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遠い日の飛行船  作者: 清松
第3章
9/22

冒険への道標

翌週の月曜日、例の稲田部長と言う人が職場にやって来た。6月中にこちらに来る予定だったが、業務の兼ね合いで延期になっていたらしい。

一日の仕事を終えて販売員が詰め所に集まる頃に、紹介があった。

「初めてお会いする方もいらっしゃいますね。部長の稲田貴広と申します。2週間ほどこちらにお世話になります」

とても丁寧な口調。綺麗な声。稲田部長は、山上係長の言ったとおりで見るからに優しそうな人だった。背が高く、全体的にスラっと細長い印象の人だ。

「みんなに話していたとおり、稲田部長にはそれぞれの販売員さんの、売上がちょっと落ちてきちゃったかなぁってルートに付いてもらって、新規開拓の協力をしてもらう予定です。早速、明日からね」

部長の隣で山上係長が言う。

「明日火曜日は、藤森さんのルートに付いてもらおうと思っているよ」

「は、はいっ」

初日から当たってしまうとは。確かに私は火曜日のルートが一番弱いので、そうなるのではと予想していた。

「藤森さん、明日はどうぞよろしくお願いします」

お手本のようなお辞儀。稲田部長は、失礼ながら何だか上司とは思えないほどに低姿勢だ。こちらこそお願いします、と慌てて私も頭を下げた。




挿絵(By みてみん)








手作りパンの移動販売で近くを回っております、ラビットと申します。もしよろしければ、手作りパンはいかがでしょうか。

お決まりの台詞はとても自然で、嫌な感じが微塵もしない。稲田部長の飛び込み販売、新規開拓への流れはとても鮮やかなものだった。

同じ台詞を私が言うのと、部長が言うのとでは全く違う。部長の場合は、お客様がするすると引き込まれていくのがわかる。一日一緒に行動しただけで、私の火曜日のルートには新規の販売先がなんと6軒も増えていた。



ルートの最終地点での販売を終えて、私達は職場へと戻るために車を走らせていた。

「稲田部長、今日はありがとうございました」

「いえいえ。少しでもお役に立てていたら僕も嬉しいです」

助手席で、部長が柔らかく微笑む。上品という言葉が似合うような、感じの良い笑顔。

初対面の男性とマンツーマンという事で、最初は緊張していた。しかし一日を共に過ごし、部長の人柄のお陰もあってかなり打ち解けられたと思う。こんな私でも、とても話しやすい人だと思った。


帰宅ラッシュが始まっており、国道は少し進みが悪くなっていた。ブレーキを踏んだり離したりしながら、私達は他愛もない雑談をする。趣味の話になり、部長は釣りが好きな事、休日は釣り竿と簡単なキャンプセットを持って海によく出かけるのだという事を教えてくれた。

「藤森さんは何か好きな事とかあるんですか?」

好きな事、と聞かれて真っ先に思い浮かべたのは。

「私は飛行船が好きです」

「へぇ、飛行船、ですか」

そう言う事じゃなくて、趣味を聞いていたのだという事はわかっていたのだけれど。

「あ、あの、この前まで札幌を飛んでたんです、飛行船。それで好きになって」

何だか言ってはいけない事を言ってしまったような気持ちになった。自分から言ったのに。

しかし、部長からの返答は全く予想外のものだった。

「Smile Skyの飛行船ですよね」

えっ!? と思わず大きな声が出てしまった。

「部長、Smile Skyの飛行船知ってるんですか?」

「知っていますよ。ちょうど今、僕の住んでる町を飛んでいますから」

「えぇーー!そうなんですか!?」

今日一番の声量。部長もさすがにびっくりした様子だ。

「ラビットの十勝営業所って、実は帯広などの大きな所ではなく、黒汐町(くろしおちょう)という海沿いの小さな町にあるんです。僕もそこに住んでるんですけど、毎年この時期になると飛行船が来るんですよ」

黒汐町。聞いた事があるような気はする。北海道は広いので、自分の住む地域外の事は意外とわからないものだ。十勝方面は、私は帯広までしか行った事がない。

「そうだったんですか。私はてっきり、もう北海道から離れてしまったのかと……」

まだ飛行船が北海道にいたという事実に、嬉しさと安堵を覚えていた。

「黒汐町にはスカイスポーツ公園という大きな公園があるんですけど、その向かいの敷地に停まっているのを見た事がありますよ。ちなみに昨日、僕が十勝営業所を出発する時にも飛んでいるのを見ましたよ」

昨日飛行船を見たという人と、私は一日ずっと一緒にいたのか。それだけで嬉しくなる。

「飛行船って、また札幌に戻ってくるんでしょうか?」

「いやぁ、僕もそこまでは……。僕が黒汐町に戻った後もまだ飛行船がいるようでしたら、よかったらご連絡しましょうか?」

是非お願いします! と食い気味に答える。

仕事で初めて会う上司から、いなくなってしまったばかりの飛行船の事を教えてもらえるなんて。運命的な何かしらの力を感じずにはいられなかった。



挿絵(By みてみん)





その後、2週間弱の出張期間を終えて、稲田部長は札幌営業所を後にした。

飛行船がいなくなり、楽しみがなくなってしまった週末。自宅のベッドに寝転がって、私は強風の係留地で3枚だけ撮影した写真を眺めた。どれも単純に側面から撮っただけの、似たような構図だ。スマホの中のこの小さな四角い世界の方が、自分が今いる現実世界よりも色鮮やかに見える。この画面の中の係留地に戻れたら。この写真を撮っていた時の私に戻れたら……。


写真を眺めていると、ピコン、とスマホが鳴った。

稲田部長だった。思わず、はっと目を見開く。

『2週間大変お世話になりました。こちらが、現在の黒汐スカイスポーツ公園向かいの様子です。』

というメッセージの後に、写真が添付されている。そこには鮮やかな緑色の広場らしき場所が写っていたが、飛行船の姿はない。ただ、奥の方にSmile Skyのトラックが停まっているのが見えた。

じわっと、嬉しさが湧く。トラックがいるという事は、きっと飛行船もいるという事だ。

私はお礼の言葉と、飛行している様子はないのかどうかという質問を送った。すぐに既読が付き、特に空を見てもどこにも見当たらない、という内容の返答が来る。

たまたま、今はどこか違う場所を飛行しているのかもしれない。とにかく、トラックが見られただけでも私にとっては大きな収穫だ。何より、部長がわざわざこの公園まで出向いてくれた事がとてもありがたかった。そのように伝えると、

『散歩のついでなので、気になさらずに。もし飛行船を見かけたらまたご連絡しますね。』

と返信が届いた。

上司を相手にこう言うのもなんだが、とても心強い味方を得たかのような気がしていた。今、飛行船の近くに自分の知っている人がいる。間接的にでも繋がっていられている気がして嬉しかった。




ところが、それから1週間近く経っても、稲田部長から再び連絡が来る事はなかった。

不安が募ったが、こちらから聞くのも何か催促しているようで、気が引ける。もしかすると、トラックが残っているだけで飛行船はもういないのではないだろうか。考え難いと言えば考え難いが、こういう時は、どうしても悪い方へと思考が向いてしまいがちになる。


どうしても黙っていられず、私は思い切って黒汐町へ行ってみようと考えた。自らそこへ行って確かめたい。それが一番良いと思った。



私の職場は、市外にも販売ルートが多数あるので、詰め所には北海道全域の地図も存在する。と言ってもここの販売員が担当している地域は、札幌から片道1時間半ほどの範囲内だけなのだが。

金曜の夜の詰め所で、私は十勝方面の地図を広げた。札幌から黒汐町への道順を確認し、国道の数字や通過する町の名前などのメモを取る。職権濫用みたいだけれど、ありがたく参考にさせてもらった。




挿絵(By みてみん)




以前に帯広まで行ったというのは、1年前の夏の事だ。友人と2人で花火大会を見に行った。その時は確か、高速道路を使わずに片道3時間半くらいかかった記憶がある。私は高速道路があまり好きじゃない。恐怖感ではなく、純粋にドライブの時間が短縮されてしまう事が勿体ないと感じるからだ。私は、運転する事そのものをゆっくりと楽しみたいというタイプだ。


黒汐町は、帯広からさらに南下して太平洋沿いまで出なければならない。距離感がよくわからなかったが、一般道ではあまりにも時間がかかりそうな気がする。高速道路を使おう、と思った。なるべく早く真相を確かめたいから。


そして、もしスタッフさんに会えたら、今度は勇気を持って話しかけてみようと決めた。

今の私には、知りたい事が色々とある。


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