飛行船と子供達
次の土曜日、私はまた飛行船を見に出かけた。
この日は風もなく晴天。車を走らせ、市街地方面へと続く大きな橋に差し掛かった所で、遠く正面の空に飛行船の姿が見えた。
居たぁ! と、思わず叫んでしまう。飛んでいる姿を見たのは、販売先の歩道で見つけた時以来だ。あれからもう2週間近く経っている。タイミングと、市外にもいくつかルートを持っている事もあり、仕事中に見かける事はあれ以来なかった。
今日は中心地よりは西側の方を飛行しているようだった。車で追いかけるには、街中よりも都合が良い。大きなビルに空を遮られる事がないからだ。もちろんの事、安全運転を最優先にしながら。
私は18歳で運転免許を取得し、すぐに中古の小さな軽自動車を所持した。ペーパードライバーになられては困ると、ありがたい事に両親が買ってくれたものだ。
それからすぐにドライブが大好きになり、時間さえあればひたすら走っていた。行き当たりばったりで知らない町へ行き、知らない景色を見るのが楽しくてしょうがなかった。ドライブは、私が唯一アクティブになれる趣味だ。そしてこれまでの8年間、無事故無違反のゴールド免許。安全運転は常に意識し徹底してきたつもりだ。
私は西部公園という所に向かった。
西側の地域にも飲食店や飲み屋などがひしめき栄えている場所があるが、飛行船はその辺りの上空を浮遊していた。
この公園からなら、ゆっくりと鑑賞できるだろうと考えた。ここには大きく緩やかな緑の丘が2つあり、敷地もとても広い。今日も家族連れがたくさん遊びに来ていた。
大きな丘の1つに登って、繁華街方面を見上げてみる。飛行船がゆっくりと北西向きに進んでいるのが見えた。
青空と、白い船体のコントラスト。アンバランスとさえ感じてしまうほどの特別な存在感。いつも見慣れているはずの空に、それがひとつ浮かんでいるだけで世界が全く違って見えた。鼓動が速いのは、丘を一気に登って来た事だけが理由ではないと思う。
なにあれ!? UFO!?
と、子供の甲高い声が聞こえた。
私と同じ丘の上にいた10歳前後くらいの男の子が、飛行船を指差してはしゃいでいる。周囲の子供達や家族連れも一斉に、彼の指差す先を見上げていた。
飛行船だね、久しぶりに見た、珍しいね、等と話す大人達の声が聞こえる。
その声は完全に他人のもので、自分は全く無関係な人間のはずなのに、私は勝手に謎の一体感のようなものを覚えていた。飛行船そのものではなく、知らない人達が飛行船を見て嬉しそうにしている姿に、私は何故だかワクワクしてしまっていた。
そうだよね、そう思うよね。私も同じ気持ちですよ。
心の中で勝手に応えている自分がいる。
おーいっ! ひこーせーん!
と、さっきの少年が両手を振りながら叫んだ。友達らしき子供達がその周りで、同じように手を振り出す。
ゆるっとした微笑ましさと、今にも一緒になってちぎれそうなくらい手を振りたい衝動。何とも言えない感情に支配され、どうにも出来なくて、思わず両方の拳を握りしめた。どんなに手を振ったって見えるわけがないとわかっていても、やらずにはいられない純粋さ。子供達の素直な反応が、痛いくらいに愛おしい。
丘の斜面に座っていた保護者達らしき大人、他の家族連れも、彼らにつられて手を振り出した。一瞬だけ私はぎょっとしてしまう。そしてすぐに自分も参加したいという思いが湧き上がるが、必死に耐えた。手を振る人々を、その後ろで棒立ちになって見つめる。
心なしか、飛行船が進路をこちらに向けているような気がした。元々船体は斜めに見えていたが、今は先端部分が、この公園のある方に向いている。
こっちきた! こっちきた!
と、子供達が声を出す。
嘘でしょ?
と、私は心の中で呟く。
飛行船はどんどん私達のいる公園の上空へと近づいて来ていた。キャーキャーと歓声をあげながら手を振る子供達。
私はさらに鼓動が速くなるのを感じる。
もう、ごまかしようもない。飛行船は、手を振る人々の頭上まで飛んできた。ブーンというエンジンの音らしきものがはっきりと聞こえる。
ゆっくりと真上を飛び、その後くるりと旋回して、円を描くかのように私達の周りを飛び始めた。そして、もう一度私達の真上を通って、再び繁華街方面へと向かっていった。
長いような短いような、よくわからない時間だった。飛行船の動き方からして、手を振る人達の姿にパイロットが気づいていたとしか思えない。
でも、そんな事があるのだろうか。あんな上空から、地上にいる人の姿なんて見えるわけがないのに。
ふと思い出した事がある。初めて飛行船を見たあの日、父も同じような事を言っていたな、と。
わかっていて言ったのか、幼い私を喜ばせるために言ったのかはわからないけれど。
空と地上で、本当にコミュニケーションが出来るものなのか――
私の身体は震え出しそうになっていた。興奮に満たされて、全身が熱くなっている。
その後しばらく丘の上でぼうっと飛行船を眺め、ふと、着陸する所を見ようと思い立った。いくつかの動画で見て、これは是非実際に見てみたいと思っていた。
一体何時頃に着陸するのだろう。そもそも、飛行船はどのくらい飛び続けていられるのだろう。パイロットの人が、もしトイレに行きたくなったらどうするんだろう……?
芋づる式に、関係ないような疑問までもが浮かんだ。
今の時刻は15時50分。もし夕方には係留地に戻るのだとしたら、そろそろ向かっておかなければ着陸は見られないかもしれない。




