30話 飼育場見学
俺の朝は遅い。
夜遅くまで本を読みふけっているからだ。
着替えを終えると一階へ下り、桶の水で歯を磨いた後に顔を洗う。
タオルで顔を拭いている間にリーディアがテーブルに朝食を並べてくれる。お決まりの流れである。
足下へ手を伸ばせば影からロロアの手が伸びて新聞を渡してくれる。
朝食はいつもと変わらないパンとベーコンと目玉焼き、それからスープ。
別に命令したわけじゃないのに彼女は、気を利かせて毎朝きちんと用意してくれている。
時々思うのだ。もはや俺は彼女なしの生活を送れないのではと。
隣の席に座ったリーディアも食事を始める。
「今日もちゃんと来ていたか?」
「ええ、水やりを終えたあとロロアにしごかれていました」
ダットの奴、意外に根性あるな。
あんな外見だからすぐに音を上げると思ってたのに。
しかも朝練も自分からロロアに頼んだそうだ。現時点でどの程度成長しているのかは不明だが、ダットなので予想を超えてくるなんてことはないだろう。少しでも使える駒になってくれていることを願う。
「ところでウィル様。本日は魔物生態学の野外授業があるそうですよ?」
「そうだったな」
魔物生態学は異世界の生き物である魔物――すなわち召喚獣の生態を解明して行く分野だ。
とはいってもそれは研究者の仕事であり、俺達が行うのはすでに判明している事実を蓄積することである。
召喚術は召喚獣と意思疎通を図りいかに相性を高めるかに尽きる。召喚者と召喚獣は一心同体。己が腕が言うことを聞かないなど使役する以前の問題だ。
そこで必要となるのが『どのような生き物なのか』を知ることである。
「召喚獣が普段何処で何をしているのか君は知らないだろ」
「そういえばそうですね。私達と違って他の召喚獣は影で待機ができませんし」
「今日の授業はきっと楽しいと思うよ」
リーディアは不思議そうに首を傾げる。
◇
イゼリア学院の敷地の一角には、召喚科専用の飼育場が存在している。
そこでは一年生から三年生までの召喚獣が飼育管理され、専門の飼育員が日夜奮闘している。
「我々が山頂や深海で生きられないように召喚獣にも適した環境が存在する。この飼育場では彼らに負荷を掛けないよう、日々生息環境を再現しようと努めているのだ」
魔物生態学の教諭が飼育小屋へと案内する。
そこでは牛系や馬系の召喚獣が並んで草を食んでいた。
その中で人型のミノタウロスが混じって食事をしていたのには笑ったが。
「ミノタウロスは大食らいの雑食性。ここで草を食べたあとは肉食獣のいる場所でも食事をしている。ミノタウロスは外見と異なり寂しがり屋だ。今でこそ受け入れられているが、ここへ来た当初は周囲にずいぶんストレスを与えていた」
草食の魔物にとって雑食や肉食の魔物の存在はストレスになりやすい。
特に人型は危険な種が多いことから本能で避けようとする。
召喚者の命令により飼育場内での闘争は禁じられているものの、人よりも知能が劣る魔物にそれが理解できるはずもなく、たとえ理解していてもやはり怖いものは怖い。それだけに多頭飼いを目指す召喚者にとって、恐怖を克服させる飼育員の技術は喉から手が出るほど欲しいものの一つだ。
ジフが挙手をする。
「アンダーソン君、なにかね」
「飼育員さんはやっぱり召喚士なんですか?」
「ここで務める魔物育成師の大半は召喚士ではあるが、外ではそうじゃない者も多い。君達の中には彼らに管理をしてもらっている者もいるとは思うが、決して見下し蔑むような真似はしないことだ。召喚獣の生死は彼らが握っていると重々頭に入れ尊敬の念を持って接するように」
クラスの大半は先生の言葉に納得したようだった。
無反応なのはヘイオスとエリーゼ、それから二人を持ち上げる取り巻き達だ。
エリーゼは獣の臭いが耐えられないのかハンカチで鼻を押さえていた。
「自由行動を許可する。指定した時間にここへ戻ってくるように」
俺達はまずは灼熱エリアへと行くことにする。
灼熱エリアには火山地帯などに好んで生息する高温を好む獣がいるそうだ。ジフのクリムゾンウルフもそこにいるとか。
ドーム状の建物に入ると強烈な熱が身を炙る。
腐った卵のような臭いが充満し、白濁した池はぼこぼこ泡立っている。
高温の池の中を気持ちよさそうにレッドドラゴンが泳いでおり、近くの岩場では二頭のクリムゾンウルフが寝そべっている。
恐らく片方は二年生の召喚獣だ。もう一頭はジフの。
クリムゾンウルフはジフに気が付き尻尾を振って駆け寄ってくる。
「会いに来てやったぞ」
「グルゥゥウ!」
ジフの顔をベロベロなめまくっている。
狼や犬系には憧れるな。
俺もわしわししながら可愛がりたかったよ。
ちらっとリーディアを確認する。
いや、今でもできなくはない。
いやらしい気持ちになるのは避けられないだろうが。
しかし、ここは熱いな。長居のできない環境だ。
「あれ、ここにはフェニックスいないんだ」
「たぶん鳥型が飼育されるエリアにいるんじゃないのか」
「そっか天上が低いもんね」
レイミーの疑問に答えながらドームの外に出る。
鳥型は飼育場の奥にある塔を生活の場にしているそうだ。
放し飼い状態なのでここでは至る所に鳥型の召喚獣がいて間近で観察できる。人なつっこい個体は肩に乗ってきたりしてレイミーとリーディアがはしゃいでいた。
水棲の魔物が暮らす水場エリアへと到着。
大きな池では数体のマーメイドがいてジフが鼻の下を伸ばす。
「マーメイドってみんな美人だよな」
「グルゥ?」
ジフの隣でクリムゾンウルフが首を傾げる。
池にはマーメイドだけでなく精霊やケルピーにサハギンなども生活をしているようだ。俺達を歓迎するようにマーメイドが水面からジャンプして見せた。
「ここが飼育場で最も美しいと呼ばれている植物園だ」
「さっそく中へ入りましょう!」
ガラス張りでできたドーム状の建物。
外からでも濃緑の葉っぱと鮮やかな花が見て取れた。
ワクワクを隠しきれないリーディアがレイミーと一緒に園内へ。
この植物園にはマーカスが使役しているドリアードなどが生活している。
他にも小型から中型サイズの昆虫系の魔物も飼育されていて、うっかり餌になってしまいそうな小型の水棲の魔物などもここで管理されている。
歩きキノコ、トレント、人食花、スライム等。
植物系の魔物は文字通り華があるので見ていて楽しい。
「こっちに来るのじゃ」
「ロロア?」
茂みから黒猫のロロアが顔を出す。
俺達は言われるままに茂みに身を隠す。
しばらくしてヘイオスが男性を連れてやってきた。
「この辺りでいいだろう。使者を寄越したのなら僕の提案を受ける気になったってことかな?」
「利害は一致しております。当主は協力してもよいとご意志を示されました。ただし、条件がございます」
「なんだ」
「成否にかかわらずこちらの名前は出さないでいただきたい。なにぶん外聞がよろしくない。責任は全てヘイオス様にとっていただきます。よろしいでしょうか」
ヘイオスと会話する男。
声から察するに老年にさしかかった人物のようだ。
フードを深くかぶり顔は見えないが心地のいい落ち着いた声色。言葉の端々に品の良さが出ていて平民でないことは明らかだ。
それにしてもこの声、どこかで……。
「もちろんだとも。正義の名の下に奴の横暴を必ず止める」
「さすがはハロルド様のご子息。崇高な精神に感服いたしました。それでは以後は手紙にて。くれぐれも気取られぬようお願いいたします」
謎の人物は来た道を戻って行く。
ヘイオスも遅れてここの場を去って行った。
俺は茂みから出るとしばし考えを巡らせた。
去り際に確認した顔、間違いなくレインズ家の執事だ。
執事とヘイオスの話題なんて俺しかない。
そろそろ動き出すとは思っていたが、まさか手を組むとはな。
「ロロア」
「手紙じゃろ。承知しておる」
黒猫はにゃおんと笑った。