まさかの出会い
はっ!と、思わず甲高い声を出してしまった。この静かな場所で、近づく足音にも気が付かなかったなんて。
「あっ、すみません。驚かせてしまって」
すかさず謝るその人物は若い男性で、赤いウインドブレーカーが腰に巻き付けられている。
まさか……。
「いえ、こちらこそすみません。あ、あの……もしかして、SHUNさんですか?」
勢いで言ってしまっていた。赤いウインドブレーカーだからといって本人だと言う確証などないと、頭では理解していながらも。
目の前に立つその男性は、私の言葉を聞いて明らかに驚いたようだった。
「……はい、そうです。シュンです。僕の事を知ってるんですか?」
やっぱり、本人だった。この人が……!
「動画、見てます。まさかここで会えるなんて」
何だかファンのような言い方になってしまった、と思った。
「そうでしたか、嬉しいです。でもなんで僕がSHUNだってわかったんですか?顔出しとかしてないのに」
もっともだ。直接会って本人だとわかるパターンなんて、自身が動画に出演しているか、何か明確なヒントになるものがない限りはないだろう。
私がSHUNさんを認識した経緯を説明した。
強風の岩水海岸公園ですぐ近くで撮影をしていた事や、私の声が動画に収録されてしまっていた事、その後も係留地でニアミスしていた事、赤いウインドブレーカーが強く印象に残っていた事など。
緊張と、空腹で頭が回らないのとで、うまくまとめられないままにたどたどしく話した。時系列でもなく、内容はめちゃくちゃだったと思う。自分の説明の下手さ加減に幻滅したけれど、彼は理解してくれたようだった。
「そうだったんですね、迷惑かけちゃってすみません。動画に声が入っちゃってたのは僕も気づきませんでした」
「い、いえ。どうせ風の音の方が大きいし……私自身だから気づけた事だと思うので」
赤いウインドブレーカーは主に悪天候の日に着ていて、普段は別のジャンパーを着ているらしい。今日は遠出だから念の為にこっちを持ってきている、との事だった。
SHUNさんは私の隣に立ち、飛行船を見つめた。
「僕は飛行船が大好きで、3年前から追っかけを始めたんです。って言っても北海道内だけですけど」
「追っかけ……」
好きな芸能人とか、歌手とかに使う言葉のイメージ。
「僕も札幌に住んでるので、毎年春になれば飛行船が見られるんで。週末は追っかけ三昧です」
少年のようにエヘヘと笑いながら飛行船を見る目が、とても優しいと感じた。心底、飛行船が好きなのだと言う気持ちが伝わる。
私だけじゃなかったんだ、そう思っているの……。
私は彼に聞いてみる事にした。
「あの、ここの場所って何なんですか。このくらいの時期に毎年飛行船が黒汐町に来る、って聞いて来たんですけど」
SHUNさんは、予想外の質問、とでも言いたげな表情をする。だがすぐに元の笑顔を見せた。
「ここは、飛行船の整備や点検をする為の場所なんですよ。耐空検査って言って、車で言う車検みたいな感じです。毎年飛行船はこの時期に、耐空検査のために黒汐町に滞在するんですよ」
彼の指差す先には、先ほど見た深緑色の大きな建物。
「あれがそのための格納庫です。あのもっと奥の方には滑走路もあるんですよ」
バラバラになっていたパズルのピースが、ひとつひとつはまっていくような感覚。飛行船がいる事を確認出来ただけでも十分だけれど、ここまで謎が解けるとは。彼に会う事が出来て良かったと思った。
その時、敷地の入り口からスカイブルーのポロシャツを着た男性が歩いて来るのが見えた。スタッフさんが戻ってきたようだ。よく見るとその人は、岩水海岸公園で私に声をかけてくれた橋立さんだった。
私達の存在に気がつくと、彼は小走りでこちらへ近づいてきた。
「こんにちは。どうぞゆっくりご覧になって下さい」
橋立さんは、明らかに私だけに言っているように見えた。ぎこちなく微笑んで会釈を返す。
「橋立さん、これ。コンビニ行ったついでですけど」
SHUNさんはウインドブレーカーのポケットから小さな缶コーヒーを取り出した。いやぁ、いつもどうも! と橋立さんは嬉しそうにそれを受け取る。
名前を呼ぶほど、差し入れをするほどスタッフさんと仲が良いなんて……。
「札幌から見に来てくれたそうですよ」
SHUNさんはそう言って、橋立さんに私を紹介する。思わずドキッとしてしまい、頬が熱くなるのを感じた。
「札幌から! 遠い所をどうもありがとうございます」
橋立さんは私を覚えていないようだった。毎日たくさんの見学客の対応をしているのだから、それもそのはずだ。
あの強風の係留地で一度、この3人が既に出会っている事を知っていたのは、私だけだ。
SHUNさんと橋立さんは随分と仲が良さそうだった。2人は飛行船を眺めながら、何かを話し込み始めた。例の耐空検査というものの事を話している様子だったが、私にはよくわからない。よくわからないけれど、嬉しいという気持ちが湧き上がる。自分が参加しているわけでもなく、それは他人の会話のはずなのに。誰かが飛行船について意識を向けているというだけで、何故こんなに嬉しいと感じてしまうのだろう。
このまま2人の話をずっと聞いていたいけれど、私は正直、お腹が空き過ぎてふらふらだった。一旦ちょっと抜けさせてもらおう、と思ったちょうどその時、
「よかったら、ゴンドラに乗ってみませんか? お2人で」
と、橋立さんが言った。
ゴンドラと言うのは、山上係長一家も乗せてもらっていた、あのコックピット部分の事だと想像出来た。なんてラッキーなんだろう!
けれど、声を出すより先に、お腹がぐぅ〜っと鳴ってしまった。2人共一瞬で目を丸くしたのがわかる。
「わっ、ごめんなさい。実は私お昼ご飯がまだで……あの、乗せてもらう前に、ちょっと時間をもらっても……」
「そうでしたか、全然大丈夫ですよ。まずはご飯食べてきて下さい」
顔から火を出しながら俯く私に、橋立さんは優しい笑顔で答えてくれた。風が強くならない限りはいつでも大丈夫、夜になってからでも乗れる、との事だ。
SHUNさんは、橋立さんの隣で声を殺して笑っている。そんなに笑わなくても……。
「もし嫌だったら、全然遠慮なく断ってくれていいんですけど」
と前置きして、SHUNさんは私を食事に誘ってくれた。




