死神は淑女に告げる
「死は、全てに平等」
月に照らされベランダに降り立った死神は、静かに一人の女性に告げた。頬を撫でる風が、肌寒く感じ始める季節のことだ。
「其方の寿命はあと100日」
死神は静粛に告げた。女性の顔は、傍目にもわかるくらい色が悪かった。なにかしらの病に憑かれているのが見て取れる。
「思い残すことがなく、死を迎えられるよう、残りの余生を過ごすように」
黒い外套をはためかせて、死神は暗闇に溶けた。初めから何も居なかったように、そこには何の痕跡も残っていない。ただ淑女の中に、その言葉と幻影だけを残して消えた。
◇
「アメリア女王陛下、ご加減がよろしくないのですか?」
いつの間にか、ぼうっとしていたらしい。アメリアの公務の補佐をしてくれているウィリアムが、心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫よ。今、私が倒れる訳にはいかないのだから」
「しかし、最近の仕事量は異常です。いくら政権を革命政府に渡す期限が迫っているとはいえ、陛下が体調を崩さっては元も子もありません」
その忠言が、的を射ており、何よりアメリアのことを慮ったものなのはわかっている。
しかし、アメリアには時間がなかった。死神の宣告を受けてから数日、体はゆっくりと確実に動かなくなっている。国のため、今アメリアがこの仕事を投げ出すことは決して許されない。
申し訳なく思いながらも、忠言を遠ざける。
「民のため、できるだけ早い政権の譲渡をしたいのよ。当然のことだけど、私以外にその権利を持つ人物はいないのだから。私がしなければならないわ。・・・・・・ほら、次の仕事は?」
ウィリアムは困ったようにアメリアを見てから、机の上に高く積まれている書類の束の一つを手に取った。
「こちらです」
なにより、ウィリアムのように未だに王家への敬意を払ってくれる人々のためにも、後腐れない最後を届けなければ。
よしっ、と自分自身に喝を入れ、目の前にそびえる仕事に手を伸ばす。
気合いを入れるアメリアの傍らで、ウィリアムは書類を渡しながら言った。
「陛下は、陛下自身が思われているよりもずっと国民に愛されています。そのことを、お忘れにならないでください」
それになんと応えたのか、アメリアは憶えていない。
◇
ベッドに腰掛けているアメリアは、あの日と同じように現れた死神に問いかける。
「死神さん。あなたはなぜ、私を訪ねるの?」
開けられたベランダの扉。侵入してくる冷気。月光を背後に黒いシルエットは、鷹揚に音を紡ぐ。
「我は英雄の臨終にも、貧民の臨終にも立ち会ったことがある。辿る道は違えど、全ての生命の終着点は同じである」
「答えになっていないと思うのだけれど」
「ハッハッハ。我も答えようとは思っておらぬ。ただ、我はこの国に生まれた。だから、この国の最後の君主を見届けようと思ったのだ」
「死神さんは、人間だったの?」
「神は皆、元はただの人だったのだ。生前の行いを我らが絶対神が見て、神を選ぶ」
残念ながら、仮面に隠された表情は伺えない。しかし、声は愉しげに聞こえる。
あの日アメリアに死の宣告を言った死神は、時々こうして部屋に訪れる。そして短く言葉を交わして去っていく。今日もまたそうだ。
「其方の残りは僅かだ。悔いの残らぬようにな」
死神は陰に溶けた。私はベランダの扉を閉めるために立ち上がる。ベッドに再び戻った時には息が切れていた。
◇
「女王陛下、ご加減はいかがですか?」
「ありがとう、エドワード。貴方も忙しいのに」
「いえいえ。陛下がほぼ全ての雑事を片付けてくださったおかげで、むしろ暇なくらいですよ」
「大袈裟よ。それに、新政府の中心である貴方にそんなことを言われてしまったら、歴代の国王の立つ瀬がないわ」
昔と違い、敬語を話して正装を完璧に着こなし、堂々と振る舞う姿に感慨を覚える。
貧民街で燻っていた少年は、今では立派な指導者となっている。エドワードがいなければ、きっと革命は成功しなかっただろう。そんな彼が新政府のトップに立つのは、当然のことだ。
「やはり、陛下のご病気は?」
「ええ、血族の呪いよ」
「初代国王が今際の魔王から受けたという。治療法はないのですか?」
心配そうな表情が、幼き少年の顔と重なる。意図せず、笑いが漏れそうになるのを抑えた。
「ないわ。初代も、この呪いによって亡くなったそうよ。最近の王族には、呪いが出なかったから、自然消滅したと考えていたのだけどね」
「よりにもよって、なぜ陛下に・・・・・・」
暗く沈んだ面持ちとなるエドワードに、アメリアは昔使っていた愛称で呼びかける。
「エド、これでいいのよ。民主制となった時、元国王が残っていたら、争いの火種となるわ」
「しかしッ、陛下も革命の功労者です! 腐敗しきった王侯貴族の中で、陛下だけが国民を憂いて行動を起こしてくださった!」
「聡い貴方なら、わかっているはずよ。私の役割は王権を廃止し、人民に主権を返すこと。それ以上のことは、害悪にしかならないのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
取り繕った顔を崩し、悔しさと哀しみを滲ませた本来の顔が出てくる。成長しても、優しい性根は変わらないでいる。たがらこそ、アメリアは安心して国の未来を任せることができる。
「ジミーのことをお願いね」
「私で良いのですか? 陛下の弟君でしょう」
「これからは王族だからといって楽ができる世ではなくなる。まだ幼いあの子には、信頼できる後見者が必要なの。貴方以上の適任者はいないわ」
「しかと、承りました」
涙を堪えながら、エドワードは深々と頭を下げ、部屋を出て行く。街での偶然の出会いから、エドワードにとって唯一自分から頭を下げる相手は変わっていない。
誰もいない自室で、アメリアは一人息をつく。死神に告げられた命の期限まで、あと数日。最近はベッドから出るのも辛くなってきた。起きている時間より、寝ている時間の方が長くなっている。誰に言われずとも、自分の先が短いのはわかる。
引き継ぎのための仕事は終わり、あとは明日に控える公式行事で国民の前での政権譲渡の儀式を残すのみだ。頼むからそれまで、どうか身体が動いてくれ。
暖かいシーツにくるまりながら、ウトウトと微睡む。いつのまにか、日は陰り、白い月が顔を出していた。空は、鮮やかな赤色から深い藍色へとバトンタッチした。
今宵もまた、一人でにベランダへの扉が開く。外の新鮮で冷たい空気がアメリアに届いた。
「こんばんは」
暗闇から人型をしたものが現れる。初めて会った時と変わらず、重く静かな声が響いた。
「いらしたのですね。寝台から降りられないことを申し訳ありません」
「いやいや、構わぬ。我は死神だ。人の理には縛られぬ」
そう言うと、死神は初めてベランダから一歩踏み出した。枕元に立つ姿は、より近くなった分、その威厳がビリビリと肌に感じられる。
「其方の命は、もうすぐ燃え尽きる。やるべきことは終えたか?」
「まだ、です。でも、それも明日には終わります」
「そうか」
死神はアメリアを通して、何かを見ているようだ。
「死神さんには、私がどのように見えるのですか?」
「青白く燃える炎、だな。ゆらめいているが、其方の炎は随分としぶとく輝いておる」
「そう、ですか。私はーー」
コンコン。
ノックの音が、アメリアの言葉を遮る。扉の方を向くと、しっくりと聞き慣れた声がした。
「陛下、夜分遅くに度々申し訳ございません。エドワードです」
ドアに向けていた目を、傍らへと戻す。
「我のことは気にするな。死ぬことが決まっている者にしか、我は見えぬ」
「良かった。・・・・・・貴方は、いてくれるのですか?」
「其方が執着する者に興味があってな」
愉しげに笑う。
「入っていいわよ」
「失礼します」
エドワードは、アメリアが初めて見る人を連れて入ってくる。白髪混じりの髪で、初老ながらもキビキビとした足取りの男性だった。
「その人は?」
「お初にお目にかかります。私はアーロン・ギブソンといいます」
「ギブソン・・・・・・。初代の」
「はい。私の先祖は、初代国王陛下の仲間の戦士でした」
「貴方の先祖には悪いことをしたわ。貴方たちの功績は偉大だったのに、王家の怠慢と誤解によって名誉を奪ってしまった」
「謝罪はよしてください。確かに私の家は貴族位を剥奪されましたが、もともと貴族には向いていなかったのです」
ギブソンは、キッパリと言い切った。
「今日はどのような用件で来たのですか?」
「私が呼んだのです」
エドワードが言う。
「血族の呪いについて、ギブソン家には伝承があるそうです」
「つい数日前に、この国に戻りまして。陛下のご病気のことは今日知ったのです。それで居ても立っても居られなくなり、夜分遅くに失礼いたしました」
ギブソンの鋭い眼光は、戦士のものだった。それがアメリアを見つめていた。
「最初に申しますと、私は治療法は知りません。しかし、その魔王の呪いの発生理由は知っています」
「それは、なんなのですか」
アメリアは尋ねる。チラッとエドワードを覗き見ると、表には出さないようにしているが落胆の色があった。
「魔王は呪いをかけた後、こう言ったそうです
『貴様の血筋は続かない。英雄は現れない』
と」
ひと呼吸おいて、話を続ける。
「呪いは、初代国王の志を継ぐ君主に現れるのです。きっと魔王は、自分を倒した英雄が拓いた王国を滅ぼしたかったのでしょう」
「しかし、王家は志を失った。だから今まで王の血筋は続いた」
「ええ、その通りです、エドワード様。皮肉なことに」
苦々しい顔をするエドワードとギブソン。アメリアはなんとなく、死神の方を見た。死神は怖いくらい静かに、それを聞いていた。
「では、私は立派な王であれたのですね」
死神を見てから、アメリアは無意識に呟いていた。言ってから、不思議と自分の言葉に納得していた。自分が、国民に今でも慕われる英雄のようになれていたことに安心感が芽生える。
エドワードたちは、呟きにハッとしてから、アメリアを哀しそうに見た。エドワードは口を開きかけたが、言う事が思い浮かばず、口を閉じた。
「すみません。もう眠くなってしまいました。詳しいお話は、明日でもよいですか」
話を打ち切るために、アメリアは言う。二人は彼女に深く礼をしてから、部屋を出ていく。
月に雲がかかり、部屋は暗闇に包まれた。唯一灯された蝋燭だけが、光源だ。死神の姿は、闇に紛れて全く窺うことはできなかった。
「死神さん、あなたは」
「其方が考えている通りだ。だが、それももう過去のこと。我は、ただの死神なのだ」
雲が風に流され、再び月明かりが満ちる。仮面越しに、死神の目が見えた気がした。
「神は、人だった頃の生を捨てなければならない」
「でも、あなたは来た」
「其方は、我がまだ人間だった頃の、最後の子孫だ」
「最後?」
「絶対神はおっしゃった。我が子孫には運命がある、と。そして、それは其方で完結する」
死神は外套を翻し、ベランダのドアを開け放つ。
「我が次に其方を訪ねる時、それは其方の魂を天に届ける時だ」
◇
「ここに、議会の発足と、初代議事長の就任を宣言します」
国民の歓声が上がる。エドワードが民衆に手を振るのを、後ろに控えて眺める。
「陛下、ご加減はいかがですか」
「ウィリアム、もう陛下ではないわよ。それと私は大丈夫よ。貴方が支えてくれているから」
「失礼しました、アメリア様」
アメリアはウィリアムに支えられて、やっと立ち上がっていた。本当はただ椅子に座っているだけでもキツイのに、民に弱った姿は見せられないと、朝からキャパ以上に動いていた。ウィリアムが心配するのも当然である。
「もう行きましょうか。私は、この場所には必要ないわ」
エドワードに背を向け、アメリアは奥へと進もうとする。しかし、そんな彼女を止める人物がいた。
「アメリア」
「エド、どうして」
ウィリアムの反対側の腕を取り、アメリアを国民の前へと誘導する。すると、ひときわ大きな歓声が上がった。
「アメリア様、万歳!」
「ありがとうございました!!」
思いがけないことに、アメリアの両目に涙が浮かぶ。彼女を支える二人の目にも、同じものがある。
「言ったでしょう。アメリア様はご自身が思っている以上に、国民に慕われているのです」
「今まで、ありがとう。これからのことは私たちに任せて、ゆっくり休んで」
一度歓声を噛みしめるように俯き、そして顔を上げ叫んだ。
「ありがとう!」
式典は、数えられないほど多くの人々の笑顔でしめられた。
◇
晴れた夜空だった。満月と星がよく見える。
「アメリア」「アメリア様」「姉様」
「ふふっ、まだ、死神は来ていないわ」
アメリアの自室には、人が集まっていた。
あの式典の後、一気にアメリアの身体は動かなくなった。やるべきことを終え、今まで無理をしていた分がたたっていた。辛うじて意識は保っていたが、彼女の命の灯火が消えかかっているのは一目瞭然だ。
「ジミー、ちゃんと勉強して、夜寝る前は歯磨きして、エドワードたちの言う事をしっかり聞くのよ」
「もう、姉様。こんな時まで説教ですか」
ウィリアムに抱きかかえられたジミーが、今にも泣きだしそうに顔をくしゃくしゃにして、でも少し拗ねたように応える。
「後のことは、頼んだわよ」
「任せてください」
「アメリアが驚くくらい、凄い国にするから」
ベランダのドアがひとりでに開き、新鮮な夜風が部屋に侵入する。黒い影がアメリアのもとに、ゆっくりと近づいてくる。
『時間だ』
『あら、遅かったですね』
いつものように死神に答えた時、アメリアの体がふっと軽くなった。ジミーやエドワードたちの声が、何かで隔てられたように、くぐもって聞こえる。
『悔いはないか?』
『はい』
アメリアは死神が差し出した手をとり、歩き出す。最後に置いてきてしまった彼らを見る。決して、生きていたくなかった訳ではない。だが、アメリアは進まなければならない。
『いきましょう』
その日、一つの物語が結末を迎えた。
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでお願いします。ブックマークももらえると、とても嬉しいです。
よろしくお願いします。