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遠い日の飛行船  作者: 清松
第6章
18/22

それぞれの約束

この道を走るのも、これが最後か。


全ての行動に対して、“もう最後”をどうしても意識してしまう。通い慣れた道。つい2か月前までは知らなかった道。もう、目を閉じていても行けるんじゃないかというくらい知り尽くしていると思う。

悪あがきしてもどうにもならないという事は、私自身が一番わかっている。

どうしちゃったんだろうな、私。こんなんじゃなかったのに。

この2か月で、こんなにも脆くて弱い人間になってしまったのか。

葵さんは、これも私が成長した証だと言っていたけれど。1人になるとどうしても今の自分が情けなく感じてしまう。こんな気持ちになる事に、私はあまりにも慣れていなさ過ぎるのだろう。ひたすら無難で平凡な日々を送ってきた私には。

“充実”って、私には結構大変な事かもしれないなぁ、と思った。




挿絵(By みてみん)





今年最後の岩水海岸公園係留地。風は昨日よりも少し弱まったような気がする。飛行船は、マストに繋がれた先端を軸にして、緩やかに後方を上下させている。

「予報だと今日の深夜には風は止むらしいです。今の所、明日は予定どおり移動フライトが出来そうだって、さっきクルーの人から聞きました」

私の隣で、SHUNさんが言った。

昨日の夜と同じ辺りの芝生に座り、何をするでもなく飛行船を眺める時間。いつもと何も変わらないようだけれど、今日は、いつもとは大きく違う。

「SHUNさんは夏休み中だから、明日もお見送りに来れるんですよね」

「えぇ。僕はこの時期は極力予定を入れないんです。飛行船をいつでも見に行けるように」

心底羨ましいと思った。私も学生に戻りたいなぁ、なんて考えてしまう。

「はるさんは、今年は今日で見納めですよね」

「はい……」

「寂しいですね」

見納め。楽しかった日々も、本当にこれで終わってしまう。




「……変な事を言うと思われるかもしれないけれど」

と、少しの沈黙の後にSHUNさんが言った。あまり彼らしくない口調だと思った。何か言いづらい話でもあるのだろうかと、少しだけ身構えてしまう。

「僕、小学生の頃に母を亡くしているんです」

えっ?

と、声には出ていなかった。一瞬息が詰まるような気がした。


「僕の母は実は、飛行船が大好きな人だったんですよ。僕が子供の頃、母はよく飛行船の話をしてくれました。昔はよく見かけたらしいですが、その頃にはもう飛行船はほとんど飛んでいなくて。もう一度見たいと母はずっと言ってて、じゃあ僕が大きくなったら飛行船を見に連れて行ってあげると約束したんです。でも、叶わないまま病死してしまいました」

SHUNさんはそこまで一気に話した。飛行船の白い明かりに薄ぼんやりと照らされている横顔は、とても穏やかだ。

「今から3年前に僕は初めて飛行船を見て、これが母さんの言っていたやつか、やっと会えた、って思いました。はるさんが、小学生の時に初めてお父さんと一緒に飛行船を見たっていう話を聞いて、それは本当に良かったなぁって思いました。僕も母さんに見せてあげたかった。僕は子供の頃網走に住んでたので、飛行船を見る機会なんてなくて。母さんの好きだったものをここでなら追いかけられるんだって知って、すごく嬉しくて。守れなかった約束を果たすような気持ちで追い続けて、気づけば僕自身も飛行船が大好きになってました」

長く続いた声が止まる。 SHUNさんは笑顔だった。息を大きく吸って吐く。

「すみません、急にこんな話。何が言いたいかって言うと……」

頭を掻きながら、ちらりと私の顔を見たSHUNさんは、あからさまに体を震わせた。


私は泣いていた。止めなければ、と思っても涙がどんどん溢れ出す。

何か話さなくては、と思った。彼が想像できるような理由で泣いているのではない、という事を伝えなければ。

「ごめんなさい、違うんです……SHUNさん、私も、話したい事が」

声を絞り出す間、SHUNさんは何も言わずにただ頷いて待ってくれた。彼の動揺が痛いほど伝わる。

心を落ち着けるようにして、私は話し始めた。


「私が小学生の頃に飛行船を一緒に見た父は、実は3年前に病気で亡くなったんです」

「え……」

え、というそのたった一文字の中に、到底一文字では収まりきらないほどの大きな大きな驚愕が込められている事を強く感じる。さっき彼の話を初めて聞いた時の私と、きっと同じ気持ち。

「また飛行船に会いたいと、あの時私が言ったら、願っていればいつか必ず会えるって、大きくなったらまた一緒に見に行こうと約束してくれて。5月に……」

言葉に詰まってしまい、沈黙が流れる。でも、決して居心地の悪い間ではない事を感じた。

「5月に飛行船を見つけた時、真っ先に思い浮かんだのは父の顔でした。父の言った事は本当だったと……また会えたよって、心の中で何度も……」

「……えぇ」

SHUNさんは一言だけ小さな声を発し、頷く。強く強く共感してくれている事が、その短い声から、溢れそうなくらいに伝わってくる。

「私も、父との約束を叶えられませんでした。今、父がいたらって、5月から毎日思いながら過ごしてました。もしかしたら父も、そんな昔の約束は忘れてしまってたかもしれないけど……」

突然、大きな手のひらが遠慮がちに私の肩に触れた。一瞬、身を震わせてしまう。

「ごめんなさい。僕のせいで、悲しい事を思い出させてしまって」

SHUNさんはまっすぐに飛行船を見つめていた。

「お父さんは約束を忘れてはいませんよ。一緒に、っていうのは叶えられなかったかもしれないけど、お父さんの言葉どおりにはるさんは、何年かかっても飛行船に会う事が出来たんです。絶対に喜んでいますよ、娘の願いが叶ったんだから」

声を出さず、静かに、感情に身を任せた。秘めていた思いがボロボロと零れ落ちて行く。

SHUNさんの手から、全身にぬくもりが伝わる。夜風に晒されたSHUNさんの手は少し冷たくなっていたけれど、確かな温かさを感じた。

SHUNさんの目から一筋だけ涙が流れていた事に、私は気付く余裕もなかった。




挿絵(By みてみん)






飛行船SS号と、SHUNさんと、お別れをした。

飛行船を追いかけた2か月間と、SHUNさんと過ごした6日間。それは私にとって、これまでに過ごして来たどんな時間よりも温かくて特別なものだったと感じる。けれど、もしかしたらそれらは嘘だったのではと思うほどに、この真っ暗な夜の中へと溶け込んでいったような気がした。びっくりするくらい、すぅっと、いとも簡単に。



飛行船が戻ってくる来年の5月にまた、この場所で会いましょう――


新たな約束が出来た。








この日の夜、私はなかなか眠りにつく事が出来なかった。

SHUNさんと私の共通点。同じなのは、飛行船に対する思いだけではなかった事を知った。どう考えてもそれは、単なる偶然でしかないものだけれど。本当に、たまたま、偶然似ていただけの事。隠していたわけでもなく、話す必要が特になかったから、お互いにここまで話していなかっただけの事。


飛行船を好きな事に理由はないけれど、私達が飛行船を追いかけ続ける事には、もしかしたら理由があったのかもしれない。もちろん好きだから追いかけているのだけれど、それぞれの心の奥底に秘められたものに突き動かされていた事も、きっと事実。

そうやって無意識に、過去に果たせなかった事を少しでも清算しようとしていたのかもしれない。彼も私も。



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