2月27日 1日目 その1
『特殊被検体1号は偶然により発見された。
私の住む小さなコミュニティで、死亡者が出た。
19歳、老衰。
年齢はやや若いものの、それ自体は特に驚くべき事態ではない。
不幸は、発見が遅れた事だった。
死亡したまま放置されたその死体は、もはや人の形を留めていなかった。
人物同士のつながりが希薄な個々人が暮らすコミュニティのため、誰からも顧みられず死亡し、放置されてしまったらしい。
それを発見したのが、特殊被検体1号だった。
他者が気付かない死体の匂いを感知し、周囲に知らせた。
最初は誰も彼女の声に耳を傾けなかったが、繰り返しの主張についに調査が始まり、死体は見つかった。
私はその時から、特殊被検体1号――旧感覚者に注目し始めた。
『産屋』を設立してから2年目に、大きな事件が起こった。
U―2保育シップの異常。
それによる、新生児、乳幼児の大量死。
それを発見したのも特殊被検体1号だった。
誰もが気付かなかった内部の異常を「死人の匂いがする」と察知した。
ここにおいて、特殊被検体1号の旧感覚は通常よりもより協力な、旧人類に近いものであるとの認識を強くした。
U―2保育シップの死亡事故に責任を感じている特殊被検体1号に、償いとして実験への全面協力を依頼。
以後、受胎実験が進むことになる。
同時に、特殊被検体1号からレポートが提出された。
香りとそれに関する人体、妊婦の体調について。
香りの効果による悪阻の軽減などが記されていた。
しかし、旧感覚者ではない一般の人間にとってそれがどこまで有効なのか明確ではないため、企画は見送る。
特殊被検体1号には、その能力の研究活用よりも、ただ受胎実験への特殊被検体としての全面的な協力が必要。
むしろ、研究者としての立場は不用。
研究棟から生活棟への異動を命ずる。
その後、特殊被検体1号は仕事と研究を兼ね、庭に木を取り寄せ植え始めた。
――彼女なりの、贖罪のつもりだったのかもしれない。
決して、誰からも認められることはないが』
(NAGIレポートより)
※※※
『ラクトフェリン
免疫グロブリン
DHA
ビタミン……
――以上の事から、私の提案は新生児の免疫抗体に重要な役割を果たすと考えられます。
それは、たった今から1週間以内が勝負なのです。
だから、一刻も早く――』
(夢レポートより)
※※※
きゅっと、髪の毛をしっかり編み上げて後ろで結びました。
車椅子を断って、歩行補助具だけで歩いて行きます。
ダンジョンの裏側は、驚くほど整った通路が広がっていました。
まるで、普通の病院のようです。
そして、その先の扉――子宮の奥に。
小さな赤ちゃんが眠っていました。
凪さんに連れられて入ってきた私を見て、聖良さんは目を見開きました。
セーラーブルーの入院衣の隙間から、開腹手術の跡が見えます。
思った通り、聖良さんは赤ちゃんから隔離されていませんでした。
「どうして……」
何か言おうとする聖良さんを無視して、凪さんはそおっと赤ちゃんを抱き上げました。
「“天照”――照ちゃんよ。ずっと待って、やっと……やっと、産まれたの」
そして私を座らせクッションを膝に置くと、その上に照ちゃんを優しく乗せました。
私は胸を露わにすると――先端を、その小さい口に、含ませます。
「――う」
ぎゅうううううっ。
思いの外力強い吸引力に、思わず顔を顰めました。
「い、た、いたたたた……」
胸が、そして何故かお腹も痛いです。
それでも、我慢してそうっと照ちゃんを腕に包みこみました。
「何……してるの」
「授乳ですよ」
茫然と成り行きを見ていた聖良さんに、ほんの少し胸を張ってそう答えました。
「私、乳母に名乗り出たんです」
乳母。
うば、めのと。
光の君の夢を見た時に、その存在に思い至りました。
光の君にも、いたんです。
同じ時期に子供を産んだ女性が本当のお母さんに変わって乳をあげる、もう一人のお母さん。
お腹の中にいた存在がいなくなって。
胸が痛くて痛くて押えたら、黄色い液体が出てきました。
それは、初乳でした。
身体が、私は出産したんだと勘違いして用意してくれたのです。
産まれなかった、生きられなかった子供のために。
だったら、それを有効に活用しなくてはいけません。
それをレポートに書いて、一生懸命纏めて、凪さんに提案しました。
それを呼んだ凪さんは、すぐに動いてくれました。
こうして私は、受胎に次ぐ新たなやるべきことを見つけたのです。
痛いのを堪え、笑顔を作ります。
まだよく見えていない、そもそもこちらを見てもいない、赤ちゃんに向けて。
頼りない、温かい存在。
これは――聖良さんの子供。
聖良さんが守ろうとしていた、聖良さんの愛の一部。
そこに、私の愛が、母乳が注がれていくのです。
草木に注ぐ、水のように。
ひとつに、なっていくのです。




