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遠い日の飛行船  作者: 清松
第1章
4/22

週末の係留地

あれから3日が経った。


仕事の後に「係留地」へと走ったという話を聞いた葵さんは、最初は例の通りニヤニヤとしていたが、想像していたよりは私を茶化さなかった。

少なからず、私の本気度が伝わったのかもしれない。


情報と道順を教えてくれた山上係長には、お礼に缶コーヒーを差し入れた。たいした事してないのに……と恐縮していたが、係留地に辿り着けたのは係長のお陰だ。

私は機械物にとても弱く、スマホも電話やメール以外の機能に手を出す事は基本的にない。ネットなどは、どうしても使用する前に苦手意識が働いてしまう。20代の若者なのに珍しい、とよく言われる。

係長が教えてくれなければ、居場所も行き方もわからないままだったと思う。


販売先のどこかで飛行船が見られる事を期待していたが、昨日までの2日間は残念ながら見る事が出来なかった。

そして、今日は土曜日。

仕事は休みだ。私は、飛行船を見る為に車を走らせていた。

宣伝目的なら、週末は絶好のチャンスのはずだ。


しかし、街中を走りながらチラチラと空を見上げてみても、その姿は見当たらなかった。

そもそも運転をしながらではうまく確認も出来ず、高いビルが空を遮っているので、よく見えないのだけれど。

晴天の休日だというのに、今日は飛んでいないのだろうか……



岩水海岸公園へと向かってみると、そこには地上に繋ぎ留められた飛行船の姿があった。

やっぱり、今日は飛んでいなかったんだ。

週末だからか、見学者がたくさん来ていた。若い家族連れも数組いるが、老夫婦やカメラを抱えた白髪のおじさんなど、どちらかというと年配の人が多い印象だ。


たくさんの見学客の存在に背中を押され、私も今日は敷地の中まで入ってみる事にした。

飛行船は先日見た時とは様子が違っていた。強風が吹き付け、船体は上下左右に大きく振られている。

トラックの前で、スタッフらしき人と見学客が話している声が聞こえる。今日はこの強風で飛行中止になったとの事だった。

いくら晴天でも、風が強ければ飛べない……そんな基本的な事も、私には思いつける余裕がなかった。


3日前は暗くてわからなかったが、飛行船が括り付けられているのは、大きな1本の柱のようなものだった。先端から何本もの細いワイヤーがテントのような形に張り巡らされ、地面に固定されている。


見学者達は、ある一定の距離を保って飛行船を見学しているように見えた。私も真似をして、同じ距離感を守るようにしながら飛行船に接近した。

大きい。物凄い迫力だ。バルーンの部分を見上げると、恐怖にも似たような不思議な高揚感に支配される。視界いっぱいに広がる、はち切れそうに膨らんだ白い楕円。こんな間近で見られるとは。

小1のあの日から今日までの空白が、一気に吸い取られて行くような感覚。信じられないような体験だった。


飛んでいる姿を見られないのは少しだけ残念だけれど、飛行船を見ていられるだけでも嬉しい。

何故そう感じてしまうのか、自分自身にもわからない。

子供の頃に初めて見た時のあの衝撃が蘇ってから、私は何故だか、四六時中飛行船の事ばかり考えてしまうようになっていた。




挿絵(By みてみん)





少し離れた芝生の上に座ってひたすら眺めていると、いつの間にかかなりの時間が経っていた。気がつくと、たくさんいたはずの見学客はすっかりいなくなっている。

スタッフらしい人は2人いて、1人はあの柱のようなものの下で作業をしており、もう1人はトラックの横で男性客と話をしている。その男性客は、見た所20代くらいの若い人だった。自分以外にも、単独で見学に来ている20代くらいの人がいたなんて。何となく親近感を覚えた。

と同時に、この係留地には今、見学客はその男性と私しかいないという現実に気付く。2名のスタッフも、男性も、私の存在に確実に気づいているだろう。

急激に恥ずかしくなってしまい、私は立ち上がってそそくさとその場を後にした。

「あの、すみません。こんにちは」

緑地の出口に差し掛かる所で、後ろから突然声をかけられた。いたずらがばれた子供のような気分になり、鼓動が跳ねた。

「今日は来て下さってありがとうございました。よかったらどうぞ」

振り返ると、先ほどまで男性客と話をしていたスタッフさんが立っていた。何かを差し出している。それは飛行船の絵柄のマグネットと、Smile Skyのイメージキャラクターである白い熊「スカイ君」の小さなキーホルダーだった。

「あっ、ありがとうございます」

頬が紅潮していたと思う。上ずった声を出して、それらを受け取った。受け取らないわけにはいかなかった。

「せっかく来ていただいたのに、飛べなくてすみません。この強風なので……」

「いっ、いいえ。仕方ないです、と、思います」

緊張で受け答えがぎこちなくなってしまう。何を言っているのやら。

スタッフさんは若く見えるが、自分よりは年上のような印象だ。短めの黒髪に、優しそうな二重の目。少し捲られたスカイブルーのパーカーの袖から覗く腕は日に焼けて黒い。左胸に小さなネームプレートがついており、「橋立」と書かれている。はしだてさん、と言うのかな。焦りとは裏腹に、やけに冷静にそこまでの情報を瞬時にキャッチしていた。

「予報では明日も強風らしいので、次いつ飛べるか……よければまた是非見に来て下さい」

スタッフさんはニッコリと微笑む。決して変な意味ではなく、私はドキッとしてしまう。随分とフレンドリーなんだな、と思った。

スタッフさん越しに、あの若い男性客がスマホで飛行船の写真を撮っている姿が視界に入った。

「あ、あの。私も、飛行船の写真を撮らせてもらっても良いですか?」

「もちろんです、どうぞ。風が強いので、近づき過ぎないように気をつけて下さいね」


スタッフさんは私を飛行船の前まで案内してくれ、このラインまで、と近づいて良い範囲を指示してくれた。

スマホで写真を撮るという事さえ、普段の私はあまりしない。心のフィルムに焼き付けて……なんて素敵な話ではなく、単純に機械物を扱う事に慣れていないからだ。そのせいで、思い出を形にして残すという発想自体が自然と出て来ない。おそらく世間的には、私の感覚は理解され難いのだろうなという事が想像出来る。

けれど、飛行船の写真は1枚でも手元に残しておきたいと思った。




挿絵(By みてみん)




赤いウインドブレーカーを着た若い男性は、私が近くに来ても特に気にする様子もなく、真剣に撮影をしているようだった。

男性の邪魔にならないように気を付けながら、私も3枚ほど写真を撮った。お世辞にもうまいとは言えないが、一応飛行船の全貌がわかるような画像にはなったと思う。


ここまで来ると人間は欲が出てくるもので、もう少し近くで撮りたいという思いが生まれる。

ごうごうと唸る風に、後部を上下させる飛行船を見つめながら、軽くため息をついた。

「もう少し近くで見れたらなぁ……」

ついうっかり、心の声を呟いていた。思ったより大きく響いてしまった気がして、すかさず横を見たけれど、男性はいつの間にかいなくなっていた。


そのままもう少しだけ飛行船を眺めてから、スタッフの橋立さんにお礼を言って、係留地を後にした。

写真3枚と、飛行船グッズ。そしてスタッフさんとの会話。まさか今日ここに来て、ワクワク以外の何かを得られるとは予想もしなかった。

駐車場へと歩きながら、私は勝手に口角が上がってしまうのを感じた。それはそれは怪しかった事だろうと思う。



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