4話 格安物件へお引っ越し
召喚歴史学の担当教諭であるベンジャミンが、話をしながら黒板に文章を綴る。
「召喚術の歴史は非常に古く。召喚が誕生したのは今より三千年も前とされている。術を創り出したのは高度な魔術社会を形成していたゾディアーク文明である。彼らは長い大戦を経たことにより壊滅的な滅亡を迎えた。その際、多くの優れた術が失われたのは君達も知っているだろう」
俺はペンを走らせつつ知識を掘り返す。
この失われた魔術はおよそ七割とも言われている。
その中には現代では想像も付かないような強力な魔術もあったそうだ。魔術だけじゃない。知識に技術にあらゆるものの多くが消えた。
そして、残ったのは遺跡と遺物のみ。
「我々が使用している召喚術も実はある意味では本物ではない。失われたものの中に召喚術も含まれていたのだ。先人達は手元に残っていた『使い魔召喚術』に高度な改良を施し『古代召喚術』の再現を試みた。では質問だ。召喚と使い魔召喚では一体何が違う」
「より戦闘向きの強力な存在を喚び出せる点では」
「正解だ。この二つに明確な違いなどない。召喚獣も使い魔も同じものだ。先史文明では魔力の多い者と少ない者に合わせて二種類の術が存在していたそうだ。だが、この二つには驚くほど性能の差があったとされている。儀式場も大がかりで――」
チャイムが鳴ってベンジャミンは不満そうに片眉を僅かに上げた。
本日も目的の範囲を終わらせられなかったからだろう。
彼は本を閉じると来週の授業について伝える。
「明後日は予定通りアルケア遺跡へと行く。道中は危険な獣も度々出没する。各々準備を怠らず召喚獣の体調にもしっかり気を配っておくように」
ベンジャミンは教室を出て行った。
影から顔を出したリーディアが不思議そうにしている。
彼女は俺の荷物を影の中へ入れると質問してきた。
「アルケア遺跡とは?」
「古代の召喚儀式場と言われている場所だ。冒険者達に取り尽くされていて恐らく探しても何も出てこないだろうな」
「取り尽くされる前は何があったのでしょうか」
「遺物だよ。古代の優れた技術で造り出された品々だ」
遺物は裏でも表でも高額で取引されている。
歴史的価値もあるだろうが、最も注目すべきはその桁違いな性能だ。
強力な遺物は一度手に入れたら手放せなくなると語られるほどすさまじい力を発揮する。名家と呼ばれる家々も遺物を家宝として秘匿していると聞く。実際、俺がいたレインズ家にも家宝と称される遺物がいくつかあった。
遺物の一つでも見つけられれば、直面している経済的な問題も即解決するのだが。
さて、そろそろデロンの元へ行くか。
彼には頼み事をしているのだ。
「本当にいいのか。私が押し通せば寮にもいられると思うが」
「ここでかまいませんよ。静かで良さそうじゃないですか」
学院の裏庭にある小屋。
ここはかつて校務員が仮住まいをしていた場所だそうだ。
現在は人員が増えたことを理由に設備の整った建物へと移っている。
俺は寮を出てここで暮らそうと考えている。
理由は二つ。
学生寮は比較的安く部屋を提供しているが、金のない俺にはそれすらも払えない状況だった。そこでデロンに相談したところここを紹介されたのだ。なんとここは月1000デラーで貸して貰えるとか。
あまりの異常な安さに、何かあるのかと勘ぐってしまいそうなくらいだ。
だが、非常にありがたい。
もう一つは寮生からのクレームである。
召喚獣とはいえリーディアは女の子で美少女だ。やはり寮で暮らす年頃の男子には刺激が強すぎたようだ。勉強に集中できないと文句が寮長に多数寄せられ、どうにかできないかと解決を求められていた。
ここに移れば当面二つの問題で頭を悩ます必要はなくなる。
ただ、デロンは優遇したいのに優遇できないこの状態に不満を抱いているようだった。
「金に困っているのなら貸してやるぞ?」
「結構です。俺は金の貸し借りはしない主義なので。自力でどうにかして見せますよ。もちろん今回の恩は決して忘れません。借りは必ず返します」
「君は、ずいぶん変わったな」
「……そうですか?」
そんなに変わったとは思わないのだが。
しかし、あの日――初めての召喚儀式で無条件に人を信じるのをやめたってのはある。
人とは裏切る生き物だ。以前の俺はそれが分かっていなかった。
愛や友情など幻想。人は利益の獲得と自己満足で生きている。
だから俺もそうなろうとしているだけだ。
デロンは「何かあれば相談を」とこの場を離れた。
預かった鍵で施錠を解いて中へと入った。
大量の埃が舞い上がり長らく放置されていたのが見て取れる。
影から出てきたリーディアは、部屋の中をキョロキョロしてから眉をしかめた。
「ウィル様にふさわしい建物とは思えません」
「仕方ないさ。今は金がない。それに住めば都とも言うだろ。君も好きなだけ表に出られるんだ」
彼女は「そうかもしれませんね」と徐々に機嫌を直す。
モチベーションが上がったところで、彼女はエプロンを身につけ窓を全開にした。
それからむんっとヤル気充分。
「それでは掃除を開始します」
「手伝うよ」
二人で大掃除が始まった。
◇
日が沈む頃にはあらかた掃除も終わり、自室にも家具も運び終えていた。
夕食をテーブルに並べささやかだが新居での引っ越しを祝う。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「恐れ入ります」
食事を終えてまったりモード。
俺はソファに移動し寝転がる。
食器を片付ける彼女の背中へ声をかけた。
「あれから記憶の方はどうだ」
「いぜん戻る気配はいたしません。名前や戦闘技術に関しては覚えているのですが」
己が何者か分からないのはどのような感覚のだろうか。
やっぱり怖いと感じているのか。
ふと、疑問が湧いて質問する。
「君達、異形八獣はお互いに顔を知っているのか。同じように空から降ってきたのだから全くの無関係ではないんだよな?」
「名前と顔は出てきますが、どのような関係だったのかまでは。ですが、この胸に湧く感情にあえて名を付けるとするなら……戦友でしょうか」
戦友、か。少なくとも他の八獣と面識はあると。
かつて彼女に何が起きたのだろう。なぜ天から降ってくることに。
そんなことを考えつつ耳の奥がガサガサするので指を突っ込む。
小さなゴミでも入ったか?
「私で良ければ耳かきをいたしましょうか」
「頼む」
「ではここに!」
隣に座ったかと思えば、自身の太ももを叩く。
ま、まさか、伝説の膝枕耳かきだと!?
心の準備が!
戸惑っている間にリーディアは、まだかまだかとそわそわした様子で待っていた。
仕方なくその膝へ頭を乗せる。
なっ、なんて柔らかい!
これが噂に聞く膝枕なのか!?
顔に彼女のさらりとした髪が触れる。
「では……!」
「し、慎重にな」
あ、ああああああ、これは。
くふっ、あふぅ。
っつ!
主として恥ずかしい姿を見せられない。
なのに気持ちよすぎて蕩けてしまいそうだ。
時々彼女の吐息がかかって興奮する。
「ウィル様の耳の奥に触れられるなんて、至福に泣いてしまいそうです」
あ、うん。泣かずにしっかり目は開けておいてくれ。
「私、眠っている間の記憶はほとんどないのですが、たった一つだけ覚えていることがあるんです」
「それは?」
「貴方に会いたい、その気持ちだけがずっとありました」
誰を指しているのか俺には分からない。
恐らく彼女にも。
ただ、そいつが俺だったらいいなと思った。






