て、俺は首を捻った。

 たしかに下手ではないと思ったけれど、俺だとマンガの絵の上手い下手はわからない。それに彼は「あーあーあーあー」と言いながら、週刊誌のひとコマひとコマを指差した。


「あいつ、マンガでの説明が無茶苦茶上手いんです。俺だったら細かく説明し過ぎて、コマも吹き出しもぐちゃぐちゃにしてしまうのに、あいつは絵で説明して、セリフを必要最低限に抑えるんで。あいつがデビューしたら、俺なんか一生叶わないって思ってましたけど……けど……」


 そんなに上手い人だったら、どうしてその人は自分の力だけでデビューを決められなかったんだろう。俺だとマンガの善し悪しは専門外だけど、企画書書いてまでマンガと向き合っている人が上手い上手いと行っている人に盗作される意味がわからなかった。

 俺が疑問に思っていたら、彼が吐き出した。


「あいつ……話をつくるのが、致命的に下手なんですよ……でも話をつくらなかったら、マンガ家になれないじゃないですか。それでも今だったら、先に話の脚本を描いてからそれを見てマンガを描く方法だってあるのに。あいつは俺なんかの作品を盗って、デビューしてしまったんです。俺は、純度100%のあいつの作品が読みたかったのに」


 晴さんの言った通りだ。これってそのまま取っていい話じゃない。最初は一生懸命考えたマンガを盗られてデビューしたから、それで怒っているのかと思っていたけれど、話を聞いている限りそういう話じゃないんだ。


「その人のこと、本当に好きだったんですね?」


 俺の言葉に、虚を突かれたように彼は目を見開いた。


「……俺、そんな話をしてましたっけ?」

「ええっと。単にそうなのかなと思っただけで、気に触ったのならすみません。俺にはマンガの善し悪しはよくわかりません。面白いか面白くないかくらいしか、計れるものがないんです。ただ自分の要素の入ってないその人だけのマンガが読みたかったっていうのは、そういうことなのかなと思いました」


 彼は俺の話を聞いて、一瞬目を見開いたあと、ぶっきらぼうに椅子にもたれ直した。


「……そうなのかもしれません。昔から皆マンガを描いていても、だんだん他の面白いものに目移りして、途中でひとり、またひとりと欠けていくんですよ。唯一残って一緒にマンガを描いていたのは、俺とそいつだけでした……あいつがマンガ家になったのは嬉しかったのと同時に、俺のマンガでデビューするなよと思いました……俺よりもあいつのほうが、才能はあったんです。だから、悔しいんですよ……」

「その、電車に乗らない理由って」

「駅長さん言ってましたよ、もし俺が平行世界に渡ったとき、そいつがいない世界かもしれないって。それで、迷ったんです」


 なるほど。彼の言い分って、要はこういうことだ。

 友達がプロのマンガ家になった。でも自分の作品を盗作された。盗作されたことに怒っているというよりも、実力のある友達が、自力でデビューしなかったことに憤っているんだ。

 彼が欲しいのは、自分が企画書通りにマンガを描いてデビューする世界じゃない。

 同士であり、友達と、友達を続けられる世界なんだ。

 俺はポン、とラムネを置いた。


「これ……」

「ええっと。マンガを描いてらしたって聞いたんで。ゼミでもいるんですよ。頭を使いすぎてめまいがする予防にってブドウ糖の入ったお菓子を食べているの。マンガ家もデスクに囓りっぱなしで同じようなものかなと思いました」


 彼はしばらくラムネのケースごと中身を転がしていたものの、やがてそれをパチンと音を立てて開けると、中身を手に取った。


「締切前に、一生懸命原稿をやっているとき、ふたりでチャットをしながら励まし合ってました。ラムネを囓りながら」

「そうだったんですね」

「……本当に、ありがとうございます」

「え?」

「俺、嫉妬でぐちゃぐちゃだったんだと思いました。あいつに企画書を盗られた。あいつが先にデビューした。許せないって考えるのは当たり前なのに、同時に吐き気がしてたんです。それの理由がわからなくって、ぐちゃぐちゃになっているところで、パラレルラインに紛れ込んだんで……自分ひとりだと、絶対に気付けませんでした」

「俺は……なにもしてないですよ。ただ売店で働いてて、ラムネをプレゼントに来ただけです」


 そう言うと、彼は泣きそうな顔で笑った。

 俺はその顔を見て思った。──ああ、羨ましいと。

 きっと怒り続けるのはつらくて、忘れるほうが楽なんだ。でも忘れるほうが嫌なほど怒り続けるくらいに好きな存在……それこそ、友達とか、恋人とか、夢とか、想い出とか……そういうものがないんだ。

 一方彼からしてみれば、小さい頃から好きなものを、友達と一緒に続けていた。マンガを描く趣味って、いつからなくなっていくもんだろう。俺も小さい頃は自由帳いっぱいに絵を描いていたと思うけれど。

 ひとり減り、ふたり減り、とうとう最後のふたりになったところで、突然友達と離ればなれになってしまった。

 盗作なんてなかったら、そんなことにはならなかったのかもしれないのに。

 彼はラムネを囓りながら、立ち上がった。


「ちょっと、駅長さんに行ってきます。電車に乗りたいって」

「あ、はい。行ってらっしゃい」


 俺はそれを見送った。

 やがて晴さんが「そちらの改札口からお入りください」と言って入っていった。


『それではーパラレルライン後悔駅ー、後悔駅に電車が入りまーす。お乗りの方は、白線の内側までお下がりくださーい』


 アナウンスが響き渡り、幾何学的な電車がホームに滑り込んできた。

 相変わらずこれだけ綺麗にもかかわらず、誰も運転していないし、誰も乗っていない不可思議な電車。

 彼は週刊誌を手に持ち、ラムネのケースをデニムのポケットに突っ込むと、ふいに俺のほうに振り返った。


「ありがとうな、兄ちゃん」

「えっと、お気を付けて」

「おう!」


 彼は屈託なく笑った。

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