番外編① 生まれ変わったつもりで(ヒロインちゃんside そしてリュシアン王子side)
【リディー(ヒロインちゃん)】
前世では世界でも有名な企業の社長令嬢だった。
ある日、王族の血を引くボーイフレンドと父の会社の系列のホテルを利用したのだが気の利かないことに、彼のお気に入りのワインが準備されていなかった。
そんな人間にホテルを任せてはおけないと、長年勤めていたという支配人と料理長、そしてそれを庇った役員を首にしたところ、ある日乗り込んだハイヤーの中、おそらく私が首にしたのであろう誰かに刺殺され、気が付いたらこの世界で孤児として生まれかわっていた。
孤児達の世話をしているシスター達からは
「相手を思いやり謙虚に生きなさい、自分が生かされている事への感謝の念を持ちなさい」
そう言われ続けた。
しかし、
『どうして何も悪くない自分が、こんな目に遭わねばならないのか』
と神に祈るどころか神を恨んだ。
孤児院において、前世で高等教育を受け社交界にも顔を出していた記憶を持つ私の存在は異質だった。
孤児として育ち何の教育も受けてなどいないはずなのに、大人を論破する程の学があるし、教えていない筈のマナーも問題ない。
孤児院に引き取られる前は、どこか名家の令嬢として蝶よ花よと育てられたのではないか?
あっという間にそんな噂が立った。
十四歳を前にしたある日、噂を聞きつけたデュアメル伯爵に、この国の王太子であるリュシアン王子を手練手管で陥落させ王太子妃となり伯爵家に便宜を図る事を条件に引き取られることになった。
リュシアンはかつてのボーイフレンド達同様、
『選ぶのは私だ。貴方が望むなら候補に入れて上げてもいい』
そんな思いを込めて、ふと目が合った瞬間優美に微笑んでやれば、蜜に惹かれる蜂のごとく、吸い寄せられるようにしてやはり向こうから声をかけてきた。
伯爵家の威光を振りかざし、更には若く美しい王太子のリュシアンを従えて、かつての様に贅沢に自由気ままに過ごす日々は楽しかった。
リュシアンの元婚約者を蹴落とし、これで安心だと思った時のことだった。
養父である伯爵が投獄の後処刑され、それに合わせ私の国外追放が決まった。
伯爵家の悪事に自分は一切加担していないと訴えたが、リュシアンは助けてなどくれなかった。
男なんてやはり皆同じだ。
自分自身も散々享楽的に過ごし甘い蜜を吸っておきながら、旗色が悪くなるとまるで全ての非は私にあるかのようにあっさり掌を返す。
私の手を振り解くリュシアンの、その煩わしそうな態度に腹の底から沸き立つような怒りを覚えた。
馬車が森の奥で止まり、剣を佩いた騎士がその扉を開けた。
養父であった欲深い伯爵は、リュシアンの元婚約者であった侯爵令嬢をその座から蹴り落とすだけに飽き足らず、二度と彼女が返り咲くことがないよう暗殺者を差し向けたのだという。
きっと、自分も同じようにまた殺されるのだろう……。
情けない姿など決して見せてなどやるものかと決めていたのに、前世での最期を思いだし、思わず手が小さく震えた。
まるで子どもの頃に聞かされたおとぎ話に出てくる悪役のような最期だと思う。
悪役達はどうしたんだっけ?
これまでの行いを悔いて命乞いをするんだっけ?
バカバカしい。
例え生まれ変わったとして、誰が後悔等するものか。
私は悪い事したなんて思っていない!
だから何一つ後悔何てしていない。
そう思って最後の矜持で綺麗に最高に毒々しく嗤ってみせた瞬間のことだった。
柔らかく微笑んだ年若い騎士が
「ここから先は道が細くなるため馬車ではなく馬で向かいます」
と剣ではなく、その大きな手を伸べ言った。
拍子抜けした余り、思わずその温かな手を大人しく取ってしまった。
彼はマチアスという爵位も何も持たない若い騎士だった。
マチアスはかつて私の周りにいた男たちの様に、私の事を妙に持ち上げたりもしなければ、過度に私の事を貶めようともしなかった。
年はそう離れていないはずなのに、私が我儘を言えばまるで良識ある父親の様に辛抱強く優しい口調を崩さぬまま諫めてきたし、私が困ればいい気味だとも思うような素振りも見せず何度でもそっとその手を伸べてきた。
都落ちの旅は悔しいくらいに順調で、数日で国境を越え目的の街にあっさり着いてしまった。
マチアスと過ごす最後の夜、送別にとマチアスが比較的格式の高い食堂へとエスコートしてくれた。
何となく落ち着かない気分がして、正面に座ったマチアスから目を逸らしたときだった。
ウェイトレスがマチアスの制服に派手に料理を零した。
「無礼者!」
カッと頭に血が上って、彼女を首にしろと前世でやったように支配人に詰め寄ろうとした時だった。
さっとマチアスに抱きしめられるようにして制止された。
突然、線の細いリュシアンとは異なる広い胸に優しく抱きすくめられ、まるで生娘か何かのように頬に朱が指して何も言えなくなってしまう。
……馬鹿馬鹿しい。
そう自分に言い聞かせて、厚いマチアスの胸を押しやり離れようとした時だった。
「オレの為に怒ってくれてありがとう」
優しく、落ち着いた声が耳元に降って来たから、今度こそ私は耳まで真っ赤になって完全にその場から動けなくなってしまった。
これまでもこんな風に何か不手際があった際には、自ら手を汚したがらない癖に不機嫌そうな表情を隠しもしないボーイフレンド達に代わりに、自分が正面切って相手の非礼を糾弾してきた。
そうして、その事で厄介そうに眉を顰められる事はあっても、
『ありがとう』
そんな風に言われたのは始めてだった。
どうしたらいいのかもう完全に分からなくなってしまって、まるで本当の子どものようにマチアスの瞳を見上げれば、
「でも大丈夫だよ。それに彼女にも暮らしがあるのだから、急に仕事を首になどなったら彼女だって困るだろう?」
マチアスはそう優しく私の事を諭しながら、手を引いて席に戻ると紳士らしく椅子を引いてくれた。
夜、眠れずに何度も寝返りを打った。
『彼女にも暮らしがあるのだから、急に仕事を首になどなったら彼女だって困るだろう?』
マチアスの優しい声音が頭の中で何度もリフレインする。
そんな事考えた事もなかった。
しかし、その考えに気づいてこれまでの自身の言動を振り返ってしまえば胸が苦しくて仕方がなくなる。
……これが後悔なのだろうか?
翌朝、結局一睡も出来ぬまま、当面私の身元を引き受ける役人に引き渡された。
「それじゃあ、元気で」
そう言って、少し名残惜しそうに背を向けようとしたマチアスに
「また会いに来てくれる?」
そう初めて涙を零しながら思わず縋った。
「いい子にしてたらな」
マチアスは最初、そんな私の殊勝な態度に酷く驚いたような様子だったが、それでもやっぱり父親が娘にするように優しく私の頭を撫でてくれた。
「……私なんかがいい子なんかになんてなれるのかしら?」
情けなくも思わずそう呟けば、
「人間、一度死んで生まれ変わった気になればどうとでも変われるさ」
マチアスはそう言って、またまるで随分年上の大人の男の人のように優しく温かく笑った。
【リュシアン元王太子】
幼い時分に婚約者となったエリーズは従順で美しく、そして僕なんかよりもずば抜けて優秀だった。
そんな彼女を誰もが手放しで褒めたから、最初は僕もそんな婚約者が持てた事を誇らしく思った。
しかし十歳を過ぎた頃からであっただろうか、僕は勝手に彼女への劣等感を徐々に募らせていった。
劣等感をこじらせて、つまらない思いのまま学園をおくっていた時だった。
廊下で一人の美しい少女とすれ違った。
この国には珍しい藍にも似た黒髪に、どこか神秘的で落ち着いた印象を見せる微かに紫がかった濃紺の瞳。
その造形は酷く華奢で、触れれば壊れてしまいそうに見えた。
思わず長い事見つめてしまい、目が合ったときだった。
きっと他の人間の様に恭しくその瞳を下げるのだろうと思っていた彼女が、臆することなく僕の目を真っすぐ見つめたまま、実に優美にその煌めく瞳を微笑ませた。
美しいリディーは常に多くの信奉者に囲まれていた。
だからライバル達を蹴散らして、そんなリディーの一番に選ばれた時には、傷ついていた自尊心が大いに癒されるのを感じた。
リディーは自由気ままな猫の様でもあった。
エリーズなら相手を立て一歩引くところも、リディーは一切自分の意見を曲げない。
今にして思えばそれはただの我儘なのに、ずっと立派な王となる為に誰よりも正しく謙虚であれと教えられ窮屈な思いをしてきた当時の僕には妙に清々しく映った。
自分の世話を焼いてくれるエリーズと違い、我儘なリディーは自分がいないとダメで世話が焼けるところも新鮮で、愚かだった自分には可愛くて仕方がなく思われた。
しかし、時間が経つにつれて、彼女と共に取っていた言動の無責任さのツケが全て回ってくるようになって、僕は目を覚まさざるをえなくなった。
父王からも王太子としての任をしっかり果たすようくぎを刺されたため、リディーの我儘を諫める側に回れば、享楽的な生活や態度を一切改めない彼女とはあっという間に喧嘩が絶えなくなった。
そんな折、リディーの養父である伯爵が投獄され、リディーも国外追放となった。
宰相の助言を受け、僕はホッとした気持ちでリディーに別れを告げ、エリーズを呼び戻すことにした。
再会したエリーズは、少ししか離れていなかったはずなのに以前より大人びて更に美しくなっていた。
献身的に僕に尽くし、つつましやかに視線を下げるその所作はリディーとは違いあだっぽさが無くやはり洗練されていて心が落ち着く。
やはり彼女が王妃に相応しいと、彼女との結婚を改めて決めた。
それなのに……。
エリーズは僕ではなく、騎士崩れの貧乏子爵を選んだ。
そして、それに伴い父に見限られ、王太子の座までも追われることとなった。
リディーと出会ってからの半年間、自分が随分自堕落な生活をしてきた過ちは認める。
しかし、それ以前は自分なりに精一杯努力してきたつもりだった。
優秀なエリーズや弟のようにはなれず、常に失望の目を向けられてきてもなおだ。
それなのに……。
「いや、これで我が国も安泰ですな。なんせ真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方であるといいますから」
侯爵家に与する派閥の貴族があてこするように大声でそう周囲に話すのを聞き、悔しくて血が出る程唇を噛み締めた。
国を離れる際、信頼出来る侍女を通してエリーズから渡された、鎖帷子を投げ捨て剣を佩いた。
「馬鹿にするな! 自分の身ぐらい自分で守って見せる」
そう言えば、見送りに来ていたエリーズの父親である侯爵がなんとも言えない顔をして深い溜息をついた。