お出迎え
時刻は13時過ぎ。
岩水海岸公園には、既にクルーが到着していた。マストはもう設置されていた。早い! 高速道路を使っても片道3時間以上かかる距離を先回りし、いつでも着陸出来るよう態勢を整えて。彼ら地上クルーの素早い仕事のお陰で、飛行船やパイロットの安全も守られているのだろう。
SHUNさんの姿はまだない。12時頃、SNSに彼の投稿があった。遠くの空に飛行船が飛んでいるのが見える、という内容の発言と写真。遠くに連なる山脈と、豆粒のような飛行船が写るその景色を見ても、どこから撮られたものなのかは私にはわからなかった。
黒汐町を出てここに来るまでの間、私は飛行船を一度も見かけなかった。高速道路は山中を通っているので、それもそのはずかもしれない。札幌の上空にもまだ姿は見当たらなかったし、今もこの近くを飛んでいる様子はない。一体どの辺りにいるのだろうか。
私はさすがに疲れてしまって、飛行船が戻って来るまで車内で休む事にした。車中泊をした昨夜は気持ちの高揚もあってよく眠れず、今朝は5時頃から起きている。睡眠不足と長時間運転の疲労で、目を開けていられないくらい急激に眠くなってきてしまった。
運転席のシートを少し倒して、強烈な睡魔に身を委ねた。
そして、1時間もしないうちに私は飛び起きる事となった。
辺りに響き渡るエンジン音。はっと目覚めると、それはすぐそこの空に浮かんでいた。
係留地には既に見学者が集まっている。いつの間にか風がかなり強くなっていた。寝起きの重たい体を引きずって、それでも小走りに緑地の中へと私が入る頃、飛行船は強風に全身をうねらせながら下降してきていた。
上下左右にうねうねと激しく波打っていて、危険を感じずにはいられない動きをしている。それでもV字型に整列したクルー達は、その荒れ狂う巨体を果敢に迎えに行く。
大きく風に煽られる飛行船。その激しい動きに合わせるように、素早く動くクルー達。強風吹き付ける中で的確にヨーラインを掴み、ゴンドラをキャッチする。そして巨大な船体はようやく、彼らの手の中で落ち着いた。
どこからともなく、拍手が湧いた。
それは素晴らしい技術だった。初心者の私にさえ、その事はよくわかる。全員がプロでなければ、この強風で暴れる大きな船を安全に着陸させる事など出来ないだろう。
それにしても、ギリギリだった。辛うじて着陸シーンを見逃さずに済んだ。もう少しだけ頑張って起きていればよかったかな。
飛行船がマストに固定される頃、はるさんお疲れ様です、と後ろから声を掛けられた。SHUNさんだった。
SHUNさんは私の顔を見て、不思議そうな表情をする。
「……はるさん、寝てました?」
ひどい顔をしていたに違いない。明らかに足りていない仮眠から目覚めて、そのままここへ直行したのだから。寝癖は強風のせいに出来ても、顔はそういうわけにもいかない。
「車の中でちょっとお昼寝を……どうしても眠くて」
意味があるのかわからないが、パーカーのフードを被って顔を隠した。さすがに恥ずかしい。
「しょうがないですよ。車中泊して、長距離運転もしていたら疲れますよ」
SHUNさんは優しく笑いかけてくれる。
「でも、よかったですね。黒汐で見送った飛行船を、岩水でお迎え出来ましたね」
「はい。何だかすごい事ですよね。これ、朝には黒汐町で見送ったんですもんね」
宛てのないドライブをして遠くまで行く、というのとは違う。何か1つのものを追って旅をするという事は、自分でもびっくりするくらいに心が潤う。どんなに体が疲れても。
その時、せっかく被ったパーカーのフードが強風で勢いよく脱げた。慌てて被り直しても、風が強過ぎてすぐに脱げてしまう。
あたふたする私を見て、SHUNさんは笑いを堪えているようだった。
もう……。昨日から、格好悪い所ばかり見せては笑われているような。
被っては脱げて、を3回くらい繰り返し、もうフードは諦める事にした。
作業が落ち着いた頃、SHUNさんと一緒に橋立さんにもご挨拶に行った。昨日から突然どこにでも現れるようになった私に対して、もしかしたら引いているのではないかと不安になったけれど。橋立さんは私を見る度、いつも心から嬉しそうにしてくれる。社交辞令なんかではない事は、目を見ればわかる。
橋立さんの話では、北海道の滞在期間はあと1週間ほどだそうだ。移動フライトは次の日曜日を予定していると言う。あとたったの1週間か、と思うと寂しさが湧いた。予定どおりに行けば、1週間後も私はきっとこの場所に来る事が出来る。そして、それまでの間は、平日でも可能な限りここに来ようと思った。
「ハルにハルが来たってワケねー。もう、付き合っちゃいなよ」
「いやっ、そういうんじゃないんだってば」
週明けの、夜の詰め所。葵さんがいるだけで、ここの空気はわちゃわちゃと賑やかになる。ただでさえそうなのに、話題が話題だからかより一層騒々しい。
「春琉の口から男の話が出るとはさ。しかも初対面でご飯行って遠距離ドライブデートって」
「一緒にドライブしたわけじゃないよ。行き先が同じっていうだけ」
「しかもそれが、動画で知った投稿者ってさぁ……春琉の声が入ってたあの動画の。そんなん、運命じゃん!」
葵さんの声が大きくて、事務作業をしている他の販売員さん達にも丸聞こえだ。みんなして、藤森さん彼氏でもできたの?なんて聞いてくるので、全力で否定した。
こういう事になるとわかってはいながらも、私はどんな事でも葵さんに話してしまう。私にとって、普段の身近な理解者は彼女だ。茶化すのも仲が良いからだし、最終的には真面目で的確な答えを返してくれたりする。葵さんはなんだかんだで私の事をいつも心配してくれている。先輩であり、上司であり、そして姉のような存在。
「でもさ、すごいね春琉。高速代かけて車中泊してまで見に行っちゃうくらい、好きなものが出来たなんてさ」
「自分でもびっくりしてる」
「そしてそんな出会いと経験でしょ。成長したねぇ。お姉さん、なんか嬉しいよ」
子供のように頭をポンポンされた。彼女にそんな事をされても全く嫌な気はしない。特別嬉しいと言うわけでもないけれど。
こんなやりとりをしている間に、私のスマホに、稲田部長からメッセージが届いていた。
前回の連絡の後も何度かスカイスポーツ公園を見に行ったが様子は変わらなかった事、週末に風邪を引いてしまい寝込んでいた事、今日の夕方に見に行ったがトラックすらいなくなっていた事、そして謝罪の言葉が書かれていた。
係留地で1枚だけ撮っていた飛行船の写真を添えて、土日に私が黒汐町へ行っていた事を伝えると、部長はかなり驚いていたようだった。




