17話 デロンの苦慮
その日の放課後、デロンはヘイオスの学生寮へと訪れた。
学院には二種類の学生寮が備えられている。一つは平民向けの格安寮、もう一つは貴族向けの豪華な寮である。
一般寮と違い貴族寮には様々な特典が付いてくる。
その一つが専用トレーニングルームである。
魔術師にとってフィジカルも重要な要素の一つだ。鋼の精神は強い肉体に宿る、魔術を操る者にとっても決して馬鹿にできない言葉である。
「ふぅ、ふぅ、よくもバイツ家の僕に恥をかかせてくれたな!」
ヘイオスは六十キロのベンチプレスを上げながら怒りを吐き出す。
バーを台座に置くと、近くに置いていたタオルを掴みしたたり落ちる汗を拭った。
沈黙を保ったまま様子を見ていたデロンが言葉を発する。
「なぜ授業に来ない。休めばその分遅れるのだぞ」
「先生、僕が負けた理由はなんですか。その答えが出ないと授業に身が入らない気がするのです」
デロンは重症だなと嘆息した。
ウィルほどではないが彼も立派な宝石の原石、成長次第ではこの国の柱となれる素質を秘めている。
加え彼は名家バイツ家の跡取りであり、現当主自ら『息子をよろしく頼む』と念を押されている。中途半端な指導はできない。
「すでに答えは出ているのではないか」
「やはり僕自身の実力不足……」
召喚士の理想は『第六階位』を使役する専門魔術師である。
だがしかし、専門魔術師になれるほどの才があれば召喚士などにはならない。
なぜなら召喚獣ができることを単身でやれてしまうからだ。専門魔術師は非常に奥が深い、召喚術などに時間を割くより魔術師の深奥を目指したい、これが大多数の魔術師が召喚士を職としない理由である。
ランニングマシンで走り続けるエリーゼが会話に入る。
「それについては努力が足りなかったと認めますわ。ゴミ相手にあのような失態。お母様からお叱りを受けてしまいました」
「僕もさ。父上に叱責されたよ。来月は必ず一位になる。どうせウィルは召喚将にはなれないだろう。なにせあいつが使役するのは第二階位のドッペルゲンガーだ。勝ち目なんてあるはずない」
「その通りですわ。ですが、召喚もできないゴミがこのまま調子づくのも不愉快ですの。デロン先生、貴方バイツ家に弟子入りしたことがありますわよね?」
デロン・オーゼットはかつてバイツ家当主のもとで修行を積んでいたことがあった。
現当主には恩がある、そのことからデロンにはヘイオスを立派な召喚士として卒業させなければならない立場を越えた責任があった。
エリーゼはその関係をウィル潰しに利用しようとしていた。
「実は魔工科に知り合いがおりまして、魔術阻害の魔道具を譲っていただきましたの。デロン先生にはぜひ協力していただきたいですわ」
「召喚将戦であいつがどう戦うのか楽しみだ。魔術が使えないまま召喚獣は敗北、きっと無様な姿をさらしてくれる」
ヘイオスとエリーゼが盛り上がっている間に、デロンは窓の外に黒猫がいるのに気が付いた。
彼は猫へ小さく頷く。
すると黒猫はにんまりして去った。
◇◇◇
「お風呂が欲しいのじゃ!」
「あ、そう」
リビングでリーディアとのほほんとしていると、ロロアが影から飛び出してそんなことをのたまった。
水浴びで充分と思っている口なのであまりそそられない。
そもそも貴族でもないのに贅沢だ。いちいち大量に湯を作らないといけないし面倒この上ない。
「私は賛成です。こう言ってはなんですが、ウィル様は少し臭います」
「え、そうなの?」
「一族から追放され身ぎれいにする必要性がなくなったことは存じておりますが、最近は少々気を抜きすぎではないでしょうか。私もお手伝いいたしますので是非お風呂を」
自身の臭いを嗅いでみるが、特に臭いって感じはしない。
しかし、以前は石鹸を使って綺麗にしていただけに今の俺は思ってるより臭うのかもな。
でもさぁ、お風呂を作るって簡単に言うけどそもそもスペースがない。
テーブルにあるクッキーを食べるか悩んでいるリーディアへ『好きなだけお食べ』と和みつつ器を押す。よほど嬉しかったのか彼女はぱぁぁと表情を明るくした。
甘味を買えるくらいには生活に余裕ができた。
今の俺はケチではないのだ。
「聞いておるのか! 風呂じゃ、風呂を作るぞ!」
「はいはい。それで、どうやって?」
「主は儂の力を舐めておるな。確かにリーディアと正面きってやれば負けてしまうが、儂にはこの知識と魔力がある。腰を抜かしても知らんぞ!」
あー、はいはい。
最近分かってきたが、ロロアは年寄り臭い口調の割に好奇心旺盛で落ち着きがなく子供っぽい。魔術師のくせに行動派だ。反対にリーディアは凜としていて頼れる剣士っぽいけど年寄りじみてて人目がないとのほほんとしている。
今も甘味の後のお茶にほわほわ花が飛んでるしな。
「――あのさ、風呂を作るんじゃなかったのか」
「何事も順序があるのじゃ。いきなりできるわけないだろ。主はどうにも短絡的でいかんな。のぉリーディアよ」
「ウィル様を侮辱しているなら殺しますよ?」
「ひぇ、目が本気じゃ」
三人でぺたぺたと泥を塊に擦り付ける。
それは円柱形の何かだ。素材はほぼ泥でできていて、触手のような四本の腕らしきものが備わっている。
思い至るのはゴーレムだろうか。
しかしながらゴーレムは人型がオーソドックスであり、人の形から離れるほどにその扱いは飛躍的に難しくなる。ましてやそれを複数操作するとなると、現代魔術ではどう考えても扱いきれない。
俺達は十体の泥の塊を完成させる。
「ひとまず完成したが、どうするんだ」
「みておれ」
ロロアは俺の知らない呪文を唱え魔術を発動させる。
泥の塊の足下に複雑で全く理解できない陣が浮かび上がった。
うにょにょ。十体のゴーレムが一斉に動き出す。
円筒形に四本の触手が生え、足はナメクジのように地面を這う。
大きな一つ目がぎょろりとこちらを確認した。
気持ち悪い。こんなのをゴーレムと呼びたくない。
「かつて魔術師共が操っていたゴーレムを参考に、儂がより高性能に仕上げた『暗黒ゴーレムちゃん1~10号』じゃ。防衛から建築に抱き枕となんでもありありの万能ハイスペックゴーレムであーる」
「もしかして自立型なのか?」
「無論。命令を下せば勝手に風呂を作ってくれるのじゃ」
すげぇ、見た目はきめぇが性能はとんでもない。
暗黒ゴーレムちゃんズは家の裏へ回り、邪魔な木を軽々と引き抜き整地して行く。それから土に水を加えこねこねこね始め、ブロック状に整形すると魔術らしき付与を行った。
ブロックを掴むと、ただの泥がレンガ並みに固く頑丈になっている。
ゴーレムが魔術を使用したことも驚きだが、使用した魔術も俺の学んだ知識にまったくない未知の術だった。
「ロロア、やはりできる子ですね」
「ぬはははは、明日には風呂に入れるぞ」
あいつも異常だ。異端と表現するべきか。
リーディアもそうだが、ロロアも力の底が見えない。もしかすると異形八獣とはただ単に姿が普通の召喚獣と違っているだけでなく、その知識や技術の異端さを含んだ名称なのかもしれないな。
「ところでロロア。君は以前の記憶はあるのか。その、目覚める前の」
「……残念じゃが儂もリーディア同様に記憶が失われておる。八獣の中では比較的早く覚醒したのじゃが、落ちてくる以前の記憶はさっぱりじゃ」
「やっぱり君達は空から落ちてきたのか」
「らしいの。ただ、これは普通ではない。意図を感じるのじゃ」
意図?
記憶喪失は突発的なアクシデントではなく?
ロロアは指で自身の頭をコツコツ叩く。
「誰かが記憶にロックをかけた可能性が高い。もしかしたら儂ら自身かもしれん」
「思い出すとまずいなにかがあるのか。その記憶に?」
「かもしれん。そして、ロックを解く鍵は、恐らくリーディアじゃ」
「私ですか?」
俺とロロアは彼女を見つめる。
「今まで異形八獣が全員揃うことはなかった。理由はリーディアが覚醒していなかったからじゃ。だが、今回は違う。揃う可能性がある。そして、それが果たされた先に失われた記憶もあるやもしれん」
空から落ちてきた異形の召喚獣。
俺は何も知らないのだと改めて自覚する。