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2月25日 8ヶ月 ――1日前 その2

 聖良さんはどんどん歩いて、研究棟に入りました。

 懐かしい、ダンジョンが目の前に広がります。

 そこに入って少し歩くと、院内専用の通話機がありました。

 聖良さんはそれを手に取ると、どこかに連絡しようとしています。

 ――ははあ、なるほど。

「コイツの命が惜しければ――」をやるつもりなのでしょうか。

 とすると、やっぱりこれは『誘拐』でしょうか。

 いまひとつ危機感のないまま、相手が出るのを待っている聖良さんを見ています。

 そして相手が出たのか、聖良さんは呼びかけました。

「所長」

 驚くべき事に、要求相手は所長……凪さんだったようです。

 たしかに、この『産屋』では一番偉い人。

 何かを求めるなら、順当な相手です。

 私はのんびりと、成り行きを見守っていました。

「――の身柄はこちらの手中にある。だから早く、――の妊娠状態を終了させなさい」

 ぼーっとしていたためノイズだらけで耳に入らなかった聖良さんの言葉の中に、不穏当な単語が混じっているのに気が付きました。

 妊娠状態の終了――ということは、どういうことなのでしょう。

 一瞬、頭にかかったヴェールが薄れクリアになりそうな思考に、慌てて更なる靄をかけます。

 駄目です、いけません。

 もしもクリアになってしまったら、今のほんのりとした幸せが全て消え去ってしまうような気がするのです。

 その後も聖良さんは少しお話をして、最後に。

「――いい加減頭を冷やして考えて! こちらは――人質が3人いるのよ!」

 そう言って、通信を終えました。

 3人?

 その場にいるのは、私とせーらさん。

 あと1人はどなたなのでしょう。

 きょろきょろと辺りを見回す私に、聖良さんは申し訳なさそうに告げました。

「……いきなり何の説明も無しに連れ出して、ごめんなさい。だけど、これはむーちゃんのためにも急いで決着をつけなければいけない問題で」

「構いませんよ。それより、行きましょうか」

 私は聖良さんの手を取りました。

「行く……って」

 面食らっている聖良さんに説明します。

「協力して欲しいとおっしゃいましたね。だから、ご協力させていただきます。まずは、通信場所から離れましょう! 追手から逃げられるように」

「いえ……そこまで積極的な協力は求めていなかったんだけど」

 困惑する聖良さんの手を、今度は私が引っ張ると歩き始めます。

 なんだか――なんだか不思議な事に、こんな状態なのに。

 楽しい、なんて思い始めてきたのです。

 真夜中のダンジョン。

 先程の暗闇とは違いきちんと明かりが整備されていて暗くはなく、でも人気も全くない、がらんとした空間。

 この中にはたくさんの赤ちゃんや職員さんが内在しているのでしょう。

 私たちのお腹と同じように。

 でも今はそれが全く見えません。

 かつての度重なる探索のおかげで、入口近くの構造はさすがに私でも理解しています。

 その中を、聖良さんと2人、歩きます。

 いえ、謎の3人目もいるんでしたっけ。

 人質が、3人。

 何やら心中に重い事情と謎がのしかかりそうになるのをえいやっと押しのけます。

 本の中のような非日常的な空間に、少しハイになっているのでしょう。

 浮かれてスキップせんばかりの私を、聖良さんはやや心配そうに見ていました。

「ところで……何故、誘拐なんですか? 凪さんに事情を話してお願いはしなかったんですか?」

「話した、わ。でも、聞き入れてくれなかった」

「そうなんですかー。でも、凪さんのことですから、何か考えがあったりするんじゃないでしょうか?」

 のんびりと答える私を、聖良さんは酷く驚いたように見つめます。

「いえ……あの、むーちゃん?」

「はい?」

「あなた、さっきの電話、聞いてた?」

「聞いていませんでした」

 悪びれず平然と答える私に、聖良さんの方からぷしゅうと空気が漏れたような音がしました。

「聞いていない、って……」

「聞く必要がないと思ったので……」

 追及され、背中に少しずつ嫌な汗が浮いてきます。

 聞く必要がない、いえ、聞いてはいけないと思ったのです。

 だって、さっきの話の中心にあるのは、もしかして――

「あ、ほら見てください、クイズの立札ですよ」

 丁度良い話題の転換になると、私は前方を指差しました。

 そこには、凪さんがダンジョンのあちこちに用意しているという立札と――そして、人影がありました。

「あなたは……」


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