エピソード6
多田晃は誰もいなくなった講義室の片隅で驚いた声を上げた。
「えぇ?!」
柳原葵は彼の驚いた声に耳の穴に指を入れて衝撃を抑えて一息をつくと耳から指を外して両手を前で合わせた。
「だから、旅費も全部出すからって言ってるじゃん。本当に、本当に、まじ頼む」
そう言われても今日の明日だ。
行き成りすぎるだろ、これは。
晃はそう心で突っ込みつつ息を吐きだして
「わかった。けどさ、俺は演劇のこと分からないぜ? 他の奴ら嫌な顔しねぇの? 」
と聞いた。
柳原葵とは幼少の頃からの親友で幼稚園の頃から大学を迎える現在まで実に14年近くを家族ぐるみで付き合っている。
それこそ突発的に飛び込んで平気だろう。
だが。
だが。
他の参加メンバーはそうはいかないだろう。
何時もこういうとんでもない頼みごとがある訳ではないので聞く耳がないわけではないがそこが心配であった。
晃はちらりと柳原葵を見て
「そこんところ、大丈夫なのか? 」
と再度念を押すように聞いた。
ここ重要! である。
それに柳原葵は大きく頷くと
「大丈夫! 他の奴も誰か連れてきているかも知れないし……」
と僅かに視線を逸らせつつ呟いた。
晃は腕を組みながら「仕方がない」と思うと
「んじゃ、帰ったら着替えとか用意して明日の朝に文京駅で良いんだな?」
と告げた。
柳原葵は晃の返事にほっと安堵の笑みを浮かべると
「ああ、本当に悪いな。助かる」
と答え
「明日8時半に文京駅の改札で待ってる」
と告げた。
晃は笑いながら
「遅れんなよ。遅れたら俺即効帰るからな」
と言い、立ち上がると
「じゃあ、帰ろうか」
とカバンを手に歩き出した。
柳原葵もまた頷いて
「ああ、そうだな」
と足を踏み出した。
6月に入って梅雨も始まろうとしている最初の土曜日。
柳原葵が所属している演劇サークルが『演劇祭合宿』と言う命名で鬼怒川へ一泊二日の旅行を計画したということらしい。
晃はその旅行に柳原葵から突然誘われたのである。
翌日の土曜日は曇り空。
少し厚い雲が多く流れていたがまだ雨の気配はなく町のあちらこちらで葉桜となった桜の木々が緑の青々とした葉を綺麗に身に纏わりつかせていた。
正に新緑の季節である。
なので森林浴などをするのに山などはちょうどよい季節と言えた。
晃は一泊二日なので下着と携帯の電源と時間つぶしの文庫本だけを入れて文京駅へと向かった。
文京駅は時間が時間ならば多く人々が行き交う駅で巨大複合施設も隣接して連絡通路で繋がっていた。
だが、今日は土曜日だ。
しかも時間は朝の8時半で早い。
人の姿は疎らであった。
晃は駅舎の階段を上って改札前に来ると既に待っていた柳原葵に目を向けた。
演劇サークルの主役級俳優として何時も舞台に出ているのでハンサムでオーラがあった。
目を引くということだ。
晃はどちらかと言うと極々平凡な顔立ちでクラスでも柳原葵という上流階級の親友がいなければ中学高校とカーストの底辺で過ごしていた。
だが、柳原葵はそういう学校のカースト制度を嫌っていたので
「そういう奴らはほっといて良し!」
と言って、晃の手を引っ張ってくれたのだ。
だからこそ今回の急な旅行の誘いにも乗ったのである。
晃は手を挙げて
「葵!」
と呼びかけて、動きを止めた。
日頃見せない険しい表情を浮かべて携帯で話をしているからであった。
何か、あったのだろうか?
そう思って歩く速度を緩めて近付き手前に来てから分かるように手を振った。
「やほやほ~」
と小声で呼びかけた。
柳原葵は晃の顔を見るとハッと目を見開き笑みを浮かべて
「ああ、そういうことな」
と言うと通話ボタンを押して会話を打ち切った。
何を話していたのかは分からない。
が、晃はフムッと息を吐き出すと
「別に無理に会話切らなくても良かったんだぜ。大丈夫か?」
と聞いた。
大事な用事なら悪いことをした。
そう言外に告げたのである。
それに柳原葵は首を振ると
「別に何でもない。いや……」
と言いジッと晃の顔を見つめた。
晃は「ん?」と目を細めて
「何だよ? 言えよ。喉元詰まった感じで気持ち悪い」
と告げた。
柳原葵は視線を下げると
「村岡が……あ、高校の演劇部の村岡翔一な。あいつが一人連れを連れて行くけどいいかって言うから一人なら俺も連れて行くから良いぜと言ってた」
とため息を零した。
晃は目を瞬かせて
「え? 村岡って東都大学に上がったんだよな?」
と聞いた。
村岡翔一も高校は一緒だった。
だが、大学は違ったような気がしたのである。
柳原葵は歩き出して改札を潜りながら
「あと……桑田聖子と……」
と長い間の後で
「戸田恵美子と桐生順一が参加者」
と告げた。
晃は目を点にするとホームに続く階段を上って丁度滑り込んできた列車の戸が開くと乗り込みながら
「いや、ちょっと待て! それって高校の演劇部のメンバーじゃん」
と突っ込み
「それって演劇祭合宿じゃなくて唯の演劇部同窓会じゃねぇ? 俺、本当に参加して良いのかよ?」
と告げた。
どう考えても『大学の演劇サークル』ではなくて『高校時代の演劇部』の集まりである。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。