無垢信奉の死霊術師
物心ついた頃に初めて認識したもの。それは私と同じような境遇にある子供達だった。汚泥に塗れ、人の光が生み出す闇の中で這いずり回る子供たち。私はそんな彼らの中に居た。
私には親がいない。もちろん実際に私を孕んだ女と孕ませた男はいるのだろう。だが、それは単純に私の肉体がそれらの遺伝子からできているというだけのこと。顔すら知らない彼らは私の親では無い。
私や他の子供達が生きた場所。それは親に捨てられ、かと言って孤児院などからも受け入れられることが無かった、不幸な子供たちの最終投棄場。……都市の中のスラム街、それの最底辺だ。
泥水を啜って、都市の闇を這い回って、生きるために出来ることはなんでもやった。当然非合法な行いにも手を染めた。……と言っても体格に恵まれない幼女にできることなんて、盗みの手引きくらいしか無かったけど。
ああ、いや。1つだけやってない事があったっけ。……売春。正直、肉付きが悪く抱き心地も悪い幼い身体になんて、大した値段はつかないと思うけど。それでも多少なりとも金にはなったはずだ。けれど、その選択は何故だかしてはいけないという直感が働いた。
結果としてはその判断は正しかった。だってゲオルグ様に喜んで貰えたから。
そう、ゲオルグ様。彼こそ私の人生を変えてくれた大恩人。私にとってかけがえのない大切なお人。
あの人との出会いは今でも鮮明に思い出せる。私がだいたい10歳くらいだった時の事だ。
何の前触れも無く、私達が住む廃墟にやってきたゲオルグ様。彼は何人かの部下と共にやってきて、私達に紫色の宝珠を握らせた。
ゲオルグ様の素晴らしさを理解していなかった当時の私達は愚かしくも抵抗したが、屈強な男達に取り押さえられ、1人1人宝珠を握らされた。
……ああ、今でもあの時のゲオルグ様のお顔を思い出すと身体が歓喜に震える。宝珠が私の手に乗せられた瞬間のお顔。凄まじいまでの悦びに満ち溢れていた。
宝珠が私の手に載せられた時、明らかに宝珠の様子が変貌した。宝珠から放たれたのは禍々しく妖しい光。後から聞いた話では、アレは死霊術師の素養を持つ人間を探し当てることが出来るアイテムだったらしい。何でそんなものを持っていたのか、何で死霊術師の素養を持つ人間を探していたのか。それらは聞かなかったけど。
兎に角、私はその瞬間からゲオルグ様お抱えの死霊術師となった。勿論、死霊術師となったのはそれから数年が経った後の事だけど。
術師としての勉強は難しく、勉強漬けの毎日は辛くもあった。けれど、生活の水準はそれまでのものより遥かに向上していた。それに何より私が勉強を頑張っているとゲオルグ様は笑って褒めてくれた。
それがどうしようもなく嬉しくて、身分不相応だと分かっていても、ゲオルグ様に恋をしてしまった。そんな自分に気持ちに気づいたのもその頃だった。
私がニアになったのもそんな頃だった。ゲオルグ様がくれた大切なお名前。名前が無いと何かと不便だろうと、つけてくれたお名前。一生、この人について行こうと、そう思えた。
そして私が15歳くらいになった時、私はゲオルグ様に処女を捧げた。私は初めてだったから何も分からなくて、ゲオルグ様を喜ばせることはできなかったと思うけど。それでも、ゲオルグ様と繋がれたということは、当時の私にとってとてつもなく大きな事だった。
そしてその数日後、私は人であることをやめた。これから先、どのような苦難が待ち受けていようとも、ゲオルグ様の為と思えばその判断は容易に下せた。
そこからはゲオルグ様の戦力として扱われることが増えた気がする。戦場に赴き、敵対戦力を潰し、殺した人間を元手としてさらに戦力を増やした。人を殺すことへの忌避感は当然あった。けれど、ゲオルグ様が褒めてくれるから、ゲオルグ様のためになるから。そう考えて、殺し続けた。何人も、何十人も、殺し続けた。
また、初夜以来私が彼の寝室に呼ばれることはほとんど無かった。……いや、特定の期間だけ集中して抱かれたんだっけか。2回ほどあった10ヶ月程の期間。ゲオルグ様はその時だけ私を抱いてくれた。寂しい気持ちもあったけど、私はあくまでゲオルグ様の部下。その意識が、私の欲を抑え込んでいた。
そう、私の人生はゲオルグ様のもの。彼のためなら死ねるし、彼のためなら何でも出来る。そう、思っていた。
……はずだった。
ある日唐突に起こったアンデッドの大量発生。
当然、私はゲオルグ様から平定を命じられるものだとばかり思っていた。
けれど実際に与えられた命令は待機。それも、リーチャどころかテニカから離れての待機命令だった。私はゲオルグ様の命令を伝えてきた部下の人に、何回も、何回も聞き返した。けれど答えはずっと同じだった。私の心にゲオルグ様に対しての疑念が宿ったのは、その時が初めてだった。
渋々リーチャを離れて、半月ほどが経った。心の中でゲオルグ様に対しての疑念を燻らせては、自己嫌悪に陥る。そんな毎日を繰り返していた時の事だった。
自称勇者の変な人との出会いは。
仲間も含めて本当に変な人だった。初対面のくせに馴れ馴れしいし、なんか無表情のくせに言葉だけは感情豊かだし、綺麗な女の人ばっかり連れてるし。
けれど、彼と話してると何故か心が少し安らいだ。
そして何やかんやあって私は今ゲオルグ様の御屋敷まで戻ってきた。人生で初めての命令違反。足が震えて、胃の中身をそこらに吐き出しそうな気分だ。
でももう引き返せない。
この胸の内にある疑念を晴らすまでは。
大丈夫。きっとゲオルグ様と会って話せば昔みたいにゲオルグ様を信じられる。
「Kyullll……」
「ククルカン……ん、大丈夫ですよ。ちょっと、昔のことを考えてただけです」
擦り寄ってくるククルカンを撫でる。ククルカンとも長い付き合いだ。死霊術を覚えた頃に創り出し、そこから何回も強化を重ねた私の唯一無二の最高傑作。
「……よし、行きましょうか」
ククルカンのサイズを最小に縮め、ローブの下に隠し、ゲオルグ様の屋敷へと踏み込む。街の荒れ具合からは想像できないほどに、屋敷の中は綺麗なままだった。ただ、人の気配が感じられない。感じられる生者の気配は1つ。位置からしてゲオルグ様のもので間違いないと思う。
「Kyuluu……!! 」
「ククルカン……? どうしたの? 」
「Kyu,ki……」
「…………え? 」
生者ならざる者の気配……?
「ゲオルグ様っ……! 」
震える身体に鞭を打ち、階段を駆け上る。……くぅ、もっと普段から運動しておけばよかった! ゲオルグ様のお部屋までの距離がキツイ!
フラフラになりながら、ゲオルグ様のお部屋の前にたどり着く。……うん、確かに感じる。生者の気配と、そうじゃない気配が2つ。
対応する暇なんて与えない、一気に攻め込む……!
「ゲオルグ様っ!! …………………………ぇ? 」
扉を開け、部屋に飛び込んだ私の目に映ったもの。
それは、知らない少年と少女と絡み合うゲオルグ様の姿。
「……え、誰? お兄ちゃん、知ってる? 」
「さぁ……ゲオルグ様、お知り合いの方ですか? 」
少年と少女……人ならざるものの気配を漂わせる2人がこちらを警戒しながら、ゲオルグ様に声をかける。
「げ……ゲオルグ、さま……? わ、私の事……」
覚えていますよね。そんな問いが私の口から発せられる事は、終になかった。
「さぁ……こんな汚い女、知らないな」
私の中で、何かが、砕けちった。