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2月25日 8ヶ月 ――1日前 その1

 9月7日、特殊被検体2号の体調変化。

 妊娠初期より続いていた出血の悪化。

 2号の受精卵も1号と同様の性質を所持しているため、このまま経緯を見守る。

 “H”にはならないように。

 それ以外の想定外の事態も起こらないように。

 決して、失敗などではない。

 決して、失敗させない』

(NAGIレポートより)


『被検体2号の……』

(NAGIレポートより)


『2号は……』

(NAGIレポートより)


   ※※※


「誘拐しに、来たの」

 その夜、聖良さんは確かにそう言いました。



 その夜も、産屋は厳しい寒さの最中にありました。

 外を歩くには適さない環境でした。

 ましてや誘拐されるには。

 なのに私は手を引かれ、おぼつかない足取りで歩いていました。

 そのまま中庭へと向かいます。

「あの……」

 さすがに状況が理解できず、私は、手を引く相手――聖良さんに話しかけました。

「これは、一体何なんですか?」

「歩くのが早かったら言って頂戴」

「いいえ、早くはありませんが……」

 二人の受胎者が歩くには、丁度良い早さです。

 聖良さんは私を一瞥すると、またすぐに歩き始めます。

 もう、必要なことは全て告げたとでもいうように。


 その日の夜、私が部屋で睡眠の準備をしていた時の事でした。

 とんとんと、ノックの音が聞こえました。

 凪さんの診察は昼間ですしこんな時間に一体誰でしょうと思って扉を開けたら、そこにいたのは聖良さんでした。

「どうしたんですか、一体?」

 驚く私に、聖良さんは更に驚くべき事を告げたのです。

「悪いけど、少しの間協力して貰えない?」

「はあ、構いませんけれども、何に……」

「誘拐しに、来たの」

 そして目を白黒させる私にコートを着せると、手を引いてここまでやって来ました。

 誘拐――物品や要求を引き出すため、対象の大切な人をその人の意に反して連れ去ること。でしたっけ。

 この場合、私が、誘拐される側ということなのでしょうか。

 そうすると、聖良さんが誘拐犯ですか。

 聖良さんは、一体誰に何の要求をするために私を連れて来たのでしょう。

 いえ、そもそも私の『誘拐』の認識が根本的に間違っているのかもしれません。

 とすると、これにはどんな意味があるのでしょうか。

 二人でじっくりお話をするにしては、やや環境が厳しすぎます。

 ふわり。

「あ……」

 中庭に出た瞬間、梅の花の匂いがしました。

 いえ、これは果たして梅の花なのでしょうか。

 星の光もほとんどない夜、暗闇の中漂うえもいわれぬ芳香。

 花の姿は見えませんが、いえ見えないからこそただただ届く暴力的なまでに嗅覚を刺激するこの香を、何と表現すればいいのでしょうか。

「ああ」

 ひたすらに胸を疼かせる甘く痺れる香りに全身が包まれていると、そこには何かが秘められているような気がしてくるのです。

それこそ、自身を保っていることが難しくなるほど。

「ああ、あ……」

 自分が、自分であることを拒むような、新たな変化を求めそして逆に恐れる気持ちを喚起させられます。

「あぁ……」

 狂おしいまでの香りに揺さぶられ、私はただただ口から意味のない言葉を漏らすだけでした。

 嗅覚だけではありません。

 視覚が遮断された今、私の中のそれ以外の感覚が鋭く研ぎ澄まされていくのが分かりました。

 中庭を、柔らかい土の部分を踏んで歩く聖良さんの足音が聞こえます。

 私を誘う柔らかい手も。

 見えないけれども、確かにそこにあることがはっきり分かります。

 梅の花も、聖良さんも。

「あ……」

 そして、子供も。

 今更ながらにして、私ははっきりと自分の中に小さな別の存在がいるのを感じました。

 膨らみはほとんどないものの、常に重苦しく自身のお腹に存在している――赤ちゃん。

 今まで全然気が付かなくて、ごめんなさい。

 私は、いつもこの子と一緒にいたのです。

 聖良さんと、同じ。

 でしたら、私はこの子を育み愛し、見守っていかなければいけません。

 ――これから、よろしくお願いします。

 聖良さんに引かれているのとは別の手で、そっとお腹を撫でました。


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