5話~秘術・常しなえの戦場~
夕食は父の当番だった。台所に関して言えば、余裕があるときは銀子が作るという緩い当番制度である。とはいえ本日の夕食は、買い物から献立まで将門がこなしたのだ――が。
「どうして関係ない人たちが一緒にご飯を食べてるのかな」
「も、申し訳ありません。銀子さま。同席など畏れ多く、後で別にして頂くことを申し上げたのですが――」
「結局ウチで食べてるからそれっ」
「まぁまぁ。苛々(いらいら)しているとせっかくの食事も体に悪いよ」
前髪を下ろした状態で、後ろ髪をしばっている醉象がたくあんを囓りながら言う。
「そうだぞ。銀子は細かいことにこだわるところがいけないな」
父である将門も醉象に同意してしゃべった。醉象がトクトクと酒を注ぎ、父はなかなか楽しんでいるようである。
「ちょっと! お父さんにお願いしてたはずなのに、どうしてふたりがいるのよ」
「だって他に行くところもなく、ふたりとも手伝えることは手伝わせてくれって言ってくれてるんだ。境内の掃除からお守りの授与。しかも、巫女さんの衣装を着て手伝ってくれたんだぞ。本当ならアルバイト料を払わないといけないのに一銭もいらないと言う」
「……そんなことしてたの?」
ふたりの少女をだ銀子がギロリと睨む。銀将は震え上がった。
「あ、あああっ。銀子さまに確認もせず勝手なことをして申し訳ありません! し、しかしながら、何もせずにただ居るというのは従者として、あるまじき行為だと――」
「ボクたちの使命は銀子の身を護ること。だから、主人の周りを子細に把握しとかなきゃいけない。銀子のお父さんの手伝いは、その点ですごく助かることだった。おかげで、この神社の地形を把握できたよ」
「また、そんなこと言って、もうっ……。お姉ちゃんってば、何を考えてるんだか。付き合うふたりもふたりだけど」
「おや。ギンショウさんとスイゾウさんは桂子と歩実に会ったことがあるのかい?」
「いいえ。存じ上げません」
「ボクも。でも銀子のお姉さんなら、いつか会ってみたいな」
「……あくまでもしらを切るのね」
突っ込みつつ、まずい流れだと銀子が考える。ただでさえ大雑把な感覚の父である。このままだと悪戯に時間だけが過ぎてゆく。はっきりさせたい点だけ追求すべきだ。
「……分かった。お姉ちゃんのことはもういいよ。でも普通に考えてここはお寺じゃないんだから、家出少女の駆け込む先じゃないはず」
「そういえば最近の子供って家出をしなくなったらしいね」
「お父さんは黙ってて」
「はい」
「ふたりとも本当にどういうつもりなの?」
語気を強め身を乗り出して問い詰める。
だが威嚇にも等しい銀子へ、ふたりは真摯に見つめて答えたのだった。
「銀子さまを守護する所存にございます」
「銀子を護るつもりさ」
自分よりも強い眼差しなのだから、銀子にとって始末の悪いことこのうえなかった。
「……どうしたらいいのよ。もう」
こちらを貶めてくるのなら銀子としても敢然と追い捲ることができるだろう。しかし、ふたりの表情や口調からは善意と好意しか読み取れなかった。どうして迷惑を被っている自分が悪者になって、ふたりを追い払わなければならないのか。
そうしていると見かねた将門がそっと口を挟んだ。
「銀子。もういいじゃないか。そこまでにしておきなさい」
「お父さん」
「どういう事情があろうとも、ギンショウさんとスイゾウさんが悪心ある腹積もりではないことくらい、お父さんにだって分かる」
「御館さま……」
晩酌が趣味の父。いつの間にかすごい呼び名になっていた。
「帰るところを無くしてるんだったら、ここに居てもらいなさい。銀子の言う通り、ここはお寺じゃないけど、戦国時代から続くお社なんだ。困っている子がいるのなら、お父さんは神職に携わる者として助けなければならない」
「わ、私だって、さっさとふたりを追い払いたいわけじゃないけど……でも」
「銀子。今食べているご飯だって、ふたりの手を借りて作ったものだ。春から歩実も上京して、この家にはお父さんと銀子しかいない。大きな社だから維持するのも大変だと思っていたところだ。今日の様子を見ていれば、ふたりが居てくれて助かることはあれど負担になることなんて無いさ」
将門がそう言うと銀子は黙ってしまった。母と姉たちが東京へ移り住んでから、父の負担が増えているのを銀子だって気にしていた。出来る限り家のことを手伝おうと考えて、せめて料理当番や掃除は多めに引き受けている。
「ともあれ。お父さんからは、これくらいしか言えない。ギンショウさんたちと銀子で、しっかり話し合ったらいい。ふたりは銀子の知り合いなんだから」
別にこれっぽっちも知り合いなんかじゃない。とは銀子も答えなかった。そういう小賢しい物言いは、彼女の道徳に悖る態度である。
望まぬとはいえ、出会ったしまったことは事実なのだから。
「……分かった。ご飯を食べた後、私の部屋で話し合ってみるよ」
「銀子さま。よろしくお願いします」
「ありがとう。銀子」
居ていいよと告げたわけではないのに、ふたりの笑った顔はまるでこの上ない喜びといった様子だった。
「洗い物もしなくちゃいけないんだから、あんまりだらだら食べないでよ」
「いえ。夕餉の後始末は私が――」
ずいと申し出ようとする銀将を制して、銀子がきっぱりと告げた。
「いいの。洗い物は基本的に私の役目だし、さぼったりしたくないから」
「だったらお手伝い。銀将とボクで銀子のお手伝いをさせてくれ」
「……それならいいけど」
夕食を食べた後、将門が晩酌をしつつ朗らかに眺めている。
いつもよりも多い洗い物は、いつもより多い人数で済ませることになったのだった。
「ジジさま?」
「はい。戦国の乱世で私たちは、この見目のまま弱齢で命を落としました。そのような私たちの境遇を憐れんでくださったのが爺さまでした」
「おじいちゃんが哀しんで、ふたりを生き返らせたってこと?」
言葉にするもナンセンスなことだったが、話を合わせないと先へ進まないのだからしようがない。現実的な判断はさしおいて、銀子はふたりの言い分を余さずに聞いてみることにした。尻尾がつかめるかもしれない。
「はい。爺さまとの縁故は正系ではありません。しかし、爺さまは内孫のように私たちのことを可愛がってくれました」
「ボクたちふたりだけじゃないけどね。爺が黄泉路から舞い戻らせたのは銀将とボクと他に七人いるんだ」
「……他に七人も」
ほじくると新たな話が出てきて腰が引けそうになったが、銀子はさらにかみ砕いて聞き返した。
「ってことはさ。その優しいおじいさんはお坊さんなのかな。甦らせるなんて普通の人間には無理だと思うんだけど。ふたりは寺と神社と間違えて、うちに来ちゃったの?」
「違う。爺は出家していたけど歴とした武将だよ。文武百般に優れた爺だった」
「ちょ、ちょっと待って。銀将が爺さまと呼んでる人と、醉象が爺って呼んでる人は、同じ人なんだよね?」
「はい。秘術によって現世に再来した私たちは、爺さまと共に戦いました。関東では北条氏が興り、越後の軍神と呼ばれた長尾為影の軍勢とは、幾度も剣を交えたものです」
やばい、怖いよおじいちゃん。この人たち、私の想像以上だ。
あまりに突拍子も無い話。恐れすら抱き始めた銀子である。
すると主の困惑した表情を察した銀将がつけ加えて言った。
「し、失礼致しました。以前も突飛なことを申し上げて、隊士の方々(かたがた)を困らせてしまったことがありましたのに」
「隊士の方々?」
「隊士殿のお側にお仕えしたのは徳川の世でございます。爺さまに呪術を施され、戦国で自らの宿命を知り、次に黄泉がえったのは元禄十四年。遺臣であられる義士さまによって喚び戻されたのです」
何を言っているのか、少しも理解ができなかった。口を挟むことすらできない。
「なるほど。じゃあ、その次が昭和という時代の大戦というわけか」
「はい、醉象さま。その通りです。大規模な戦となった世界大戦では閣下の元で戦いました。ゆえに現世へ生を許されたのは、銀子さまのおかげで四度目にございます」
「へぇ、同じだね。ボクもこれで四度目。近代戦は知らないから、銀将から学ばないといけないな」
「そ、そうなのですか。しかし、醉象さまは戦上手であられますゆえ。時勢は関係ありませんでしょう。私とでは比類に値しないかと」
「そうでもないさ。今日、将門に付き合って感じたことだけど、時代の移ろいは火脚のようだ。こうも目まぐるしい有様じゃ、自分を練り上げなければ何もできない」
「……ふたりとも何を言ってるの。どういうことなの?」
「何度も言ってることだけど。ボクと銀将は、喚んでくれた主へ忠誠を誓うのが運命なんだ。それが銀子――きみだ。きみのために戦い続けることが、ボクたちの誠なんだよ」
まこと、なんて初めて聞いた言葉だった。意味は知っていても人の口から出てくるのを聞くのは初めてである。なんとなくむず痒い感覚を覚える銀子だった。
「戦国の時代に、今際を迎えたはずのボクたちが、生きながらえるための代償。それこそ爺が施した秘術『常しなえの戦場』」