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司祭様に懺悔を  作者: 沢山多部太
1/11

一、夢

不定期連載していきます。

良ければお読みいただけると幸いです。





 白い海の中にいた。

 自分以外の存在は何一つない。自分と海の境界線もない。


 そこは居心地がよかった。体にまとわりつくような白の感触は、心を温めてくれるし、口に入れるとホイップ・クリームのように甘い。自分だけの世界はいつだって味方だった。

 ここにいることは幸せに直結する。白い海は、一番簡単に手に入れられる幸せだった。自分以外何一つない世界には、不足感も不安感もない。そんなことを考えていると、つい先ほどまであった触覚や味覚さえなくなってきた。

 白い海と一つになるんだろう、そう思った。


 しかしそうはいかなかった。

 ズドン、と雷が近くに落ちた。するとすぐに、今までゆったりとしていた波が大きくなり、海流ができた。ハンドミキサーでかき混ぜられるように白い海は泡立ち、そこかしこに渦ができた。体だったものは波に弄ばれ、流されていく。

 人生というものは概ね自分の思う通りにはならないものだ。しかし、そう思うには些か幼かった。

 僕は大声で泣きながら、もがくように手足をばたつかせた。

 

 気が付くとそこは、変わり果てていた。白一面の海は、黒色に半分浸食され、綺麗なマーブル模様になっていた。

 白は変わらず、温かかった。しかし黒を見れば寒気がしたし、苦い味がした。どうしてこうなってしまったのか分からなかった。一つだけわかることは、黒い海は悪意に満ちているし、白い海よりもずっと鮮明だということだけだ。

 黒い海を遠ざけようと、手でかき分けた。それでも白と黒は混ざる気配もなく、細かく入り乱れた。

 それでも手を動かし続けた。

 不意に痛みを感じた。

 剃刀の刃が腕に刺さっていた。

 それは目にも、口の中にも。両刃の剃刀は、引き離そうとするその指にも傷をつけた。

 痛みに悶えている間に、白い海は消えていた。黒い海と刃だけがあった。

 傷ついた体からは黒い霧が漏れ出ていた。

 それは黒い海と混ざり、溶け込み、いつしか消えていく。




 「時間だよ! ひさぎ君! 時間だよ! ひさぎ君!」

 気が付くとベッドの上だった。腕を確認しても傷は無く、代わりにびっしょりと汗をかいている。

 嫌な夢を見ていた。五感全てがリアルで、今でも最初から最後まで思い出せる夢。決していい夢ではなかったが、心は妙に落ち着いていた。

 新しい環境にまだ慣れていないせいだろう、そう思うことにした。

 古ぼけた目覚まし時計は、六時二十分を示していた。この時計は小学生の時に、親にせがんで始めた通信教育の付録だ。アラームをセットしておくと、「セル太」の声で「時間だよ!ひさぎ君!」と伝えてくれる。今思うと自分の名前を呼んでくれるなんて、結構手の込んだ付録だ。当時はこれをもらうために毎月テストやテキストに勤しんでいた。いつしか、届いた日からやらなくなってしまったが。

 俺はすぐにスイッチを押して、甲高い声を黙らせた。


 シャワーを浴び、制服に袖をを通した。タオルを頭にかぶったまま、すぐにキッチンに向かう。

 朝食作りはもうすっかりルーチンとなっていた。

 まずフライパンに油を引き、コンロを点火する。そしてトースターへパンを入れる。フライパンが温まったのを確認し、卵とソーセージを焼く。焼きあがるまでに少々時間があるので、電気ケトルのスイッチを押し、皿を用意する。その皿に昨日千切りしておいたキャベツをのせた。

 あとは盛り付けるだけ、というところでリビングのドアが開いた。

 「おはよー。えー、今日もパンとウインナー?」

 声の主はキッチンをのぞき込むなり、愚痴を漏らした。

 「最近毎日それじゃーん。お姉ちゃんいい加減飽きちゃった。新生活なんだから新しい朝ごはんに挑戦しようよ」

 「じゃあ明日からごはん炊くわ。それと鮭焼いて、豆腐の味噌汁とか。そういうのにするか」

 うんうんと頷きながら彼女はにっこりと笑う。

 「卵焼きも追加で!」

 

 食卓にコーヒーとワンプレートを置くと同時に、彼女は椅子に座った。僕も同じように座る。

 「あのさ」

 「ん、どした?」

 トーストにマーガリンを塗りながら、目をこちらに向ける。

 「なんでもない」

 「そっか。はい、これ」

 彼女はマーガリンとバター・ナイフを手渡してきた。

 

 見た夢を話すことは、家では小さいころから義務付けられている。

 それは父が死んだ次の日から始まった。彼女はにやにやしたり、時に母のような微笑みながら俺の夢を聞いた。内容について質問をすることはあったが、感想や意見を言うことは一度もない。

 多分、フロイトやユングの真似事だったのだろう。三日坊主の彼女が提案したことだ、すぐに飽きるのだろうと思っていた。しかしいつしかそれは家の文化となり、個性となった。

 それでも、今朝見た夢を彼女には話さなかった。

 

 俺は食事を終えると、使った皿やマグ・カップを流し台に持っていった。

 スポンジに洗剤をたらし、一つ一つ磨く。この時間は、何もかもが無垢の存在に戻っていくようで気持ちがいい。

 「これもよろしくね」

 彼女は自分の使った食器をぞんざいな手つきで置いた。文句の一つでも言おうしたが、すぐに「行ってきます!」という声とともに、ドアがバタンと大きな音を立てた。

 

 ふう、と一つため息をつく。

 「学校、行くか」

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