8話~祖父の記憶・前編~
銀将の棒銀戦法によって思い出さずにはいられなかった過去は、すべてが過ぎてしまった後で思い返し、そして銀子がたどり着いた結論のようなものである。物事が起きている矢先に自戒するということは難しい。とくにそれが幼い子供であるほど、人生の哲学や処世訓は、思春期でどっと押し寄せるように結論を求めてくるだろう。
つまり間に合わずに遅れてやってくるからこその後悔や反省なのだ。
だから結論は急いではいけない。いくら急いだところで間に合うわけがないのだ。押し寄せる後悔や反省に堪え忍び、より一層の経験を恐れずに求め、さらなる一歩を踏み出す。常に新たな啓蒙を泥の中から掬い取ることが肝要なのだ。
それらの心掛けは知らず知らずの内に、人生へ差を及ぼすだろう。どれほど幸せな婚姻が結べるか。家族が死ぬまでにどれだけ孝行をすることが可能なのか。自分が死んだ後で、果たして何人の人間が自分のために、涙を流してくれるのだろうか。
そんな理想論とは反対に、毎日のように押し寄せる後悔や恥、自己への憐れみに折れてしまい、結論を出そうものなら、成長はそこで立ち止まる。
次の進歩のためには、最初からやり直さなければならない。
それはまだ少女である銀子にとって、決定的な岐路となってしまっていた。
そう。銀子は後者の人間だった。道半ばで折れてしまい、軽々(けいけい)に結論を出して、前へ進まずに佇んでいる。その場所は中腹どころか、二合にも満たない上り始めだった。
なぜ彼女が人生という坂道の途中で座り込んでしまったか。
それはもちろん――銀子はおじいちゃんのことが大好きだったからである。
自分が生まれたときの話を聞いたのは、祖父の葬儀が終わった後だった。銀子が産まれたとき、最初に彼女のことを抱いたのは父親ではなく、祖父の銀之亮である。
母が産気づいた日は、長女の桂子が通う幼稚園の終園式だった。父親である将門は、来年度に入園を控えた次女の歩実を連れて、桂子を迎えに行っていた。
そういうわけでお産を無事に終えた母の元へ、最初に駆けつけた銀之亮が、三女である銀子を抱くことに至ったのである。
すべての催しが初めてである長男長女に比べ、二番目以降は往々(おうおう)にして写真など少なくなってしまうものだ。倉敷家も例に漏れず長女や次女と比べて、三番目である銀子へ目をかける時間は多くなかった。
退院した母は長女の時とは違い、比較的すぐに仕事を再開した。産休・育児などの福利厚生が用意されていない仕事ということもあり、また子育てに慣れを感じる頃でもあったので、母は決断したのだ。しかし将門は、妻がすぐに仕事へ復帰するとは思っておらず、この辺りから子育てに対する価値観の違いが如実にあられてゆくことになる。
さておき。銀子の面倒をよく見たのは祖父の銀之亮であった。
三人目ということもあり、とうとう自分の名前である銀の字をつけることを息子夫婦から許してもらった。育児について溝が生まれ始めた夫婦の諍いを心配した祖父は、心の底から銀子のことを可愛がり、厳しく接するべきときには叱りつけ、注げるだけの愛をすべて注いで孫娘のことを育てていった。
言葉を覚える前の銀子は、おじいちゃんの膝の上じゃないと泣きじゃくり、将門はそれを少し寂しく感じたが、おおらかな父は銀子のことをそのまま銀之亮に任せていった。
それまで経験のなかった本気の夫婦喧嘩を見せるよりはマシだと考えたのだ。
そして、銀子は祖父の手ほどきによって、言葉よりも先に将棋へ触れていった。
幼い銀子の記憶にある祖父は誰よりも強かった。自らが師範の地位にあった剣道場でも、趣味と呼ぶには没頭し過ぎる将棋でも、おじいちゃんは誰にも負けなかった。
銀之亮に懐いて将棋を覚えた銀子はめきめきと力をつけていった。祖父は棒銀戦法を好んで使い、彼女は毎日のようにそれを相手にしながら指導を受け、小学校へ上がる頃には親戚相手だと、祖父以外の誰にも負けなくなっていた。
小学校に進学すると、銀子は祖父の剣道場へ顔を出すようになった。同時に町内の将棋教室へも通い始めることになる。家族や親戚以外と将棋を指すのは初めての経験だったが、教室で定期的に行われる小学校低学年のトーナメント戦で銀子は初出場で初優勝を飾った。練習後には年配層を中心に将棋を楽しんでいた祖父の剣道場でも、銀子は大人顔負けの実力を発揮してゆき、数え歳で十歳にもなると、近隣でも評判の少女棋士になっていた。
けれど銀子が誇らしかったのはメダルや賞状などではない。
『銀子と名付けた甲斐があったなぁ。偉いぞ銀子』
対局をしながら祖父が褒めてくれる。銀子はそれが何よりも嬉しかった。親と一緒に寝るのを卒業する友達がいる中で、銀子はときどき一緒に寝てと祖父にせがんだ。おねしょをすると叱られたけど両親や姉を始め、みんなには隠してくれるおじいちゃんのことが銀子は大好きだった。
小学四年生になると夏休みに行われる市の子ども将棋大会に初めて出場した。同学年の部では圧倒的な優勝に輝き、将棋教室でも上の学年の子に負けることはあれど、勝率は誰に対しても優勢で負けることはなかった。
駒落ち無しで、祖父に勝つことができるようになったのは、四年生の冬だった。最初は三回に一回勝てるかどうかであったが確率は右肩上がりに高くなってゆく。銀之亮は嬉しそうに目を細めて銀子の頭を撫でてやり、自分に勝つたび小遣いをやった。
五年生になると銀子の勢いは一気に増して、祖父は体調を崩すことが多くなった。自然と対局する機会は減ってゆく。
五年生の夏休みは市内の大会だけでなく、県内で行われた子ども名人戦にも登録した。どちらも学年別ではなく小学生総合の部で出場して、歳上の男の子とも対局したのだが、なんと全勝を飾ることになる。賞金こそ出なかったが、努力の結果として祖父からまたお小遣いをもらうことになり、たまには息抜きをして遊びなさいと諭される始末だった。
でも、祖父からもらったお金を銀子は使おうとしなかった。唯一使ったのは最初にお小遣いをもらったときだけである。彼女は金魚鉢風の貯金箱を買った。くたびれた将棋盤ではなくて、いつかおじいちゃんに立派な盤を買ってプレゼントしたいと思ったのだ。
だから、お小遣いは全部貯めようと決めたのである。
銀子は自分の才能を信じ、そんな自分の力よりも、祖父のことを信じていた。
剣道では友達と比べて格好いいところを見せられないけど、将棋だけは誰にも負けない。
だって生まれたときから、おじいちゃんにずっと鍛えてもらった将棋なのだから。
そんな銀子に、初めての試練がおとずれたのは小学校六年生の夏休みだった。