2月 8ヶ月 その6
「まあ、たしかに色々大変なことはありましたよね」
受胎までのステップを思い出しながら、私はうんうん頷きます。
「いきなり、子宮内膜を厚くして剥すとか言って、血みたいなものが出て来た時には驚きましたー」
「まあ、確かに衝撃の体験だったわねえ」
「おまけに、お腹や腰まで痛くなってくるし……昔は、それが毎月のようにあったのですよね? 尊敬の念を禁じ得ません」
「ふふ」
大げさに肩を竦めて見せると、聖良さんの息が零れるのが分かりました。
「でも私も……半年くらいそれを毎月続けていたの」
「ええっ!?」
「なかなか、受胎へ進む気持ちの整理がつかなかったの。それよりも、この施設で嗅覚を生かした研究やケアを行いたいと考えていて。だけどその間中、受胎の体勢を整えるためということでホルモン注射は続いていて……」
「ええー」
受胎より、ここでやりたいことがあったなんて。
そのために、ずっと受胎でもないのに血を流し続けていたなんて。
私は、とにかくもうあれが終わるだけでも受胎はありがたいことだと思っていました。
だから、早く受胎したい、終わらせたいとすら思っていました。
……当時は。
まさか、その後、更に大変なステップが待ち構えているとは思いもしなかったのです。
腹痛も、流れ出るのも終わる訳ではないのですね……
「だから、私が受胎したのはあなたと丁度同じ日。……後で所長から聞いたわ」
「え……!」
「前に、名付けてくれたでしょ? セーラって」
「ええ……」
あれは、たしか一番最初にダンジョンに入った日。
私が受胎した日でもあります。
「その時、言ってくれたわね。セーラは、どんな逆境に置いても気高さと人への優しさを失わなかったという本の主人公の名前だって。とても恐れ多い名前だけど、少しでもそれに近づきたいと思ったから」
「えええ……」
「逃げずに自分にできることをやるのが、それに繋がると思ったの」
「えええええ……」
相変わらず、自分の語彙の無さに嫌気がさします。
いつもあれだけ本を読んでいたのに、えーとしか言葉が出てきません。
私の、そんな何気ない名付けが……そこままで、聖良さんにプレッシャーをかけていたのでしょうか。
「……そ、その、あの、ごめんなさい……」
「え?」
「私が、背中を押してしまう形になって……大変な状況に飛び込ませる形になって」
「そんなことないわ。むしろ、感謝してる」
聖良さんは即座に言い切りました。
「それに、今は職員ではなく、一人の受胎者として同じ立場であなた達と共にあるわけだから……仲間ね」
「仲間……」
そう言われるとなんだかくすぐったくもあり、嬉しくもあります。
「だから、よろしくね。……その、ええと……むーちゃん」
「は、はい、せーらさん!」
むーちゃん!
むーちゃんですよ!
はじめて、せーらさんに名前を呼んでいただけました。
若干口ごもりながら赤面しながらではありますが、はっきりと。
同じ立場だと、仲間だと宣言してくださったことで今まであった職員と被験者との間にあった壁がすうっと消えたみたいです。
「そ、そうです。今度一緒にまたお茶会をいたしましょう!」
「じゃあ、私はお茶を持っていくから……」
「私がお菓子を用意しますね」
ああ、なんだかとてもお仲間……お友達っぽいお約束です。
「そうだ、折角だからまたこっそり研究棟に入って、階段を登った……外の景色がよく見える所でいただきましょう」
「それは規則の範囲外……あ、もうそれは止めておきましょうか」
「ふふふ」
慌てて口を押える聖良さんの様子がおかしくて、ついつい口元が緩みます。
「せーらさんのお茶をいただくと、辛い時でも身も心もスッキリする感じがするのです。あのお茶をいただけるのでしたら、残りの受胎生活も楽しくできそうな気がします!」
勿論、せーらさんとご一緒できることも。
「そう言ってもらえるのはあなた……むーちゃんくらいよ」
聖良さんの表情にふと影が過ぎったのに気付かないくらい、私は浮かれていました。
だからつい、余計な事も口走ってしまいました。
「そんなことないですよー。悪阻とか張りとか貧血とか、ずっと流る続ける血とお腹の痛さも全部、楽になるような気がして……」
「……血?」
ふいに、聖良さんの顔が険しくなったような気がしました。
あ、そういえば、凪さんから言われていました。
私の症状は他の方よりもやや重いから、あまり人に話さないようにって。
案の定、心配させてしまったのでしょうか。
こちらを見る聖良さんの表情から、先程までの柔らかさは消えていました。
真っ直ぐこちらを見て、そして恐る恐ると言った様子で口を開きます。
まるで、私みたいに……目を逸らしていた懸念を、あえて確かめるように。
「……むーちゃんの妊娠状態について、所長から何か話があった?」
「え……と。大丈夫、全然大丈夫って、私たちの子供を産もうって、言ってくれました」
「大丈夫……」
聖良さんは私の顔を覗き込みます。
それは、今までで……抱っこされた時を覗けば、一番の接近でした。
そしてはっと、顔色を変えたのです。
「匂いが……あの時と、同じ……」
「あの……どうかしましたか?」
「いえ……」
明らかにどうかしたような調子で、聖良さんは首を振ります。
「本当に、何かあったんですか?」
「いえ……所長は何も言っていないって……」
ふいに聖良さんは立ち上がりました。
たたらを踏むように後ずさり、すぐ一歩前に出て私に手を差し伸べます。
「悪いわね……用事ができたの。送るわ」
「あ、はい」
聖良さんは慌てた様子でそう言うと、私の手を取って部屋まで送ると、去っていきました。
――その様子は、私の心に暗雲を立ち込めさせるには十分なものでした。
だから、出来る限り心に厚いヴェールをかけて……心を、今まで私が読んでいた本で満たして。
暗雲を、見ないように見ないようにしておきました。




